第Ⅰ-9 三歳差
「それじゃあ早速歌おうか」
カラオケの機械を手に取りながら、凛さんはそう言う。
彼女の言葉に私は小さく頷きつつ、機械をジッと見つめる。
「先良いよ。私は何度か来てるし」
「え……でも……」
「良いから良いから」
そう言って押し付けられた機械を受け取りつつ、私は画面を見つめる。
これはどうやらタッチペンで操作するタイプらしく、付属のペンが付いている。
ひとまず『曲名』というボタンを入れると、五十音のボタンと、画面上部に細く白い棒が表示された。
「わ……」
「好きな歌、何か入れなよ」
その言葉に、私は機械を見つめる。
そもそも歌とか聴かないしなぁ……。
ひとまず、女子達の間で流行っているアイドルの歌で良いか。
あれなら、話を合わせるために何度か聴いたし。
そう思ってその曲名を入れて、私は袋の中からマイクを取り出す。
やがて画面に曲名が表示され、前奏が始まる。
「へぇ……これ、流行ってる曲だよね?」
凛さんの言葉に頷きつつ、私は画面を見つめた。
やがて歌詞が表示され、私は歌いだす。
喉を震わせ、とにかく歌う。
一番が終わり間奏に入った辺りで、凛さんが口を開いた。
「この曲……本当に好きなの?」
「え……?」
間奏が終わり二番に入るが、それどころではない。
伴奏が大音量で流れる中、私は、真っ直ぐ凛さんを見つめる。
伴奏の音量が大きいからか、彼女は顔をしかめ、もう一本のマイクを手に取ってONにして喋る。
「これ歌ってる時の雛ちゃん……全然楽しそうじゃなかったよ?」
彼女の言葉に、私は口を噤む。
マイクを口に近づけて、私は口を開いた。
「……でも、他に歌う曲が無くて」
「えっ、歌とか聴かないの?」
「……あまり好んでは聴きません」
私の言葉に、凛さんは少し目を伏せた後で、静かに赤いボタンを押した。
中断された歌。一気に部屋の中は静かになり、やけに自分の呼吸が耳につく。
隣の部屋から僅かに聴こえる伴奏の音を聴きながら、凛さんは静かに口を開いた。
「……カラオケってさ、無理して楽しむものじゃないんだよね」
「……」
「私一人で歌っても楽しくないし……帰ろっか」
「でも、ジュースが……」
「どうせ私の奢りなんだし、気にしなくて良いよ」
「はぁ……」
凛さんの言葉に、私は仕方なくその場を後にする。
それから受付の人に機材を返した時は、かなり変な顔されていた。
まぁ仕方ないか。来たばかりなのにもう帰るわけだし。
向こうからしたらかなり都合の良い客ではあるが、やはり不審には思うだろう。
建物を出て車に向かいながら、私は口を開いた。
「あの……ごめんなさい。私のせいで、予定狂わせちゃって」
「ん~? あぁ、良いよ良いよ。雛ちゃんの都合とかを理解してなかった私が悪いんだし」
「でも……カラオケについて知りたいって言ったのは、私ですから」
私の言葉に凛さんは立ち止まり、こちらに振り向く。
何を言われるのかと固まっていた時、頭を優しく撫でられた。
「ッ……」
「雛ちゃんはさ、無理しすぎなんじゃない? そもそもこうして私達が会ってるのも、私からしたら雛ちゃんのためなんだし」
「で、でも……!」
「それに、私は大人だし、子供は大人に甘えておきな」
「……凛さんって、大学生ですよね?」
「そうだけど?」
「……何歳ですか?」
「二十歳」
「たったの三歳差じゃないですか! そんな歳の差で大人なんて……!」
そこまで言った時、ワシャワシャと頭を撫でられた。
顔を上げると、凛さんが私の顔を覗き込み、ニカッと笑った。
「ずっと固い顔してたけど、やっぱり雛ちゃんは、自然体の方が可愛いね」
「こ、これは……!」
「そうだよ。たった三歳しか違わないんだから、歳の差なんてあってないようなものじゃん。もっと甘えなって」
「……結局甘やかすんですね」
私の言葉に、凛さんは「まーね」と言う。
でも、もし……どんなワガママも許されるのなら……。
「……あの、凛さん……」
「ん? なーにー?」
「……ちょっとだけワガママ……良いですか?」
私の言葉に、凛さんは少し真顔になった後で、嬉しそうに笑った。
「おぉ? 良いよ良いよ。言ってみな」
その言葉に、私は顔が綻ぶのを感じた。
彼女の軽い態度が、なんだか少し、心地よく感じ始めている。
私は一度深呼吸をして、口を開く。
「行きたい場所があるんですけど……」




