第Ⅰ-18 妹
「それでは第一回影山先生による特別個人補習~」
翌日。凛さんが淡々とした口調で言った言葉に、私は拍手をする。
静かな部屋に響くたった一人の拍手に、凛さんは少しだけ寂しそうに笑ってから、国語の教科書を手に取り開く。
「それじゃあ早速始めようか。雛ちゃんの苦手教科は?」
「あ、えっと……国語は好きなんです」
私の言葉に、凛さんは驚いたように目を見開く。
それに、私はなんだか少し嫌な感じがして、無意識に服の裾を握り締めた。
「……昔から本は好きで……国語は、不思議と好きで……」
「そうなんだぁ……あはは、いやぁごめんごめん。泪は国語が苦手だったからさ、つい……」
その言葉に、私は唇を噛みしめた。
……凛さんは、もしかしたら、私と泪さんを重ねているのかもしれない。
同い年だし、私も泪さんも、人見知りする性格だから……。
「……私は泪さんじゃないですよ」
「分かってるって。それで、苦手教科は何?」
「……数学です」
「へぇ、数学。泪は結構数学得意だったんだけどなぁ」
そう言って笑いながら数学の教科書を手に取る凛さんに、私はさらにムカムカした感情を抱く。
シャーペンを握り締める力が強くなるのを感じながら、私は一度深呼吸をする。
落ち着け……このまま暴走したら、優の時と同じじゃないか。
もうあの失敗は繰り返さないと決めたんだ。
落ち着け私。落ち着け……―――
「―――……私は、泪さんじゃないですよ」
出た言葉は、とても冷たくて、鋭かった。
私の言葉に、凛さんはしばらく驚いたように目を丸くしてから、優しく笑った。
「どうしたの? そんなこと分かってるよ」
「ちがッ……そうじゃなくて!」
咄嗟にそう叫びながら、私は立ち上がる。
しかし、上手く言葉が出てこなくて、そのまま固まってしまう。
すると、凛さんは困ったように笑って、私の手を優しく握った。
「っ……」
「まぁ、確かに重ねてはいるかもね。こうして同じ屋根の下で暮らして、泪と同い年だし、まるで可愛い妹みたいに……」
「そういうことじゃ、なくて……」
上手く言葉が出ず、尻すぼみな感じでそう言いながら私は俯いた。
すると、凛さんはフッと優しく笑い、私の頭に手を置いた。
「ぅぁ……」
「まさかと思うけど……可愛い妹じゃ不満?」
悪戯っぽく笑いながら言う凛さん。
まさか……分かっているのか?
分かって……言っているのか?
しかし、これを認めたらダメだ。この気持ちは隠し続けなければ。
そう思いつつも、私の口は勝手に開き、自分の想いとは裏腹に、身勝手な言葉を吐く。
「だって……凛さんは泪さんのこと、まだ好きじゃないですか」
「……へ?」
「可愛い妹って、そもそも泪さんイコール可愛い妹という式が間違ってるじゃないですか! 酔っぱらった勢いで泪さんに間違われて毎夜キスされる身にもなってくださいよ! それなのに、泪さんが可愛い妹? 普通の人は妹を恋愛対象として見ませんよね? 妹以上の感情を抱いていますよね? それに……」
そこまで言って、私はハッとして顔を上げる。
見ると、そこには、悲しそうな顔でこちらを見る凛さんの姿があった。
「あっ……」
「……ごめんなさい」
掠れた、小さな声。
その言葉に、私はどう返せば良いのか分からなくなる。
喉に言葉が詰まって、上手く呼吸が出来ない。
その時、凛さんに体を引き寄せられた。
「ちょっ……」
「私はただ……雛ちゃんの力になりたいだけなのに……雛ちゃんを、守りたいだけなのに……」
そう言って、私の体を強く抱きしめる凛さん。
彼女の言葉は、まるで懺悔のようにも聞こえて、私は辛くなる。
しかし、すぐに彼女の体を押しのけて、「良いですよ」と答える。
「……もう、酔っぱらった凛さんの相手は慣れましたし」
「え、そんなに高い頻度でやっちゃってた?」
「えぇ。毎日」
「マジかぁ……」
頭を抱える凛さんに苦笑しつつ、私は椅子に座った。
「私の方こそ、凛さんにはお世話になっていますし。……お互い様ってやつじゃないですか?」
実際には、凛さんから貰っているものは、あんなキスの相手をする程度で埋められるほど小さいものでは無いと思うが。
でも、こうして言っておかないと、凛さんは安心できない気がする。
凛さんの表情が微かに和らいだのを確認しながら、私は笑って見せた。
「ホラ。私に勉強教えてくれるんですよね? 数学で分からない所が多くて……お願いします」
私の言葉に、凛さんはしばらく呆けたような表情をしてから、頷いた。
「よーし。この私が手取り足取り教えてやんよ」
「あははッ。数学を手取り足取り教えるって何なんですか」
ついそう言って笑うと、凛さんもそれに釣られたように、クスクスと笑った。




