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 帝国歴二六三年、瑠璃月(一二月)



 今年も年初から馬車馬のごとく、働きまくって気付いたら年末だった件。


 電撃侵攻作戦からのメトロワ領有までを二ヶ月足らずで完遂して帰ってきたのは、さすが俺である。


 って言いたいが……。


 帰ってきたら、決裁案件が天元突破してた件という状態に陥った。


 でも、俺は負けない。目の前で息子のアレウスたんがお仕事を手伝ってくれているから!


「おー、よしよし。アレウスよ。もそっと、左だ。左。いいのう、いいぞ。よし、今じゃ! あうっ! リシェール何をするのじゃ! 妾は今忙しいのじゃ!」


「ご自分でノルマをこなしたくないからといって、アレウス様に印章押しを任せるのは如何なものかと思いましたので。マリーダ様と違い、アレウス様は嬉々として印章押しをされておりますが――」


「マッマ、きたー」


 文句ばかり言うマリーダより、見事に印章押しをこなすアレウスの姿を見て、俺は思わず目尻をハンカチで抑えた。


 さすが俺の子。隠しきれない才気が漏れ出してしまっている。


 はぁー、アレウスたん、かっこいいわー。素敵、抱かれたい。


 仕事のできる男って最高にかっこいい。


「おぉ、アレウス。そなたは印章押しが上手いのぅ。さすが将来のエルウィン家を継ぐ者じゃ。いや、もう譲ってしまってもいいかもしれんのぅ」


「マリーダ様、大変申し上げにくいことですが――」


「なんじゃ? リシェール」


「アレウス様のお打ちになった印章はとても綺麗に押されておりますが、すべてに涎が垂れて染みになっておりますので決裁無効となって、文官の方々からの悲鳴が上がるものに変化しております」


 な、なんだって!? そんな馬鹿な! アレウスたんがそんな失態を犯すわけが!


 リシェールの言葉に席を立つと、アレウスたんが決裁した書類に目を落とす。


 あ、あ、あ、アァーー~! 終わった。終わったよ。


 涎の染みが点々と付いておられるぅーーーーー!


 書類の染みを確認し、俺は無事死亡した。


「アルベルト、いかがしたのじゃ。アレウスがした仕事の完璧さに昇天してしもうたか?」


「マリーダ様、アルベルト様は廃棄が決定し再度、書き起こされる書類の山を見て、違う世界に旅立たれたのです」


 放心状態の俺にリシェールが追いうちの言葉をかけた。


 息子の失態は、父の失態。


 取り戻して見せるし、書類一枚でも書き損じると、殺意波動を飛ばしてくる決算書類制作中の文官たちに平身低頭することもいとわない。


「パッパ、きたー!」


 アレウスたんが、とびきりの笑顔で涎の染みができた書類を見せてくる。


 うぅうう、可愛い。可愛いぞ! アレウスたん!


 そんな笑顔をされたら、パパは怒れないじゃないか。


「うんうん、えらいぞ! アレウスたん! 将来はエルウィン家のみならず、エランシア帝国を担う男になる。小さいことは気にしたらいけないぞ!」


 できる息子から涎の染みだらけになった書類を受け取ると、俺は笑顔を浮かべ、心の中で血の涙を流した。


「でもな。これはママの仕事だから、アレウスたんはユーリたんと遊んでくれていいぞ。フリン、アレウスたんを頼む」


「はーい、ただいままいります」


 奥の部屋でユーリと遊んでいたフリンを呼ぶと、マリーダの膝から抱き上げて渡した。


「アレウス、妾を見捨てるのか! この印章押しはそなたがおらねば、終わらぬのじゃ! アレウス、母を見捨てないでくれなのじゃー!」


「マリーダ様、アレウス様のおかげで本日のノルマは三倍増に決定しました。お覚悟を」


「嫌じゃ! 嫌じゃ! 妾は印章押しなどしとうない! リシェール後生なのじゃ。そのような量の印章押しをしたら妾は発狂してしまうぅ!!」


「大丈夫。私がそばにおりますので発狂されても、こちらの世界に引き戻して差し上げますので」


 リシェールの妖しい笑顔に、鮮血鬼と呼ばれる戦場の死神マリーダが顔を蒼くして震えていた。


「あぁあああぁあああぁ! リシェール、許してなのじゃ! アルベルト、そちからもやめるように――」


 俺は助けを求めるマリーダからの視線に、目を逸らした。


「すまない。私には手の施しようが――」


「ひぎぃいいいいいっ! アルベルトの薄情者ぉおおお!」


「さぁ、遊んでいる暇はありませんよ! マリーダ様!」


 リシェールによって、強制印章押しモードに突入したマリーダを見捨てると、俺は自分の席に戻って仕事を再開する。


「アルベルト様も遊んでおられる暇はありませんよ。決裁書類の書き直しも発生しましたしね。あと、ご意見箱に投じられた手紙も確認してもらうものが山のように貯まっています」


 俺の秘書で内政官を務めるイレーナが眉間に皺を寄せていた。


 忙しさが平時200%を超えた状態になると、彼女の眉間に皺が寄る。


「あ、はい。頑張ります。とりあえず、アレウスたんの失態は私が挽回しよう。あとはご意見箱の手紙にも目を通す」


「承知しました。決裁無効となった書類は該当する担当者に再提出するよう伝えておきます」


 絶対にアレウスたんの涎で再提出になった、なんて事実を明るみにさせてはいけない。


 全力で隠蔽せねばならんな。


「頼む。くれぐれも再提出の理由が漏洩せぬよう配慮してくれ」


「承知しております。隠蔽はお任せください」


「ふむ、では私は執務に戻る」


 イレーナが一礼して、執務室から出ていくと、貯まっている決裁をしていきながら、ご意見箱に寄せられた手紙を読んでいく。

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