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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第12章 大陸の果て
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12-35 神の敵

 肉体と外界の境界線が曖昧だ。体が溶けて液体になったのか、あるいは全身の感覚器官が泥に塞がってしまったのか。


 それが何時から始まり、どれだけ続き、どうやったら終わるのか分からない。感覚の狂いは思考の狂いを生み、記憶がボヤケていく。自分が誰で、ここが何処で、何をしていたのかさえ定かでは無い。


 時間と空間と感覚と思考と記憶が曖昧になったまま、漂い続ける。


 ―――この地獄がいつまで続くのだろうか。


 何百と繰り返した。それとも初めて思ったのだろうか。それすらも不確かな疑問を抱いた瞬間、何もかもが劇的に変わった。極限まで引き延ばされた時の牢獄が、音を立てて崩れたのだ。


 視覚、嗅覚、聴覚、触覚、味覚。泥に浸かったかのように鈍くなっていた全ての感覚が、急速に鮮明になっていく。情報が雨のように全身に降り注ぎ、脳が処理しきれずに爆発しそうだ。


 液体になってしまった肉体が外側から固体になっていき、得られる情報の精度と量が格段に向上してしまい、内側とのズレが生じている。記憶が覚束なく、視界は涙で濡れていた。


 自分がどうなって、どういう状況なのかすら分からない。


 海で溺れてしまった子供のように、混乱して呼吸すら乱れていた。


「動かな…で。浅く呼……繰…返して。大丈…、ここは安…だから、まず…呼…………集中……」


 誰かの声が聞こえた。久方ぶりの刺激が記憶を蘇らせる。


 自分たちは、敵と戦っていたはずだ。それも死闘と呼ぶに相応しい、恐るべき相手と戦っていた。


 ならば、この声は敵なのかと警戒するが、すぐに別の感覚が違うと否定した。


 誰なのかは分からないが、自分のすぐ傍で懸命に呼びかけている声の主は、敵じゃない。苦楽と生死を分かち合って来た《神聖騎士団》のメンバー同様、自分の命を預けるのになんら不安の無い相手だと、心が断言している。


「仲間……僕の……仲間は?」


 かすれた声がどうにか言葉を作る。傍に居る誰かは、すぐさま答えた。


「大丈……。レ……が診……る。流石…『聖女』ね。魔法……………都市……らこそ、多様な……薬を用意…………………、準備…良いわ。それ…使って、重傷者の手当を……いるわ」


 聞こえてくる声には、自分を安心させようとする響きがあった。


 一瞬、気色ばんだ精神が安定したが、すぐさま記憶が別の存在を思い出させた。


「奴は……どうなった。……ジャイルズは。ゲオルギウスは」


 そう、自分は、自分たちはこの北方大陸の奥深い場所で二体の魔人を相手に戦っていた。


 六将軍第二席ゲオルギウス。


 六将軍第五席ジャイルズ。


 湖の中心で待ち構えていた魔人を相手に、戦端は開かれ、《ロード・トゥ・ヘヴン》を発動して氷を砕くと、滅び去った魔人種の都が姿を現した。戦いは苛烈さを増し、ついにジャイルズを追い詰めた所で、強力な魔法が全員を飲み込んだのだ。


 記憶はそこで途切れていた。


 いや、正確に言えば記憶はあるのだ。


 一秒を極限にまで引き延ばした、いつ終わりが来るのか分からない時間を漂う。上下左右の感覚すら消え失せ、ただ生きているという時間だけが終わらずに存在する虚無の空間。


 時の牢獄とも呼べる空間から、ようやく脱出できた。


「あれがシアラ君を閉じ込めていた《アンダンテ・フィールド》か。恐ろしい魔法だ。本当に、本当に」


 終わりが来ないという事実を前に、死を懇願しそうになる。肉体的な死ではなく、精神的な死を対象に選ばせようとする魔法だ。あのまま囚われていたら、いずれ精神的に死んでいただろう。


「ジャイルズも解放されているけど、貴方と同じように時間のズレに苦しんでいるわ。流石に、ワタシやレティの細腕じゃ、アイツを無力化するのは難しいから放置しているけど、いつ復活するのか……いま、ワタシの名前を呼んだかしら?」


「いや、君じゃなくて……もしや、シアラ君かい?」


「ええ、そうよ。《ミクリヤ》所属のシアラよ。お久しぶりね、ローラン様」


 まなじりを優しく拭われ、涙で塞がっていた視界が開けた。傍に居た少女の金色黒色の瞳は、紛れもなく、南方大陸で別れを交わした少女の特徴と合致していた。


 シアラを目にしたことで、記憶の蓋が次々と開いていく。


「そうか。君が居るということは《ミクリヤ》の皆も北方大陸に上陸したのか。奴等、ゲオルギウスたちと戦うために」


「いいえ、ワタシたちが来た目的は違うのだけれど。……それよりも、ローラン様。意識がハッキリしているなら、ワタシの話を聞いてちょうだい。いま、主様がそのゲオルギウスと戦っているの」


 声に緊迫した色が乗り、ローランは知らずに拳を握っていた。まだ感覚のズレは治っていないため正確には分からないが、地面が揺れて、空気が悲鳴を上げている。どこかで誰かが戦っているのだ。


 どうやら、自分が時の牢獄に捕まっている間に戦いは佳境を迎えていた。


「出遅れてしまったかな。現況は? どちらが優勢なんだ」


「不明よ。でも、こっちは打てる手は打ち尽くして、もう何も思いつかないの。どうにか、ゲオルギウスに食らいついているけど、主様がどれだけ持ちこたえるのかは誰にも予想が着かないの」


「そうか。なら、行くしかないな」


 話を最後まで聞かずに、ローランは決断した。


 聞きたいことは山ほどあった。肉体は完璧とは言えず、五感は酩酊したかのように正常な反応を示さず、残された力もさほど多くは無い。


 それなのに、ローランは躊躇うことなく、死地へと歩みだそうとしていた。


 折れた骨が突き出た足を動かさず、無事な足と腕を使って立ち上がると、傍に落ちていた大剣を拾い上げた。頑丈さだけが取り柄の金属の塊は、むしろ持ち主よりも頼りになりそうだ。


「まだ、使えるな。……レイ君の援護に向かう前に、まずは相手の戦力を確実に削ごうか」


 《アンダンテ・フィールド》の影響はまだ燻っているのだろう。緩慢な視線は敵を求めて彷徨い、蹲っているジャイルズを見つけた。魔人は急所を守るように手足を畳んで、石のように丸くなっていた。


 ローランは大剣を杖にして、折れた足を引きずりながら近づいていく。シアラが支えになろうとしたのを、ジャイルズが動ける場合を想定して断った。


 時の牢獄に閉じ込められる直前と、都市の空気は全く違っていた。煤が舞い散り、衝撃波があちこちで爆発し、建築物が土埃を上げて崩れていく。レイとゲオルギウスの激突が生み出す余波だろう。


 レイが、あのゲオルギウスを相手にここまでの戦いを繰り広げられるようになったのかと素直に驚いていた。南方大陸で出会ったときは、強くなる可能性は見いだせていたが、それを引きだすだけの意志が足りないと思っていた。


 レイは世界救済を託されなかった『招かれた者』。


 そのためか、戦うための理由が自分の中には無く、常に誰かを守るためや、誰かの思惑に乗せられて剣を振るっていた。悪く言えば、流されるままに戦いの渦に飲み込まれていた。


 それはそれで悪いとは否定できない。レイ本人の性格も絡んでくる問題だ。


 レイの性格はローランにとって好ましい。他者のために剣を振るえるのは稀有な仁徳だ。


 だが、その性格ではこれ以上強くなるのは難しいだろうとも思っていた。同時に、強い覚悟を胸に抱けるようになれば、ほかの『招かれた者』同様に強くなる可能性もあると考えていた。


 過去の『聖騎士』たちの力と記憶を継承しているローランは、そこに一つの真理を見出していた。


 人が人の限界を突破するのは、自らの中に強い覚悟があるからだ。


 二十五歳で死を迎える呪いを受け継いだ先代たちは、覚悟の種類はあれど、どれも強い覚悟を身に宿して戦い抜いた。


 野望、目的、信念、希望、願望。どんな物でもよい。折れない覚悟があれば、人は強くなれると、ローランは考えていた。


 自分にとってのそれは、ただ一つ。


 神の敵を打ち滅ぼすべし。


「許せとは言わん。動けない貴様を一方的に誅殺するのを悪だと断じるなら、それでも構わない。六将軍第五席、魔人ジャイルズ。貴様が13神の敵である以上、我が刃に迷いはない!」


 ローランは体を捩じり、杖のように使っていた大剣を振り回す。丸くなって蹲るジャイルズに向かって死を運ぶ刃が迫り―――巨大な力が都市を震わした。


 奇しくも、時を同じくして六将軍第二席ゲオルギウスに向かって、レイの《赤龍天穿咆哮》が放たれた。天に向かって放たれた赤龍のブレスが都市を紅と漆黒に染め上げた。


 巨大な力の塊が出現したことで、ローランの鍛え抜かれた戦闘本能は、正体不明の攻撃に警戒するように体に警告を送ってしまった。


 大剣の速度が僅かに緩む。


 その僅かな遅延が、ジャイルズの命を繋いだといっても過言ではないだろう。


 首と頭を守っていた腕が透明な武器を伴って大剣を受け止める。ローランの膂力をまともに受けた魔人の体は地面から持ちあがり吹き飛んだ。


 あわや、建築物の壁に叩きつけられるところだったが、軽業師のように空中で態勢を整えると、ジャイルズは壁を足場に飛んだ。


 衝撃音が広場に響き渡り、反動で壁が砕け、魔人と『聖騎士』は時の牢獄によって邪魔された死闘を再開した。


「ひひひひ! あぶねぇ、あぶねぇ。危うく、おっ死ぬところだったぜ。いいのかい? 『聖騎士』なんて御大層な看板を背負っている人間が、抵抗できないやつを一方的に殺そうとするなんて。先代たちが化けて出るんじゃねえのか」


「かもしれん。貴様の首を確実に獲れる機会を棒に振ってと、お叱りの言葉を受けるだろうな」


「……忘れてたぜ。『聖騎士』ってのは、ごりごりの武闘派集団だった」


 軽口をたたき合う間も、ローランとジャイルズは鎬を削る。互いの武器が激しく打ち鳴らされ、互いの命を奪おうとせめぎ合っていた。


 その戦いに割り込む様に、弓使いの矢が飛び込んでくると、ジャイルズが大きく飛び退った。そして、そのまま壁を蹴ると、ローランたちの頭を飛び越え、広場の宙へと飛び出した。


「逃げるのか!?」


「流石に状況が悪い! あっちの状況も気になるしな。てめぇは、その足じゃ追いかけてこれないだろ。じゃあな!」


 最初から決めていたのだろう。ジャイルズは何の未練もなく広場を脱出しようとする。


 ローランは追いかけようとするも、折れた足が文字通り足を引っ張った。


 動けない彼に真っ先に近づいたのは、《神聖騎士団》で最も大柄な盾使いだ。男は盾を投げ捨てると、ローランの背中や腰を、米俵を持つように掴んだ。


 それだけで、何をしようとしているのか理解した『聖騎士』は一言、告げた。


「やってくれ!」


「うおおおおおおおおおお!」


 獣じみた咆哮と共に、盾使いはローランを掴んだまま何回も回った。遠心力がローランを引っ張り、タイミングよく手が離れた。まるでハンマー投げのハンマーのように放物線を描くローランが、その軌道上でジャイルズに追いついたのは間もなくのことだった。


「はぁ!? どういう理屈だ、それは!」


「追いついたぞ、ジャイルズ!」


 再び、ローランとジャイルズの武器がぶつかり合うが、先程とは状況が違う。ジャイルズは武器を構えているだけだが、ローランは己の力に遠心力で発生したエネルギーが加味されている。


 瞬間的にパワーが向上した一撃はジャイルズの軽い体を瓦礫の山に叩きつける。そのまま、ローランの体は半壊した都市の上を越えていき、先程とは別の広場に着地した。


 負荷が無事な足に全て掛かる。体の内側を駆け巡る痛みに苦悶の声を上げそうになるのを我慢した。なぜなら、そこには助けなければいけない仲間と、倒さなければいけない敵が居るのだ。


 彼らの前で弱みを見せるのは、『聖騎士』として許されない。


 記憶にある姿よりも手酷い姿となっているゲオルギウスが、忌々しそうに呟いた。


「……来たのか」


「ああ、来たとも」


 レイを背中に庇い、大剣をゲオルギウスに向けた。


「《神聖騎士団》リーダー。『聖騎士』ローラン。ここに推参」


 同時に瓦礫を吹き飛ばしながらジャイルズが身を翻し、大剣とゲオルギウスの間に滑り込む様に現れた。


「ひひひひ! こいつは笑い事じゃなさそうな状況じゃないか。なあ、ゲオルギウスの旦那」


 問いかけにゲオルギウスは答える余力が無いのか無言だった。


 《アンダンテ・フィールド》が発動するまでの戦いで、ゲオルギウスの心臓を二つ奪うことに成功した。わき腹深くに入りこんだ傷は、ローランが付けた傷である。だが、その時と比べても、今のゲオルギウスの姿は弱々しい。


 青白い肌は蒸気を発した火傷に覆われ、肩口の切断面にはむき出しの骨や肉が顔を覗かせ、靴を落としたかのように足首より先は無くなっている。


 咽かえるような血のにおいに混じり、死臭が漂っている。


 六将軍最強と呼ばれた男が、死の淵に立っているのだ。それを驚くなと言うのは無理がある。


 同時に、レイの姿も筆舌にし難い。


 瓦礫の山に横たわり、身動き一つ取れないのは全力を出したせいなのだろう。おびただしい傷口は焼いて塞いでいるのか、乾いた傷口が逆に痛々しい。伽藍洞のような色の瞳が、肉体面よりも精神面での摩耗を物語っている。恐らく、この結末に至るまでに《トライ&エラー》を何度も使ったのだろう。


 生命の気配が希薄になりつつあるレイが口を開く。


「遅いですよ……ローランさん」


「済まない、レイ君。《アンダンテ・フィールド》の影響で、動ける様になるまで時間が掛かってしまった。だが、ここからは大丈夫だ」


 言葉と共に、複数の影が瓦礫の山を越えて姿を現した。


「ここからは僕たち『神聖騎士団』が相手する」


 時間のズレを抱えつつも、ここに現代最強の冒険者集団が集結した。

読んでくださって、ありがとうございます。


次回の更新は23日頃を予定しております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 熱い!! [一言] 槍使いもそうでしたが、書かれる物語上では名前や大きな個性が明かされない無名状態の盾使いが、それでもこの戦いに立つに足る能力を咄嗟の判断で証明してる気がして凄く熱いです……
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