3-28 精霊祭 三日目〈Ⅸ〉
カーミラを含めた医療班は診療所を移転することになった。一つは城壁沿いが主戦場となり、いつ飛び火するのか分からなくなったこと。もう一つは赤龍のブレスだ。流星の様に街を焼いた業火は避難民にも負傷者を出した。
結局、城壁と避難施設の間、都市の中腹辺りの施設を急遽診療所として使う事になった。運びこまれたベッドの上で火傷に呻く人や、血を流す兵士、痛みで暴れる冒険者たちで室内は埋められていく。
三日目が始まってわずか一時間足らず。戦局がどうなったか守護する兵士たちから伝え零れる噂話程度でしか理解できなかった。赤龍が防壁を壊しただの、超級モンスターが城壁に取りついただの、A級冒険者が全滅したなどの情報が飛び込んできては否定するような情報に打ち消されていく。こんな末端までは正確な情報が降りてこない程混乱しているのだけが分かった。
もっともヒーラーたちには目の前にいる生死の境を行こうとする者の手を引っ張る役目がある。彼らは己の精神力を使い切る勢いで治療にあたっていた。
レイが運び込まれたのはそんな時だった。
「ご、ご主人さま!? どこか怪我したの!?」
カーミラの耳に幼い少女の声が響いた。振り向けばレティシアが室内に運ばれた冒険者に駆け寄った。何故かオイジンに肩を借りている冒険者は彼女の主人であるレイだった。
意識が混濁しているのかレティシアの呼びかけに曖昧に返事をしている。顔色も土気色で汗が玉のように浮かんでは流れ落ちる。カーミラは空きベッドを探したが生憎と全て埋まっている。窓際にわずかに開いているスペースにシーツを広げた。固い床だがそのまま座らせるよりかはマシだろう。
「オイジン、ここに連れてきて!」
「了解」
寡黙な猪人族の青年は短く答えると肩を貸している少年を引きずって進む。どうやらレイは自力で歩行できない状態に陥っている。
シーツに寝かされた少年の鎧を外しカーミラとレティシアは傷や体の状態を診察する。だが、いくら調べても目立った外傷はない。服を脱がせても内出血の痕すらない。その代り、息は荒く全身から玉のような汗が噴き出る。レティシアが拭いてもすぐさま浮き上がる程だ。
クランにおける回復役を担うカーミラにとって外傷や内傷による出血など怪我ならすぐさま診察できる。というかそれが出来なければ回復魔法を覚えていても意味が無い。何処が負傷して、如何に治療するべきなのか。一分一秒が生死を分かつ迷宮で迷っている暇なんてない。幾多の失敗を乗り越えて鍛えた経験こそヒーラーの武器だ。
だが、それでもレイの異常に結論が出なかった。
「ねえ、オイジン! レイ君はどうしたの!? 毒とか麻痺とかの状態異常なの?」
「否、俺にも不明。団長が送れと」
「つっかえないわね!!」
短く答える団員に思わず本音をぶつけてしまう。本人も思う所があるのか殊勝な態度を崩さない。カーミラはレイの体を懸命に拭くレティシアに視線を向けた。彼女は一心不乱に主の体を拭く。窓から差し込む明かりである種の祈りを捧げる敬虔な信者のようでさえあった。
「……レティシアちゃん、ちょっと待っててね。医者を呼んでくる! オイジン、ここまでありがとう。後は私たちに任せてアンタは戦場に戻りな」
「了解」
返事をするなりオイジンは風のような勢いで病室を飛び出した。清々しさを覚えるほど鮮やかに飛び出しやがって、とカーミラは心の中で嘆息すると医師を探して病室を見回した。
―――その背後でガラスが割れる音が響く。
「ガガアアアアア!!」
モンスターの叫び声だと判断したカーミラは前方に転がる。振り向うとしなかったのは冒険者の勘だ。結果的にその勘が彼女を生かす。窓から飛び込んできたガーゴイルは手にした三叉槍を水平に薙ぐ。一瞬前までカーミラの居た空間を槍が通り過ぎた。
一見すると突くことに特化した三叉槍に見えるが穂先に外側に向かって返しがついている。横に薙ぐだけでも獲物にダメージを与えるようになっているのだ。いくら彼女がC級冒険者とはいえ、戦闘職じゃない以上まともに受ければ致命傷になっていたかもしれない。
床を転がったカーミラは杖を抜きながら叫んだ。
「《超短文・中級・半球ノ盾》!」
詠唱が完成するなりガーゴイルの前面に球体を半分に割ったような盾が現れた。その盾は繰り出される三叉槍の刺突を弾く。カーミラは防御と封じ込めを同時に行えた事に安堵しつつ―――己の失策に気づいた。
彼女は自分を守るためだけに半球ノ盾を発動した訳では無かった。ガーゴイルを包み込む様に盾の魔法を発動したのだ。窓枠からぐるりと、ガーゴイルを動かさない檻の様に形成した。ベッドにて動けない患者を守ろうとしたのだ。
必然的に窓際に横たわる主と彼を労わる奴隷少女を取り残してしまう事になった。
「―――っう! 誰か!? 誰でもいい、早く来て!! オイジン、帰ってきて!!」
カーミラの悲痛な叫びが病室に響く。だが、生憎と病室に居るのは満足に動けない怪我人と戦闘能力の皆無な医師やヒーラーだ。彼らは動けない患者を少しでもガーゴイルから遠ざけようとベッドを手繰り寄せる。廊下を巡回する兵士が来ないという事は運悪く席を外しているのだろう。すぐさま二人を助けられる人材は居なかった。
戦闘能力の低いカーミラにとってガーゴイルは強敵だ。レベルやランクとしては討伐可能ではあるが、攻撃手段が自衛の域を出ない彼女にとって石の皮膚は堅牢な城壁に等しい。常に守られることに慣れて、攻撃手段を磨くのを怠った自分を心底恨めしいと思った。
廊下から足音が響くが、それよりも早くガーゴイルは動いた。カーミラの視線を追ったかのようにぐるりと回り、窓際に横たわるレイとそんな主を守ろうと両手を伸ばしたレティシアの方を向く。
「レティシアちゃん! 貴女だけでも逃げて!」
酷な事を叫んでいると自分でも分かった。彼女の事を全て知っているなんてつもりは無いが、こうやって人の生死を左右する現場に共に立てば相手の人柄を理解できる。レティシアが決して誰かの命を見捨てる様な人間では無い。
三叉槍を向けられ、膝が震えながらも彼女は毅然とガーゴイルの前に塞がった。涙の浮かぶエメラルドグリーンの瞳に気高き輝きが宿る。
「あたしは、絶対に逃げない。だってご主人さまは逃げなかったもん! ハーピーの群れも誘拐犯にも、自分よりも強い相手に逃げなかった! あたしも……あたしもそうなりたい!!」
強い意志だった。カーミラは状況を忘れて思わず呆然としていた。年齢にそぐわないこの気高さは何処から生まれるのだろうか? だが、それを理解しないモンスターは無情にも三叉槍を突く。
その穂先はレティシアの簡素な鎧を貫―――かない。覆いかぶさるように動いた腕がダガーを振るう。穂先を絡めとると床へと誘導した。柄の特殊なソードブレイカーは床に刀身を埋め込むと三叉槍も動けなくした。
「……ありがとう、レティ。少しだけど……元気が出たよ」
「―――おはよう、ご主人さま!!」
レティシアのピンチを救ったのはレイだった。弱々しい声にふらつく体でありながらも目だけは死んでいなかった。黒色の瞳はガーゴイルを射抜いた。
「うちのちっこいのに……手を出すな。石像ならビーナスといちゃつけよ!!」
「ご主人さま……意味が分かんない」
レティシアは涙を拭いながら主に突っ込んだ。だが、レイは聞いてはいない様に、というか意識がハッキリしていないのかふらふらとした足取りでガーゴイルに不用意に近づいた。
ガーゴイルは槍を諦め、拳を振るった。並みの冒険者の体を粉砕しかねない拳はふらつくレイの頭蓋を捉える直前で振り下ろされた白刃に切り落とされた。
「―――嘘?」
カーミラが呆然と呟くのも無理はない。中級モンスターの中でも比較的上位に位置するガーゴイルは下級冒険者であるレイが容易に切れる相手では無い。何より、その振り下ろされた白刃を彼女の瞳は捉えられなかった。
レイは一歩間合いを詰めると、振り下ろしたバスタードソードを逆に振り上げた。胴体から逆袈裟に斬られたガーゴイルの上体はずるりと滑ると床に落下して砕けた。
「あー、くそ。全身が痛い上に……感覚が変だ」
「ご主人さま、調子が悪いんだから座って。カーミラさま、この魔法を早く解いてください」
レティシアに促されてカーミラは魔法を解除した。レティシアはレイを座らせようと腕を掴むが、何かに気付いたレイがくるりと彼女の腕を掴んで回った。小柄な少女の体がふわりと浮いた。そして、刹那の間を開けて再び闖入者が壊れた窓から侵入した。
「そんな、またガーゴイル!!」
カーミラは杖を向けて今度こそ、閉じ込めようとした。だが、レイが振り回したレティシアを押し付けるように預けられた。
「すいません。ちょっと預かってってください」
「預かってってくださいって、ちょっと!!」
「ご主人さま!?」
二人が止める間もなくふらついた足取りでレイはガーゴイルまでの距離を詰めた。とても健常な判断を下しているようには見えない。だが、少年は繰り出された刺突を躱すとガーゴイルの胸に向けてバスタードソードを突き刺した。
「ガアアァァァ!」
「キンキン騒ぐな。耳に触るんだよ」
不機嫌そうな声で呟くとレイは絶命したガーゴイルから剣を抜こうとした。しかし、ガーゴイルは最後の仕事といわんばかりに刃をくい込ませたまま死んだ。そしてそのまま、倒れる事で粗末なバスタードソードの刀身が折れてしまった。
鋼が折れる音を合図に窓が再び割れる音が病室に響く。今度の侵入者は三体のガーゴイル。悲鳴を上げてベッドの上から滑り落ちる怪我人たちに目もくれずレイを見据えた。まるで、この病室で一番警戒すべき相手といわんばかりだ。
一方でレイは折れてしまったバスタードソードと新しく現れたガーゴイルを交互に見る。脳が状況を理解していないんじゃないかと危惧する程鈍い動きだ。
そして、ガーゴイルが飛びかかるのと同時にレイは倒した床に突き刺さったままのダガーと三叉槍を引き抜いた。ダガーは先頭のガーゴイルに向けて投擲された。矢のように飛来したそれはガーゴイルの三叉槍に弾かれ病室の天井に刺さった。
その一瞬の間にレイは距離を詰めた。先程までの緩慢な動きが嘘のように滑らかに、そして振るう槍の鋭さに目を見張るものがあった。
「……説明」
「オイジン? アンタ戻ってきてくれたのね」
いつの間にか病室には風のように飛び出したオイジンが姿を現していた。手にしている槍に血がついている。息を乱している事も含めると一戦闘行った後のようだ。仲間の来訪で精神的に落ち着いた彼女の耳にここ以外で起きている騒音が飛び込んでいる。おそらく他の病室でも似たようなことが起きてソレの対処に戻って来たのだろう。猪人族の青年は食い入るようにレイの槍裁きを見つめていた。
「説明って言われても、見ての通りよ。レイ君が敵の槍を使ってガーゴイルを追い詰めてるんだけど」
「……俺の模倣也」
オイジンの指摘にカーミラは腑に落ちた。近接戦闘が専門じゃない彼女の目から見てもレイの戦い方は未熟だ。勢いに任せて槍を振るから、槍に振り回されている箇所がいくつもある。だが、室内。それも左側には窓が嵌った壁。上は天井、そして右にはベッドに横たわる怪我人たちという窮屈な空間で槍は澱むことなく振れている。所々の動作に光る物があるからこそ、効果的に槍を振れているのだ。
その動きが誰あろうオイジンの動きに酷似しているのだ。
「そういえば、アンタ旅の間に槍の対処法とかレクチャーしてたよね。そん時に槍を振らせたの?」
「否」
首を横に振ったオイジンの目はレイの槍捌きから離れない。どうやらレイの戦いに加勢する気は無いようだ。
遂にレイは三人の前でガーゴイルの一体を仕留めた。三叉槍がガーゴイルの首を貫き、体が後ろへと仰け反った。だが、その後ろで控えていた二体目のガーゴイルが仲間の死体ごと三叉槍を振るう。水平に振るわれた三叉槍は壁を破壊して止まった。その軌道に居たレイはいつの間にか天井にぶら下がっていた。いや、天井に突き刺さっていた己のダガーにしがみ付いていたのだ。倒れるガーゴイルを足場に上へと跳躍していた。
ずぶりと、自重によってダガー抜ける。着地するなりレイは低い体勢のまま地を這うようにガーゴイルとの距離を縮めた。頭頂すれすれに振るわれる三叉槍に対して恐れを抱いていない。そのままダガーを頭蓋に捻じ込む様に突き刺した。これで二体目だった。
そして―――残った三体目が逃亡を開始する前に決着をつけた。左拳を握りしめ、手甲を打撃武器へと変形させた。力強い踏み込みから放たれた一撃はガーゴイルの胴体を貫いた。
有りえざる光景だった。ほんの数分足らずの間に下級冒険者がガーゴイル五体を殲滅してしまったのだ。冒険者の一般常識からすると異常な光景だった。
その当の本人はもたれかかるガーゴイルの死体から腕を引き抜くと室内の惨状を困り顔で眺めていた。足元には窓が突き破られた時に散乱したガラスの破片が日差しによって輝き、その上にガーゴイルの死体が砕けたブロンズ像の様に散らばっている。怪我人やヒーラー、医師たちに被害が無いのが救いといえよう。
「あー……なんだかお騒がせしたようで、申し訳―――うっっぷ」
レイは最後まで言葉を継げなかった。口元を押さえるなり窓の外に向かって頭を向けたのだ。全員の視線を受ける中、少年は胃の内容物を吐き出していた。
「……ないわー、ご主人さま」
レティシアの心底がっかりしたような声だけが悲しく呟かれたが、それもレイの放つ雑音に掻き消されてしまう。
「レベルアップ酔い……ですか?」
「なにそれ? そんな状態異常、聞いたことないよ、親父」
エリザベートとファルナはオルドに向かって首を傾げた。口を濁していたオルドは纏わりつく娘たちに負けて、遂に白状した。
「普通は起きない現象だからな。そもそも状態異常とは違うんだ。一度に大量にレベルが上がる事で能力値が急上昇して体がついていけない状況に陥る事を指す」
事の発端はレイが魔法工学の兵器を使ったことにある。一撃で中級はおろか上級すら羽虫を撃ち落すが如き勢いの武器をレイは数分間にわたって使った。その間に倒したモンスターの数は百や二百では収まらない。そして、当然の様にモンスターを倒したことで得られる経験値は全てレイの元に集まった。
結果、LV20代の下級冒険者のレベルがわずか数分で倍以上に上がってしまったのだ。そのため、レイは城壁に辿りつくなり意識を失ったのだ。体に入りこんでくる大量の経験値によって。
「昔、魔人種の血を飲んだ貴族の子が死にかけたって実例があってな。なんとか生き残ったそいつは自分の体が秒単位で成長していくのを感じたそうだ。それこそ、自分が自分じゃ無くなるような感覚に陥るとかでな。単純に考えても体力や精神力。筋力や魔力。それに感覚とかの数値が劇的に伸びるんだ。いってしまえば別人に変身するようなもんだろうな。変化についていけずに寝込むのも無理はないぜ」
「じゃあ、重傷とかそういったものでは無いんですね」
「おう。むしろ、ポーションとかで回復できるような代物じゃない分余計につらいかもしれないな」
オルドの太鼓判に胸をなで下ろしたエリザベートとファルナだった。
「ともかく、今日はこれ以上、レイは戦えんだろう。まあ、それだけの事をアイツはしたんだ。少なくとも左翼の撤退はアイツの献身あっての事だ。今度はオレたちの番だ!」
「ああ!!」「はい!!」
二人の返事が火の手上がるアマツマラの街に響き渡った。
読んで下さってありがとうございます。




