12-18 迂回ルート
刃のように冷たい吹雪が湖上で吹き荒れる。
人どころか、寒冷に耐え得るモンスターでさえ凍り付く吹雪の中で、ゲオルギウスは待ち構えていた。吹雪ではためく白い外套は魔人種の血を染みこませた即席の魔道具で、気配を限りなく遮断できるが、冷気から身を守る効果は無い。
薄布一枚という防寒具としては頼りないのだが、ゲオルギウスは然して気にした様子を見せずにいた。
驚くべき事に、体の芯まで凍らせるような吹雪が、ゲオルギウスの周囲では溶けているのだ。
彼の体から立ち上る熱気が、北方大陸の過酷な環境すらねじ伏せていた。
少し前の激闘による負傷は癒えていないが、その熱が魔人を滾らせていた。
フードを目深に被り、まるで眠るかのように瞼を瞑っていたゲオルギウスだが、何かに反応したのか手にした槍を僅かに強く握った。
ゆっくりと開いた金色の瞳は、南の方角を見据えていた。
「……逃げるのか、レイ」
ポツリと呟いた言葉は、当然だがこの場に居ないレイには届かない。だが、ゲオルギウスは誰にも届かないと承知の上で続けた。
「どうやら、死に戻りの力が発動したようだな。前の私……頭が狂ったかのような表現だが、前の私は計画通りに事を進めたらしいな」
魔人は湖上に立つと意識を集中する。途端、彼が魔法で操っている吹雪の、雪の粒を通じてレイ達が居る場所が、脳裏に浮かび上がった。
シアラ達の推測通り、魔法で吹雪を生みだすことで、ゲオルギウスは周囲の状況をある程度まで把握していた。クリストフォロスが使用する《ウィンドウ》のように、今ある遠方の光景を転写する魔法ほど正確ではないが、大よその距離や数、周囲の地形などが潜水艦のソナーのように頭の中に浮かび上がる。
驚くべきなのは、魔法を長期間持続できるコストパフォーマンスの良さだ。
北方大陸の半分近くをカバーできるのに、一週間以上魔法を持続できるほど燃費が良いのだ。
ゲオルギウスは、レイ達が入り江に上陸してから、最短ルートを使い北上しているのを最初から監視していた。
夜を迎える前にサブヴェーニエストラナー湖に到着し、あと数時間もすればこちらの行動範囲まで近づくだろうと予測を立てて待ち構えていた。彼らの目的がポラリスの復活である以上、余計な遠回りや、ましてや撤退をするはずが無い。
それにもかかわらず、レイ達が撤退した。
不自然で、不合理で、違和感だらけの行動。普通なら様子を見たり、考え込む場面だが、ゲオルギウスは事前の計画通りだと同胞を褒めたたえた。
「流石はクリストフォロスだ。時を操る怪物が相手でも、貴様の智謀は曇る兆しすらしない」
ゲオルギウスは槍を氷に突き刺すと、外套を脱ぎ捨てた。貴重な魔道具となった外套が風に運ばれて何処かへと流れていってしまうが、気にも留めない。
ゲオルギウスを魔人たらしめる両肩の口が同時に開くと、途端に吹雪が止んだ。
「《天よ逆巻け、地よ沈め》」「《世界は廻る、時は流れる》」
ゲオルギウスとは違う声が辺りに響き渡る。この場に、シアラとエトネが居れば、それぞれ違う理由から同じ反応を示しただろう。
ゲオルギウスの両肩にある口から紡がれる詠唱が、どんな魔法を生みだそうとしているのか。
「《海は干上がり、星々は消える》」「《されど、全てを止める錨はここにある》」
ゲオルギウスの体内から抽出された精神力の巨大さから、どれだけ高威力の魔法が使用されようとしているのか。
「《万物全てを打ち滅ぼす、其は災いの星なり》」「《錨を突き刺し、世界を押し留めろ》」
誰にも邪魔されず、誰にも止められないまま、二種類の旧式超級魔法が完成してしまった。
「《スタークライシス》」「《ワールドアンカー》」
力を持つ言葉を紡ぎ、魔人は世界を震わせた。
異変は、遥か遠くで起きた。
指定範囲の空間を外界から遮断する魔法と、指定範囲の空間を文字通り消滅させる魔法の同時併用。
どちらも、指定範囲が数メーチル程度しかなく、膨大とも呼べる精神力を消費する欠陥魔法とされ、学術都市ですら記録の片隅にしか残していない古い魔法だ。
だが、組み合わせて使えば互いの欠点を補い、複数人を同時に、確実に殺害できる恐るべき魔法となるのだった。
吹雪で位置を探れなくなったゲオルギウスは、遠くで起きているであろう惨劇に向けて、他人事のようにエールを送った。
「さて。頼むから、死に戻ってこい。なにしろ、奴が綿密に練り上げた珠玉の計画がまだ残っているんだ」
★
二度目の死に戻りを体験したシアラが、眉を吊り上げて高らかに文句を口にした。
「冗談じゃないわよ、まったく! 旧式超級魔法の同時詠唱なんて、どういう神経してればやりおおせるってのよ。右手で絵を描きながら、左手で詩を作りながら、綱渡りをしているようなものじゃない」
「その例えが的確かどうか判断は付きませんが、貴女が相当ご立腹なのだけは伝わります」
「……冷静な対応をしないでちょうだい、クロノ。これじゃ、ワタシが空回ってる風にみえるじゃないのよ」
拗ねた物言いになるシアラを窘めるクロノ。それを見て、風よけ代わりになる荷物に背を預けていたレティがくすくすと笑った。
二度目となる湖渡りでも、三人はキュイが曳くソリに乗って移動していた。周りを囲むレイ達の隊列は変わらないが、進行方向は一度目と違っていた。
「それにしても、ご主人さまが逃げるって言い出した時は、かなりビックリしたなぁ」
「ワタシもよ。今までの話の流れを全部断ち切って、どうかしたの、この人って思ったわ」
「私は記憶を引き継いでいませんが、その場に居たら同じような反応をしたかもしれませんね。ですが、無意味な行動ではありません」
話題は前回の結末だ。待ち構えているゲオルギウスをどうするのかという対策会議の最後に飛び出たのが、レイの逃げようか、という発言だった。
最初は驚きと困惑に満ちた雛馬車だったが、レイの説明を聞く内に逃げるという選択肢がそれほど的外れでは無く、今の状況下で打てる最善手であったと思うようになった。
「逃げる目的は幾つかあるけど、とりあえず、一つ目がこの吹雪」
レイは馬車の幌を叩く吹雪を指差した。
「この吹雪が本当に僕らの位置を把握しているのかどうか、あるいは何かしらの手段で位置を把握しているのか確かめたい。本当にゲオルギウスが僕たちの位置を察知しているなら、逃げようとすれば何らかの反応をするはずだ」
「そうね。ワタシ達の位置を知っているかどうかを確かめるのは重要ね。位置を知られているなら、それを誤魔化す為の方法を考えたり、あるいは位置を知られている事を逆手に取った作戦もやれるわね」
「それが一つ目の理由ですか。それで、他の理由は何でしょうか?」
「二つ目は、ゲオルギウスと戦う場所を変えたい。できるなら、もっと有利な場所で戦いたいんだ」
この意見に同意したのはリザとエトネだ。
レイ達がゲオルギウスの奇襲を受けたサブヴェーニエストラナー湖は遮蔽物が全くなく、吹きっ晒しの氷上。視界を埋め尽くす吹雪が止めば、身を隠すことも、逃げることもできない。
格上を相手に戦いを挑むにはあまりにも不利な地形なのだ。
「もっと狭い場所や、足場の悪い場所に引き込めれば、アイツも魔法を使いづらくなるはずだ。クロノやヨシツネだって、遮蔽物を利用すればゲオルギウスの集中を削る援護だってできるようになるはずだ」
「ゲオルギウスほど場慣れした戦士が、不利な地形に飛び込んでくるかどうは置いといても、あの場所で戦うのはこっちに不利なのは間違いないよね。理由はそれだけ?」
「あとは、ゲオルギウスの狙いを確かめたい」
レイの口から出た曖昧な表現が理解できないと、リザ達は視線を向け合った。
「狙い。それはやはり、レイ様自身では。学術都市の戦いでは、『魔王』フィーニスは並々ならぬ興味をレイ様に向けているようでした。今回も、レイ様を捕獲するために、この地まで来たのでは?」
「違う、違う。そういう意味の狙いじゃなくて、どっちかというと方針だ」
益々わからないとばかりに首を傾げるリザに対して、レイは言葉を重ねた。
「前回の戦い。ゲオルギウスは僕を戦闘不能に追い込み、混乱するパーティーを各個撃破して、全員を生け捕りにしようとしていた。だけど、エトネとコウエンの反撃を受け、満足に戦えなくなったアイツは方針を変えたんだ」
「生け捕りを諦めて……リザを殺した、と」
「……ちょっと待って。リザを殺したのは、事故じゃなくて、きちんとした方針があっての行為だっていうの?」
「ああ。聞き違いかと思ったけど、アイツはハッキリと、計画通り戦奴隷を殺したと呟いたんだ。僕の想像だけど、リザが死ぬ事で、死に戻りが発動するかどうかを確かめようとしたんじゃないかな」
かつて、学術都市での戦いでフィーニスは配下のジャイルズに対して、レイの仲間を殺さないように命じていた。学術都市の戦いと状況が違うため、方針が変わった可能性もあったが、『魔王』フィーニスがレイに対して異常なまでの執着を示しているのを考えると、命令は変わっていない可能性が高い。
実際、ゲオルギウスは片手片足になっても、エトネたちを殺さずに戦闘不能に追い込んでいた。それなのに、リザを手に掛けた時は動揺や焦りの色は浮かばず、淡々と殺したという事実を確認していた。
戦闘中に急に起きた方針転換と戦奴隷を殺すという計画。
そこから導き出された可能性に、シアラの表情が曇った。
「……つまり、こういう事かしら。生け捕りが不可能だと判断したら、死に戻りの力を利用して状況を振り出しに戻そうと事前に決めていた可能性がある、と」
「僕は、そう思った」
レイとシアラの結論に一同は顔色を変える。
これまで、途方もない数のモンスターや遥か格上の強敵。あるいは常軌を逸した力を持った怪物や、尋常ならざる能力を持った敵などを相手にしてきた。
強敵たちからレイ達が生き延びれたのは《トライ&エラー》の恩恵が大きいのは間違いない。
その力を相手が利用するというのは、前代未聞の展開だった。
「厄介だね。自分の目的が失敗したのを回避するために、《トライ&エラー》を利用するなんて」
「リセットボタン扱いだな、僕は」
「……どういういみ?」
意味が通じなかったエトネに何でもないと返すと、レイは自分の考えを続けた。
「多分、ゲオルギウスは幾つもの計画を用意しているんだと思う。アイツの最終的な狙いはともかく、僕達を殺さずに戦闘不能に追い込むのが目的だ。そして、その目的が達成できないと判断したら、僕を殺して死に戻りの力を発動させて、状況を一からやり直そうとする」
「そうなると、他にどんな計画を用意しているのか気になりますね。……ああ、それで先程の発言と繋がるのですね。私達が逃げ出したら、ゲオルギウスがどんな行動を取るのか。どんな計画を練っているのか、反応を確かめたい」
クロノの言葉にレイは頷いた。
「ゲオルギウスの奇襲を回避したとしても、あそこで戦うのは僕等にとってかなり不利だ。片手片足まで追い込んでも、リザは殺された。悔しいけど、ゲオルギウスと正面からぶつかっても勝ち目は少ない。だから、ゲオルギウスの裏を掻きたい。アイツが予想していない行動をして、出来た隙を狙いたいんだ」
結局、渋るイチェルを無理やり説き伏せて南に向かって転身したレイ達だが、三十分も経たずに死んでしまった。吹雪が止んだと思った瞬間、超級旧式魔法を喰らい、パーティーは全滅した。
死に戻りのイタミは凄まじかったが、それでも幾つかの収穫はあった。
「やっぱり、ゲオルギウスはワタシ達の位置を把握していたし、あの場所を動くこともできないぐらい弱っていたわね」
かつて、太陽が昇り沈むまでの間に大陸の果てから果てまでを走破したと言われているゲオルギウスが、魔法でレイ達を殺したというのは無視できない事実だ。
確かに、旧式超級魔法は殺傷能力が高く、不意打ちのように放たれると回避するのは難しい。だが、魔法に関する研究は続けられており、魔法を防ぐための魔法も開発されている。ゲオルギウスが使った魔法が書庫の片隅に眠っているのは、対抗策が研究されつくしたという理由もあった。
既に、シアラの脳裏にはどのように魔法を組み合わせれば対抗できるのか、具体的な方法が完成していた。
経験を積み重ねることこそ、死に戻りの強みである。
「ゲオルギウスなら、死に戻りによって情報を蓄積される事の恐ろしさを理解していないはずが無い。魔法を使って攻撃するなんて、これからワタシはこんな魔法を使いますっていう情報を相手に教えている。自分の手札を公開するのと一緒よ」
「戦力差を考えれば、実は力押しで来られるのが単純だけど一番効果的で対処方法が思いつかないよね。そして、それぐらいゲオルギウスも気づいているはず」
「そうしなかったのは、ゲオルギウスが湖を越えて移動できるだけの体力が無い、というシアラの推測はあり得るかと思います」
「ええ。……あるいは、アイツからのメッセージかもね」
「メッセージとは?」
同じ魔人種にしか分からない符丁でも仕込まれていたのかと訝しむクロノに、シアラは心底嫌そうな顔をした。自分を氷漬けにして放置した敵の思考を理解してしまうのが、よっぽど嫌なのだろう。
「逃げるなら殺す。自分の足でここまで来い、っていうメッセージを魔法に籠めたのかも」
「それは……理解しろというにはあまりにも強烈な内容です」
否定とも肯定とも取れる曖昧な返答に、シアラも同意する。
ともかく、これで一つ分かった事がある。
ゲオルギウスは湖を離れるつもりが無い、という事だ。レイ達を仕留めるのに超級旧式魔法を二種類も使ったのは、実力差をひけらかす以外に、確実に殺せるようにするためだろう。
今回の戦いは、ゲオルギウスの思考を読むのが重要になる。
湖上で待ち構えているゲオルギウスが、どんな勝ち筋を狙っているのか。そのために、どんな罠を用意しているのか。どんな魔法を使えるのか。どうやれば、意表を突いて突破できるのか。
相手の用意したカードを一枚ずつ暴いていき、全ての情報が出そろった時に、ようやく逆転の道筋が浮かび上がる。それまでは、とにかく死を積み重ねて、ゲオルギウスの思考を読まなくてはいけない。
そこで、二度目の湖越えはルートを変えた。
ゲオルギウスの奇襲を受けた一度目の湖越えでは、帰還可能境界線に対して真っ直ぐ北上していたが、今回は北東に進路を取っている。湖の縁を沿うように、ゲオルギウスと遭遇した地点を迂回するルートだ。
当初、イチェルは誰も通っていないルートを使うのに抵抗を示していたが、レイの説得に折れる形で認めた。
「でも、今となってはイチェルの言葉も一理あったわね。誰も通らないルートは情報が何にもないって事。言ってしまえば、真っ暗な海に放り出されるようなものね」
お手上げだと言わんばかりに肩を竦めたシアラに、レティとクロノは同意した。
東回りの迂回ルートを出発して一時間も経たない内に、レイ達は立ち往生したのだ。
湖を取り囲む様に伸びる尾根を進んでいたのだが、人の背丈ほどはある大きな石が、辺り一面を埋め尽くしていた。ニチョウの足なら軽々と踏破できるのだが、ソリを曳いて進むのは難しいと判断し、斜面を降りて湖上を進んでいるのだ。
「それで、次はどう来ると思いますか?」
クロノが言葉を飾らず、斬り込む様にシアラに尋ねると、彼女は金色黒色の瞳を細めて考えを口にした。
「前回の攻撃で、ゲオルギウスがこっちの位置を把握しているのは確実になったわ。だから、前回と同じように、自分の所に主様が来ないと分かれば、何かしらの攻撃をしてくるわね」
「吹雪が止んだら、合図って訳だ。今度は、やられっ放しで終わらないよ……って、あれ?」
気合十分に意気込むレティだったが、前方の異変に気づいた。
キュイの速度が極端に落ち、遂には止まってしまったのだ。
言葉を交わさずとも警戒する三人の前に、吹雪を突き破って現れたのはエトネだ。
「おちび。何があったの。なんで、止まったの」
「おちびいうな。えっとね、へんな音がまえのほうからするんだ。聞こえる?」
エトネの説明に三人は揃って耳を澄ませた。
唸りを上げて吹き荒れる吹雪の音に混じり、確かに奇妙な音が聞こえてきた。
「これは……金属の塊をこすれる音かしら。でも、こんな湖の上で金属音?」
生命が住むのも厳しい極限の大地であり得ない文明の音に、シアラは警戒心を露わにして呟いた。
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