第Ⅰ-14 愛情
「ふぅ……」
目の前の壁からようやく優が消えたことにより、私は一息つく。
しかし、振り向くと、まだ三方の壁に敷き詰められた優が目に移り、私はげんなりしてしまう。
まだこんなに……ていうか、写真多すぎでしょ……。
よくもまぁこんなに溜め込めたものだと心の中で苦笑しつつ、私は別の壁の前に歩いて行く。
その時、コンコンと扉をノックされた。
「雛ちゃん。ご飯出来たよ」
「……分かりました」
凛さんの言葉に返事をして、私は立ち上がる。
続きは晩ご飯の後にしよう。そう思いながら、私は部屋を出る。
すると、凛さんが立っていた。
「凛さん……」
「やりたいこと、とやらは、済んだ?」
「……いえ。まだです。でも、今日中には終わるかと」
「そっか……まぁ、ご飯でも食べて、体力蓄えないとね」
筋肉を見せるように腕を曲げ、二の腕をパンパンと叩く凛さんに、私は笑いつつも「そうですね」とだけ返しておく。
それから二人で一階に下りると、ほんのりと香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
私は無意識に息を大きく吸い込み、ゆっくりと口から吐いた。
「……この匂いは……?」
「お、気付いた? まぁ、見てみれば分かるよ」
彼女の言葉に、私はリビングに入る。
すると、テーブルには二つの美味しそうなカレーが湯気をたてながら置いてあった。
私が席につくと、もう片方に凛さんが座る。
「それじゃあ、手を合わせましょう!」
「……子供じゃないんですから……いただきます」
小学生の給食の挨拶のようなことをしようとする凛さんを無視しつつ、私はカレーを一口頬張った。
それに、凛さんは「あぁ、ちょっと!」と声を発する。
知ったことかと思いつつカレーをしばらく咀嚼する。
そして、あまりの美味しさに、私は目を見開いた。
「……美味しい」
「でしょ~?」
ニヤニヤと笑いながら言う凛さん。
それに、私は口を押さえて一度カレーを飲み込み、続ける。
「レトルトカレーとは全然違う……ごく普通のカレーなハズなのに……」
「ふっふっふ。それが、加工食品と手料理との違いですよ」
凛さんの言葉に、私は「違い……?」と聞き返す。
すると、凛さんは大きく頷き、私に向かって手を伸ばす。
「それはぁ、愛情が籠っているか、です、よ~」
そう言って、私の額をハート型になぞる。
彼女の突然の行動に、私はポカンと口を開く。
愛情が籠ってるかどうか……?
「そ、そんなことで、味って変わるんですか……?」
「実際に、私が雛ちゃんに愛情をたっぷり込めて作ったカレーを今誰かさんは美味しい美味しいって食べてるじゃない」
「あっ……」
反論できずに固まってしまうと、凛さんはクスクスと笑った。
「誰かの愛情が籠った手料理ももちろんだけど、自分で、自分の為に頑張って作った料理も中々美味しいんだよ? 料理って作るのも中々大変でさぁ。でも、苦労した後で食べる手料理は、これまた格別なのですよ」
そう言うと凛さんは自分のカレーを一口頬張り、笑みを浮かべた。
私はそれに「そうなんですか……」と返しながら、カレーを頬張る。
相変わらず美味なカレーに、私は、口を押さえた。
「……こんな美味しいカレー……初めて食べました」
「へぇ。そう言ってもらえると、嬉しいな」
凛さんの言葉を聞きながら、私はとあることに気付く。
あぁ、そうか……私は今まで、まともな愛情を向けられたことが無かったんだ。
私の両親は海外の大企業で働いていて、私のことは放任主義だ。
裕福な家庭。生活費は両親が出してくれるし、基本的な家事は召使がしてくれる。
食事に関しては、当初は召使が作ってくれていたが、ホカホカの手料理を一人で食べる生活はなぜかとても虚しくて、中学生になってからは専ら買い食いばかりだった。
毎日の食事なんて、あくまで栄養の接種くらいにしか思っていなかったので、余分に食べることも特になく、コンビニやらファーストフードに頼る日々を送っていた。
しかし、こんなのは初めてだ。
誰かが、何の見返りもなく私に手料理を振舞ってくれたことも。
家で誰かと食事を共にすることも。
私にとっては、初めてで……。
「……ありがとうございます」
空になった皿を目の前に、私はもう一度礼を言う。
すると、凛さんは頬杖をついたまま「いえいえ」と言って笑った。
彼女にとっては、些細なことなのかもしれない。
でも、私にとっては、生まれて初めてのことで……。
様々な感情が胸の奥で入り混じるのを感じながら、私は、もう一度頭を下げた。




