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白兎と金烏  作者:
終幕 天帝花嫁編
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一章 星和のみちびき(6)

「伝えるのに時間がかかってすまなかったな」

「そ……」


 何かを口にしようとする前に、両目から大粒の涙があふれて落ちる。

 言葉であらわすことのできない感情の奔流のようなものが、かさねの胸を激しく叩いていた。……あのおとこが。自分の身にまるで頓着しないあの男が、壱烏の代わりとして生まれて、何でもかんでもひとに譲り渡してしまうあの男が、抗ったことが、願ったことが、かさねの胸を叩いていた。イチは自分のさだめに抗おうとしたのだ。


「それで、今イチの魂は……」

「うん、それなのだがな」


 これまでやさしくかさねを励まし続けた星和が、はじめて難しい顔をする。


「さきぶれの神はほんとうに変わり者というのか……奇神変神のたぐいでな。その、自分で剥がした魂をぽいっとそのあたりに……捨てて……しまったようでな……」

「す、捨てただと!? イチを!?」

「すまない、かさねどの」


 何故か星和が謝り、夢で見ていたという光景を教えてくれる。


「ぽいっと捨てたその瞬間に、天帝がイチの身体に降りて、ありとあらゆるものと一緒にイチの魂もどこかに吹き飛ばされた。その。この天地のどこかには……いると……思う。おそらく……」

「いやいやいやいや」


 この天地のどこかとは!?とかさねは頭を抱える。

 いくらなんでも広すぎやしないだろうか。確かにかさねは先ほど、イチの魂を天地じゅうから探してやると天帝に啖呵を切ったのだけども。そのときはもちろん、そういうつもりだったのだけども。


(ほんに見つけ出す頃には老婆になってしまう……!)

 

「その、そなたは神であろ? イチの魂を見つけ出せたりは……」


 つい他力本願なことを言い出したかさねに、「すまない」と星和は困った風に眉を下げた。


「大地はひとの魂であふれかえっている。そこからひとつを見つけ出すのは、おれでもむずかしい」

「……であるよな。すまぬ。そなたは大事なことを教えてくれたのに」


 しかも何の見返りもなく、かさねに手を差し伸べてくれた。

 星和の胸のあたりに手を触れさせて、「外はだいじょうぶか?」と尋ねる。星和はかさねを体内にかくまってくれたが、外にはあらぶる天帝がいる。星和が眠っている間、だいぶ神域の森を焼かれてしまった。熱いと言って木々も泣いていた。


「ここはおれの神域だからな」


 微笑み、星和は目を細めた。

 

「あなたを体内に呼んだのには、もうひとつ理由がある。さっきのイチの魂のゆくえについてだ。確かに、おれには彼の魂のゆくえがわからない。だが、『あなた』ならわかるかもしれない」

「かさねなら?」

「そう。あなたの身のうちに眠るのは、黄泉をつかさどる大地女神になったひより。ひよりであれば、ひとの魂のゆくえについて知るかもしれない。取り戻す方法もともしたら」

「だが、ひよりどのと会う方法など……」

「話したいか、ひよりと」

 

 静かに問いかけられ、かさねは目を瞬かせた。


「ひよりどのと話すことができるのか?」

「あぁ。あなたはすでに一部が大地女神へ転じつつある。……その右腕はもう動かないのだろう?」


 感覚の途絶えた右腕を見つめ、星和はかなしそうにつぶやいた。


「今のあなたであれば、ひよりとあわいの地でまみえることもできるだろう。ただ……」

「ただ?」

「少し、びっくりするかもしれない」


 小さく笑う星和に、かつての樹の化生の姿が垣間見えて、かさねは場違いに少し笑ってしまった。かまわぬ、と言い切ると、星和の手がかさねの頭を引き寄せる。


「そなたはひよりの心をすくってくれた心やさしき乙女」


 額と額があわさり、ひとよりも低温の、されど固い皮の内側に確かに存在するぬくもりがじんわり伝わってきた。大地の水を吸い上げるような微かな水音がして、かさねは目を伏せる。

 トン、と衝撃が走ったのは直後だった。かさねは己の腹を突き破った老樹の枝をいぶかしげに見つめる。待て、と呻いたが、かさねの咽喉を声が震わせることはなかった。急速に身体から力が抜け、視界に白い紗がかかっていく。

 待て、星和。

 死ぬとは聞いておらんぞ……!?



 *



 天を呪う女神の声が耳奥から聞こえ、大地将軍・燐圭は目を開けた。

 どうやら短い間眠っていたらしい。少し前随喜の涙を流し始めた天に呼応するかのように、大地の山々は火を噴いた。女神の恩寵を受けた燐圭には、知らせを待たずともわかった。天帝が千年の眠りよりめざめ、大地女神が怨嗟の声を上げているのだと。


「器の探索は間に合わなかったか……」


 地都ツバキイチにおいても、近隣の山々から吐き出された灰と煙のせいで、空は暗天と化した。以来、朝も夜も変わらず、大地に灰が降り続けている。地都の管理者たる燐圭は、噴火した山の火砕流で破壊された区域の救援に兵を向かわせ、灰で胸を壊した子どもたち老人たちのために医者を集め、朝から晩まで奔走した。とはいえ、これらは根本の解決には至らない。

 天帝を斬らなければ、という女神なのか己なのか分かちがたく絡まり合った声が燐圭を焚きつける。斬らなければならない。斬らなければ、終わらぬ。


「器に降り立ったときの天帝が、いちばん脆い」


 いったい何に降り立ったかは知れぬが、大地の何がしかに降り立った天帝は当然、物理的な制約を受ける。器を壊せば、もろとも神も死ぬ。

 瘴気をたちのぼらせた太刀を抱き、燐圭は天を仰いだ。

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