第4-11 踏み込み
翌日。見事に風邪は治らなかった。
まぁ今回は長いだろうなぁとは予想していたけどさ……。
ベッドで横たわりながら、私はため息をつく。
午前中は昨日同様かなり辛かったが、薬を飲んでひと眠りしたらほとんど治ったと思うくらい元気になった。
ひとまず暇だったので、昨日泪が持って来てくれた弁当箱を洗って、それからはひたすら暇だった。
ピンポーン。
夕方になって鳴り響いたインターフォンに、私は飛び起きる。
もしかして、泪!?
そう思っただけで体中に元気が湧き上がって、私は、すぐに玄関まで駆けていた。
「影山さんいらっしゃい!」
のぞき窓からしっかり確認してから、扉を開け、そう声にする。
すると、泪は少し戸惑った素振りを見せつつも、ぎこちなく笑った。
「えっと……元気そうだね」
「いやぁ、朝はこれでもかなり辛かったよ? でも昼間寝てたら大分楽になって……あ、そうだ!」
正直、泪のお見舞いによって、かなりテンションが上がっていた。
私はすぐに台所に向かい、洗ったばかりの弁当箱を持って泪の所まで行った。
「ハイこれ! すごく美味しかった!」
そうお礼を言うと、泪は相変わらずのぎこちない笑顔で受け取った。
その時、風邪で少し無理をしすぎたのか、頭が少し痛くなった。
ひとまず座りたかったので、適当に泪を促して部屋に連れて行った。
「ごめん……大分元気になったけど、まだちょっと頭痛が……」
「そっか……」
私の言葉に、泪は曖昧な感じの返事をする。
そして、私がベッドに腰掛けると、彼女は床に座ろうとした。
流石に固い床に座らせるのは申し訳ないので、ベッドの隣に座らせた。
しかし、いざ彼女が隣に座ってみると、一気に緊張感が増した。
彼女も距離を取って座ってはいるけど、好きな人とベッドの上で二人きりって、なんか、シチュエーションが……。
いや、それを言ったら昨日は勢いで抱きしめちゃったんだよね……うん。それに比べたらマシだ。
……でも、泪は少し無防備すぎないか?
昨日あんな風に抱きしめられた相手と、こうして部屋で二人きりな上に、ベッドでも隣に座って……。
そこまで考えて、私はため息をついた。
もう分かってんだろ。
私は……友達としか見られていない。
「……えっと……茂光さん……」
そこまで考えていた時、泪に名前を呼ばれた。
まぁ当たり前だ。同性をそういう目で見る方が異質な世の中なんだ。
私の場合は……異性を見ると、父を思い出して不快だから……。
「なぁに?」
そんな本心を押し殺しながら、私は聞き返す。
それに、泪は困ったように目を少し逸らした。
……?
「その……今日、ね……あの……茂光さんが前の学校で、苛められてた、って、聞いて……」
その言葉に、私は息を呑んだ。
今の学校には前の学校の知り合いはいないハズなのに……いや、他校に友達がいるという可能性もある。
実際、雛だって、他校の友達という分類には入る。
でも、だからって、そんな……。
「……あはは……女子高生の情報網って、怖いなぁ……」
咄嗟にそんなことをのたまってみせる。
泪の前で仮面を被ることが、出来そうにない。
笑顔はぎこちなくなるし、声が震える。
そんな私に、泪は眉をハの字にして、震える瞳を逸らした。
「なんで……」
「理由なんて私が知るわけないじゃん。……中学の頃から、無視されるようになり始めてさ。最初はそれだけだったんだけど、いつしか、物を隠されたり、先生の目につかない場所で、あからさまに嫌がらせされたりして」
私は、そこまで言って自分の髪を梳いて見せた。
いや、ちょっと嘘ついたな。
先生の目には、つきはした。でも、大体の先生が無視したんだ。
目につかなかったんじゃなくて、目につかないように向こうが意識していただけ。
……まぁいっか。
私は続ける。
「この髪、変だと思わなかった? 女子にしては短すぎるって」
「……」
「切られたんだ。三月に。それで、今までは裏で殴られたり、水掛けられたりだけだったから、流石にお母さんにも隠せていたんだけど、流石にこれでばれちゃって……」
「……それで、この学校に?」
勘が良いなぁ。私は頷いて見せる。
すると、泪は泣きそうな目をして、静かに俯いた。
……こんな時でも、彼女に対して可愛いとか綺麗って思ってしまう私の感覚は狂っているのだろうか。
「うん。この学校には同中の知り合いとかもいないし、大丈夫だと思ったんだけどなぁ~……いやぁ、女子高生すごい」
「わ、私は!」
場を濁すためにそう言っていた時、唐突に泪は叫び、立ち上がった。
ベッドが僅かに揺れて、私は驚いてしまう。
顔を上げると、私の前に泪が立っていて、少し潤んだ目で私を見ていた。
彼女の黒く煌く眼球に、呆けた間抜けな私の顔が映る。
「どう、したの……?」
そう聞きながら、首を傾げて見せた。
すると、泪の黒い眼球はせわしなく動き出し、右往左往する。
しかし、やがて、真っ直ぐ私を見て、彼女の小さな唇が動いた。
「私は、絶対に茂光さんを、一人にしないよ! あ、えっと……私、ずっと一人、だったから……茂光さんが話しかけてくれて……最初は、嫌だなぁ、とか思っていたけど、でも……嬉し、かった……」
尻すぼみな感じだし、所々詰まっていた。
でも、だからこそ彼女が……本心で言ってくれたことが分かって、嬉しかった。
嬉しかった、か……なんだかんだ、初めて、私が本心からした行動に感謝された気がする。
仮面を被っている間は当たり前のように言われていた言葉だけど、仮面越しじゃない、直接言われたことは初めてなので、少し新鮮。
「なんか、照れくさいな……。……影山さんに話しかけたのってさ、元々、昔の私に似てたからとか、そんな理由なんだ。同族が匂いで分かるっていうか、一人なんだろうなぁって、なんとなく分かって」
「……」
なんだろう、このまま本心をさらけ出していたらそのまま泣き出してしまいそうだったからか、気付いたら私は、咄嗟に仮面を被ってそんなことを言っていた。
とはいえ、即席の仮面だからか、下手くそな嘘だ。
まぁ、もし本心を口にしたらそのまま告白してしまいそうな勢いだし、適度な嘘で誤魔化すくらいで良いかもしれない。
「こんなこと言うとアレだけど、私、全く友達がいなかったわけじゃなくてさ。仲良くしてくれてた子が一人だけいて。……あの子の存在は、私にとって、すごく大きくて。だから、私にとってのあの子みたいに、一人ぼっちの影山さんの、光になりたくて」
ここは、少しだけ本当。
雛の存在が一時期大きくなっていたのは事実だし、彼女は私にとって、一筋の希望の光だったと言っても過言ではない。
……まぁ、その光は、自分から影に潜り込んでしまったけれど。
そう思っていた時、泪は私の隣に座って、優しく私の手を握った。
「……?」
「前に、茂光さん……自分のことどう思っているのか、聞いたよね?」
「え……あぁ……」
「その答え……今言っても良いかな?」
その言葉に、私はつい「えっ」と声を漏らしてしまった。
いや、今言いますか!?
でも、気になっていたと言えば気になるし……私は、静かに頷いた。
すると、彼女は少しだけ嬉しそうな顔をして、私の手をさらに強く握る。
……泪の手、結構大きいんだ……。
優しく包み込んでくれる温かい手に少し感動していた時、泪は口を開いた。
「私、は……茂光さんと、もっと仲良く、なりたい……友達に、なりたい……」
「っ……」
「……良いかな……?」
恐る恐る聞いてくる泪。
あぁ、なんていうか……今まで友達とすら見られていなかったのか……。
今まで一方的に友達だと思っていたのがなんだか恥ずかしくて、羞恥心から目が少し潤む。
でも、そっか……泪との距離を、少し縮めることができるんだ。
そう思うと嬉しくて、私は「うんっ!」と頷いた。
「じゃあ、これからよろしくね! 泪!」
初めて、心の中だけじゃなく、彼女に対して放った名前は、私の中で甘美なスイーツのように溶け込んでいく。
今は友達のままで良い。
これから少しずつ、私が踏み込んでいけばいいのだから。




