12-42 扉
出入り口まで見送りに行くと言って、ロボットが付いていったのを誰も止めなかった。
数分も経たない内に、ロボットが戻ってきてクリストフォロスが出入り口から出て行ったことを聞いて、ようやく息を吐く余裕が生まれた。
「『機械慈母』ポラリス。本当に、クリストフォロスは立ち去ったのか?」
『肯定。こちらの画面をご覧ください』
モニターが切り替わると、先程までレイ達が開けるのに四苦八苦した扉がある洞窟が映し出された。気づかなかったが、どこかにカメラがあるだろう。
画面の中央にいるクリストフォロスが足元の影に飲み込まれ、影も空気に溶ける様に消えると、誰も居なくなった。
『精査。当研究所より半径五シロメーチル内にクリストフォロスの生体反応はありません。また、彼の転移方法では研究所内部に侵入することも不可能。よって、クリストフォロスが戻ってくる確率は零となります』
無機質な音声だが、戻って来ないと断言され、レイ達は肩の力を抜いた。停戦協定書はあるが、クリストフォロスならば裏を掻くやり方を用意しているかもしれないが、当面の危機は去った。
「そうか。ならば、一安心だが……シアラ殿。先程の質問は……もしや」
「……ごめんなさい、マクスウェル様。ちょっとだけ、時間をちょうだい。ワタシにとっても、これは受け止めきれないの」
クリストフォロスの威圧を正面から受け止めて精神が摩耗したのだろう。あるいは、『魔王』達が味わった絶望を想像して心をすり減らしたのか。シアラは床に座り込んでしまった。
いや、彼女だけでは無い。
食事と休息を取ったとはいえ、長い戦闘によるダメージは完全に抜けきっていない。止めのように、六将軍の本気の威圧を浴びた一行は疲労の限界に達していた。
一人、また一人とその場にしゃがみ込んだり、あるいは壁や台にもたれていた。
『精査。全員のバイタルに問題を確認。極度の疲労状態。研究所内の施設を開放いたしますので、休息を取るのを推奨します』
「そのような施設があるのでござるか?」
『肯定。当研究所はノーザンが居住していたスペースが現存しています。多少手狭にはなりますが、全員が横になるだけの居住空間は用意できます。また、ミスター・レイとミスター・ローランは回復促進用カプセルの使用を推奨』
「かいふくそくしんようカプセル? よくわかんないけど、疲れがとれるの?」
『肯定。回復魔法の術式を用いた魔法工学の道具です。P-451が案内します』
「命令ヲ受諾。ゴ案内致シマスノデ、ドウゾコチラヘ」
痩せた雪だるまのような形をしたロボットが床を滑るように移動する。レイ達は再起動中のポラリスが横たわる部屋を出て、ロボットの後を付いていった。
しばらく歩くと、目的の部屋に通された。等間隔に並んだ楕円形のカプセルの蓋が開くと、スピーカーから使い方の説明が始まった。
武器や防寒具を外して、指示通りにレイとローランが横になると、カプセルの蓋が閉まる。
途端、柔らかい光が内側から二人に向かって注がれていく。回復役であるレティとミストラルには、何の光なのかすぐに分かった。
「これって治癒? それも超上級魔法の福音治癒のようね」
「この中だと、レイ様の体力が戻るの?」
「体力だけじゃなくて、精神力も回復できる魔法だよ。……うん、この中でしばらく過ごせば、二人とも元気になるよ」
太鼓判を押され、リザ達はほっと胸をなでおろした。
「他ノ皆様ハ別室ヲ、ゴ用意シテイマス。ドウゾ、コチラヘ」
「……そうね。いい加減、私も限界だわ。案内してちょうだい」
「拙者は此処に残って主殿の護衛を。敵地で無いとはいえ、誰かが用心で残るべきかと」
ヨシツネの主張は、エトネに膝裏を押されただけで崩れ落ちる。
「ヨシツネおにいちゃんもげんかい。もう、休もう」
「いや、しかし、拙者はぁぁぁあああ」
《神聖騎士団》の面々に引きずられる形でヨシツネが退出する。リザは二人の脱いだ衣服を畳み、龍刀を持っていくべきかどうか迷った末に、カプセルの近くに立てかけた。リザ達が龍刀を持っても抜くことはできない。下手に持ち主から預かるよりも、近くに置いた方が何かあっても対応できるはずだ。
「じゃあ、またね。主様。ゆっくり過ごして、ちゃんと体力を回復させなさいよ」
「シアラさんの言う通りです。いまは、お休みください。レイさん」
「ばいばーい」
「また来るから! なにか欲しい物があったら、その時に教えてね」
「呵々。……腹が空いたな。魔石は置いてないのか?」
「それでは、おやすみなさい、レイ様」
皆、カプセルの蓋にあるのぞき窓に向かって声を掛けていく。レイは手を振り見送ると、室内の明かりが自動的に絞られていった。
隣のカプセルに入っているローランの様子は窺えないが、蓋の裏側にあるモニターにローランらしき人物のバイタルデーターが表示されている。一定のリズムを刻む波線の意味は分からないが、隣に誰かが居るという事実が安心感を生む。
すると、暖かい光が全身を優しく照らす。全身を蝕んでいた疲労が抜け落ちていく感覚と同時に、眠気が一気に襲ってくる。レイは眠気に逆らわず、瞼を閉じた。
「バイタル、正常ヲ確認。継続シテ使用ヲ続ケルト、過剰回復ニヨリ細胞ニダメージガ蓄積サレマス。使用ヲ終了イタシマス」
耳障りな音声によってレイの意識は覚醒した。
カプセルの蓋が開き、遮断されていた外気が肌に触れる。途端、全身の感覚が急速に鮮明になっていく。ゲオルギウスとの戦いが終わってからは、薄いゴムの手袋を何枚も重ねたように、全てがぼやけていたが、完全に回復したようだ。
薄暗い室内は誰も居なかった。《ミクリヤ》のメンバーも《神聖騎士団》のメンバーも、ロボットも居ない。時計も無く、外の様子を知る窓も無いため、いまが朝なのか夜なのか、カプセルに入ってからどれぐらい時間が経過したのかも不明だ。
隣のカプセルを覗き込むと、柔和で気品のある王子のようなローランの寝顔があった。
疲労の深さはレイ以上なのか、彼が起きる様子は無かった。
ふと、シアラがレティに読み聞かせているおとぎ話で、魔女に呪いを掛けられて眠らされている主人公をキスで目覚めさせるという展開を思い出した。もっとも、あれは眠っているのが姫だったが。
(ローランさんは起きそうもないし、とりあえず皆の所に行くか。どこの部屋で休んでいるのかは、途中のロボットに尋ねるか、『機械慈母』ポラリスに聞けばいいかな)
そんな風に考えて、レイはリザが畳んだ衣服を手に取り―――異変に気づく。
「……あれ? 龍刀は?」
畳まれた衣服や魔短刀と一緒に置いてあったはずの龍刀が何処にもないのだ。
誰かが持っていたのかと考えていると、背後で空気が漏れる音がした。
自動ドアの開閉音だ。
誰かが様子を見に来たのかと思って振り返ったレイは、空いた扉の形に射し込む照明の中ではためく白衣と、黒い鞘に収まった龍刀を見た。
「え? 誰だ! それは僕の刀だぞ!」
反射的に叫ぶも、時すでに遅し。
扉は閉まり、薄暗い室内へと戻る。急いで扉に駆け寄り、廊下へと飛び出すと、白衣の何者かが角を曲がろうとしていた。
レイはどうするべきなのか逡巡した。
龍刀はレイ以外の人間は扱えない代物だ。
学術都市の戦い以前だったら、レイ以上の技量の持ち主。たとえば、ローランやサファ級の剣士ならば、龍刀の力を引きだせた。だが、学術都市の戦いで『魔王』フィーニスの血を得て強化された龍刀は、フィーニスの因子を持つ人間以外が抜こうとすると、炎に飲み込まれる危険な魔刀となっていた。
ゆえに、盗られたからと言って、龍刀を操れる可能性は限りなく低いのだが、だからといって龍刀を奪われるのを見過ごせない。
仲間と合流してから追いかける方が確実なのではないかと考えるレイだったが、リザ達が何処に居るのかは不明だ。合流している間に逃げられては厄介だ。
瞼を閉じて、浮かび上がった本の頁をめくる。《トライ&エラー》の使用不可は解除されていた。どうやら、ゲオルギウスとの戦いは勝利と技能は判定したようだ。
白衣の誰かを追いかけて死んだとしても、あるいは捕まったとしてもやり直すことはできる。
腰に魔短刀を差したレイは、曲がり角に消えた白衣を追いかけた。
道中、すれ違ったロボットか、『機械慈母』に事情を説明して、リザ達を呼んでもらうつもりだ。
カプセルの効果は大したもので、硬い床を蹴る両足は軽やかで、ぼやけた視界は窓を拭いたように鮮明になっていた。体調は完全に復活しており、曲がり角まで二秒とかからず着いた。
角の先に伸びている廊下は、幾つもの部屋の扉と階段が並んでいる。レイは部屋の扉を開けては中を覗き込み、白衣か龍刀を探して回った。すると、階段の方から遠ざかる足音が聞こえた。
「リザか? それともシアラか?」
尋ねるも遠ざかる足音から返事は無い。リザやシアラじゃなくても、レイの呼びかけに反応しない人物が『科学者』の研究所にいるとするなら、間違いなく白衣の誰かだ。
レイは十段以上ある階段を飛びおり、踊り場の壁を蹴って下の階に行く。
まだ、足音は下に続く階段から聞こえたから、同じことを数回繰り返すと、研究所の最下層に到着した。階段が終わり左右を見れば、長い廊下の一番奥にある扉を開けて、白衣の誰かが入ろうとしていた。手には龍刀をぶら下げていた。
「よし、追い詰めたぞ。雷蛇招来」
抜いた魔短刀の刀身から紫電が落ちると、研究所の硬い床を雷の蛇が這いずる。隙を突かれて取り逃がしたとしても、雷の蛇が行く手を阻むだろう。
レイは武器を抜いたまま、慎重な足取りで進む。視野は広く、何かが飛び出してくる可能性を警戒して進む姿は、迷宮の中を歩くのと同じ緊張感があった。
なぜなら、ここに至るまでに誰とも出くわしていないのだ。
《ミクリヤ》のメンバーとも、《神聖騎士団》のメンバーとも。そして、研究所で動き回っていたロボットとも遭遇していない。カプセルに入る前は、似たり寄ったりのデザインではあるが、幾つものロボットとすれ違っていたのに、廊下にも部屋にもロボットの姿が無いのだ。
異様な静けさの漂う廊下を進み、一番奥にある目的の扉の前に立つ。
扉の横には開閉ボタンらしきスイッチがあった。
研究所の扉はセンサーで開閉するのがほとんどなだけに、ボタンの存在が異様さを際立たせる。レイは扉の前では無く、壁の方に身を寄せてからボタンを押した。
空気が抜ける音と共に扉が開く。警戒した奇襲は無く、扉も自動では閉まらなかった。
用心しながら中を覗き込むと、室内は暗く、薄っすらと見える輪郭からそれほど広くないとだけ分かる。
廊下の照明が扉の幅だけ室内を照らす。レイの視線は影のように伸びる光を追いかけ―――停止した。
「あれは……まさか」
部屋の中央。光の中で浮かび上がる姿が記憶を刺激し、レイは自分が何のためにここまで来たのか、目的すら忘れて部屋の中へと入っていく。
部屋の中にあったのは扉だ。
重厚な造りとなっている扉は壁に嵌っている訳でもなく、天井から伸びている棒で固定されている。現代的な、あるいは時代を先取りするかのようなデザインの研究所に不似合いな扉をレイは知っている。
忘れるはずも無い。
『黒幕』によって与えられた、『御厨玲』の記憶ではない。
本当の意味でレイが最初に記憶した場面に、この扉はあった。
「この扉は……間違いない。クロノスと、サートゥルヌスと会った時だ。あの時、僕をエルドラドに落とした扉にそっくりだ。まさか、本物なのか?」
レイの始まりの記憶。
それは、時を司る神クロノスと、彼女の兄であり魂を司る神サートゥルヌスと邂逅した瞬間だ。クロノスが原因で御厨玲が死亡した責任を取りたいと、涙ながらに訴えられ、レイはエルドラドに来ることを決めた。
後に、クロノスが御厨玲を死なせてしまったという共通の認識が、『黒幕』による記憶操作だったと判明したのは、レイ達にとっても、クロノスにとっても衝撃だった。
そんな二人の出会いの場面に登場した扉が、『科学者』の研究所にあるという事実にレイは混乱する。
この扉は、神の領域とエルドラドを繋ぐゲートで、神の側でしか開閉できないとクロノから聞いた。レイや他の『招かれた者』たち、そしてクロノスもこの扉を通ってエルドラドに落ちたのだ。
もしかすると、ノーザンは13神の誰かと、あるいは『黒幕』と繋がっているのではないか。
脳が警戒信号を発し、心臓が鼓動を強める。アドレナリンが分泌され、感覚が研ぎ澄まされていくのが分かる。
レイは部屋の奥に視線を向け、誰も居ないのを確認した。暗闇に目が慣れると、室内の様子がある程度分かる。踏み込んだ室内は扉以外何も無く、人が隠れるスペースも無い。
白衣の誰かが何処に消えたのか疑問に思いつつも、レイは扉のドアノブを掴む。
軽く力を入れると、鍵は掛かっていないのか、簡単に回った。
唾を飲み込む音が、静かな室内に響く。
レイは意を決して扉を開けた。
扉の先は部屋の奥の壁が―――無かった。
「……嘘だろ。まさか、本当に……あの時の扉なのかよ」
扉の先に遭ったのは暗闇の海だ。下を見ても、上を見ても光など無く、ただ暗いだけの世界。
どこまで続くのか分からない無辺の闇を前にして、レイは思わず後ずさった。
その時だった。
「後ろに下がるな。道は常に前にしかないぞ」
「なっ―――誰だ!?」
誰か知らない男の声と共に、レイの体は前へと押された。
体は扉をくぐり、見えない力に引きずり込まれる。前回と違ったのは、体が下に落ちるのではなく、上に引き寄せられていることだった。
誰に突き飛ばされたのか、確かめるべく体を捻る。遠ざかっていく扉から僅かに見えたのは、白衣の裾と、龍刀の鞘尻だった。
どれぐらいの時間が経過したのだろうか。
暗黒の空間を見えない力に引き寄せられて、上へ、上へ、上へと運ばれていった。抵抗することもできず、流れに身を任せていると、気がつくと暗黒の空間から放り出されていた。
最初に感じたのは、頬や皮膚に張り付く砂混じりの土だ。
乾いた土の匂いが鼻を突く。
いつの間にか横になっていた体を起こし、周囲の光景を目の当たりにして、レイは言葉を失った。
まず、空が見えた。
赤茶色に濁り、まるで業火に灼かれたかのような色合いの空が頭上に広がっている。
その空の下にある大地は、雨が何年も降っていないかのようなひび割れが延々と続いている。
地平線まで続くひび割れた大地には、動物や草木などの命は一つも無い。
まるで、死んだような世界だ。
レイは、この場所を知っている。
「僕の……僕と影法師の心象風景……いや、違う。この世界は別物だ」
過去に幾度も訪れた、心の世界。
精神体として龍刀に宿っていた頃のコウエンと初めて出会った場所であり、影法師と幾度も言葉を交わした心象風景とよく似ている。だが、レイの体は、なにより心は、この場所が自分の心象風景とは違うと叫んでいた。
何より、ここが自分の心象風景ではないと確信するに足る物証があった。
「……あれは……なんだ?」
レイの視線は、赤灼けた空に浮かぶ物に注がれている。
あまりにも巨大で、あまりにも異様。
巨大すぎるがゆえに遠近感が狂い、近くにあるようにも、遠くにあるようにも思える。
赤灼けた空は幾筋もの欠落が走り、それを背景に巨大な球体が浮かんでいた。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は13日頃を予定しております。




