第4-6 普通
普段なら、少しでも被害を減らすために、帰りのHRが終わるとすぐに教室から逃げるように飛び出していた。
しかし、その日は帰り支度に手間取って、その時に、私を苛めているグループの人形達に絡まれてしまったのだ。
女子トイレに連れ込まれた私は、何人かの人形に囲まれてしまった。
「えっと、何の用、ですか……?」
「茂光さんってさぁ、ちょっとかわいいからって調子乗ってるんじゃないの?」
……あぁ。ただ単に、囲んで悪口を言いたかっただけじゃないか。
まぁ、それくらいなら聞き流せば良いから楽かな。
暴力とかになると、流石に面倒なんだよねぇ。服に隠れるところを殴ってもらえたら良いけど、顔とか殴られたら誤魔化すのが面倒だから。
そう思いつつ悪口を適当に聞き流していた時、唐突にビンタされた。
「……?」
「前から思ってたけどさぁ、なんでアンタ、何しても無反応なの?」
「え……?」
つい聞き返してしまう。
まさか、私の反応気にしてたの?
とはいえ、私もイジメに関する反応は確かに薄いかもしれない。
そもそも私の中では母に心配を掛けるかどうかが最優先だから、ハッキリ言って、すごくどうでもいいんだよねぇ。こういうのは。
「なんかさ、気持ち悪いよね」
「何してもずっと無表情だし……」
「殴られてもずっと無反応なのは流石に……」
そういう風にみられていたのか……。
いや、だって、今更好かれるように頑張ったところでこの状況は変わらないだろうって思っていたから、だったら反応するのも馬鹿らしいかなって思って。
とりあえず雛まで離れられたら色々面倒だから彼女の前ではそれでも仮面被ってたけど、他の人の前では、その上にさらに無の仮面を被っていたというか。
そう考えていた時、唐突に、一体の人形がハサミを取り出した。
「っ……」
「まだ無表情……気味が悪いってレベルじゃないでしょ……何、本物の人間?」
本物の人間……か……。
「……違うかもね」
「はぁ?」
素っ頓狂な声をあげる女生徒に、私は小さな声で淡々と言い返す。
「だって、私から見たら、私も、貴方達も皆……人形に見えてるから」
「本当に気持ち悪いな。もう良い。押さえて」
その言葉と同時に、私の両脇にいた人形二体が私の腕を掴み拘束する。
先ほど取り出していたハサミを構える人形に、私は、血の気が引くような感触を覚えた。
「ちょ、待って! やめっ……」
正直、久々に感情が面に出た気がする。
でも、きっとそれは、自分の髪が切られるからとか、そういうのではない。
髪を切られたりしたら、母にイジメのことがばれてしまう。
そうしたら、そうしたら……―――ッ!
西日が、私のいる女子トイレを照らす。
人形達がいなくなり、私しかいないその場所で、私は床にへたり込んで、目の前に落ちる黒い糸を見つめていた。
あぁ……やっちゃった……。
もう、これじゃあ隠せない……。
これなら、髪なんて伸ばさなければよかった……。
でも、散髪に行くだけでも、金は掛かるし、私は髪が伸びるのが遅い方だから、伸ばしっぱなしにしていた。
こんなの……どうやって誤魔化せって言うんだよ……。
そう思っていた時、バンッ! という音と共に、扉が開いた。
「……?」
顔を上げるとそこには、人形が立っていた。
少し見ていて、それが、雛であることに気付く。
あ、笑わ、ないと……雛まで離れたら、色々、面倒になる、から……。
笑え。笑え。笑え。笑え。笑えッ!
「―……」
「私、何か変なことしちゃったのかな……」
口から出たのは、そんな弱音。
何かミスったのかな。母を殴る父の前に出たのがいけなかったのかな。雛を一度好きになったのがいけなかったのかな。それとも……それとも……―――そもそも……。
「私、悪いことなんて何もしてないのに……ただ、普通に生きたかっただけなのに……」
そう、それが願い。
私はただ、普通に生きたいだけだった。
でも、それはどうやら叶わぬ願いのようでした。
父に暴力を振るわれ、イジメを受け、最早視界に映る全ての人間が人形にしか見えなくなって、私は、私は、私は……―――
「―――私はただ……誰かを愛したかっただけなのに……」
それが、願い。
普通に生きて、普通に誰かを愛して、普通に恋をして、普通に結婚して、普通に子供を作って、普通に幸せに生きたかった。
でも、普通に生きることが願わないなら、せめて、誰かを愛したかった。
でもさぁ……それすらも、許されないのかなぁ……?
それから、家に帰った私は、やはり母に全て知られた。
もう誤魔化せないと思っていたから、私は、母に全てを話した。
当たり前のように、母は転校という処置を選択した。
でも、私は母に無理をさせたくなかったから、できるだけ無理をしないように何度も説得した。
どんなに生活水準が下がっても良い。だから、体だけは壊さないで欲しいと、力説した。
母は渋々それを了承してくれた。
一日の食事がすごく少なくなっても良い。生活する場所がすごく小さなアパートになっても良い。
母が体を壊さないことだけが、ただ嬉しかった。
それから年度が明け、高校二年生になる。
大丈夫。この学校に知り合いはいない。
ただゼロからのスタートになるだけだ。大丈夫。私なら、上手くやれる。
「早速ですが、転校生を紹介します。入って来て」
教室の中から聴こえた先生の声に、私は微笑み、中に踏み込む。
理容室で切り揃えてもらった短髪のおかげで、歩く度に冷たい風が頭皮を刺激する。
やがて、教室の前に立った私は、ゆっくり教室にいる『人形』を見渡し……―――。
「……っ」
そこで、私は言葉を失った。
だってそこには、『人間』がいたから。
肩より少し下まで伸びた髪。顔は割と整っていて、結構可愛い。
彼女も私を観察していたのか、ちょうど目が合ったことに驚いた様子で、目を丸くしている。
……フフッ。可愛い。
「それでは紹介します。今日から皆さんと一緒にこのクラスで勉強する、茂光 優さんです」
先生の紹介に、私はすぐに姿勢を正す。
まずは挨拶。もう、失敗は許されないから。
「茂光 優です。今日からよろしくお願いします」




