12-16 襲撃者Ⅳ
見えない力の奔流が体の内側を駆け巡り、リザの能力値を引き上げる。だが、消耗した体力までは戻らない。
全力全開に回復効果は無い。
残された体力をかき集めても、どうにか二回。
全力で剣を振るえるのは二回だけだ。
それが限界だ。
戦いの終わりは近く、ここを逃せばリザに勝利は無い。
剣士は己の全てをここで燃やし尽くすかのように、最後の勝負に出た。
「はぁぁぁッ!」
裂帛の気合と共に渾身の一撃を振り下ろす。狙いはゲオルギウスの持つ槍だ。
斬撃が生み出した風圧でゲオルギウスが呼びだした氷の盾が砕け散る。
「読み違えたか」
魔人の口から、自らの手抜かりを責めるかのような言葉が漏れ出る。
神器はリザが斬撃に持てる力の全てを込めたとしても、壊せるような代物では無い。だが、これまでに打ち合って来たゲオルギウスの予測を越えることに成功していた。
魔人といえど、手負いの身で上級者冒険者と戦うにはある程度の計画性が必要だ。エトネとコウエンによって右腕と左足を潰された影響は大きく、リザの猛攻を軽々と凌いでいるように見えて、それなりに消耗していた。
シアラ達を一瞬で拘束したような仕込みは、もう残っていない。この後に控えているレイとの戦いのために、力を温存する必要があった。
そのため、武器を合わせていく中で、リザの実力の底を見抜き、自分がどの程度の力を出せばいいのか計算して戦っていた。実際、その計算は間違っておらず、体力を温存しつつリザに完勝する寸前まで追い詰めていた。
計算をひっくり返された。《全力全開》によって強化された一撃は、ゲオルギウスの予測を越えており、三十を越える剣戟の中で、初めてリザが優勢を取る。
衝撃でゲオルギウスの手は槍を取り落としそうになる。怪物は、槍を離すまいと体を前に傾け、一歩前へと踏み出した。
不用意に距離を詰めてしまった。
そこはもう、リザの間合いだ。
「精霊剣バルムンク! 全部、持って行け!」
宝石の刀身がこれまでにない強い輝きを放つ。まるで脈動する心臓の如く、薄紅色の極光が氷の大地を紅く染め上げる。
リザは踏み込むのと同時に、自己最速となる斬撃を繰りだした。
軌道は右下から左上。
狙うは一カ所。
首だ。
心臓が三つあるゲオルギウスといえど、首を両断されても生きているとは思えない。首は致命傷になるはず。
姿勢が前のめりになったのに合わせて、リザも低い体勢から剣を振り抜いた。
―――肉が裂ける音がすると、精霊剣が青に染まった。
「いい加減、しつこいんだよ!」
氷上の空にレイの怒声が響く。ゲオルギウスが繰り出した水の蛇は撃退したが、雷の虎は健在だった。影打が虎に突き刺さるが手ごたえは無い。
虎が吼えれば踊るように稲妻が降り注ぎ、触れた瞬間に全身が感電する。意識を失わないのが奇跡だった。
「はぁっ!」
手にした影打で首を落とし、胴体に向けて刀を放り投げて距離を取った。次の瞬間、影打が爆発して虎の体を吹き飛ばした。だが、一息つく間もなく、雷鳴と共に雷の虎が出現した。
これで虎を破壊したのは十四回目だ。
恐らく、術者であるゲオルギウスが精神力を込め続けている限り、永遠に再生するのだろう。この場合、術者を叩かなければ魔法は解除されないと見るべきだ。
だが、虎の方も心得ているのか、ゲオルギウスに近づこうとするのは必死になって止めるのだ。稲妻の如き速度で移動できる虎を引き剥がしてゲオルギウスの元に近づくのは不能に近い。結局、空中で無限に再生する虎を相手に消耗するしか選択肢は無かった。
いや、勝つ方法なら一つだけある。
レイは間合いを測り近づこうとする虎を見下ろしつつ、龍刀の柄頭を撫でる。水の蛇を倒す為に、レイは龍刀を指二本分だけ抜いたのだが、代償として右手に酷い火傷を負った。皮膚は真っ赤にはれ上がり、膨らんだ箇所もある。
だが、代償に見合った結果は出た。水の蛇は蒸発すると再生出来なくなり、劣勢だったリザに指輪を渡せた。もっとも、指輪の効果は一分間と短い。それまでに逆転できるのが理想だが、虎と戦いながら垣間見たリザの様子からだと、それは難しいかもしれない。
だからこそ、一秒でも早く虎を突破してリザの元へ行かねばならない。
覚悟を決めた。
レイは火傷で感覚が鈍くなった右手で龍刀を引き抜こうとして―――動きを止めた。
距離を測っていた雷の虎が、糸を解くように姿を保てなくなっていくのだ。
唐突の変化に硬直する。最初にレイが思ったのは、虎が姿を変えて、より恐ろしい怪物になるのではないかという警戒だった。
だが、虎が視界から消えていくと、その向こう側に広がる光景が目に入り、警戒心はどこかへと吹き飛んだ。
リザの精霊剣がゲオルギウスの体に食い込み―――ゲオルギウスの槍がリザの胸を貫いていた。
奇妙としか言えない光景だった。何があれば、そうなるのかレイには予想もつかない。
ただ、リザが左下から振り上げた剣は、ゲオルギウスの脇腹に斜めに入った所で止まっている。それ以上進もうとしても、ゲオルギウスが左手一本で突きだした槍に押さえつけられて動かせない。
ゲオルギウスは体を捩じり、刃をその身で受けながらも、リザの攻撃を止めつつ、彼女の胸を貫いていた。
血が零れる。色は赤だ。
リザの口元を汚した血は雫となって大地に垂れていく。
「リザッ!」
必死の声を上げて仲間の名前を呼ぶレイ。炎が嵐のように駆け巡ると、全てが影打となってゲオルギウスを襲った。四方八方から迫る刀の飛翔物を展開した魔法で防いでる隙に、レイは地上に降り立ちリザを抱えて飛んだ。
「逃がすかッ!」
影打の爆発に飲まれる直前、ゲオルギウスが魔法を放った。
風がリザを抱えたレイを背後から強襲する。飛行が安定せず、レイはゲオルギウスが生み出した樹に頭から激突して地面に落下した。それでも、リザを手放そうとはしなかった。
「リザ、おい、リザ。しっかりしろ!」
「申し訳、ありません。あと一歩で、したが、届き、ません、でした」
「ああ、喋るな! いま、回復をするから黙ってろ」
回復薬を取り出そうとしたレイを、リザは掴んで止めた。もっとも、その指先は恐ろしいほど力がなく、北方大陸の骨すら凍らせる夜よりも冷たかった。
「無駄、です。心臓を、一突き。躱せ、ませんでした。……やはり、魔人は、強いですね。ゲオル、ギウスは、信じら、れない、ことをして、のけました。私の、振るった剣に、合わせて、体を捩じり、手負いの箇所で、刃を受けた、んです」
血を吐きながら、リザは自分の視た光景を思い出していた。
あの瞬間、刃が届くと確信し、全力で振るった斬撃は、まるで吸い込まれるようにゲオルギウスの傷口を通ったのだ。
誰かと戦ったと思しき深手に、刃は突き刺さった。
手ごたえは薄く、おそらく致命傷にはなっていないだろう。
自分がゲオルギウスの槍を体で受け止めた技術の応用ではあるが、桁違いの技量ととてつもない発想だ。
既に傷を負っている箇所をあえて斬らせて、カウンターを放つ。
「くやしい、です。あと一歩で、魔人を、この手で」
「分かった。分かったから、もう喋るな。……お疲れ様だ、リザ。この経験は、次に役立つはずだ。いや、絶対に役立たせる」
リザの命が今にも尽きそうになっているのを見て、レイは彼女の治療を諦めた。手持ちの回復薬では瀕死のリザを完治させるのは難しく、仮にある程度回復しても彼女が戦闘に復帰するのは不可能だろう。
他の仲間も瀕死の状態。ここでゲオルギウスを倒しても、《ミクリヤ》の勝利とは言えない。
リザを死なせて《トライ&エラー》を発動させて、彼女の記憶と経験を引き継がせるのが最上だと判断した。
「ゆっくり休んでくれ。もっとも、すぐにあのイタミに叩きこまれるんだろうけどな。……え?」
苦笑を浮かべたレイが戸惑いの声を上げる。
リザを抱える手が急に熱くなったのだ。より正確に言えば、右手の甲が焼き印を押したかのように酷く熱い。
背骨を撫でられたかのような悪寒がレイを襲う。
心臓の音がやけに大きく聞こえた。
レイは震える指先で無理やり右手の手袋を外した。
途端、レイの右手から蛇が落ちた。
いや、落ちたのは蛇では無い。蛇のような形をした鎖が一本、音もなく氷の大地に落ちて、砂のように消えたのだ。
鎖が消えるのと同時に、レイの中で何かが抜け落ちたような喪失感が襲って来た。
「な、何だったんだ、今のは。なあ、リザ……リザ?」
返事が無いことにレイが違和感を抱いてリザを見れば、晴れた青空を思わせる青い瞳から光が無くなっていることに気づいた。
彼女を繋ぎ止めていた何かが無くなり、魂が抜け落ちたかのような表情をしている。
―――リザが死んだ。
それは理解できる。彼女が死ぬのは仕方ない事だと納得していた。次に繋げるための糧とするべきだと考えていた。
なら、なぜ自分は生きているのだ。
レイはもう一度右手の甲を見た。いつもなら、リザの死と共に、右手に宿る契約の蛇が自分の心臓を止めにくるはずだ。
蛇。
「……そういう事かよ」
「どういう事だ? 一人で納得しないでもらおうか」
影打の爆発の影響を感じさせず、脇腹に刺さったままの精霊剣を引き抜いたゲオルギウスが言葉を投げかける。レイはリザを冷たい大地に横たわらせ、ゲオルギウスを睨んだ。
「本当に、つくづく相性の悪い奴だよ、お前。現れるタイミングとか、持ってる武器とか能力とか、全部が最悪だ。……その槍は、概念を殺す槍だったな」
死を司る神タナトスが振りし神杖。
宿った権能は、形なき物の死。
その槍に触れると、あらゆる魔法や戦技を殺してしまう。シアラの魔法であっても、エトネが実体化させた精霊も、クロノが展開する歯車も、レイの赤龍の炎であっても殺す。
リザを縛っていた戦奴隷の対等契約も例外では無かったのだろう。リザの中にあった契約は槍によって殺され、そして契約から解放された彼女は一人で死んでしまった。
ゲオルギウスは金色の瞳を細め周囲を見渡した。
「ふむ。計画通りに戦奴隷を殺したが、貴様の特殊技能が発動した形跡はないな。仲間の死は発動の条件に含まれていない。……いや、そういう事か。私の槍が契約を壊してしまったのか」
ゲオルギウスもレイと同じ結論に達したようだ。興味深そうにリザの死体を眺めている。
計画という言葉に引っ掛かりを覚えるが、レイはこの後をどうするべきか逡巡する。
ゲオルギウスとこれ以上戦闘をするのは論外だ。龍刀を使えないレイにとって、ゲオルギウスの槍は攻撃を全て無効化されてしまい、戦闘にならない。加えて、繰り出される強力無比な魔法は対処方法すら思いつかない。
仮に何かの間違いでゲオルギウスに勝ったとしても、レイは自害してでも死に戻るつもりだ。リザが死んで、それを仕方のない犠牲だと割り切ることは絶対にできない。
欲を言えば、魔人がこんな所に居る目的や、誰と戦っていたのかという情報を引きだしたいが、これ以上戦ってセーブポイントを作ってしまうことの方が恐ろしい。
となれば、速やかに死んで朝に戻るのが望ましいのだが、問題があった。
ゲオルギウスは死に戻りの力を知っている。
今回の戦いにおいてゲオルギウスはレイ達が死なないようにずっと調整をしていた。
思い返してみれば、最初の完璧と言える奇襲でレイが生き延びられたのは、本人の技量もあったが、あれが最初からレイを殺すつもりで放った攻撃では無いからだろう。左目に突き刺さった槍は、頭蓋を砕くのではなく、横にスライドしていた。あれは、レイの両眼を奪って動きを封じるのが目的だったのだろう。
このまま戦闘をしてもゲオルギウスはレイを殺そうとはしないだろう。恐らく、エトネやヨシツネのように戦闘不能に追い込まれてしまう。
先程の雷の虎のように無限に再生する魔法を展開されれば、体力と精神力を消耗しきってしまう。
仲間の誰かに殺してもらうにしても、レティとシアラ、クロノは大樹に拘束され、コウエン、エトネ、ヨシツネは戦闘不能だ。
今頃になってだが、イチェルがどこに行ったのかと疑問が雑音の如く混じるが、すぐに忘れた。
残された選択は自殺だが、出来ることなら選びたくない。自殺によるペナルティ解除の方法が、強敵を倒すことしか見つかっていない以上、倒さなくてはいけない強敵はゲオルギウスしかいない。
魔人を相手に《トライ&エラー》を使えないのはあまりにも厳しい。
となれば、選択肢は一つしかない。
一番選びたくないから最後に残した選択肢を、レイは選ぶしか無かった。
「……後で絶対、文句を言われるよな」
苦渋に満ちた呟きと共に、レイは両の掌を背後に向けた。
炎が渦を描くように集まるのを見て警戒するゲオルギウスだったが、直後のレイの行動に戸惑いを浮かべた。
炎は、レイの背後を赤々と照らした。
ゲオルギウスが生み出した大樹の表面を炎が走り、内部へと手を伸ばしていくのだ。あっという間に、氷の大地に赤い火柱がそびえ立つ。
「貴様、血迷った―――むッ!」
問いかけを中断したのは、レイが次なる行動に出たからだ。
頭を下げ、それこそ氷の大地に這いつくばるほど低い体勢から炎を推進力に変えて突進した。
一歩目でゲオルギウスの間合いを通り過ぎ。
二歩目で懐に飛び込むのと同時に槍の一撃が肩から背中を裂いた。だが、レイは怯まない。
「はあああああああ!」
血が噴き出るも、レイは意に介さずゲオルギウスを掴むと、一気に炎を爆発させた。まるで飛行機のアフターバーナーのような轟音をさせながら、レイはゲオルギウスを掴んだまま飛翔した。
「くッ! そういう事か!!」
氷の大地があっという間に遠ざかり、炎に包まれ燃え落ち始めた大樹が小さくなった時、ゲオルギウスは大陸の上空でレイの狙いに気づいた。
「貴様、仲間を殺すつもりだな」
その通りだ。
大樹に向けて放った炎は中に囚われているシアラ達を焼き殺すはずだ。
彼女たちの死を使って、死に戻る。
「くははははははは! 薄汚い戦人と唾棄されていた我らに劣る畜生だな。その手際の良さ、判断の速さ。さては初めてでは無いな。どこで仲間殺しの禁を捨てたんだ?」
侮蔑の言葉が耳朶を打つ。レイは雑念を振り払い、可能な限り飛翔した。
ゲオルギウスなら、高々度から落下したとしても生き延びる可能性があった。かつて、サファも似たような状況から楽々と生還しているのだ。墜落死なんてしてくれないだろう。
この状況でゲオルギウスにできる事はもう無い。流星のように空に向けて飛翔しているレイを瀕死に追い込んだとしても、炎を消してシアラ達を助けるには時間が足りない。
「なんとでも好きに言え。だが、覚えておけよ。この記憶は、敗北は絶対に忘れない。お前に同じだけの物を刻み込んでやる」
「くはは。これから忘れる私に覚えておけというのか。ならば、宣言しよう。何度でも挑み続けろ。その悉くを叩き潰して、消えぬ敗北の記憶を刻みつけてやる」
瞬間、レイは感じた。
自分の右手で蠢いた契約の蛇が、心臓に食らいついたのを。
★
「―――ッ! ああ、くそ。炎に殺されるのは久しぶりだな」
冬の北方大陸とは思えないほどの汗をかきながら、レイは目を覚ました。分厚い雪の壁越しであっても光を感じられる。
体の内側でイタミは燻っている。煮えたぎった血液が循環して体を内側から攻めたてているかのようだ。苦痛に耐えかね、くぐもった声が出てしまった。
「主殿。どうかされたのでしょうか」
横で寝袋に入っていたヨシツネが素早く対応する。心配そうに見つめる彼に、レイは小さく、戻った、と告げた。青年の顔に理解の色が広がった。
「左様でござるか。承知いたした。……となれば、シアラ殿の変容も同じ事なので?」
耳を澄ますとくぐもった悲鳴に近い声を上げているのがもう一人居た。どうやら、炎に巻かれて死んだのはシアラのようだ。
レイは浅い呼吸を繰り返しながらも、一番気になる事を口にした。
「ヨシツネ。……リザは、どうだ?」
「私がどうかしましたか」
起き上がれないレイを覗き込む青い瞳は、不思議そうに瞬きを繰り返した。
やはり、あそこで死んだ彼女の魂は戻ってきていない。
分かっていたことを事実として改めて突きつけられるのは心に重く響く。
だが、光を宿した瞳を見て、レイは安堵したように息を付く。
「なんでもない。とりあえず、皆を起こしてくれ。状況を説明するよ。ちょっとばかり、忙しくなるぞ」
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