第Ⅰ-22 天罰
机の上に置かれたテスト用紙を見ながら、私は一度深呼吸をした。
大丈夫。凛さんに教えてもらったんだ。今までのテストも、全部割と簡単だった。
数学だって……きっと出来る。
「それじゃあ、始め」
先生の合図に、私は解答用紙を表にする。
クラス、出席番号、名前を書き、問題用紙を見る。
……分かる。
今まで苦戦していた数学が、嘘のように簡単に解けて行く。
自分でも驚くくらい、スラスラと公式が書けてしまう。
やがて全問解き切り、確認を終えて顔を上げてみれば、まだニ十分も残っているではないか。
こんなに余裕を持ってテストに取り組めたのは、生まれて初めてだ。
……凛さん。
……彼女に貰ったものは、本当に、大きすぎる。
私に……彼女に出来ることはあるのだろうか。
……無い。
彼女は、すでに完成されてしまっている。
性格も、見た目も、何もかもが完璧で……それなのに、恋する相手は妹。
でも、そんな少し残念な場所も、彼女の愛嬌なのだろう。
そこまで考えて、私は苦笑を零した。
私はこんなにも……彼女に陶酔してしまっている。
最早、諦めが大半を占めているが、それでも私は彼女のことが好きだ。
もう、独占したいとか、そういうことは思わない。
ただ彼女に、幸せになってほしいだけ。
「そこまで」
先生の言葉に、私はハッと顔を上げる。
すると、テストの回収時間になっていて、私の解答用紙も回収されていく。
それから生徒達が立ちあがり始めるのを見て、私もすぐに席を立ち、鞄の準備を始める。
「ひなっち~数学どうだった?」
帰り支度をしていると、真美がそう声を掛けてくる。
私はそれに「まぁまぁかな」とだけ答えて、鞄のチャックを閉めた。
「ひなっちのまぁまぁ、は信用出来ないからなぁ……実際は完璧なんじゃないの?」
「さぁ、どうでしょう?」
そう言いつつ、私は鞄を肩に掛ける。
鞄の小さなポケットから素早くスマホを抜き取り、制服の胸ポケットに突っ込む。
「それじゃあ、私はここらへんで。また明日!」
「おー。バイバイ~」
真美に手を振り、私は教室を飛び出して、廊下を駆け抜ける。
今は、ただひたすら、凛さんに会いたかった。
感謝を伝えたい。それから、一緒に笑い合いたい。
付き合うことが出来ないことは分かっている。でも、せめてそれくらいは……。
玄関で靴を履き替え、校門から飛び出した私は、すぐに胸ポケットからスマホを取り出して凛さんとのトーク画面を開く。
通話ボタンを押して、耳に当てる。
規則的に鳴り響く呼び出し音を聴きながら、私はアスファルトの地面を蹴る。
『もしもし?』
横断歩道に差し掛かった時、凛さんの声がした。
彼女の声を聴いただけで、高揚感に包まれるのを感じた。
落ち着け、私。
私は一度深呼吸をして、声を出した。
「もしもし、凛さ……―――」
そこまで良いながら、青信号の横断歩道に飛び出した時だった。
視界の隅に、鉄の塊が見えたのは。
「ッ……!?」
気付いた時には、私の体は跳ね飛ばされた。
しかし、轢かれる直前、確かに見たんだ。
運転席でうつ伏せになる運転手の姿が。
居眠り運転か……。
よりによって、なんでこのタイミングなのだろう。
そこまで考えて、私は気付く。
これは……天罰なのかもしれない。
優の人生を滅茶苦茶にしておきながら、別の人を好きになって、幸せを手にしようとしている私への。
そう考えれば、この結末にも納得がいく。
これは……当然の報いだ。
『―――? ―――!』
その時、聞き覚えのある声がして、私は重たい瞼を開いた。
見ると、目の前には、画面の割れた私のスマートフォンが落ちている。
そして、そこから、通話相手である凛さんの声がする。
彼女の声に、私は、自分の顔が綻ぶのを感じた。
……あぁ、でも、神様は優しいなぁ……。
もし私の罪を、死という形で罰しようとしているなら……最後に聴いた声が、最愛の人の声なのだから。
私はゆっくりとスマートフォンに手を伸ばす。
ここで死ぬなら、せめて、最後に、彼女に想いを伝えなくちゃ……。
今なら言える気がするんだ……私の、本当の気持ちが……。
私だけを見なくて良い。
泪さんのことを好きなままで良い。
私と泪さんを重ねていても良い。
それでも、無償の優しさを……見返りの無い慈しみを与えてくれる凛さんが……―――貴方が、大好きです。
でも、それを言うことは叶わない。
指先がスマートフォンに触れると同時に、私の意識は途絶えた。




