12-43 ノーザン・オルストラ
巨大。
そう表現するしかできない構造物が、乾いた大地の遥か上空に君臨していた。
滑らかな曲線を描く球体は真円で、どれだけ大きいのか分からない。あまりにも巨大すぎるため、距離感すら狂っており、手を伸ばせば触れられるのではないかという錯覚と混乱に陥る。表面は黒と白のまだら模様が、生きているかのように蠢いている。
月が落ちてきたかと思うほど異様な光景だ。過去に幾度となく訪れたレイの心象風景では、あの球体は一度たりとも現れていない。
レイの心象風景と違う部分はもう一つあった。
灼けた空の至る所が剥落しているのだ。
天井絵が時間経過と共に剥がれてしまったかのような跡。赤灼けた空に黒いひび割れがいくつもあり、東西南北、全ての方角へと伸びている。
剥落の向こう側は宇宙や闇というよりも、存在していないかのような暗闇の無辺がある。すると突然、暗闇をじっと見つめていたレイの視界が滲みだした。
「……なんで、だ。なんで、僕は、あれを見て泣いているんだ?」
目を拭えば、熱い雫が切れ間なく流れていく。次から次へと溢れていく涙は嗚咽を生み、とうとうレイは地面に向かって膝を付いた。
涙を流しているのは自分では無い。自分の感情は戸惑いと恐れが混じり合い、少なくとも涙を流す心情では無かった。
滝のような落涙を流すレイは、そんな自分をどこか他人事のように分析していた。
涙を流すきっかけが、空に無数にある剥落なのは間違いない。
だが、それを見て感情を、心を、魂を揺さぶられたのはレイでは無い。
影法師だ。
レイの中に宿る影法師が、感情を爆発させ泣いていた。影法師を構成する無数の何かかが、立っていられないほどの嵐の如き感情を発露し、声も出さずに涙を流す。レイの心と肉体は、影法師の感情に引っ張られているに過ぎない。
感情の名は孤独。
誰とも触れられないのが寂しい。誰とも見つめ合えないのが寂しい意。誰とも語り合えないのが寂しい。誰とも会えないのが寂しい。誰とも分かち合えないのが寂しい。誰とも対立できないのが寂しい。誰とも和解できないのが寂しい。誰とも決別できないのが寂しい。誰とも疎遠になれないのが寂しい。誰とも邂逅できないのが寂しい。誰とも理解しあえないのが寂しい。誰とも愛し合えないのが寂しい。誰とも憎悪しあえないのが寂しい。誰とも悼み合えないのが寂しい。誰とも何も出来ないのが寂しい。
寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい。寂しい寂しい寂しい。
一人は―――寂しい。
「影法師……お前は、そんなにも無数のお前が居て、……それでも孤独なのか?」
『……ああ、そうだ。これだけ無数の俺が、私が、僕が、あたしが、ワタシタチが居ても、孤独なんだ』
錆びた歯車を思わせる耳障りなノイズが僅かに消えて聞こえたのは、無数の人の独唱を重ねたような声だった。
時を司る神にして、暴走していたクロノスとの戦いの最中、レイは影法師の本質に一歩だけ近づいた。影法師の中には、無数の人の魂が宿っており、その中にはナリンザ・ナキに近い魂もある、と。
近いだけであって、本人では無い。それはレイを許したナリンザらしき人物も、レイ自身も理解していた。彼女はナリンザではないが、魂は近い存在だ。
影法師の中にある全ての魂が、空にある剥落を見て、孤独を感じて泣いているのだ。
「くそっ、拭っても、拭っても、あとから溢れてくる。影法師、ここは何なんだ!? あの空に浮かぶ球体は何だ? 空のひび割れは? そもそも、ここは何処なんだ。……それとも、この死んだ世界は、やっぱり僕の心象風景なのか?」
「興味。君の心象風景はこの世界に近しいのか」
レイの声に応じたのは、影法師では無かった。抑揚のない平坦な声が背後から聞こえ、レイは地面を蹴った。背後の何者かから距離を取ると、片手で涙を拭い、もう片方の手に魔短刀を構えた。
すると、レイの行動に対して何者かは両手を高く伸ばした。
「謝罪。驚かせるつもりも、敵対行動を取るつもりも無い。ご覧の通り、私は武器になるような物は持ち合わせていない」
背後に居たのは人間族の男だ。
きちんとした栄養を摂取していないのか、頬や腕は痩け、顔色は悪く、メガネ越しでも神経質そうな眼光は隠しきれていない。一方で、戦いに不向きな雰囲気なのに、刃を向けられて動じる様子は無い。どこか泰然とした構えは、余裕すら感じた。
痩せた体躯を隠す白衣と、男の上げた手に掴む物をレイは凝視した。
「疑問……もしかすると、この動作の意味を知らないのか? 文明、文化レベルが違えば慣習常識も違うだろう。この動作を知らぬからといって、恥じることは無い。互いの常識に敬意を持ち、相互理解を深めていくことこそ、知性溢れる者の文化的教養だ。これは降参の意思表示だ、覚えておくといい原始人」
「それが降参だってことぐらいは僕だって知ってるさ。それよりも、アンタの手にあるそれは、僕の龍刀だろ。返せ!」
白衣の男は降参として上げた手にある龍刀へと視線を向けた。
「龍刀。シンプルだが、器物の属性を正確に表しているな。無駄を省くのは好感が持てる」
「アンタに好かれても嬉しくは無いね。だいたい、何者なんだ、アンタは? 龍刀を持ちだして、あの扉の前まで誘き寄せて、僕を突き飛ばしたのもアンタなんだろ」
「肯定。後半の質問に関しては是であると答えよう。だが、前半の質問に関しては落胆した。ここに至るまでの経緯を考えれば、ある程度の推測を立てられるはずだ。万が一、君が不確定の推測を口にするのが恥ずべき事だと考える思慮深いものだとしたら謝罪しよう」
男は大仰に体を上体を倒して頭を下げる。
謝罪と口にしているが、心から謝っているとは思えない特徴的な喋り方に、男の姿が白銀の女性と被る。
ここが何処なのかはさておき、『科学者』の研究所に居た人間というヒントから、ある人物を連想した。
だが、それはあり得ない。
その男は九百年前に死んだはずの人物である。
「まさか、『科学者』ノーザン・オルストラか?」
「正答。初めまして、『緋星』のレイ。あるいは、『御厨玲』と呼ぶべきか」
本来の―――あるいは別の誰かを示唆するかのように―――名前を呼んだノーザンに、レイは警戒度を上げた。
「……僕を知っているのか?」
「無論。君たちの行動は軌道上に打ち上げた探知衛星によってある程度把握している。中央大陸で、君が自らに打ち込まれた楔を打ち破ったのも、君たちの仲間の一人が本来のエルドラドに『招かれた者』であることも、クロノと名乗る女性が時を司る神クロノスの転生体であることも調査済みだ」
「そいつは、話が早くて助かる。それで? 九百年前の黄金時代の人間が、どうやっていまの時代まで生きているんだ。まさか、冷凍保存とか、時間跳躍とか、無茶苦茶な科学技術を実現したのか」
「理解。君の科学技術に対する方向性が娯楽目的のサイエンスフィクション止まりなのは理解できた。冷凍保存はともかく、時間跳躍は理論の段階だ。そもそも、この私を正確に表現するなら、ノーザン・オルストラ本人では無い」
「どういう意味―――なっ!」
言葉は驚きによって遮られる。
レイの前で、神経質そうな男の顔が液体のように溶けたのだ。日の光を満足に浴びていない不健康な色艶の肌が、溶けた水銀を思わせる鈍い輝きに変わり、どろりと崩れていく。
まだ、形を保っている口から自身の説明が始まった。
「説明。このボディは液体金属だ。人間のような皮膚は擬態に過ぎない。搭載されている人工知能は生前のノーザン・オルストラの人格をトレースした物に過ぎず、想定に無い質問に対しては回答を拒否する。噛み砕いて説明すれば、研究所に訪れた『招かれた者』へのメッセンジャーだ」
「……本当に、何でもありなんだな、『科学者』って奴は」
驚き半分、呆れ半分で呟くと、ノーザン・オルストラの姿をしたメッセンジャーは、元に戻った頭を振った。
「否定。本当に何でもありなら、後代の『招かれた者』に世界救済を託すような真似はせず、自身の手で果たしていた。私や『機械慈母』が存在することは、ノーザンの失敗の尻拭のためだ」
「……メッセンジャーってことは、『招かれた者』に何かを伝えたいんだよな。アンタは……正確にはノーザンか。彼は『冒険王』のレシピに気になる言葉を書き足していたな」
『冒険王』エイリークこと安生琢磨は、転生前の知識や技術をレポート形式でこの世界に残した。その内の一つに、日本刀の作り方があり、レシピを手に入れた『鍛冶王』テオドールによって龍刀は生み出された。
そのレシピには、日本語で文章が付けたされていた。
『これを読める日本人に告げる。神を信じるな』
てっきり、安生琢磨が書いたメッセージなのかと思っていたが、その後にデゼルト国でポラリスと遭遇したときに、メッセージを書いたのがノーザンだと判明した。
「肯定。『冒険王』エイリークのレシピを保管していたオルタナから譲り受けて、私の知る全ての言語で警告を発したが……残念ながらメッセージを受け取ったのは君だけだ。やはり、紙媒体だと保存できて数百年が限界か」
「それに、ポラリスの伝言でも言っていたな。神を信じるな、彼らも騙されている、って。……アンタはどこまで知っているんだ」
「疑問。質問に対して質問で返すのは心苦しいが、どこまでの定義を聞かせてもらおうか。内容によっては、ノーザンに植えつけられたこの人工知能では回答できない場合がある」
一瞬、レイの中でいくつもの疑問が駆け巡った。
『黒幕』の正体。
『正体不明』の正体。
『正体不明の娘』とは何者なのか。
自分の心象風景と同じ風景の世界。
空に浮かぶ超巨大な球体と暗闇のような剥落。
無数の魂を宿した影法師。
神も騙されているとはどういう意味なのか。
どれもが、レイの知りたいと疑問だった。
だが、口を突いて出たのはもっとシンプルで、レイの根源に関わる内容だった。
「僕は……誰なんだ」
口にした途端、足から力が抜けそうになる。血の気が失せていき、不安が胃の底からせり上がっていき、意識を失いそうになる。聞けば、答えが返ってくるだろうという確信めいた推測と、知ろうとする真実への忌避感が心の中で嵐を巻きおこす。
ノーザン・オルストラの姿形を真似したロボットは、そんなレイの心情を全く考慮せずに切りこんだ。
「回答。君が『御厨玲』であるなら、私は君の正体を知っている」
「っ! ……なら、教えてくれ。僕は誰なんだ。僕は……僕は……何処から来たんだ。どうして、僕は《トライ&エラー》なんて力を持っている。どうして僕の中には無数の魂が宿っているんだ!? 頼む……教えてくれ」
血を吐きだすような必死の懇願。自らの正体をするという願いを口にしたレイに対して、ノーザンは冷然とした様子で答えた。
「拒否。君の正体を語るべき存在は私では無い」
「なら、誰が教えてくれるんだ!」
叫びが乾いた大地に響く。ノーザンは龍刀を掴む手とは別の手を伸ばし、指先を答えに向けた。
指は、真っ直ぐレイの方を向いていた。
「回答。君の正体を語るべきなのは、君の中に居る存在だ」
瞬間、ノーザンの指先が脈絡もなく伸びた。
熱した金属が形を変える様に、水銀のような見た目をした液体金属は指先を伸ばすと、レイの頭部に突き刺さる。幾筋もの糸の如く分裂した金属が皮膚を這いずり、頭蓋を越え、脳へと到達する。
体に命令を下す司令塔を瞬時に制圧されたレイは、指先一つ動かすことはできなかった。
「不動。動くな。君の中に潜む影法師の記憶を呼び起こそうとしている。下手に動けば、君という人格が影法師の魂に飲み込まれるぞ」
人格消滅なんてリスクのあることをするなら、先に説明しろと叫びたかったが、言葉を出せないレイは視線に抗議の意味を込める。
すると、視界が端から白く埋め尽くされていき―――意識が白い暗闇の中へと落ちて行った。
俺は、私は、僕は、あたしは、ワタシタチは旅をした。
星を見た。削れ落ちて辛うじて残った星の輝きを見た。
大地を見た。生命の息吹は消失し、乾いた不毛の大地を見た。
海を見た。役目を終えて濁りきった滅びの海を見た。
生物は見れなかった。全ての命は絶え、新たな命は転生されず、時すら流れなくなった世界に生物は居らず。ただ、死だけがあった。
世界を見た。神に見捨てられ、神の救いを待つしかない世界を。
だから、俺は、私は、僕は、あたしは、ワタシタチは、この世界を―――。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は16日頃を予定でしたが、申し訳ありませんが1回お休みさせて頂きます。
再開は19日頃を予定しております。




