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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第12章 大陸の果て
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12-37 停戦協定 『後編』

「どうですか、リザさん。体力の方は」


 回復薬を飲み干したリザにクロノが体調を尋ねると、少女は顔を青ざめつつも気丈に頷いてみせた。


「ええ、問題ありません。なんでしたら、今から一戦仕掛けることもできます」


 そう言って、拳を掲げてみせたが、空元気なのはすぐに分かる。生命力を極限まで精霊剣に注ぎ込んだのだ。一度、瀕死の状態まで落ちこんだ体力が、短時間で完全に回復するはずも無い。こうして、言葉を交わせるのが限界だろう。


「……そうですか。ですが、今は無理をしないでください。エトネさんの方は、どうですか?」


 起き上がろうとするリザを押し留め、今度はエトネの方を伺う。彼女は頭に包帯を巻き、ぼうっとした表情を浮かべていた。


「うん……ちょっと、きもちがわるいけど。だいじょうぶ。ハヅミがからだの水をしらべて、どこも異常なしだって」


「それなら安心です。頭を庇ったとはいえ、地面に叩きつけられたので心配していました。戦闘が終わったら、念のためにレティさんにも診て貰いましょう。だから、エトネさんも横になっていてください」


「はーい。……せんとう、終わったのかな。しずかになったよね」


「ええ。先程まで、ずっと続いていた戦闘音が止み、ヨシツネさんが様子を見に行って下さっています。ですが、あの方の報告次第では、ここを離れるかもしれません。その覚悟だけはしておきましょう」


 クロノが二人の看病をしている場所は、《アンダンテ・フィールド》が発動していた広場より離れた安全な場所だ。そこに荷物を隠し、一種のセーフティゾーンとして活用していた。


 半壊状態の建築物だが、柱が太く、頑丈な見た目なのが選んだ決め手だったが、正解だったようだ。何度も建物がひっくり返りそうな衝撃に晒されたが、どうにか耐え抜いてくれた。


 嵐のような時間が過ぎ去ると、ヨシツネが様子を見に行くと行って外に出て行った。クロノは歯車を建築物の周囲にばらまき、何かあれば二人を連れて脱出する準備をしていた。


 すると、歯車が誰かの近づく足音を拾った。そちらの方を見れば、偵察に出たヨシツネが息を切らして戻ってくるところだった。


「ヨシツネさんが無事に戻り……ヨシツネさん?」


 不思議そうに尋ねたのは、走ってくるヨシツネがただならぬ様子だからだ。部屋に飛び込んでくるなり、見てきた物を報告する。


「影が、都市の空を覆っているでござる。そこから、巨大な氷の塊が現れ、今にも落そうな状況。ここも、氷の下でござるぞ!」


「そんな、まだ戦闘は続いているの?」


「そこまでは分かりませぬ。しかし、一刻も早く、この場を離れないと。手筈は整っているでござるか?」


「ええ、言われた通り」


 ヨシツネに押されるように脱出しようとするクロノだったが、その手を白い指が抑えた。無理に起き上がったリザだ。


「リザさん。貴女は休んでいてください。脱出の準備は私達が」


「いえ、そうではありません。……ヨシツネ殿。影と、仰いましたか。影が巨大な氷を呼びだしていると」


「ええ、その通りでござる」


「影の物質転移ができるのは、フィーニス、クリストフォロス、カタリナの三人。この状況下でカタリナが現れるのは考えにくいです。フィーニスが直接戦場に出てこれる状態なら、あの性格ならもっと前に乱入していても不思議ではありません。つまり、影を使って氷を落とそうとしているのは、六将軍第四席クリストフォロスの可能性が高い」


 リザの説明は筋が通っていた。


 二人は脱出の手を止め、重傷者の言葉に耳を傾ける。


「クリストフォロスが現れるということは、レイ様たちの戦いに大きな進展があったということになります。ローラン様を救出できたのか、あるいはゲオルギウスを倒せたのか。どちらにしても、劣勢だった戦況が変わろうとしている最中だと思います。なら、私達がやるべきなのは、一刻も早く、皆と合流して、情報を共有する事かと」


「情報を共有し、次に繋がる策を講じるべきだと仰るのですか」


 ヨシツネの確認に、リザは首肯する。


 クロノとヨシツネは視線だけを合わせて、リザの提言をどうするべきなのか考え込んだ。彼女の言う通り、影によって氷が落とされそうになっているのは大きな変化だ。レイ達の戦いがどうなっているか不明だが、この時間軸で勝利するにしても、次の時間軸で決着を付けるにしても、集合した方が有利だろう。


 だが、重傷者のリザとエトネを連れて戦場に飛び込むのは危険ではないか、という危惧もあった。


 時間にしてみれば数秒だろうが、彼女たちにとって長い沈黙の後、クロノは決断した。


「そうですね。ここは、攻め時だと判断できます。ならば、レイさんの傍に居るべきでしょう」


「宜しいのか、クロノ殿」


「私が責任を持ちます。ただし、もし足を引っ張ると判断したら、すぐに貴女方を連れて離脱します。それでもいいですね」


「はい。構いません」


「ヨシツネさん。リザさんをお願いします。私はエトネさんを。ああ、こんな時にキュイが居れば、二人を任せられるのに」


 キュイはシアラと合流した後、そのまま広場近くで待機していた。


 テキパキと準備をしていると、ふと彼女は顔を上げて周りを見渡した。廃墟となった室内に、彼女たちの他には誰も居なかった。


「あれ? イチェルさんはどちらへ?」






 氷の天蓋が砕ける前、シアラはレイに対して、停戦交渉に自信があると言っていた。それは、クリストフォロスが登場しても揺らがなかった。


 なぜなら、クリストフォロスが乱入してくることすら、彼女は予想してたのだ。


 時の牢獄に囚われているローランたちを解放できれば、戦況は此方が有利になる。クリストフォロスにしても、ゲオルギウスとジャイルズの両方を失うのは相当な損失になるはずだ。となれば、この戦場に現れる確率は高いと踏んでいた。


 むしろ、クリストフォロスの方がゲオルギウスよりも交渉しやすい相手だ。


 損得計算ができ、目先の利益だけではなく、全体の流れを見て判断できる。ゲオルギウスのような武人とは違い、思考に揺らぎが無い分、シミュレーションしやすい。


 彼女の計画では、《トライ&エラー》が使用不可になったというブラフを使い、クリストフォロスがこちらを殺そうと脅す流れになるように誘導するつもりだったが、レイが本当に《トライ&エラー》が使えなくなっているのは予定外だった。


 ともかく、クリストフォロスが本気で此方を殺そうと意識を切り替えた瞬間を狙って、停戦交渉を持ちかける。魔人にとってみれば、レイ達の命を自分が握っている所に、相手シアラの方から交渉を持ちかけられるのだから、話を聞いてみようかという慢心が生まれる。


 そこを狙って、最強の交渉材料―――すなわち、カタリナ・マールムの居場所というカードを叩きこんだのだ。


 フィーニスはともかく、六将軍たちにすればカタリナの居場所は重要度の高い情報だ。『魔王』の血族でありながらフィーニスの力を奪い、魔人種全体の野望を挫いた裏切り者。ゲオルギウスが不戦の島を襲撃したのも、カタリナへの憎しみからの暴走だ。知るチャンスがあれば、罠かと警戒しつつも確かめずにはいられない。


 クリストフォロスにしてみれば、レイを殺すという決断は選びたくない選択肢だろう。フィーニスの怒りを呼び、『科学者』ノーザンの研究所へ行く鍵を失ってしまう。今回の戦いの結末と、死に戻りが発動できないというチャンスが混じって、消極的に殺すと決断したのだ。


 だから、カタリナの居場所という、六将軍にとって是が非でも知っておきたい情報を提示すれば、必ず心が揺れ動くと睨んでいた。


 効果は期待以上だ。クリストフォロスの顔色が一瞬だが、確実に変わったのだ。


 目に殺気が宿り、口角が僅かに歪んだ。抑えきれない憎しみが表に出たのだろう。もっとも、表情の変化は一瞬で治まっていた。


「カタリナの居場所を知っている、と。あの女と貴女が再会していたとは知りませんでしたね。苦し紛れの虚報ブラフですか?」


「あら。ワタシたちがカタリナと手を組んでいるのは、学術都市の戦いを見聞きしていれば予想できたわよね。それとも、『魔王』の軍師なんて名ばかりのお飾りなのかしら」


「……その情報が真実だという保証は?」


「無いわね。信じるも、信じないも、それこそアンタ次第よ。でも、欲しいでしょ。父親を裏切り、仲間を裏切り、国を裏切った者に繋がる情報を、アンタは無視できない。たとえ、偽りの情報だったとしても、それが本当に偽りだったのかどうか、確かめずにはいられない。違うかしら」


 得意げに胸を張って告げるシアラに、クリストフォロスは不快そうに目を細めた。


「……母親にそっくりな言い回しだ。いや、真正、あの女の娘だった、という事だな」


 奥歯に物が挟まったような言い方に、シアラの視線が鋭くなった。


「どういう意味かしら」


「なに、行為は違えど、貴様もあの女と同様に肉親を容易く裏切れるということさ。母親が母親なら、娘も娘だったという訳だ。気を付けろ、『緋星』のレイ、そしてその仲間達よ。その女は畢竟、誰でも裏切る女だ。近いうちに、貴様たちも裏切られるかもしれないが、努々気をつけたまえ」


 嘲笑を言葉に籠めた魔人に気絶しているレイは何も言い返せない。だが、傍にいた少女は違った。


「シアラお姉ぇを馬鹿にするな! 絶対に、仲間を裏切るもんか!」


 魔人に向かって堂々と言い放った姿に、ミストラルは涙ぐみそうになった。


「おや。確か、ジグムントの鍵たる少女だったか。幼気だな。それゆえ無知で、哀れだ。その翠の瞳が裏切りによって涙に濡れる日が来るのが待ち遠しい」


「まだ言うのか! この―――シアラお姉ぇ?」


 眉を立てて怒るレティを押し留めたのは、他ならぬシアラだった。彼女はどこか嬉しそうに微笑みつつ、クリストフォロスへ視線を向けた。


「なんとでも言いなさい。アンタの言う通り、ワタシが肉親を売るのは事実なのだから」


「……もしや、カタリナと出会い、落胆したのか? あるいは、私憤を抱いたのか。あのような女のせいで、三百年も時の牢獄に入れられたのかと、憎悪しているのか。ならば、納得もいく」


 なおも挑発しようとするクリストフォロスの言葉を、シアラは鼻で笑った。


「甘いわね、クリストフォロス。アンタの物差しで、ワタシとあの人の間にある感情を推し量ろうとしているんじゃないわよ」


 胸に渦巻く感情は、一言では言い表せない。


 シアラにとってカタリナとは、肉親の情で繋がり、尊敬の念を抱き、絶望を招いた憎悪の対象であり、どうしても嫌いになれない存在なのだ。


「ワタシにとって、あの人が肉親なのは間違いない。血の繋がった家族よ」


「ならば、その家族を売り飛ばそうとする貴様は、裏切り者よりも悍ましい薄情者という訳だな」


「そうね。だって―――今のワタシは、血のつながった家族よりも、一緒に旅をしている仲間かぞくの方が大事なのよ。仲間を守るためなら、どんな汚名だって背負ってやるわ」


 堂々と言い放ったシアラの姿は、味方のみならず敵ですら言葉を呑む迫力があった。


 この場に集った者達は知らないだろう。


 元六将軍第三席カタリナ・マールム。


 彼女が、血のつながった父親と、魂のつながったおとうさまを裏切ったのは、愛する夫と娘を守るためだ。


 クリストフォロスが指摘した通り、シアラとカタリナは似ていた。


 共に家族を守るのを大事とし、そのためには親すら裏切る。もしも、この場にカタリナが居れば、目を丸くした後に仕方ないなぁ、と笑って許しただろう。


 沈黙を破ったのは、魔人のため息だった。


「これだけ揺さぶっても動じない所を見れば、どうやら本気でカタリナの居場所を売るつもりのようですね。ある意味、その態度が情報の信ぴょう性を物語っています」


「道理で、アンタにしちゃ言葉が直球だと思ったわよ。それで、結論は?」


「良いでしょう。あなたミクリヤと《神聖騎士団》には北方大陸に居る間は手出ししません。そちらも同意してくださいよ」


「分かってるわよ。こっちも、北方大陸に居る間は、六将軍に手を出さないわ」


「《神聖騎士団》の方々も条件に付け加えるように。そして、こちらが提示するのは『科学者』ノーザンの研究所までの道案内。そちらが提示するのは、研究所までの同行の許可と、カタリナの居場所を教えること。あの女の居場所は、どのタイミングで聞かせてもらえますかね」


「そんなの決まってるでしょ。ワタシたちが無事に北方大陸を出たら教えてあげるわよ」


「随分と、そちらの都合の良い条件ですね。まあ、良いでしょう」


「忘れないで。契約は口頭では無く、書面の形にしてちょうだい」


 シアラの要求に、クリストフォロスは舌打ちで応じた。


 二人のやり取りを見守るしか出来なかった《神聖騎士団》の面々は、戦いが回避されつつある現状に戸惑いつつも、武器を降ろすような真似はしなかった。いつ、相手が翻意するか分からないのだ。


 そのまま、本当に書面に停戦協定を書きだそうとする魔人の姿に、レティは思わず首をひねってしまった。


「本当に書面にするんだ。でも、そんな書面があっても、あっちは破るんじゃないの?」


 契約書は単なる紙切れだ。それを破った所で罰則がある訳でもなく、殺し合いにおいて卑怯、汚いは負け犬の言葉だ。


 当然で真っ当な疑問だったが、即座に否定の声が入った。


「いや、それは無いだろう。こと、魔人種に取って契約は、単純な約束事では無い」


 マクスウェルは他の仲間同様に油断なく構えているが、陣形から離れてレイの方へと近づいていた。彼の体調を診ながら、レティの疑問に答える。


「魔人種はこの地に国を構えるまでは、流浪の傭兵集団だった。奴らにとって契約とは、氏族の命と未来を繋ぐ命綱だったと聞く。契約の内容は必ず遵守し、契約に含まれていない戦いには一切関わらない。六将軍となれば、契約は絶対であろう」


「そういうこと。あいつらは、契約を守ることの重要性が、骨身に沁みついているの。契約を破ることを、自分自身が許せない。そうするのが効率的だと分かっていても、そうできない一族なの」


「文面が仕上がった。確認をしてもらえますか」


 渡された内容にシアラは目を通す。マクスウェルも覗き込み、同じように文面を追いかけた。


 エルドラド共通文字で綴られているが、内容に不備や不審な点は見つからない。


「問題が無いと判断したら、代表者の方に署名を。『緋星』が気絶しているなら、姫君が代筆してくださりますか?」


 レイが起きる様子は無い。シアラは筆を借りると、マクスウェル立ち合いの元、レイの名前を綴った。


「終わりましたか。それでは、今度は私が」


「ちょっと待って。代表者はアンタじゃなくて、ゲオルギウスが書いてちょうだい」


 そう言って、停戦協定の書面と筆をゲオルギウスの方に向ける。不愉快そうにクリストフォロスの眉が動いた。


「話の流れからすると、てっきり私かと思ったのですが。理由をお伺いしても?」


 問いかけに対して、シアラは直接クリストフォロスに応えなかった。


「ゲオルギウス。それにジャイルズ。アンタらがこの停戦協定に署名をして、そっちが協定違反をしたら、どんな風に詫びるかしら」


「……腹を裂いて首を突く」


「ひひひひ! 流石は、ゲオルギウスの旦那だ。男らしい答えに惚れちまうなぁ! まあ、同意見だな」


 返答に魔人種の矜持を知らない者達は戸惑った表情をする。なんの呪術的な拘束も無い紙切れ一枚の協定を破ることを、六将軍たちは恥だと認識し、命を差し出して雪ぐ覚悟でいた。


 あっさりと。当たり前のように死んで詫びると答えた二人にシアラは満足そうに頷くと、今度はクリストフォロスに尋ねた。


「それで? アンタならどんな風に詫びるの?」


「……ふむ。ゲオルギウス、貴方が書いた方が良いでしょう」


「こやつ、裏切る気満々だったか!」


「確かに、魔人種は契約を重んじる一族よ。六将軍なら特にね。でも、同時に契約の隙間を突くことにも長けた一族なのよ。ワタシの母親やアイツみたいなのは、特にね。だから、この契約を結ぶ相手はアンタよりもゲオルギウスの方が信頼できるの」


 全員から―――味方の魔人からも―――冷たい視線をぶつけられたクリストフォロスは、表情を変えない。ゲオルギウスを支えて署名が終わるのを確認すると、木の皮を剥がすように協定書を二つに分けた。どうやら、二つに重なった特殊な用紙だったようだ。


 影を通じて協定書の控えをシアラに渡した。


「これで停戦協定は為されました。早速、道案内の約束を履行したい所ですが、その前に互いに仲間の治療をするべきではありませんか?」


「……そうね。無理に出発したら、どこかで潰れちゃうわ」


 クリストフォロスの提案にシアラは頷いた。


 《ミクリヤ》も《神聖騎士団》も消耗は激しい。まだ、合流できていない仲間達の安否も気になった。


 いまにも降って来そうな氷河は影に飲み込まれ、クリストフォロスたちの足元に影が広がる。


「それでは、しばしお待ちを。彼らを安全な場所において治療を終えたら、また戻ってきます。くれぐれも、この場を離れないように。居なくなっていたら、契約破棄と見做しますよ」


「ひひひ! 陰湿な奴だねぇ、我らが軍師様は。そいじゃ、またどこかの戦場でな」


 影に飲み込れる直前、クリストフォロスとジャイルズはそれぞれ言葉を投げつけた。


 一方、ゲオルギウスは言葉を発する余力も無いのだろう。


 ただ、金色の瞳は瓦礫にもたれかかり気を失っているレイから離れようとはしなかった。


 影は魔人を飲み込むと、最初から存在しなかったかのように消え失せた。途端に、張り詰めていた空気は弛緩する。


「気を緩めるな。クリストフォロスの気が変わって、何かを仕掛ける可能性がある。重傷者を優先的に治療しつつ、警戒を怠るな―――ッ!!」


「戯け者。一番の重傷者が気を吐いてどうする。いい加減、その足は処置しなければ手遅れになるぞ」


 仲間に檄を飛ばすローランの首根っこを掴むと、マクスウェルはミストラルと共に治療を始めた。他のメンバーも警戒しつつ、体を休めたり、武具の手入れを始める。


「それで、シアラ殿。其方の他の仲間は? リザ殿たちは北方大陸に来ておらんのか?」


「いいえ、全員一緒です。でも、別行動をしていて」


「あ、お姉ちゃん!」


 説明しようとしたシアラを遮り、レティが叫んだ。そちらを向けば、クロノとヨシツネがエトネとリザを抱えて瓦礫の山を越えようとしていた。


「お、おい。あれはなんだ? ニチョウと……赤いスライム。モンスターか?」


 別の声が上がると、シアラは慌てて振り返った。槍使いが指差す方向には、スライム形態となったコウエンを背中に乗せたキュイが近づいてくる。モンスターの登場に警戒度を引き上げた《神聖騎士団》に向かって声を張り上げた。


「《神聖騎士団》の皆様! あのスライムは敵ではありません。彼らも敵ではありません。皆、ワタシの仲間かぞくよ!」


 その言葉に身構えていた武器は下がった。


「良かった、四人とも。無事だったのね」


「ええ。ですが、リザさんとエトネさんが負傷しています。診て貰えますか」


「そこに寝かしておいて。ヨシツネさん、ご主人さまもその横に運んであげて」


「了承したでござる」


「呵々。どうやら、全てが上手くいったようじゃな。とはいえ、勝利とは口が裂けても言えんありさまじゃな」


 コウエンの揶揄うような言葉に、シアラは毅然とした様子で言い返した。


「ワタシはそう思わないわ」


「ふむ?」


「主様が生きていて、皆が生きていて、敵は去った。これを勝利と言わずに、なんと言うのかしら?」


「呵々! 居直ったか。だが、その息や良し。勝ち負けを決めるのも己の腹一つ。己が負けたと認めれば負けであろうが、勝ったと言い張るなら、それも勝ちじゃ。誇れ、其方らは……いや、我らは勝利したのだ」


 コウエンが宣言すると、その言葉に呼応するかのように、レイの腕が上がった。拳を突き上げ、天に向かって勝ち取った勝利を見せつけるかのように。薄っすらと目を開けた少年は、覗き込む仲間達に告げた。


「……ああ、この戦い。僕らの勝ちだ」








「―――以上で報告は終わりです」


 《ミクリヤ》が集結した場所から、さほど遠くない場所に潜んで全てをのぞき見していたイチェルは、誰かに語りかける様に言葉を締めくくった。


『報告は受け取った。いま、こちらの方針を固める。少し待て』


「早くしてくだせぇ。遅くなると、あっちも不審がって、戻りづらくなりますんで」


 魔糸越しに上役に頼み込むと、イチェルはその場に腰を下ろした。


 彼はレイ達と離れ、魔人ゲオルギウスとの戦いや《神聖騎士団》の存在、クリストフォロスとの交渉などを全て帝国第一皇子ゴルディアスに報告していた。


 もっとも、ゴルディアスに直接伝えるのではなく、自分の上司に報告するのだが。


 レイ達から離れると流れ弾に殺される危険性があり、あのまま行動をともにすれば報告するチャンスは無い。そこで、決着が付いた頃合いを見計らって姿を消したのだ。


 話し合いは数分も経たずに終わり、魔糸越しに次の指示が下された。


『ご苦労だった。これ以上の監視は不要。貴様は、速やかにレイ達の元を離れ入り江に戻り、船を待て』


「……宜しいので? ここで離脱したら、怪しまれませんか」


『構わん。このまま行動を共にしては、『三賢』にこちらの狙いが知られてしまう危険がある。貴様抜きでは計画が破綻してしまう。湖から入り江までなら、単独で戻って来れるだろう』


「ええ、まあ。あっしら地元の人間しか知らない近道や抜け道もありますし、一人の方がモンスターの目も誤魔化せます。それじゃ、あっしは離脱して入り江に戻りやす」


 返事は無く、魔糸の通信は切れた。


 一方的な命令ではあるが、スパイとしては従うしかない。湖から入り江までを単独で踏破するのはそれほど難しくない。モンスターの回避方法も熟知している。


「問題は、この断崖絶壁をどうやって昇るか」


「確かに。凡庸な人間なら不可能でしょう。君のような帝国の諜報員であっても、一日で昇るのは厳しいのでは?」


 涼やかな、それでいて聞く者に恐怖を感じさせる声が耳朶を震わし、イチェルは硬直した。


 いつの間にか自分のすぐ傍に、消えたはずのクリストフォロスが立っていた。


「なあ、六将ッ!」


「ああ、これは参った。静かにして貰えますか。君がここに居るのは、彼らもまだ気づいていなのですから」


 聞き分けの無い子供を諭すような優しい言い方だが、行動は正反対だった。イチェルの口を不気味なシルエットの杖で塞いだのだ。歯が折れ、血が舌を伝い喉へと落ちていく。


「停戦協定には、君の存在は含まれていませんでした。ですから、君を殺しても、なんら問題ありません。理解しているなら、瞬きをしてください」


 言われた通り、イチェルは瞬きをした。


「宜しい。これからは、瞬き一回が肯定、二回が否定です。覚えましたか?」


 瞬きを一回。


 クリストフォロスは満足そうに頷いた。


「上手です。それでは確認ですが、君は帝国第一皇子ゴルディアスの派閥に属する諜報員でまちがいありませんね」


 驚きが体を強張らせる。なぜ、自分の存在を六将軍が把握しているのか分からず、イチェルは混乱していた。


 瞬きを二回して、くぐもった悲鳴が頭蓋に響く。


 クリストフォロスがイチェルの指を折ったのだ。まるで、枝を折るように、何の躊躇いもなく。


「おっと、失礼。言い忘れていましたが、嘘はいけません。嘘は互いの信頼関係を損ねる毒です。とはいえ、毒の無い会話も詰まらない。あからさまな嘘を吐いた場合は、こうして罰を与えましょう」


「うしょ、じゃなっ、ぐうううう!」


 二本目の指が折れた。


「嘘です。この状況下で、諜報員としての身分を明かさないという事実に対して敬意を払っても宜しいですが、無駄ですよ。こちらはレイ達が来るのを待ち構えるために、北方大陸に上陸している人間たちの背後関係を洗っているのですから。あの入り江に居る漁師が、全員帝国の諜報員なのは把握済みです」


 そう言って、クリストフォロスは折れた指に巻き付いた糸を解いた。


「この魔糸で、ゴルディアス派閥の上司と計画を練っているのを、私は監視していました。君たちが、正確に言えばゴルディアスがレイ達に何をしようとしているのか、知っているんですよ。面白いことを思いつきますね、君の主も。まさか、神々の力を借りるなんて」


 稲妻に貫かれたような衝撃がイチェルの中を駆け巡る。


 クリストフォロスの言葉はハッタリでは無い。この恐るべき魔人は、全てを知ったうえで、こうして自分の前に現れているのだ。


「……ようやく、理解が追いついたようですね。結構、結構。これで、話し合いが滞りなく進みそうだ」


 ―――話し合いだと? 何の話があるのだ?


 口を塞がれて自殺できないイチェルは、せめて視線に疑問を乗せた。魔人が何を考えているのか、諜報員として確かめるべきだと考えたのだ。


 イチェルの視線に気づいたのか、クリストフォロスは笑みを浮かべて答えた。


「ええ、話し合いですとも。平和的な話し合いがしたくて、君に会いに来たのですから。正直なところ、ゴルディアスの計画はおおよそでしか掴めていません。見当は付きますが、そのためには材料が足りないのではと予想しています。彼らの計画には君が生きて帰るのが必須なのではありませんか?」


 瞬き一回。自分の予想が当たっていたが嬉しいのか、クリストフォロスは笑みを深くした。もっとも、イチェルにとってクリストフォロスの笑顔は恐怖の対象でしかない。


「やはりそうですか。となると、君をここで死なせるのは、レイ達を助けるだけしかありませんね」


 言葉の意味を理解するよりも前に、イチェルの体は浮遊感に包まれた。


 底が抜けたかのような浮遊は一瞬で、気がつくと、彼は雪の上に落ちていた。荷物も空から降ってきた。


 見上げると、クリストフォロスの影が頭上に広がっていた。


「入り江付近ですよ。君なら、数日もあれば一人で帰ることもできるでしょう」


「なひが、何が狙いなひゅだ」


 歯が折れて空気が抜ける。影を通じて聞こえる声は、どこか底意地の悪そうな笑い声を上げた。


「ふははははは! いえ、大したことではありませんよ。私から一本取ったと、勝利したと喜ぶ彼らに一泡吹かせたいという、大変卑小な腹いせですよ」


 一拍開けて、クリストフォロスは続けた。


「そうそう。ついでに、これも君に渡しておきましょう。上手に有効活用してくださいね」


 そう言って、影が閉じる瞬間、何かが雪の上に落ちた。イチェルは拾い上げて中身を見ると、血まみれの口元を吊り上げる。そして、口元の血を拭い荷物をまとめると、入り江に向かって歩き出した。

読んで下さって、ありがとうございます。


次回の更新は29日頃を予定しております。

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