第2-12 歯車
日常の異変など、些細なことから始まるのだろう。
そこから少しずつ歯車がずれていき、やがて、修復不可能なほどに崩壊する。
雛の場合も、もし、ここで少しでも思いとどまっていれば……もしくは、誰かが気付いて止めていたならば、最悪の結末は避けられていたかもしれない。
しかし、一度亀裂が入ってしまえば、それを直すことは容易ではない。
そしてその崩壊に気付いた者がいないのなら、あとはただ、壊れるのを待つばかり……。
「雛、最近なんだか楽しそうだね?」
「そ、そう……?」
理科室に行くための移動中、突然の優の言葉に、雛はたじろいだ。
彼女の反応に、優は「うんっ」と頷いた。
「なんか……爽やかっていうか、なんていうか……何か良い事あったの?」
「別に、何も……気のせいじゃない?」
誤魔化すように言った雛に、優は「本当かなぁ?」と言って訝しむようなジト目をする。
その時、前方からバサバサッと何かが落ちる音がした。
「んっ……」
すぐに足を止めた優は、前の方を見た。
そこでは理科の教科書を落とした女生徒が慌てて拾おうとしている姿があった。
しかし、たまたま筆箱のチャックが開いていたようで、床には文房具が散乱していた。
「わ、大丈夫!?」
優はすぐに女生徒の元に駆け寄り、一緒に散乱したペンなどを拾い始める。
雛はその様子を見つめながら、教科書や筆箱の影に隠していたスマートフォンを誰にも見えないようにしてカメラの部分だけ覗かせ、優を撮影した。
雛の優を盗撮する癖は、少しずつエスカレートしていった。
最初は、数日に一枚程度だったのが、少しずつ量が増え、気付けば、一日の内に何枚も撮影していた。
最早、日常の一部と言っても差し支えないくらいに。
雛にとって、優の存在は、ある意味薬物の一種なのかもしれない。
最初は軽い気持ちで接種したものが、だんだんとその沼から抜け出せなくなり、そして、だんだん乱用する量は増えていく。
いつしか、雛のスマートフォンの画像フォルダは優の画像でいっぱいになり、現像すら行うようになった。
元々雛の両親は不在がちで、ほとんど放任主義のような状態だった。
雛の両親は大企業で働いており、家は一般家庭よりは多少裕福。
家事は基本的に召使を雇って行っており、雛は自室の掃除は自分でするようにしているので、元々彼女の部屋に入る者はいなかった。
だから、誰も彼女が壊れることに気づけなかった。
少しずつ彼女の部屋の壁に増えていく一人の少女の写真に気付ける者など、誰もいなかったのだ。
「あはは……みんな優だ……優が、私のために笑ってくれて……」
歪な笑みを浮かべながら、雛は呟く。
その目には狂気を映し、明らかに常軌を逸していた。
しかし、それでもまだ、盗撮して個人で楽しむだけなら、優本人が気づかない限り誰も傷つかずに平穏に過ごせていただろう。
だが、一度壊れ始めた日常は、もうその崩壊を止めることなどできない。
「でも、なんで、他の女を見てるの……?」
上ずったような、掠れたような声で、雛はそう呟く。
彼女の言うことは、仕方のないことではある。
なぜなら、雛が盗撮しているのは基本的に他人に優しくしている優なのだから。
最初はそれで満足していたが、何度もその写真を見て、何度もその狂気を深めていく内に、とあることに気付いたのだ。
―――なんで優は、私以外を見ているの?
「やだ……優……私だけを見てよ……私以外と、仲良くしないで……」
雛はそう呟きながら、優の写真に縋りつく。
そのまま絶望しそうになった時、雛の脳裏に、一つの考えが過った。
「そうだ……優が、私以外を見れない状況にすれば良いんだ……私に、依存するように……」




