第Ⅰ-26 愛
今日ほど、雛ちゃんの家から車で片道三十分掛かる大学に通ったことを呪ったことはない。
今日ほど、特定の人物に殺意を抱いたことはない。
今日ほど、自分を恨んだことはない。
電話をしてきた人物から雛ちゃんが搬送された病院を聞き、スーパーから車で直接向かう。
いつも以上に、赤信号に引っ掛かった気がする。
いつも以上に、道が混んでいた気がする。
しかし、それでもなんとか病院に着き、私はすぐに受付の人に事情を話して、病室に案内してもらう。
エレベーターで四階くらいまで上がり、案内されたのは病室の一室。
「こちらです……」
重々しい医者の言葉。
それに、私は深呼吸をして、目の前に広がる光景を視界に入れた。
真っ白な純白のベッドで眠る、一人の少女。
瞼は固く閉ざされ、その上の額の辺りは、白い包帯が巻かれている。
綺麗な病院服から伸びる細い腕にも、それは巻かれている。
右腕の方には何も巻かれておらず、そこに機械の吸盤のようなものが貼り付いていた。
足も片方が骨折していたのか、ギプス固定をされて、天井から吊り上げられている。
「ッ……」
「怪我自体は大したことはなく、一か月程度で完治すると思います。……ただ、現在進行形で意識不明で、いつ目覚めるか……」
その言葉に、私はカラカラに渇いた喉に唾液を流し込む。
微かな痛みが走り、その痛みは胸に届く。
……痛い。
「……そう、ですか……」
なんとか絞り出した声は、かなり掠れていた。
そういえば、無我夢中だったからよく覚えていないんだけど、私は自分のことを雛ちゃんの何だと説明したのだろう。
……そもそも私は、雛ちゃんの、何なのだろう……。
しかし、それを確認するよりも前に、医者達は病室より出て行った。
それに私は息をつき、雛ちゃんの顔を見つめる。
「……雛ちゃん……」
前から整った顔してると思ったけど、こうして目を瞑っていると、まるでお人形みたい。
私は手を伸ばし、優しく雛ちゃんの頭を撫でた。
艶々した髪。手触りがすごく良い。
そのままゆっくりと数本の髪の毛を指で掬い、その手を上げる。
すると、サラサラと指の隙間をすり抜けて、落下していく。
その様子を見つめながら、私は彼女の手を握る。
彼女の手は温かくて、まだ生きているのだろうと実感した。
「なんで……こんなことに……」
そう呟いた時、私の目から涙がポロポロと零れた。
これは……天罰か何かだろうか。
泪のことが好きだったのに、それで埋められない心の空洞を関係の無い人で、淫らな行為で埋めようとして。
そして様々な人の人生を乱しておきながら、私は泪を愛し続けた。
しかし、本来ならば泪を愛し続けることが、天罰だったのかもしれない。
私のことを好きにならない相手を一生想い続けることで、私の存在は許されていたのかもしれない。
でも私は、雛ちゃんを選んだ。
私を好きになる相手を、選んでしまった。
だから、私からその人を奪ったのだ。
……なぜだ……なぜ、雛ちゃんなんだ……。
彼女は何も悪くないのに。悪いのは全部、私なのに。
奪うなら私の命を奪え。私を、殺せ!
「ごめん……雛ちゃん、ごめん……!」
目の前が霞み、彼女の綺麗な顔が見えなくなっていく。
こんなことになるなら、もっと早く自分の気持ちに気付いていれば良かった。
いつから、私は泪より雛ちゃんのことを好きになっていたのか。
それすらも分からない。
でも、好きだった。きっと、ずっと前から好きだったんだ。
「雛ちゃん……貴方のことが、大好きです……!」
そう呟くと同時に、涙が顎を伝い、一滴落下したのが分かった。
なんでもっと早く伝えなかったのだろう。
込み上げてくる後悔が、涙と共に、流れ落ちる。




