第8話
絶望13日目・朝 日常への回帰と進化する異常
世界が終わり、新しい世界が始まってから、もうすぐ二週間が経とうとしている。
俺、橋場洋太の朝は、影のメンテナンスから始まる。
かつてはスマホのアラームを止めて、二度寝するのが日課だったが、今は違う。
日の出と共に目を覚まし、ベッドから起き上がる前に、自分の足元――影の中に意識を沈める。
「……おはよう」
俺が念じると、影は水面のように揺らぎ、ベッドの脚を這い上がって俺の手首に絡みついた。
冷たく、滑らかな感触。
最初は不気味だったこの感覚も、今では愛犬に舐められているような、親愛の情すら感じる。
ステータスを確認する。
レベルは24。
この数日、赤色エリアでの狩りを日課にしていたおかげで、順調に育っている。
それに伴い、『影操作』のスキルレベルも上がり、持続時間と強度が大幅に向上していた。
俺はキッチンへ向かい、電気ケトルでお湯を沸かす。
コーヒーを淹れる。
立ち昇る湯気と共に、俺はスマホを手に取った。
朝のニュースチェック。
いや、テレビや新聞はもうない。
今の俺たちにとっての唯一の情報源、それは『ゾンビハンター』アプリ内の巨大掲示板だ。
【日本サーバー:総合攻略・雑談スレッド Part.156】
接続人数:122,212人
接続人数が以前より少し減っている。
それが意味するのは、通信環境の悪化か、あるいは単純に「減った(死亡した)」のか。
深く考えるのはやめよう。精神衛生上、良くない。
俺はマグカップを片手に、昨夜から今朝にかけて流れた膨大なログを遡り始めた。
トピック1:戦士職の「魔法化」現象
最初の話題は、プレイヤーの能力進化についてだった。
[ID:Muscle_Bro_99] おいお前ら朗報だぞ。 筋力(STR)極振りの脳筋戦士でもレベル上がるとスキル覚えるっぽい! 俺昨日レベル15になったんだけど『剛体化』ってパッシブスキルが生えてきた。 これヤバい。ナイフくらいなら素肌で弾けるようになったわ。
[ID:Kendo_Boy] おめでとうございます! 自分も剣術メインですけどレベル18で『斬撃飛ばし』覚えました。 3メートルくらい先まで真空の刃?みたいなのが飛びます。 これでもう遠距離攻撃持ちに虐められないっす!
[ID:Intel_Man] ふむ報告ありがとう。 どうやら戦士系(物理職)でも一定レベルを超えると「超常的な能力」が発現する傾向にあるみたいだね。 ・防御系 → 硬化自己治癒耐性強化 ・攻撃系 → 衝撃波武器への属性付与 ・特殊系 → 身体変形超感覚
[ID:Medic_Wannabe] 自己治癒は便利だよなー。 私の知り合いのタンク役の人『オート・リジェネ』覚えたって言ってた。 戦闘中でもじわじわダメージ回復するってことだろ? ヒーラー(私)の仕事なくなるじゃんw
[ID:Intel_Man] いやリジェネはあくまで自然治癒の高速化だから即効性はないよ。 ポーションやヒーラーの需要は消えない。 それより気になるのは特殊系の能力だね。
[ID:Shadow_Stalker] 俺『血操作』覚えた。 自分の血を固めて武器にしたり相手の傷口から出血を促進させたりできる。 ……便利だけど絵面がグロすぎてパーティメンバーに引かれてる。
[ID:Esper_Girl] 私は『念動力』! まだ空き缶動かすくらいしかできないけど極めたらサイコキネシスでゾンビの首ねじ切れるかな?
[ID:Mental_Link] 『テレパシー』持ちです。 半径50m以内の味方と声出さずに会話できる。 隠密行動中に便利すぎてこれ無しじゃレイド行けないレベル。
[ID:YOTA(ROM)] (……ふむ)
俺はコーヒーを啜りながら頷いた。
やはり俺の『影操作』だけが特別なわけじゃないらしい。
『血操作』に『念動力』。
物理職と魔法職の境界線が曖昧になり、いわゆる「異能バトル」の様相を呈してきている。
[ID:Realist_Desu] でもさそれって喜んでいいのか? そうそうあと影操作とかね念動力とかテレパシーとか。 便利だけどやってること人間辞めてない? まあ魔法使える人はさらに強力な魔法覚えてるみたいだけど人外化が進むな……。 最終的に俺たちもゾンビと変わらない化け物になるんじゃね?
[ID:Muscle_Bro_99] 細かいこと気にすんなよ! 生き残れれば正義だろ。 それに化け物になってるのは俺たちだけじゃねえし。
トピック2:いたちごっこ(パワーバランスの考察)
話題は自然と、敵対するゾンビの進化へと移っていく。
[ID:Scout_Crow] それな。 ゾンビもパワーアップしてるからね。 昨日どう見ても異能能力使うゾンビみたぞ? 口から冷凍ビーム吐くやつ。 あれ喰らって仲間の腕がカチコチに凍って砕けた。マジでトラウマ。
[ID:Survivor_J] 俺は『透明化』するゾンビ見た。 プレデターかよって思ったわ。 気配察知スキルなかったら死んでた。
[ID:Pessimist_Z] うわぁ……。 敵も強くなるこっちも強くなる。 結局ゾンビも強くなるならあんまり意味ない? むしろ敵の進化速度のほうが早くないか? 俺たち詰んでる?
[ID:Katanax_Lv25] いや強くなる幅はこっちが上だから楽になってるのは間違いないぞ。 初期の頃は1体倒すのに命懸けだったけど今は同格なら瞬殺できるだろ? それにゾンビは「本能」でしか能力を使わない。 俺たちは「知恵」と「工夫」で能力を組み合わせられる。 この差はデカいよ。
[ID:Intel_Man] 同意。 あと成長曲線の検証データが出てるけどプレイヤーのレベルアップによるステータス上昇値のほうがゾンビの自然進化による上昇値より高い。 つまり「サボらずに狩り続けているプレイヤー」にとっては世界はイージーモードになりつつある。 逆に「逃げ回っているだけの非戦闘員」にとっては世界はインフェルノ(地獄)化している。
[ID:YOTA(ROM)] (……厳しい現実だな)
俺はカップを置いた。
Intel_Manの言う通りだ。
俺も実感している。
レベル20を超えてから、以前は苦戦した『ソルジャー・ゾンビ』や『タフネス・ゾンビ』が、ただの雑魚に見えるようになってきた。
だがそれは、俺が戦い続けているからだ。
もし今もトイレに引きこもっていたとしたら……今の外の世界に出た瞬間、進化したゾンビに秒殺されていただろう。
格差社会。
富の格差ではなく、力の格差が生存権の有無を決定づけている。
トピック3:次世代の適応者たち
画面をスクロールすると、少し毛色の違う話題で盛り上がっていた。
[ID:Teacher_Sad] 大人だけ強くなる? いやガキもめちゃくちゃ強いヤツがいるからそういうわけでもない。 元教え子(中2)に会ったんだけどなんか俺よりレベル高かった……。 大人は「常識」が邪魔して動きが鈍いけど子供は順応早いわ。
[ID:Gamer_Kids] 中学生がアプリで買ったバカでかい大剣振り回してるのをみた。 FFかな? クラウドかよってツッコミたくなったわw 自分の身長よりデカい剣を片手でブンブン振り回してゾンビを薙ぎ払ってた。 あれ絶対 STR(筋力)極振りだろ。
[ID:Anime_Fan] あるあるw 魔法少女のコスプレ(装備品)してガチで爆裂魔法撃ってる小学生女子も見たぞ。 「我が名はめぐ〇ん!」とか叫んでた。 微笑ましいけど火力は核弾頭レベルだった。
[ID:Realist_Desu] まあいいやガキも強く成れるいいことじゃん。 戦力増えるし。 守られるだけの存在じゃなくて戦力としてカウントできるなら生存率は上がる。
[ID:Teacher_Sad] そうかー? 倫理的には最悪だぞ。 人殺し(ゾンビだけど)の味を覚えた子供が元の社会に戻れると思うか? PTSDとか心配だよおじさんは。
[ID:Katanax_Lv25] 元の社会に戻る? まだそんな寝言言ってるのか。 戻らねえよ。 これが「新しい日常」なんだよ。 だったら早く適応した奴が勝者だ。子供だろうが大人だろうがな。
[ID:YOTA(ROM)] (……中学生の大剣使いか)
想像して、少し笑ってしまった。
俺たち大人が「これは現実だ、命がかかってるんだ」と悲壮な顔をしている横で、子供たちは「すげー! リアルモンハンだ!」と目を輝かせているのかもしれない。
ゲームネイティブ世代の強さ。
もしかしたら、この世界の覇権を握るのは、あの大剣少年のような「楽しみ方を知っている」連中なのかもしれない。
トピック4:ギルドの生態系と生産職
話は「戦力」から、組織論へと移る。
[ID:Guild_Master_A] うちは今メンバー50人。 戦闘員20人非戦闘員30人。 正直食料の確保がキツい。 大人数のギルドって大抵非戦闘員が多いからな。 「戦う度胸がありません」「血を見るのが無理です」ってタイプ。 追い出すわけにもいかんしお荷物になりつつある。
[ID:Solo_Wolf] だからソロが最強なんだよ。 自分の食い扶持だけ稼げばいいんだから。 寄生虫を飼う趣味はないね。
[ID:Production_King] おいおい非戦闘員を馬鹿にするなよ。 まあそういうタイプも『植物操作』とか『食事作成』とか生産職が割り振られてるからいいんだが…。 俺の『料理』スキルLv.10超えたら「ステータス上昇バフ付き」の料理作れるようになったぞ。 STR+10%の弁当欲しくないのか?
[ID:Guild_Master_A] えマジで? 欲しい! 超欲しい! うちの生産職まだ『家庭料理』レベルでバフ付かないんだよなぁ……。 やっぱり生産職もレベル上げ(=経験値取得)必要なのか。
[ID:Intel_Man] そう。そこがジレンマだね。 生産職を育てるには経験値を吸わせなきゃいけない。 でも彼らは戦えない。 だから戦闘職が養殖してやる必要がある。 「先行投資」ができる余裕のあるギルドだけが将来的に強力な生産体制を築けるわけだ。
[ID:YOTA(ROM)] (……なるほどな)
俺は一人で納得した。
俺はショップで食料を買っているが、それはあくまで「既製品」だ。
プレイヤーがスキルで作った「バフ付き料理」や「特殊効果付き装備」はショップには並ばない(あるいは高額で取引される)。
ソロプレイヤーの限界がここにある。
いずれ、強力なバフ料理を食って武装したギルド集団には、ステータス差で勝てなくなる日が来るかもしれない。
「戦わない奴は不要」と切り捨てるのは簡単だが、長期的に見れば「戦わない奴(職人)」を守り育てた組織が勝つ。
社会の縮図だ。
トピック5:『アプリ』起源説論争
そして議論は定期的に繰り返される、「あの話題」に到達する。
この世界の根源についての問いだ。
[ID:Philosopher_Egg] ふと思うんだが。 アプリなかったら人類滅亡してね? ゾンビの感染力と進化速度見てると現代兵器だけじゃ絶対に対処できなかったと思う。 このステータス補正とスキルがあるから俺たちはかろうじて拮抗できている。
[ID:Conspiracy_Taro] いや逆だろ。 アプリがあるからゾンビ発生したのかもよ? タイミングが良すぎる。 「アップデート完了」の通知と共にゾンビが現れたんだぞ? じゃあ元凶はアプリじゃん! マッチポンプだよ。俺たちを戦わせてデータを取るための実験場なんだよ地球は!
[ID:Realist_Desu] 出たよ陰謀論。 まあ一理あるけどな。 運営の目的が不明すぎる。 課金要素ないし(ポイントはゲーム内で稼ぐだけ)広告もない。 誰が何の得をしてるんだ?
[ID:Religious_Sister] 違います。 これは神の試練であり慈悲なのです。 腐敗した人類を一度浄化し選ばれた魂だけを救済するための箱舟。 それがこのアプリなのです。 いや私はアプリは後付だと思うな。 4日目までは間違いなく絶望感あったけどアプリが出たら大逆転じゃん? アプリあるなら最初からそうしてると思うんだよね神様がくれたアプリなんだよ!!!
[ID:Conspiracy_Taro] はいはい陰謀論おつー……ってお前が一番狂信的じゃねーかw 宗教勧誘は他所でやってくれ。
[ID:Intel_Man] 起源が宇宙人だろうが神だろうがあるいは未来人の介入だろうが今はどうでもいい。 重要なのは「アプリを利用しなければ死ぬ」という事実だけだ。 道具の出処を疑って使わない奴から死んでいく。 それが現実だよ。
[ID:YOTA(ROM)] (……Intel_Manの言う通りだ)
俺は空になったカップを揺らした。
俺も最初は疑った。幻覚だと思った。
だがこの『影』の力は本物で、俺の命を何度も救ってくれた。
元凶がどうあれ、今はこいつに縋るしかない。
真実を知るのは、生き残ってラスボス(もし居るなら)を倒した後でいい。
トピック6:国家の不在と現場の意地
最後のトピックは、少し現実的な、しかし切実な願いについてだ。
[ID:Lost_Lamb] とりあえず有益だから良いじゃんアプリの話は。 それより日本政府復活まだー? もう二週間だよ? 避難勧告とか自衛隊の救助活動とかどうなってんの?
[ID:Police_Fan] 警察は復活し始めてるじゃん! 俺の住んでる地域パトカーが見回りしてくれてるし! 「生存者登録してください」ってビラ配ってたぞ。 やっぱりお巡りさんは頼りになるわ。
[ID:Realist_Desu] それな。 現場の警官たちは頑張ってるよ。 でも国としての機能は……正直期待薄だな。 日本政府の不甲斐なさ半端ない。 未だに公式アナウンス一つないんだぞ?
[ID:Lost_Lamb] 警察が仕切ってくれねーかな。 もう暫定政府みたいになっちゃえばいいのに。 治安維持も配給も全部警察がやってくれよ。
[ID:Ex_Official] いやー警察は無理でしょ。 彼らはあくまで「法執行機関」だ。 行政権も予算もないし何よりリソースが足りない。 現状維持が手一杯だよ。 自分の管轄の住民を守るだけで精一杯。 国全体を統治するなんて土台無理な話だ。
[ID:Katanax_Lv25] 結局自分の身は自分で守れってことだ。 警察が来てくれたらラッキー。 政府が復活したら奇跡。 基本は「無法地帯」だと思って動け。
絶望13日目・出発 情報の海から現実へ
チャットの流れがまたループし始めたのを見て、俺はアプリを閉じた。
時刻は午前8時。
外は完全に明るくなっている。
有益な「朝会」だった。
得られた結論はいくつかある。
俺の『影操作』以外にも強力な異能を持つプレイヤーが増えている。油断は禁物だ。
ゾンビもまた進化し、属性攻撃や特殊能力を持ち始めている。耐性装備の準備が必要だ。
生産職を抱えるギルドが、長期的には脅威になる可能性がある。
警察は頑張っているが、やはり「救世主」にはなり得ない。
「……よし」
俺は立ち上がり、装備の点検を始めた。
黒く塗装されたサバイバルナイフ。
予備の投げナイフ。
回復ポーションと、煙幕。
そして相棒である『影』。
今日はチャットで話題に出ていた、「属性持ちゾンビ」のサンプル採取に行こうか。
あるいは少し遠出して、噂の「中学生大剣使い」でも見学しに行くか。
どちらにせよ、退屈はしなさそうだ。
「さて、今日も稼ぎますか」
俺は玄関のドアを開けた。
眩しい朝日が差し込む。
世界は狂っている。
人間は化け物になりかけ、死者は進化し、神か悪魔か分からないアプリが全てを支配している。
だが不思議と、絶望感はない。
俺はこの混沌とした世界を、今日も足取り軽く歩き出した。
未知の攻略を楽しむ、一人のゲーマーとして。




