3-6 精霊祭 一日目〈Ⅵ〉
シュウ王国首都アマツマラ。高所に位置する城から見下ろして左から二番目の城門が音を立てて閉まる。外からは閉まった事への嘆きと怒りの怨嗟が響き、内からは閉まった事で安全圏に入れた喜びと門の外に置き去りになった人への動揺が広がる。
皆突然の襲撃に疲れ切っており、誘導の兵士の声に耳を貸さず自分や友人、家族の無事を祝い、逆に突然の喪失に悲嘆し足を止める。
その中を金髪の少女が走り回る。背中まで伸びた真っ直ぐな髪が乱れ、顔には焦りが浮かんでいる。青い瞳は群衆へと注がれていた。
「居ない、……ここにも居ない!」
息を乱しながら彼女の唇から呻くように言葉が出る。リザはそれでもと震える足を動かして自らの主人―――レイを探す。だがエルドラドでも珍しい黒髪の少年の姿は城門の内側には見つからなかった。
「お姉ちゃん!」
同じように息を乱して駆け寄った栗毛色の少女はいつもの愛嬌は影を潜め、エメラルドグリーンの瞳に怯えを抱いている。レティはリザに勢いそのまま飛びついた。
妹を抱きしめた姉は、
「ご主人様は!?」
と、短く問いただす。だが、レティは首を横に振って答える。彼女もまた見つける事が出来なかった。
二人の間に焦燥だけが募る。
すると、その二人に走り寄って来る人影があった。奴隷商のハインツだった。常に口に咥えていたパイプは姿を見せず、彼も焦ったようなそぶりだ。
「おい、お前ら! ワシの奴隷を見なかったか!? 黒髪の少女と幼子なんだ! はぐれちまったようなんだが」
開口一番、彼は二人に問いかけた。しかし、リザとレティは首を横に振るしかなかった。子供はともかく黒髪はレイと同じ髪色。例え別人だとしてもこの界隈に居れば目につくはず。
肩で息を整えた奴隷商人は視線を閉ざされた門の向こうへと飛ばす。
「だとすりゃ……やっぱり城門の外か」
いまも固く閉ざされたままの門を睨みながらハインツは呻いた。
「ところで、レイの奴はどこに行った?」
「私達のご主人様も恐らく門の外です」
「そいつは……マジか」
ハインツは困った様に天を見上げた。晴れた青空が逆に恨めしかった。すると、リザが一人閉ざされた門へと近づこうとする。
殺気を漂わせる姉の姿に焦りを覚えた妹は彼女の手を掴んだ。
「お姉ちゃん? 何をしようとしてるの?」
「放しなさい、レティ。門を開けてご主人様を迎えるのです」
至極淡々と彼女は答えた。口にした内容と態度の温度差にレティは一瞬冗談を言われたのかと思ってしまう。だが、本気だと証明するかのようにリザは歩を進める。
彼女は外の人々を見捨てて閉まった門へと殺到する群衆へ歩みを止めない。ようやくリザが本気だと気づいたレティは姉の進行方向に回り込んだ。
「一回落ち着いてよ! お姉ちゃん!」
両手を横に広げ姉を睨む妹の姿にリザはやっと歩みを止めた。
「ご主人さまの事が心配なのは分かるけど、ここで門を開けてどうなる? モンスターが押し寄せて人が傷つく方がご主人さまは悲しんじゃうよ」
「……そう……ですね。……ごめんなさい。少し頭に血が上っていたわ」
リザは一度大きくため息を吐くと門に入る前に兵士が言っていたことを思い出す。
「たしか……正面の門ならまだ開いていると兵が言っていたわ。……ご主人様もそちらに向かったかもしれない」
「そうだよ! あたしたちが無事って事はご主人さまはまだ無事って事だから早く迎えに行こうよ!」
姉妹は頷きあうと思案顔のハインツへと振り返った。
「ハインツ様! 私たちは主人を迎えに正門へと向かいます。ですので、ここで別れたいと思います。宜しいでしょうか?」
「あ……いや、ちょっと待ってくれ!」
護衛を頼まれた以上、護衛対象から離れるのだから筋を通すべきと思いリザは告げたが、ハインツは何やら慌てた様に後ろへと振り返った。
そこには奴隷を囲うようにハインツの部下たちや冒険者が固まって座っている。
「婆! ワシは今から正門に向かって残りの奴隷を迎えに行く。お前らは兵士の避難誘導に従ってくれ。護衛の衆。二人ばかりワシに着いてきてくれ、残りは婆に」
指示を飛ばすと疲れ切った彼らは億劫ながらも立ち上がり兵士の誘導に従い上へと続く坂を上り始めた。ハインツは冒険者二名を脇に固めてリザ達の所へと戻ってきた。
「ワシもワシの奴隷を探しに行く。もしかしたらレイと共に正門に現れるかもしれん」
「分かりました。それでは行きましょう」
リザが先導する形で彼らは正門へと走り出した。
「うわぁぁぁぁ! た、助けてくれ!!」
僕らの先を走っていた男性がレッドパンサーに圧し掛かられて動けなくなっていた。僕は咄嗟にバスタードソードを振るう。だが、ガキリ、と金属を切り裂いたかのような音に阻まれる。
「ちぃっ! またかよ!」
舌打ちと共に剣を手放した。僕は左拳を握りしめ、炎鉄の手甲を打撃武器へと変化させると拳を振るう。怪物の胴体を守る鎧と拳が当たる刹那に意識を集中させて精神力を込めた。
左拳に鉄が砕ける音と肉にめり込む感触が伝わった。精神力を込めた手甲は威力を一段上げ、レッドパンサーの鎧を打ち砕いた。
だが、浅い。
レッドパンサーは空中に吹き飛ばされてもすぐさま態勢を立て直した。しなやかな四肢で着地するなり僕へと吶喊する。
心の中でバスタードソードを手放したのは早計だったと後悔しつつ右手でダガーを抜き逆手に持つ。
(重要なのは……タイミングだ!)
僕は吶喊するレッドパンサーに合わせる様に前に進む。低く、這うように。
勝負は一瞬だった。
地面すれすれまで倒れ込みながら僕はレッドパンサーの喉元にダガーを押し込んだ。後は簡単だった。勢いがついた怪物は止まる事ができずにそのまま直進し、ダガーを受け入れるしかなかった。
嘗てバジリスクを倒した時と同じ光景がそこにあった。縦に腹を切られたレッドパンサーは血と臓物をまき散らして死んだ。
地面に倒れこんだ僕は背中に生暖かい物を感じながらも周りを見渡す。どうやらこの辺りに居たのはこいつだけだったようだ。ダガーを鞘に仕舞うと物陰から様子を伺っていたシアラがバスタードソードを拾ってやって来た。
彼女はいま、気絶した子どもを背中に抱えている。
「はい、これ。……まったく随分と血まみれになったわね」
「ありがと。目とかにかかってないから大丈夫だよ」
「馬鹿ね。モンスターの体液は同種を呼び寄せるわよ。ちょっと待ってなさい」
彼女は言うなり僕に掌を向けた。
「《器を満たせ》、《ウォータ》」
すると、僕の頭上にバケツ一杯分の水の塊が浮かび上がり―――落ちてきた。ぱしゃんという音と共に全身がずぶ濡れになる。
「これで良し」
満足そうに頷いた彼女はふと、視線を下へとずらした。そこにはレッドパンサーに襲われていた男性が居たはずだった。
でも、今は誰もいなかった。無論、死体も無かった。
「どうやら礼も言わずに逃げたみたいね。……これだから人間種は」
吐き捨てる様にシアラは言う。その横顔は侮蔑の表情を浮かべながらも、裏切られた子供のよう悲しげに見えた。
僕が彼女のそんな表情を見ていると、急に視線があった。金色黒色の瞳はきつく僕を睨む。
「なに? ワタシの顔に何かついてる?」
「あ、いや……この緊急事態だ。自分が一番と思うのは無理も無いだろ」
「この緊急事態だからこそよ。人の持つ本質が浮き彫りになってるでしょ。偽りの仮面で着飾っていた者ほど汚い素顔をさらけ出す」
まさに正論だった。奴隷を囮に助かろうとする貴族。恋人を見捨てた者。足手まといの怪我人を置き去りにした人。正門に向かうたび、そんな光景に出くわしてしまう。
そのたび、自分の心が締め付けられる思いだった。
「……まあ、いいわ。早く行きましょう」
歩みを再開したシアラに遅れて僕も動き出した。
僕らの前で門が閉まってから正門へと向かう道のりは厳しかった。場外へと姿を現した兵士たちは隊伍を成して広い通りの安全から確保しだした。
方形の人が隠れるほどの大きさの盾はレッドパンサーやゴブリンの攻撃を弾き飛ばし、槍衾はモンスターの死骸を築く。だが、それは集団だからこその強さだ。
彼らは通りの安全を確保する以上の事は出来なかった。そこから派生する様に伸びる細い通りや狭い道では隊伍を築けず、迂回して背後から現れるモンスターに対処できないと判断したのだろう。門の前に陣を引いてそこから動かなかった。
そうなれば狡猾なモンスターたちは何を狙うか。答えは簡単だった。奴らは門から門へと走る人々を横合いから襲撃していった。
気絶した子供を抱えた僕らは走る事ができずに慎重な足取りで進む。すでに多くの人が僕らを抜き去り、骸となって待ち構えている。その地獄のような中を歩いて正門へと向かう。
道中、何か話していないと気が狂いそうになった僕はシアラに質問を投げかけた。
「あのさ。君が使ってるのは旧式魔法だよね」
「ええ。そうよ」
背後から敵が来ないか確認をしているシアラは振り返りもせずに答えた。幸運、といっていいのか分からないが、僕らよりも早く正門へと向かった人たちを追いかけてモンスターはそちらへと流れた。
だから今の所、残飯をあさったり足の遅いモンスターとしか遭遇していなかった。これが集団で現れたら僕らはお仕舞いだろう。
「だとしたら詠唱が幾らか必要なんだろ? でも君がそれをしてるようには見えないんだけど」
むしろ、新式魔法よりも詠唱が少ないぐらいだ。僕が目にした旧式魔法はアイナさんがゲオルギウスに放った《バニシングストーム》。これを詠唱している時の彼女は一小節事に心血を注いでいる風だった。でも彼女からそんな様子は見られない。
「その事ね。答えは簡単。ワタシの受動的技能、《詠唱破棄》Ⅱのお蔭。低級や初級なら詠唱しなくても発動できるの……もっとも消費する精神力は割増しになるけど」
「そんな技能もあるんだ―――ってストップ!」
僕は感心したように頷くと、前の異変に気が付いてシアラを止めた。彼女も前方へと視線を走らせる。
最初は獣の唸り声だった。続いて足音が響く。数は複数。一番恐れていた事だ。僕らは視線だけで会話すると迂回する様に建物の切れ目に飛び込んだ。
すでに奴隷市場を通り過ぎた僕らは建物や木箱の積まれた通りを進んでいる。通りを一つ隣に移動すれば、その分城壁から遠ざかっていく。どうやら正門周辺に殺到する人間につられて集まったモンスターが兵士や冒険者に追い払われて周囲をうろついている。
僕らが居なくなった道をのそりのそりと歩くレッドパンサーの体に戦闘でついたと思われる傷が遠目からでも確認できる。
(これはどうしたもんかな)
頭の中で方針を練る。案は二つ。これ以上城壁から離れずに最短距離で正門への大通りへと走り門を目指す。モンスターと遭遇するリスクは高くなるが兵士や他の冒険者と合流できるかもしれない。
次の手は消極策。このまま逆に城壁から離れつつ、大通りを横切り他の門を目指す。閉じた門から人が横に流れていくのに合わせるようにモンスターは集まっている。だとしたらこの付近が一番危険なのかもしれない。脱出だけを念頭において行動するのだ。問題は正門以外の門が開いているかどうか分からない点だ。
すると、考え込む僕を制する様にシアラに背負われた子供が呻いた。まだ、意識は取り戻せていない。傷口は塞がったが医者か回復魔法の使える人に診てもらいたい。だとすればここは。
「シアラ。ここから正門は近いと思う。つまり大通りにも近いはずだ」
僕は自分の考えを纏めながら彼女に作戦を伝える。
「そこには兵士や冒険者もいるはず。少なくともここよりかは安全だと思う。だから―――」
「―――ここは危険を覚悟で強行突破する?」
後を引き継ぐように彼女は口にした。思ったよりも場馴れしている。檻の中で死にたいと訴えていた時とは比べられない程落ち着いている。
シアラは唇の端を持ち上げるとにやりと笑う。
「悪くないわ。それで行きましょう」
「……分かった。合図をしたら走ろう」
結論が出た所で僕はこれから向かう先を睨んだ。両側に商店や木箱が点在する道。疎らに惨劇の跡が残りはするがモンスターの影は無かった。距離にして百メートルほどで正門へと続く大通りのはずだ。
一度深呼吸をして心を落ち着かせた。今なら行けるはずだ。
「行くぞ! シアラ!」
合図と共に、シアラが走り出した。シアラは子供を背負ったままだ。安全の為に彼女を先に行かせてから僕は続いた。
―――同時に、豹の唸り声が背後から響く。
振り返ると、僕らの後ろから三体のレッドパンサーが猛然と追いかけてきた。彼らは体から零れる血を気にも留めずに濁った瞳に殺意を滾らせている。
先程、隣の通りで見かけた奴らだ。僕らに気づいて迂回してきたのか!
「走れ!! シアラ!!」
僕は彼女を追い越しながら細い手を掴んだ。二体までなら二人でもどうにか戦えたかもしれない。でも、三体は駄目だ。確実にどちらかが浮いた一体に狙われる。
シアラを引っ張りながら僕は駆けた。彼女も背後から聞こえてくる息遣いに気づいたのだろう。懸命に素足を動かして走る。肺が軋み、酸素を欲して心臓が暴れる。でも、足を止めるわけにはいかなかった。気配だけで分かる。徐々に、そして確実に距離は縮まっている。
走りながら僕は空いた右手に精神力を込めた。ゴールも目標物もどちらも近い。
「そこの曲がり角で手を放す。そしたら後ろを振り返らずに走れ!」
シアラの返答を聞かずに一方的に告げた。僕らは背後のレッドパンサーに追いつかれることなく曲がり角まで来た。そして僕は宣言通り、彼女の手を放した。
「先に行け!」
シアラの手を放し、勢いがついていた僕は曲がり角に置いてあった木箱を右手で掴んだ。
そして積み上がった木箱を崩した。
精神力を込めた単純な力技。だが、高く積み上がった木箱は通りの出口を塞いでくれる。
僕らを追いかけていたレッドパンサーたちの足が鈍る。その隙に僕も正門へと駆けだした。
だが、程なく足を止める羽目になった。
先を行っていたシアラの横に追いつてしまう。彼女の視線は正門に陣を敷いている兵士と向き合うモンスターの壁を力なく見つめている。
読みが甘かった。まさか、これほどの数のモンスターがここに集結しているとは思わなかった。それに兵士や冒険者たちも積極的に攻勢に転じていない。正門に一定の線を引いてそこから先はモンスターが進めない様に足止めをするばかりだ。
その隙に両翼から避難民を受け入れていく。少なくとも正面から都市に入るにはモンスターの壁を越えなくてはいけない。
焦る僕に追い打ちをかける様に怪物の咆哮が響く。左右の通りを見ればレッドパンサーに騎乗したゴブリンがこちらを指さし、轟音と共に背後では傷だらけのレッドパンサーが姿を現す。木箱の足止めを破ったのだろう。
そして極めつけは正面に壁の様に集まっているモンスターの一部が僕たちに振り返った事だ。どうやら目標を僕らに切り替えたようだ。
少なく見積もっても十は超えるモンスターが僕らを囲うように距離を縮め始める。青ざめた表情を浮かべるシアラが僕の袖を引っ張る。
「ねえ。如何する? 横の奴らをすり抜けて迂回する? それとも……」
その先は続かなかったが彼女の瞳は正面の門を放さない。背負う少年の容体が気になるのだろう。傍にいると彼女の焦りが伝わってくる。
僕は覚悟を決めた。
「シアラ。……今度こそ立ち止まらずにそのまままっすぐ走れ。多分あの壁も一時的に崩れる隙が出来るはずだ。そこに飛び込め。だから何があっても真っ直ぐ行ってくれ」
「何を……言ってんの」
「いいから! 行けよ!!」
叫んだのが合図だったかもしれない。周囲を囲むモンスター立ちが一斉に動き出した。釣られてシアラが駆けだした。僕も彼女の後に続いた。
(こりゃ……ここで死ぬかもな)
半分、諦めながら。それでも二人が生き残れるかもしれない可能性に命を賭けた。
僕の指示に従いシアラは真っ直ぐ走る。相対する様にレッドパンサーが向かってくるのに微塵も足を止めようとはしない。その勇敢な姿に僕は頼もしさすら覚える。
そして、彼女とレッドパンサーが接触する瞬間。
技能を発動した。
「《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
《心ノ誘導》Ⅰ。効果は単純だ。敵対している対象達のターゲットを僕に向ける。だから、この場に居る全てのモンスターの殺意が僕に集まった。
全身を殺意の槍で貫かれたような気分を味わう。生きた心地はしないが成果はあった。シアラに襲い掛からんとしていたレッドパンサーが彼女を素通りして僕へと疾走する。
僕は走りながらバスタードソードを振るう。幸運にも最初の一体は鎧も鞍も着けていない素肌を晒していた。飛びかかるレッドパンサーの胴体にバスタードソードを突き刺した。剣先に固い物をついた感触を味わう。
そのまま、剣に凭れる様に絶命した怪物を後方へと放り投げた。後ろに迫っていたレッドパンサーから悲鳴が上がる。次に迫りくるレッドパンサーに備えた。
正面から迫る敵に対して先んじる様に飛んだ。顎を開けた豹の頭を脚甲で踏みつけ、そこを足場にして騎乗しているゴブリンにバスタードソードを振るった。反撃する暇も与えずに胴体から切り落とされた敵と共に着地した。同時にゴブリンが手にしていたクロスボウが足元に落ちている。ボルトは装填済みだ。
クロスボウを構えた僕は横合いの道から飛び出してくるレッドパンサーの頭を狙った。撃ち方はゴブリンの見様見真似だ。多少狙いからそれたが短い矢は鏃を残して頭蓋に深く刺さる。そのまま力なく地面へと激突した。
騎馬を無くしたゴブリンは着地の衝撃で前方へと放り出された。つまり僕の方へと。
空中を回転しながら迫るゴブリンにタイミングを合わせて剣を振るった。首と胴体を切り離されたゴブリンは僕の背後で音を立てて墜落した。
―――瞬間。
世界は速度を失う。
背後から迫っていた手負いのレッドパンサーが僕の真横まで迫っていた。爪も、牙も、騎乗しているゴブリンも僕の命を刈り取ろうとする一心で動いていた。
スロモーションで迫る敵に対して僕は、ぽっかり開いた顎に向けてバスタードソードを構えた。
そして世界は速度を取り戻した。飛びかかったレッドパンサーはそのまま柔らかい口内へと刃を受け入れ、喉から頭蓋を貫かれ、飛び出した剣先はゴブリンを貫いて両者は絶命した。僕はなんとか致命傷を負う事は回避できた。
だけど、そこまでだった。横からの衝撃を受けて僕の体は弾き飛ばされた。
もう一方の横合いから迫っていたレッドパンサーは動きを止めた僕を鋭い爪で弾き飛ばした。運よく、背負っていた鞄が間に挟んでくれたおかげで傷は浅かった。でも中身が通りに散らばってしまう。その上バスタードソードはまだレッドパンサーとゴブリンを貫いたままだ。
地面を弾む様にに飛ばされた僕は地面を叩く反動で立ち上がった。そしてダガーを構える。残った武器はこれだけだ。
当然の様に追撃を仕掛けるレッドパンサーの爪をダガーで受け止めた。鍔迫り合いは一瞬で決着がついた。更に吶喊してきたレッドパンサーに弾き飛ばされたのだ。鎧が《耐久の加護》を発動してダメージを堪えてくれるが衝撃まで防げない。
後ろへと弾かれた僕は檻の鉄格子へとぶつかった。衝撃で一瞬意識を失いかけた。その隙を突く様にレッドパンサーは更なる追撃を仕掛ける。
咄嗟の判断だった。僕は樽を蹴り上げて積み上がった木箱の上に退避した。レッドパンサーたちは呻きながら木箱の周囲をうろつく。どうやら此処まで飛び上がるのは無理なようだ。周りを見渡してもクロスボウを持ったゴブリンの姿は無い。
(これは……助かったのか?)
ホッとして、思わず座り込もうとしたが―――そうは上手く行かなかった。がきんと、いう音と共に塔のように積み上がった木箱が傾き始めた。
見ればレッドパンサーたちが距離をとって疾走し、その勢いで木箱を抉っていくでは無いか。
「そりゃそうだよな! 木箱ぐらい簡単に壊してたじゃないか!」
自分の失態に殺意を抱きそうになる。だが、状況は僕の悔恨を待ってはくれない。瞬く間に足元は斜めに傾く。僕は木箱の端を掴んだが、このまま下に落ちるのは時間の問題だろう。
待ち構える五体のレッドパンサーたちは殺気立った瞳をこちらに向けている。
(ここで死んで……もう一度やり直すのか!?)
ここまで犠牲者は出たものの順調に生き残っていただけに悔しさが残る。だが、ここから逆転する術は僕には残っていなかった。
―――そう、僕には。
「《器を満たせ》」
この殺伐とした場に相応しくない透明な声が響いた。僕へと意識を向けていたレッドパンサーが声の発生源へと振り返り、僕も彼らの視線を追った。
そこにはターコイズブルーの宝石を頂き抱く杖を握ったシアラが立っていた。彼女は優雅な身ぶりで杖を怪物たちへと向けた。
金色黒色の双眸が輝いている。
読んで下さって、ありがとうございます。




