第5-6 上書き
「凛……さん……」
「優!」
聴き慣れた声に、私は視線を逸らす。
そこには、砂浜をフラフラとよろめきながら走って来る泪の姿があった。
それと同時に凛さんが雛の体を引っ張り上げるので、私は体を起こして、泪に顔を向けた。
「泪……!」
「優! 良かった、怪我も無さそうで」
そう言いながら泪は私の前に膝をつき、私の顔を覗き込む。
しばらく私を観察した後で、唐突に私の目の下を指でなぞる。
一瞬何をしているのか不思議に思った時、彼女の指に、水滴のようなものが付いているのが分かった。
もしかして、私……泣いて……?
「私の優に触らないで! 優は私のものなんだから!」
凛さんに腕を掴まれたままの雛がそう言ってもがく。
すると凛さんはため息をつき、雛の体を肩に担ぐ。
……荷物みたい……。
「それじゃあ、この子は私がどうにかしておくから、後は二人でどうぞ」
「離せぇッ! 優は、私のものなんだぁッ!」
ジタバタともがく雛を連れて、凛さんは歩き出す。
その後ろ姿を見つつ、私は泪に視線を向けた。
「でも、なんでここにいるって……」
「……分からない。ただ、なんとなく、前に住んでたこの街に戻っているんじゃないかって思って。それで、お姉ちゃんと一緒に車に乗って海の近くを走っていたら……」
「……なるほど」
私がそう呟いて苦笑すると、泪もクスクスと笑った。
「……モテる人は大変だね」
「……好きな人以外に好かれても、嬉しくないよ」
私の返答に、泪は一瞬目を丸くして、気まずそうに目を逸らす。
しかし、すぐに彼女は私の顔を見て、私の右手を握った。
「泪……?」
「私……優には、泣いてほしくない……優には、笑っていてほしいの。あ、演技じゃなくて、その……心の底からの、本当の笑顔を……」
その言葉に、私は言葉を失う。
泪はそれに優しく笑って、私の両目から溢れる涙を優しく、全部拭っていく。
「ぁ……」
「優が涙を流したら、一番に拭ってあげたい。優が笑ったら、一番にそれを見たい。……優の全部を、私は、一番に見つけたい」
そう言って泪は私の顔を両手で優しく挟んで、不格好な笑顔を浮かべた。
「だから……私は優の、恋人になりたい」
「……ふにゃぁ……?」
情けない気の抜けた声が出る。
嬉しさとか、困惑とか、色々な感情が胸の中で入り混じって、変な感覚になる。
恐らく間抜けな顔をしている私に、泪は不満そうな表情をする。
「えっと……良いの? ダメなの?」
「え、あぁ、うん。良いよ! むしろ、お願いしたいくらい!」
慌ててそう言葉にすると、泪は「良かった」と言って笑みを浮かべる。
その笑顔があまりに可愛かったから、私は自分の口元を押さえて目を逸らす。
「えっと……それで、これ……」
そこで、泪はそう言って鞄から何か箱を取り出す。
受け取ってみると、それは、弁当箱だった。
中身もまだあるらしい……と、そこまで考えたところで、私のお腹が小さく鳴った。
「ッ……」
「えっと……お腹空いたの?」
「だ、だって、朝から何も食べてなかったから……」
そこまで言ってなんだかすごく恥ずかしくなり、私は弁当箱で顔を隠した。
すると、泪はクスクスと笑う。
「良いよ。食べて。元々、優のために作ったんだし」
「私の……ために……?」
つい聞き返すと、泪は恥ずかしそうに頷いた。
「優の過去聞いた時、最初は、私なんかじゃ一緒にいることなんてできないって思った。……でも、私は優のこと好きだから。……どうせ、言葉じゃ上手く言い表せないって思って、弁当作ってみたんだけど……」
意外と言葉に出来ちゃった、と言って、泪ははにかむ。
私はそれに苦笑しつつ、弁当箱を開ける。
「おぉ……流石泪。美味しそう」
「み、見た目だけで、味は分からないよ……」
「ううん。絶対に、すごく美味しい。毎日泪のご飯が食べられたらどれだけ幸せなことか……」
そこまで言った時、それがまるでプロポーズの言葉みたいで、私は自分の顔が熱くなるのが分かった。
それは泪も同じことで、耳まで顔を真っ赤にしてる。
「……そりゃあ一応私達は結婚できる年齢ではあるけど、流石に結婚は……そもそも、女同士は結婚できないし……」
「うん……知ってる」
「ん……その気持ちは嬉しいけどね」
泪はそう言って笑った。
私も釣られて笑いつつ、弁当箱を見つめる。
「……私は、泪を幸せにできる自信も無いし、泪に迷惑ばかりかけるかもしれない」
「……」
「でも……泪のことが、好きだから……泪と一緒にいたら、少なくとも、私は幸せになれるから……」
そこまで言った時、泪に抱きしめられた。
なんか今日は抱きしめられっぱなしだな、と思いつつ、私は顔を上げる。
「……私も、優と一緒なら、幸せになれるよ。だって、優のことが好きだから……」
「る……」
彼女の名前を呼ぼうとした時、彼女の唇が私の口を塞いでいた。
まるで、雛とのキスの思い出を上書きするように。
数秒ほど唇が重なっていた後で、ゆっくりと泪は顔を離して、恥ずかしそうに笑った。
「ホラ……私今、すごく幸せだよ?」
「……私も」
私の返事に、泪は嬉しそうに笑った。
彼女の笑顔が可愛くて、私も笑った。




