第4-1 仮面
「うるせぇッ!」
下の部屋から聴こえた声に、私は目を覚ました。
物が倒れるような音。何かを殴る音。
あぁ、またか……。
そんな風に無感情なセリフを心の中で吐いて、私は頭の上に枕を置いて、ただその音が終わるのを待つ。
「お前は黙って俺の言う事を聞いていれば良いんだッ! 分かったかッ!」
そんな怒鳴り声と同時に、騒音は止む。
階段を怒り任せに上がる音。それは私の部屋の前を通り、バタンッ! と大きな音を立てて、自分の部屋に籠ってしまった。
……もう、大丈夫かな……。
掛け布団からソッと抜け出した私は、ソロソロと自分の部屋を出て、階段を下りていく。
リビングの方に行くと、そこには、空き巣でも入ったのかと思うくらい荒らされた部屋と、その真ん中で呆然と立ち尽くす母の姿があった。
母は、私の顔を見ると、「優……」と掠れた声で私のことを呼んだ。
「今日は派手にやったね……何があったの?」
「……お父さん、仕事でミスして、上司に怒られたんですって」
「うわ、出たよ自業自得……ははっ、掃除しよっか」
私が笑顔で誤魔化しながらそう言うと、母は複雑そうな笑みを浮かべた。
私の父さんは、結構有名な大企業で働いている。
有名な企業となると、任される仕事も責任が重いものが多く、ストレス祭りになるみたい。
だから、毎日外でたくさんお酒飲んで、そのストレスを母さんにぶつける。
典型的なDV男だ。
でも、朝になったら、まるでそんなこと無かったかのように優しくなる。
だから、外面は、仲の良い三人家族。
優しい夫。美人の妻。そして私。
「本当にごめんなさいね、優」
「もうさ、さっさと離婚しちゃえば良いんだよあんな男。無理して一緒にいる理由なんて無いって」
「そういうわけにはいかないもの……あの人の収入が無かったら、生きていけないわ」
「私は我慢するよ? 私より、お母さんの体の方が心配だもん」
私の言葉に、母はしばらく驚いたような表情をした後で優しく微笑み、私の頭を撫でた。
「ありがとう。でも、大丈夫。お母さん強いから」
そう言って笑う母の顔は、とても弱々しかった。
母は、父からの暴力で精神面は限界だ。
しかも、私がいるから、離婚もできない。
だったら、私が母さんを心配させたらダメだ。せめて私は、母さんを安心させないと。
そう思った私は、とにかく勉強を頑張った。
成績さえ良ければ、良い学校に行ける。良い学校に行って良い仕事について、母さんに楽をさせたい。
小学生の身で、私は、そんなことを考えていた。
成績だけじゃない。友人関係も良好にしなくては。
全て完璧にしないと。母さんを少しでも安心させられるように。
そんな使命感から、私は、友人関係をとにかく広めていった。
そちらはそんなに困難なことではなかった。父の真似をすれば良かったのだから。
笑顔の仮面をかぶって、悪い心は隠して、誰にでも優しく。
そうすれば、皆喜ぶんでしょ?
分かってるよ、だって、お父さんに対して皆そうじゃない。
皆、アイツの裏の顔なんて知らないくせに、良いお父さんだね、優しいお父さんだね、幸せだろうね。そんな上辺だけの言葉いらないッ!
だから、笑顔さえ浮かべておけば皆騙せるんだよ。優しくしておけば、皆喜ぶんだよ。
皆、喜べば、喜ばせてくれる相手にすり寄る。そうすれば、ホラ、必然的に私の周りには人が来る!
人が来れば、母を心配させることもない。
それで良い。それで良いハズなのに……―――
―――どうしてこんなに……寂しいんだ……。




