12-13 襲撃者Ⅰ
間一髪だった。
シアラが《ラプラス・オンプル》で予知をしたという事実が、レイの思考を戦闘に切り替えていた。
エトネの悲鳴混じりの警告が足を止め、炎を両手に纏わせる攻撃の態勢へと促した。
だから―――吹雪を突き破って現れた槍の穂先はレイの左眼球を貫くも、脳まで一直線の穴が開くのは間一髪で避けられた。吹きあがる炎が、槍の現れた方向へと伸びるのと同時に、レイの体が氷の上を滑る。
「キュ、キュイイ!!」
「きゃっ!」「危ない!」「ちょっと、なにごとよ!」
勢いあまって後方のキュイに激突した。キュイは四本足でレイを受け止めるが、引いていたソリはブレーキなどなく、立ち止まったキュイに激突して反動で載せていた荷物ごと、少女たちが放り出された。
危うく氷の上に叩きつけられるところだったが、クロノが生み出した歯車に受け止められた。
「ちょっと、キュイ! 急に止まるんじゃないわよ。こっちも減速しないと―――」
「―――敵がいるぞ!!」
警告と共にレイは炎を走らせる。氷の上に落ちた炎がレイ達を中心に円を描くと、炎の壁が出現した。吹雪と冷気と奇襲を遮る即席の壁だ。
「奇襲ですが、レイ様ッ! これは……レティ、急いで!」
いち早くレイの傍に駆け寄ったリザは、キュイから離れ炎の鎧と龍刀影打を展開するレイの左目から流れる血を見て、妹を呼んだ。
「主様、リザ! 状況は!?」
「レイ様が左目を負傷! 急いで応急手当を!」
「敵の数は不明。少なくとも一人は槍使いだ」
後方へ状況を説明すると、リザはレイの死角となっている左側で剣を構えた。薄紅色に輝く刀身は、リザの戦意の高さを表しているかのように強まる。
レイが負傷した場合のシミュレーションはもちろんある。リザがいち早く駆けつけ、回復役であるレティを前線に連れていくべきかどうか、レイを後方に下げるべきかどうか、負傷を放置するべきかどうかを判断する事になっていた。
リザは、レイの負傷を一刻も早く完治させるべき損傷で、しかしながら戦闘から離脱するほどではないと判断して妹を呼んだ。護衛としてヨシツネが付き添う手筈となっている。
この判断が正しいかどうかはさておき、リザは緊急事態でも変わらずに判断を下せる理性の持ち主である。
だから、彼女は眼前の光景が理解できなかった。
「そんな……冗談でしょう。ここは内陸なのに、なんですか、この水の量は!」
大地を震わす振動と共に、炎の壁を突き破って現れたのは大量の水だ。湖が溶けて水となったとでもいうのか、開けた視界一杯には荒狂う水の塊で満たされており、津波が襲いかかってくる。
このままでは陣形ごと押し流されてしまう。
危機感と共にリザは剣を縦に振るう。剣の軌跡に合わせて光帯が放たれると、津波を熱によって切り裂いた。二つに分かれた津波の先端は、レイ達を飲み込む事は出来ず、だけど、レイが生み出した炎の壁を拭い去って消えた。大量の水も魔法で生み出したのだろう。
「もう一度、炎を展開する。それで時間を稼ぐぞ!」
レイの前で炎が膨れ上がるが、止まない吹雪に紛れて放たれた槍の突きが炎を貫いた。同時にレイの胴体も貫こうとしていたが、手にした影打に寸での所で払われた。
「ちッ! こいつ、最悪だ!」
片目となったレイは、神速の突きを放った正体を掴もうとして舌打ちをする。
「白い外套で全身を覆ってやがる。吹雪に紛れて擬態してやがるぞ!」
襲撃者の全身は、この湖の風景に合わせた迷彩が施されているのだろう。吹雪に紛れることで、見えづらくなっている。ご丁寧に、手にした槍にも雪がまぶされ、より見えづらくしている。
槍使いはレイに払われた途端、一足飛びで吹雪の向こう側へと消えていった。徹底的なヒット&ウェイ。一撃離脱を繰り返し、体力を削っていくのが狙いなのだろうか。
だとすれば、この中で真っ先に狙われるのはパーティーを支える生命線だ。
「レティを守れ。敵の狙いは消耗戦だ!」
「レティを守れ。敵の狙いは消耗戦だ!」
レイの声が響いた瞬間、杖を持って駆けていたレティの体は引き倒された。氷の上に倒れこむ彼女は、立ち上がろうとするも押さえつける者の声に動きを止めた。
「動かれるな。敵の狙いがレティ殿ならば、優先すべきは御身の安全でござる」
ヨシツネは忍者刀を引き抜き、レティを氷の上に寝かせると、長布の一端を垂らした。湖面の上に着けると、小声でささやく。
「腹這いのまま後方へお下がりを。背後は拙者が守ります。エトネ殿とクロノ殿と合流してから、改めて主殿の元へ向かいましょう。ですから、何があっても振り返ってはなりませぬ」
「……うん、分かった。お願いね、ヨシツネお兄ちゃん」
レティは直接氷に触れている部分から冷気が伝わるのを感じつつも、言われた通り腹這いのまま、氷の上を移動する。背後を守るヨシツネは油断なく構えていた。
瞬間、ヨシツネの鋭い眼光が吹雪を睨む。
「やらせん!」
氷の上に垂らしていた長布が浮き上がると、吹雪を破って現れた攻撃に絡みついた。ヨシツネは長布を、湖面に垂らした糸のようにして、相手の攻撃の起こりを感じ取っていた。
伸縮自在の長布は蛇のように絡みついて相手を拘束できる。防御と捕縛を同時におこなえる優れた武器だ。
だが、布の動きが止まってしまった。無論、ヨシツネの意志では無い。
「これは、氷の槍?」
長布が捕らえたのは、レイの左目を奪った槍ではなかった。青白く透き通る氷の槍に絡みついていた。槍に触れた長布は先端から凍り付き、ヨシツネまで手を伸ばそうとしている。
ヨシツネは刃を振るい、凍り付いた長布を切り落とすと同時に、自分の脇腹が熱を持ったのに気づく。
「不覚ッ」
熱の正体は、防刃性の高い防寒具をあっさりと突き破った槍の穂先だ。脇腹に穴が開く。血が噴き出て、痛みが脳に異変を知らせる。
「ここまで近づかせてしまうとは、何たる不覚」
「気に止む事は無い。私とやり合えば、大抵の者が不覚を取る」
槍を手にし、白い外套を頭からすっぽりと被った襲撃者は、淡々と言葉を吐いた。
重圧と共には吐かれた言葉は、従えている吹雪よりも冷たく、ヨシツネの心胆を寒からしめる。
だが、これは好機だ。
懐に飛び込んだことで、襲撃者が刃の間合いに入る。持っていた忍者刀を逆手に持ち直すと、最速の軌跡を描く。頭部を狙った一撃は、僅かな体の傾きで躱されてしまう。
それも、織り込み済みだ。
ヨシツネはブーツに仕込んだ刃を引き抜いた。刃にはレティが作った猛毒が塗布されている。極寒の地で効果が持続するかどうかは不明だが、これに賭けるしかない。
意識を上に集中させ、必殺の一撃を足刀と共に繰り出す。
結果は、骨の砕ける音が知らせた。
襲撃者はヨシツネのコンビネーションを読んでいたかの如く、先に足を振り抜いた。枯れ木を折るような音が体の内側で響くと、激痛が骨折を訴える。
痛みで顔を歪めるヨシツネだが、それでもと歯を食いしばる。姿を消す襲撃者がこれほど近くに居る、絶好の機会を逃すまいと千切れた長布を手繰り寄せ、槍と自分の体を固定しようとした。
だが、それも読まれていた。
無造作に伸ばされた腕がヨシツネのうなじを掴むと、鳩尾に膝蹴りが入った。肺の中にあった空気が全て吐き出され、潰れた肺が酸素を取りこめない。
意識が遠ざかり、ヨシツネは死を覚悟した。
ずるり、と。槍が引き抜かれるとヨシツネの体は力無く湖の上に落ちようとしていた。だが、襲撃者は槍の石突でヨシツネの服を引っかけると、そのまま横に放り投げた。一回、二回と湖面を転がり止まると、襲撃者はヨシツネに対する興味を無くしたようだった。勢いを増した吹雪に紛れて遠ざかる気配で、敵の狙いをおぼろげに理解した。
―――この者、拙者たちを殺すのではなく、無力化しようとしているのか?
それはある意味、殺されるよりも厄介な状況と言えた。
腹這いのまま氷の上を進むレティは、背後で聞こえた戦闘音が止んだのに気づく。首を向けるが、白い壁のような吹雪は勢いを変えず、その向こう側にヨシツネが立っているのかどうか判断できない。
だが、ヨシツネが勝利しているなら、何かしらのアクションがあるはずだ。そのような予兆は見えず、それどころか勢いを増している吹雪が、敵の生存を示している。
今は、一刻も早く誰かと合流しなくては。そう考えて、腕と足を使って這うレティに対して、ひときわ強い吹雪が襲いかかる。
分厚い氷を削るかのような吹雪に乗って襲撃者が迫る。移動に集中しているレティは、槍の先端が自分を捉えようとしていることに気づいていない。
振り下ろされた槍の先端は、途中で軌道を変える。下から上へとすくい上げるような軌跡を描くと、飛び込んできたエトネの上段蹴りを受け止めた。
金属音が頭上で響くと、ようやくレティも異変に気づいた。
「エ、エトネ。いま、援護を」
「いいから、はやく行って!」
魔法を唱えようとしたレティを、エトネは語気を強くして制した。脚甲で受け止めた槍を横に払い、空いたスペースに拳をねじ込む。だが、襲撃者は体を回すと槍の柄尻でエトネに迫る。柄尻を肘で受け止めると、エトネの体が横に流れた。僅かに崩れた態勢を見逃さず、襲撃者の蹴りがエトネの小さな体に叩きこまれた。
重く響く衝撃音は二つあった。
エトネの胴体に叩きこまれた蹴り。
そして、蹴りに合わせて放たれた左拳の正拳付き。
空中という不安定な場所で放たれたとは思えないほど重い衝撃音を残し、両者は距離を取った。
すぐ傍で始まった戦闘から逃げようとするレティは、いつの間にか近づいた誰かに体を持ち上げられた。
杖を武器に抵抗しようとするも、視界に飛び込んできた顔に手が止まった。
「この……って、クロノお姉ちゃん」
「はい、その通りです。クロノです。ですから、杖は振り回さないでくださいね。それと暴れないでください」
彼女はレティを抱きかかえると、エトネと襲撃者の戦いから離れようとする。
「待って、エトネが襲撃者と戦っているの。一人じゃ危ないから」
「いえ、これはシアラさんの指示になります」
「シアラお姉の?」
「エトネさんを殿にして、他のメンバーは集合。それが彼女のくだした最善の策です。ですから、どうか従ってください」
そう言うなり、クロノはレティを離そうとせず、吹雪の中で見え隠れする薄紅色の輝きに向けて走り出した。エトネと襲撃者の戦闘音が遠ざかっていく。
「どうやら、貴様を置いて他の者は撤退をしているようだな。これほど年若い幼子に全てを押し付けて撤退するとは、貴様の仲間は薄情な輩だな。見捨てられたことへの怒りでもあれば、吐露しておけ。末期の言葉として貴様を見捨てた仲間に伝えてやろう」
「おこらせようとしてもむだ。エトネが望んで、ここにのこっているんだから」
レティを回収したクロノが走り去る気配が遠ざかる。ヨシツネの安否は不明だが、パーティーメンバーが分断されて各個撃破され全滅するという最悪の状況だけは回避できた。
自分が役目を果たせたことに安堵すると、エトネは拳を構えた。防寒具の上から押さえつけるように嵌めた手甲と脚甲が吹雪の中でも輝きを放つ。
「エトネの役目は、てきをひきつけてあしどめ。その間に、みんながさくせんをねる、じかんをかせぐんだ」
「ほう。年若い幼子と言ったのは取り消そう。一端の戦士の面構えをしている。……萌黄色の瞳。なるほど、貴様がエルフと獣人種の混ざり者か。ならば、見えているのだろう」
「うん、みえているよ」
エルフの瞳は他者の精神力の流れを見通せる。相手が魔法や戦技を放とうと、精神力を引きだそうとするのを看破できるし、相手がどれだけ精神力を保有しているのかも見通せる。
「すごいや。こんなにすごい量の精神力、はじめてみた」
エトネの目には、白い外套で身を隠す襲撃者から立ち上る、尋常じゃない量の精神力の塊を捉えていた。
過去に見た『三賢』マクスウェルや『魔導士』オルタナ以上の精神力を有している。
だが、同時に彼女の眼は、別の側面も捉えていた。
「すごいけど、ほんちょうしじゃないよね」
問われ、槍を握る手に緊張が走った。外套の奥から放たれる闘気が一段と重くなり、エトネの体に纏わりついた。核心を突いた一言は、逆鱗に触れたかもしれない。
「……面白いな。どうして、そう思ったのだ。武器を合わせただけで、そこまで読み取れたのか」
「ううん。皆から教えてもらったの。この土地にねむる、精霊から」
「精霊だと。世迷い事を。神無き時代に置いて精霊と言葉を交わせられるのは花の都のように魔力に満ちた土地か、あるいは『精霊の寵愛を受けし者』ぐらいだ」
「うん。エトネは『精霊の寵愛を受けし者』だよ」
「なんだと?」
襲撃者は動揺したのか、一瞬だが闘気に切れ間が生まれる。瞬間、エトネは嵌めている指輪に向かって叫んだ。
「おねがい力を貸して、《ハヅミ》!」
「勿論よ、エトネ!」
指輪に籠められた力が解放され、北方大陸の大地に水の超級精霊が顕現した。少女の形をした水は空中に浮かぶと、両腕を幾重にも枝分かれする触手へと変化させると、襲撃者に向けて放った。
空間そのものを薙ぎ払うかのような攻撃に対し、襲撃者は槍を一閃した。軽く振られた一撃だが、変化は劇的だった。槍の切っ先が触手を捉えたかと思うと、触手が弾けて消えたのだ。
切られたというよりは、触れた瞬間に形を保てなくなったかのような消え方だ。
「不味いわね。あの槍、形の無い物を壊すことに特化しているわ。槍に貫かれたら、この現身も消えちゃう」
「なら、来て」
エトネが友達に向けて手を伸ばすと、ハヅミも友達に向けて手を伸ばす。
少女たちの手が触れあうと、ハヅミの体がエトネに吸収された。
「なるほど。《憑依》か。先の言も、あながちハッタリでは無さそうだな」
精霊を身に宿したエトネの瞳は、虹彩の縁が青く輝いていた。ハヅミの声が脳に響く。
「傷口は内側から塞いであげるし、痛みは中和させてあげる。だから行きなさい、エトネ!」
その言葉に勇気づけられたようにエトネは技能を発動する。
「《我が足は、世界を跨ぐ》!」
瞬間、音もなくエトネの体は消え、襲撃者の懐深くまで潜りこんでいた。彼女の持つ技能、《狭間ノ省略》Ⅲによる高速移動。空間跳躍と呼んでも差し支えない速度だ。
眼前に現れた少女から繰り出される拳を、襲撃者は槍の柄で難なく受け止める。
止められるのを予期していたエトネは、拳では無く本命の蹴りを放った。
相手の右肩を狙った一撃は、襲撃者が半身を引いたことで躱される。だが、エトネは蹴りの軌道を無理やり変えることで相手に食らいついた。つま先が外套越しではあるが頭をかすめた。
浅い手ごたえにエトネは攻撃の手を緩めない。着地するなり、すぐさま攻撃に打って出る。これまでの戦いで相手の技量は十分に理解している。
襲撃者は強い。
どうやら手負いで本調子では無さそうだが、それでもエトネを圧倒する実力を持っている。加えて、相手の武器が厄介だ。槍という長物を前に、格闘技が主体のエトネが一度でも距離を取れば勝ち目は薄い。
愛用のクロスボウは、この寒さだと劣化が激しいからと雛馬車の中で大事に保管している。エトネが襲撃者と戦える間合いは、相手の懐近くだ。
下から振るわれる槍を紙一重で躱す。勢いそのまま、相手の右太ももを打ち砕こうと拳を振るうが、持ち手を変えた柄で受け止められる。自分が殴りつけた衝撃を利用して槍が真上から降ってくるのを躱しきれず、穂先の根元が肩に直撃した。衝撃でエトネの肩が外れてしまう。鈍くなる動きを逃さず、横合いから槍が振るわれる。少女は槍を躱すのではなく、槍の方向に向けてスッテプを刻む。背丈よりも大きな槍と衝突した少女は、肩が嵌ったのを確認すると小さな背丈を生かして槍の下を掻い潜る。回った槍の石突が彼女の突進を止めようとするが、更に低くなることで石突を回避した。そのまま、大地に根を張ったように踏ん張る襲撃者の爪先に、エトネの踵落しが繰り出された。分厚い氷に亀裂が入る一撃は、襲撃者の爪先を容赦なく砕いていた。
「ぐッ!」
体が僅かに沈むのを見て、エトネは爪先を潰した凶器じみた足を上へと振り抜いた。相手の股間を狙った足刀は、しかし寸前で軌道を変えざるを得なかった。耳障りな音を鋭敏な感覚が捉えると、エトネは回避行動を取った。襲撃者の足を地面に見立て、後ろに飛ぶ。直後、彼女のいた場所から上空に向かって稲妻が走った。
魔法だ。
氷の表面が黒く焦げている。威力からすれば上級以上だろう。直撃していれば、精霊で強化されている肉体であっても耐えきれない。
エトネは構えを取ると、萌黄色の瞳で素早く周囲を確認した。精神力を見ることのできる瞳ならば、魔法使いの存在を見つけるのも容易い。ところが、視界の範囲に不審な精神力の痕跡は見つからなかった。
吹雪で視界が不十分とはいえ、近い距離に魔法使いはいない。だとすると、考えられるのは二つだ。
魔法使いは、エトネに見つからない遠距離から支援をしているのか、目の前の襲撃者が近接戦闘を捌きながら詠唱を同時におこなっていたのか。このどちらかだ。
後者だとしたら驚異的だ。
威力からすると、先程の雷撃魔法は新式魔法では無く、旧式魔法だろう。魔法に必要な精神力を宣誓で組みだし、詠唱中に暴走しないようにコントロールするには高い集中力が必要だ。
一秒単位で状況が切り替わる近接戦闘の最中、魔法を行使するのは不可能に近い。
「でも、できるかもしれない。いつだって、最悪のじょうきょうをそうていするべし、だよね」
エトネはレイの教えを口にすると、相手との距離を大まかに目算した。
歩数にして二十歩。
精霊で強化したエトネでも、この距離を一足飛びで超えるのは難しい。ましてや、闇雲に突進しても槍に屠られるという結末が口を開けて待っている。
襲撃者の力量ならば、簡単に詰められる距離だろう。だが、襲撃者は左足を後ろに引くと、腰を落とし槍を構えた。重心を落とした構えは、完全に待ちの態勢だ。
どうやら、エトネが潰した足のダメージが酷いようだ。自分から距離を詰めず、エトネを迎え撃つようだ。
「どうする。痛みは中和してあげてるけど、右腕に痺れが残っているでしょ。今なら、この場を離脱してレイ達と合流できる可能性もあるわ」
頭の中でハヅミの心配する声が響く。だが、エトネはその提案に首を横に振った。
「だめだよ。これが罠のかのうせいもある。手負いのふりをして、せなかを見せたしゅんかんに、おそってくる獣は、やまにいっぱいいた」
彼女の中に半分流れる狩人の血が、罠の可能性を嗅ぎ取っていた。
「だから、あいつはここで食い止める。おにいちゃんたちが、さくせんをたてる時間をかせいで、すこしでも傷をあたえてやる」
「……そう、なら私以外の子も呼びなさい。貴女を心配して近づいてきているのが見えるでしょ」
「うん、分かってる。《願い、奉る》」
宣誓すると、エトネを心配そうに見つめていた精霊たちが一斉に駆け寄ってくる。詠唱を終えると、共に戦う仲間の名前を告げた。
「《出でよ、『カテギダ』、『ロカ』》!」
二種類の精霊がエトネの体に吸い込まれ、彼女に更なる力を与える。
「三種類の精霊を同時に憑かせるとは恐れ入った。まさに、エルフの『英雄』。擬きとはいえ、あれの師匠とやり合うとは、いつの浮世も面白い」
「もどきかどうかは、じぶんの体でたしかめてみなよ」
瞬間、エトネは十歩の距離を一瞬で詰める。三種類の精霊を憑依させるのは大幅な強化と引き換えに、負担も増す。長時間の戦闘は不可能なのだ。
一秒でも長く。
一撃でも多く。
相反する二つの願いを叶えるため、彼女は自身の限界に挑む。
眼前に槍の穂先が現れると、手甲で払いのける。開いた空間に自分の体をねじ込ませる。
残り九歩。
上へと跳ね上がった槍が複雑な軌道を描いて、エトネの左肩を抉る。痛みは《ハヅミ》が内側から中和する。構わずに前進しようとするも、既に引き戻された槍の刺突が迫っていた。神速の突きはエトネの頬を切り裂くも、彼女は紙一重で回避した。すれ違いざま槍の側面に裏拳を叩きこんだ。精霊の強化で増した膂力に槍を構える体が流れる。
残り八歩。
引き戻す槍に合わせて距離を詰めようとしたが、腹部に衝撃が走り足が止まる。エトネが砕いた氷の破片を、襲撃者が蹴り飛ばしたのだ。《ロカ》を宿したお蔭で吹き飛ばなかったが、内蔵が飛び出るかのような衝撃だ。だが、エトネは期せずして手に入れた武器を手に取った。氷は少女の手を離れると、砲弾のように襲撃者を狙う。あまりにも直線的な軌道のため、槍で軽く払われるだけで回避されたが、その動作が欲しかった。
残り七歩。
体にかかる圧が変わる。十歩の距離が攻撃の間合いなら、ここから先は即死の間合いだ。首筋を目がけて放たれた一撃に拳を合わせる。衝撃が拳の先端から肩までを貫いた。内側から致命的な音がした。これで右手は使えない。だが、右手を犠牲に歩を進める事ができる。
残り六歩。
踏み出した足が感覚を失う。三種類の精霊を宿した反動だ。神経が麻痺し始め、筋肉が千切れ始めている。視界が赤くなったのは眼球の血管が破けたのだろうか。痛覚は《ハヅミ》が麻痺させているため、かえってブレーキが利かなくなっている。ただ、頭蓋を貫くはずだった刺突は、体がふらついたことで返って回避できた。
残り五―――零歩。
目前にまで迫った襲撃者。その体が視界を満たした。
エトネが近づいたのではない。襲撃者が距離を詰めたのだ。エトネが粉砕した左足で氷の大地を抉り取るかのような勢いで蹴ると、自身の体を武器としてエトネと衝突した。
気づいた時には手遅れだった。
体格が倍以上違う相手の突進を受け、エトネの体は堪えきれずに宙を舞う。
槍を回した襲撃者は、淡々とエトネに止めを刺すべく腕を振るう。このまま放置をしていても、エトネの体は精霊の憑依に耐えきれず戦闘不能になるのは明白だ。それでも自分で止めを刺そうとするのは、エトネという敵を、そうするべきだと認めた証と言えた。
槍の穂先が空中に投げ出された少女を捉え、襲撃者の意識がエトネに集中する。
―――その瞬間を待っていた。
「―――なにッ!」
襲撃者は自身のすぐ傍で膨れ上がった闘気に驚愕する。なぜなら、その闘気は見間違いようもなく、自身に匹敵するのだ。
音もなく、影もなく、白い世界に突如として現れたのは、同じ外套を身にまとい、同じ槍を手にした存在。
まるで、鏡に映したかのような。
「取った」
確信めいた誰かの呟きと共に、槍の先端が肉を突き破る。
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