3-10 精霊祭 一日目〈Ⅹ〉
「ミカロス様! 特別地域内の残敵の掃討、終了との事です!」
副団長と打ち合わせをしていたミカロスの耳に伝令の報告が飛び込む。
「御苦労。それでは正門以外の門を全て閉鎖。以後都市内の行き来を正門のみとする。そして各部隊隊長に通達。陣を構築後、敵の本隊が到着するまで防御陣形を保て! 先の攻撃がこちらの不意を突く襲撃部隊なら直に来るはずだ。警戒しろ!」
「はっ!」
伝令は敬礼するなり前線指令所を飛び出していく。もっとも前線指令所といっても四方を柵で囲い、運んできた机の上に広がった地図が野晒に置かれているだけの急ごしらえだが。
「ようやく吉報が一つ入りましたね」
副団長のコンロンが胸を明るく言い放つ。自分とさして年の変わらない人間種の青年は騎士団におけるムードメーカー的な役割を担っている。ぶっきら棒な自分とは大違いだ。それだけに彼が沈痛そうな表情を浮かべればそれはそのまま士気に関わる。本人もその辺りを理解して笑みを周囲に振りまく。
「ああ、だがまだ一つだ。それ以上にやる事が山積みだ。招集した予備兵役たちにモンスターの死骸及び死者の回収を命ず」
「了承しました」
頷いたコンロンは足早に去っていく。野晒のまま死体を放置すれば夏ほど暑くないとはいえじきに死骸が腐る。腐肉にたかる蠅を媒介に伝染病などの恐れがある。なにより人の死体程士気を下げる物も無い。これも今のうちに行っておく重要な事項だ。
ミカロスは南北に弓なりに伸びた防壁を見つめた。大地に仕込んだ魔方陣により生み出された土壁は現在急ピッチで城壁へと工作されている。階段を作り足場を固め内側を補強している。そして彼の考えた作戦の為の仕込みを行っている。
だが、防壁全てに兵士を置いて防衛をするには兵の数が足りない。長く伸びすぎた防壁をカバーするにはせめて今の兵の倍は欲しい。とりあえずの作戦としてミカロスは防壁がある程度抜かれても仕方ないと考える。重要なのは城壁まで攻められないようにすることだ。兵を三つの部隊に分ける。前線指令所から見て正面と右翼左翼に陣地を構築。
防壁に穴が開いた地点から近場の部隊が兵を出してモンスターを押しとどめる場当たり的な戦法を選んだ。幸い、防壁に使う土は魔法使い部隊の精神力が尽きなければ幾らでも修復できる。材料も無限に存在する。
不安材料は更にある。対空戦だ。ここがちゃんとした砦などであればバリスタなり砲台などがあるのだか首都の防衛機能は最低のレベルだった。シュウ王国の首都は鍛冶の聖地。したがって商業都市の顔が強いためそのような兵器は好まれなかった。その上、先王の時代に起きた騒動が起因となって他の王族から不興を買った時にワザとそれらの武装を撤廃する事で信頼関係を築こうとしたのに使ったのが悔やまれる。
(もっとも不安材料など挙げればきりがない。……考えるだけ無駄な事だ。指揮官ならどんな状況からでも勝利を信じて戦うべきだ)
ミカロスは首を振って自分の心の弱さを振り切ろうとする。彼がいくら悩んでも事態はもう始まっている。すると指令所付き従士が声を張り上げた。
「報告します! 冒険者ギルドからの部隊が到着しました!」
その報告を待っていたといわんばかりに彼は勢いよく振り向いた。通常の兵士以上のレベルを持ち、日夜モンスターと戦う冒険者たちは今回のスタンピードにおける最大の戦力だからだ。
案内の兵士に連れられてオルドやロテュス、ウォルト、ディモンドが連なって現れると、彼はエルドラドより去った神々に心からの感謝を捧げた。
「オルド殿! よくぞこの時にいらしてくれた! これこそ神の奇跡だ!」
王の古き友人として、また戦士として尊敬している人物の登場にミカロスは滂沱の涙を流さんばかりに喜び彼に抱きついた。オルドは牛人族の青年を鬱陶しそうに引きはがす。
「いいから離れろ! ……ったく。シュウ王国騎士団団長、ミカロス殿。我らギルド所属冒険者たち約八百人はこれより麾下の指揮下に入る!」
オルドはワザとらしく、畏まった口調で告げた。その声は指令所だけでなく周囲にも伝わる。それはそのまま兵士の口々で伝わっていく。彼らにとっても『岩壁』の二つ名は憧憬の対象だ。そんな戦士が自分たちと戦うと知れれば士気が上がる。ミカロスは内心細やかな気遣いを見せる男に感謝しつつ頷いた。
「受領した! 部隊の指揮官はオルド殿で宜しいか?」
「おう……嫌な事にな。とりあえずこき使ってくれて構わん」
堅苦しい衣を脱いで素の顔を晒したオルドから手渡された紙にミカロスはすぐさま目を通した。そこに書かれていた冒険者たちの内訳を見て部隊の編成を済まし、各部署へ通達を出す。
これで正式に冒険者たちは騎士団と共にこの難局に挑むこととなった。
「それで俺たちはどう動けばいい?」
「前線は現在三つの方面に分けています。冒険者たちはそれよりも後方。我らが打ち漏らした敵を討つ事に専念してください」
「あら? 私たちが矢面に立たなくて良いのかしら?」
ロテュスが意外そうな声で質問を放つ。彼女は言外に冒険者を使い捨てのコマと扱わないのとミカロスに問うているのだ。美女の棘のある質問にミカロスは律儀に答える。
「我ら兵士は群れる事で真価を発揮します。その代り機動性に劣ります。一方で冒険者たちはより少ない人数での行動を可能にします。……とにかく城壁を突破されず、決定的な敗北を遅らせて耐えるのが当面の方針です」
「ひょひょ。増援が来るまでに主ら兵が全滅するかもしれんぞ」
老練なウォントが皺だらけの指を脅すようにミカロスに向けた。
「それも……覚悟の上です」
偽りのない本心だった。ミカロスだけでない。周囲の兵士たちも国を、王を、何よりも民を守る為に命を費やそうと覚悟している。その顔はいっそ清々しいほどだ。
流浪の冒険者たちは彼らの覚悟を尊重して何も言わなかった。軍議はそのまま続く。
「殿の遠距離部隊は二つに分けてもらいたいです。一つは防壁の各地点にて対地、対空を。もう一つは城壁の内側において対空警戒を」
「城壁の内側まで突破されるやもしれんとの事を想定してか?」
「それもありますが、敵の中にすでに空中を飛ぶ種族が確認されています。種族、数は不明ですが山脈沿いから都市に進入する恐れがあります」
山の切れ間を開墾して出来た扇形の都市は防衛戦に向いている。何せ敵が攻めて来れるのが南西に向いてある扇の曲線部分だけだ。そちら側に戦力を集中できる。最もそれは人間を相手にした時だけだ。空を翼で舞うモンスターにとって壁など越えれば済む。何だったら山脈を越えるだけでいい。そのため今回のスタンピードにおいて対空警戒は非常に重要だ。直接都市へと攻め込まれる可能性がつきまとう。
都市に幾つか点在する避難地区には魔法使いによる盾の魔法がいくつも掛けてあるためすぐさま危険に晒されることは無い。だが、それ以外の地域に魔法をかける余裕は無い。それに前線と戦っている時に背後から襲撃を受けてはたまらない。
「了承した。そちらの指揮は……ロータス殿に任せよう。宜しいかのう? オルド」
「……アンタに預けたんだ。好きに使いな」
オルドとウォントの視線が一瞬交差して離れた。ミカロスは手元の戦略地図に概要を記しながら口を動かす。
「支援部隊はこちらの手の回らない点を中心に動いてもらうことになります。指揮官は……空欄ですね」
「こっちに良いのが居なかった。そっちから一人指揮官を分けて欲しい」
ミカロスはすぐさま予備兵役の隊長を呼ぶように指示をした。すぐに現れたその騎士に告げる。
「オースタン。予備兵役と共に支援部隊の冒険者三百四十人を君に預ける」
「りょ、了承しました」
予備の部隊とはいえこれで二千五百近い人を預かる事になった騎士は身震いと共に命令を受領した。
「予備兵役って何だ?」
オルドが指揮所を飛び出した騎士の背中を見ながら質問した。
「元兵士だったものや有事の時に備えて最低限の戦闘訓練を済ませた者の事です。少なくとも今すぐには戦力にはならないので戦場の空気に慣れさす為に後方支援を任せています。……これで以上ですね……なにか質問はありますか」
ミカロスが問いかけると歴戦の冒険者たちは先程から伏せられている情報について聞こうと動く。だか、その中でも一番意外な男が動いたことで彼らは驚いた。
軍議の最中も頷く以外何も発さなかったディモンドが手を上げたのだ。全員の視線が武骨な戦士に注がれた。
「……『剛剣』のディモンド殿。何でしょうか?」
「増援はいづサなたきや来らんだ」
―――一瞬、この緊急事態に似つかわしくない静寂が流れた。
「「「「―――んん?」」」」
机の周りに集まっていた戦士たちは思わず聞き返してしまう。武骨な男は気恥ずかしそうにもう一度ゆっくりと喋り出した。
「増援……は……いつ……来る?」
「え……ええ。増援についてはまだわかりません。ここから先は秘匿事項でお願いします。この地域一帯が高濃度の魔力汚染により現在魔水晶による通信ができません。伝令を都市領主たちの所へ送りましたが……まだ時間が掛かるでしょう」
「そ、それは大変じゃのう。いつ来るか分からん増援待ちとは」
ミカロスとウォントは動揺しつつも言葉を交わす。武辺者の口から出てきた変わったイントネーションに一同は驚いていた。
「一言も口を動かさないから喋れないのかと思ったら……まさか訛りがきついのを隠すためとは」
「最近じゃ珍しいわね。生まれは何処なのかしら?」
納得いった風にオルドは呟き、ロテュスも興味深そうに赤面のディモンドを見つめていた。
エルドラドにおいて他種族、他民族でも言語は同じだ。細かな違いがあるとすれば地方ごとのイントネーションぐらいだろう。それも冒険者たちや各国の交流が盛んになっていくにつれて姿を消していった。ちなみに人とモンスターは使う言語が違う。だが中には技能を使う事でモンスターと会話できる人もいる。
その時だった。防壁の上で南南西を監視していた兵士が叫んだ。
「敵襲! 敵襲!」
弾かれたように冒険者たちは指揮所を飛びたした。オルドやディモンド、ロテュスの三人はともかく杖を突いていたウォントも風の様に素早く防壁へと辿りついた。
彼らはそのまま急ごしらえの階段を上り襲来を告げた兵士に詰め寄った。
「敵は何処だ!? どっちの方角だ!」
A級冒険者たちの殺気立った気迫に圧倒された兵士は震える指で自分の見た方向を指さした。彼らはその方向を睨む様に見た。
―――地平線を埋める様な大軍が土煙をあげながら進軍している。
オルドは兵士の持つ双眼鏡を奪うと敵軍へと向けた。
「ありゃ、ホワイトタイガーにブラッドリザード。アイアンライノーも居やがるな」
「ほっほう。奥にはゴーレムにトロールのような大型種。こりゃ中々骨のある面構え」
「ふーん。魔法を使うシャドーメイガス。それに操られているスケルトン。材料は途中の村で仕入れたのかしら」
「ん。空中を……飛ぶ奴は……居ない。でも大軍」
四人のA級冒険者たちは各々目に着いたモンスターたちの種族を告げていく。日ごろ対人戦闘を想定している兵士たちには聞き覚えの無い名前ばかりだった。横で聞いていた兵士たちは不安そうに顔を見合わせる。
遅れて指揮所を離れたミカロスが防壁の上からモンスターの大軍を見つめていた。表情を険しくして迫りくる脅威に対して拳を固く握りしめた。オルドは彼に双眼鏡を押し付けた。
「数は恐らく一万五千程。構成は中級のモンスターが中心だろうな。……こりゃどう思う爺さん?」
「如何とはなんじゃ?」
ウォントがとぼけた様にオルドに聞き返す。くえない爺だと心の中で毒づきながらオルドは質問を続けた。
「分かってんだろ。……どこの迷宮から出てきたかって尋ねてんだ。東方大陸はアンタの庭だろ。あのモンスターの種類でどこの迷宮か大よそ見当はつくはずだ」
自然と周囲の人間の視線が老人へと向けられた。ウォントは伸びた髭を触りながら己の記憶と照らし合わせていく。モンスターの来た方角。規模やレベル。種類から有りえないのを除外していくと……一番有りえない場所だけが残った。
「……メスケネストの迷宮……じゃろうな」
周囲を気遣って老人は冒険者とミカロスにしか聞こえない声量で告げた。それでも彼らの動揺を誘うには十分な内容だった。オルドは覚悟して嫌な予感をため息と共に吐き出した。
「だとしたら……超級が出張ってるかもしれないな……本当に厄介だぞ」
近づくにつれ振動は増し、戦闘が回避できない物へと近づいていく。
振動は僕らの所まで届いていた。沢山の生き物の足音が大地を伝わってくる。解体作業の手を一時止め、遠くに見える防壁の向こう側へと視線を送ってしまう。周囲の冒険者や予備兵たちも同じようにしている。
「ほらほら。向うは気にしないで早く頼むよ」
「……了解です!」
草臥れた鎧を着込む壮年の男が手を止めていた僕らに発破をかける。慌てて僕らは動き出した。
僕やリザが所属する支援部隊の人数はおよそ二千三百四十人程。このうちの二千人は予備兵役という奴だ。かつて兵士として働いたり、有事の際の時だけ武器を持って戦うための訓練をした一般人達。年齢も性別もまちまちの彼らと共に僕ら冒険者は防壁と城壁の間をちゃんとした戦場へと作り替えている最中だ。
まず初めに特別地域の商店から商品を運ぶ。もちろん泥棒では無い。主に食料品を王宮が購入し、それを街の食料として運び、空っぽになった店舗を解体している。店が沢山置いていあっても死角を作るだけだからという理由で撤去する。祭が始まる前に終わらせるのは少しばかり寂しいが。
解体といっても強引に引きずり倒してはいけない。壊した木材を別の目的に使うためにあまり痛まない様に分解する。
予備兵役の中で木こりや木工職人、大工の人がリーダーとなって解体作業は進んでいく。
ちなみに全員が全員解体作業に加わっているわけでは無い。他にも都市の中での作業や、人の遺体やモンスターの死骸を運んでいる人たちもいる。
「全く、こんなことをするために冒険者になった訳じゃないっつうの」
「全くですよね。こういうのは冒険者のすることじゃないでしょ。こう剣を持ってモンスターをなぎ倒してこその冒険者っす」
時折、周囲からブツクサと声が聞こえてくる。愚痴りたくなる気持ちはわかる。トンカチや鋸、くぎ抜きのリズミカルな音が聞こえるとここが戦場になるとは思えなかった、
だけど背の高い防壁に遮られていても分かる。内側の兵士や冒険者たちの動きが慌ただしくなったのがモンスターの軍勢が見える所まで来た証だ。
じきにモンスターと人間の戦争が始まる。オルドの演説に当てられた人々は熱に浮かれた様に自分がどれだけ勇ましく戦えるかを競い合うように言い、その後に自分たちのしている行動を愚痴る。
僕と同じように商店の荷運びと解体をしているホラスがまたしてもぼやく。
「それによ。ファルナやほかのクランメンバーから離れた上になーんでコイツと同じ班なんだよ」
「文句を僕に言うの、止めてくんない?」
屋根板を剥がしながらホラスは僕を指さした。彼の言う通りこの場にファルナや『紅蓮の旅団』のメンバーは居なかった。そしてリザの姿も無い。
彼女たちは都市内部での作業に回されてここに居ない。最後まで僕の心配をしていたリザとファルナの姿を思い出す。リザはともかくファルナが心配した理由は恐らく彼と同じ組になったからだろうな。
『紅蓮の旅団』、E級冒険者のホラス。オルドを始めとした『紅蓮の旅団』の上位メンバーに目を掛けられている僕を一方的に敵視している青年だ。付き従うようにマクベ少年もいる。昨日の一件からまだ、僕に敵意をむき出しに接している。
とはいえ彼も冒険者。文句を言いつつも手早く商店の解体を済ませていく。現にまた一つ解体が終わった。というか、ほとんど彼一人が指揮をしていなかったか?
「随分と手慣れた感じだよね……もしかして経験者?」
「……生まれた家が大工だっただけだよ」
「ふーん。じゃあ何で冒険者になったんだよ?」
木片を指定された場所へ持っていきながら声を掛けるが無視される。
少なくともしばらくは同じ班で行動するのだ。いくらかコミュニケーションを取っておかないと居心地が悪い。それにホラス自身そこまで悪いやつでは無い。
いまも冒険者になりたてのマクベが身の丈に合わない量の木片を持って扱けそうになるのを支えている。身内に優しい人なんだろう。そして外敵には厳しい。
腰に差したバスタードソードがガチャガチャと鳴る。ここに来る前に支給品のポーションと共に受け取った物だ。正直粗悪品なのであまり性能には期待していない。
(いくら防壁と兵士に冒険者が守ってくれているとはいえここも戦場になるかもしれないのに、武器はこれだし、共に居るのがコイツだし……厳しい状況には変わりないか)
晴れた青空が憎らしい。心の中で急速に雲の様に膨らむ不安のとは正反対の空模様だ。
その時だった。
防壁の方から轟音と共に兵士の叫び声が響く。
「モンスターの軍勢が防壁に取りついた! 開戦だ!!」
読んで下さってありがとうございます。作中の方言は津軽弁です。もしかしたら間違っているかもしれませんがご了承ください。
次回の更新は10月12日を予定しています。




