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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第3章 精霊祭
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3-4 精霊祭 一日目〈Ⅳ〉

 檻の中の少女は足元にて転がる首なしのレッドパンサーの死体を鉄格子越しに見つめていた。そのオッドアイの瞳は驚きに見開かれ、口は半開きとなる。


 信じられない物を目の当たりにしている様子だ。日頃の折檻の跡が残る唇が動いた。


「運命が……変わる?」


 小さな呟きは僕の耳には微かにしか聞こえなかった。更に、掻き消すような野獣の咆哮があたりから聞こえてくる。


「グオウウウ!」


「ご主人様。新手が来ます!」


 リザの叫び通り、檻の角からレッドパンサーが二体連なって表れた。奴らの瞳は同胞の死体を見て、一層憎しみを募らせている。


 四肢を巧みに動かして一気に距離を詰めようとする。僕は先手を打つ様にバスタードソードを大上段から振り下ろした。だが、剣の軌道は何も捉えなかった。


 僕の間合いに入る直前レッドパンサーは脚に力を込めて高く跳躍した。悠々と僕の頭上を越えるとそのまま背後に控えていたハインツさんを襲う。


「ちぃっ!」


 ターゲットが自分だと気づいたハインツさんは舌打ちと共に護身用のナイフを引き抜いた。だが、そんなペーパーナイフ擬きでは大人の背丈を越える怪物に太刀打ちできるはずが無い。


 覚悟を決めた彼とモンスターの間に小さな人影が滑り込んだ。


「《超短文ショートカット低級ローシールド》!」


 愛用の杖を構えたレティが魔法を発動させた。哀れにもレッドパンサーは不可視の盾に阻まれ、激突した。


「いまだよ! ご主人さま!」


 少女に促されるまま僕はレッドパンサーの背中を踏みつけ、胴体の中心に剣を突き刺した。肉を裂く感触と固い石を砕く手ごたえを感じた。


 ジタバタと震えた直後、レッドパンサーは全身から力を抜いた。魔石が破壊され死に至ったのだ。


 僕はまだ温い屍から剣を引き抜くともう一体のレッドパンサーの方を見た。そこにはリザに襲い掛かり彼女を大地に押し倒している魔獣の姿があった。


「リザ! 今助けに」


 行く、と最後まで言えなかった。魔獣の赤い鬣から鈍い光を放つ剣先が見えたからだ。リザが押しのけるとレッドパンサーは力無く地面に倒れこんだ。僕が心配するまでも無かった。


「みんな。大丈夫そうだね」


 僕は周囲を見渡し確認した。リザやレティ、それにハインツさんも汗を拭いながらもどこも怪我をしていない。当然檻の中の少女も無事だったが。


 しかし、四方八方から魔獣の叫び声や人の悲鳴と怒号が混じり合った協奏曲が流れ出すと全員の顔色が悪くなった。


「……すぐにここから離れましょう」


「ああ……すまねぇが小僧。護衛を頼みたい。ここから一番近い門まででいい。ワシらや奴隷たちを守ってほしい」


 何か危険な事が起きてる。それだけは理解できたからか避難を提案した僕に対してハインツさんが頭を下げた。正直、さっさとこの場を離れたかったから断りたいのが本音だ。


 だけど、それだと彼女から情報を聞き出すのが難しくなる。檻の中でまだ驚いている少女を見た。


 彼女からこの後に起きる事を聞きだしたい。とすれば、やはり彼らを安全な所まで案内する必要がある。僕は内心ため息を吐きながら頷いた。


「分かりました。……でも、急いでください。いつ新しい敵が来るか分かりませんから」


「ありがてぇ。ちょっと待っててくれ!」


 ハインツさんは駆け足で天幕の中に飛び込んで行った。僕はその間に情報を仕入れようと動く。足元で死んでいるレッドパンサーから降りると正面の檻に向かって駆けだした。


「ご主人様。一体何を?」


 訝しげなリザの声を無視して進む。檻に激突する寸前、鉄格子を蹴り上げて上へと飛びあがった。日本に居た時には考えられない身軽な動きで檻の天井部分へと辿りついた。


 そこから奴隷市場の様子を伺い―――絶句した。


 至る所で悲鳴が上がり、屍が大地に横たわる。ある者は爪に。ある者は牙に。ある者は刃に。逃げ惑う人々から狙い撃つ様に魔獣たちは襲い掛かる。


 そして彼らは死した骸を貪り、勲章の様に掲げたり、武器をはぎ取ったりする。それはまさにけだものの所業だった。


 中には勇敢にモンスターに立ち向かう人の姿もあった。だが、一体を仕留めた直後に残りの個体に襲い掛かられ地面へと投げ出される。更に追撃を受けた結果大地に鮮血が染み込む。


 土煙が舞い上がり微細には見えないがそのような光景が至る所で起きていた。


 その時だった。


 何か光り輝く物を土煙の中で見えたような気がした。それを見極めようとして、全身を嫌な予感が貫いた。ばっ、と風が吹いた時に予感の正体を目視した。


 弓を持った緑色のモンスターが僕を狙っているのを。


「やばい!」


 咄嗟に檻の天井から後方へと飛び降りた。その判断は正解だった。落ちていく視界に僕を射抜こうとした矢が通り過ぎていった。危うく矢に射抜かれるところだった。


 それでも背中から飛び降りたのは下策だ。せめて足から落ちるべきだったと気づく。仮に背中から落ちてどこかを痛めたらと思うとこの状況下でそれは命取りになりかねない。後悔の念を抱きつつ衝撃を覚悟して思わず目を瞑った。


 だけど、覚悟した痛みは来なかった。むしろ、力強い何かに受け止められた感触を味わう。


 不思議に思いながら目を開けると、今日の晴れた青空と同じ色の瞳と視線が交わった。リザの人形めいた整った顔が近くにある。


 どうやら僕が飛び降りた先にリザが居たようだ。そして彼女は飛び降りた僕を見てその細腕で僕を受け止めた。つまりこの状況はお姫様抱っこ・・・・・・という状況だ。男女が逆転しているが。


「大丈夫でしたか、ご主人様?」


「―――うぉっと!」


 耳元で彼女の涼やかな声が響き、至近距離にまで迫った彼女の顔を見て、自分の状況を理解できた僕は彼女の手から転げ落ちた。幸いにもレッドパンサーの死体がクッションの様に僕を受け止めた。


(あー!! 恥ずかしい!)


 状況が許してくれるのなら穴を掘って埋まりたいほどだった。何が楽しくて女の子にお姫様抱っこをされているんだ僕は! 普通は逆だろ!


 恥ずかしさから悶絶する僕の肩を誰かが叩いた。見上げるとニヤニヤと笑みを浮かべたレティがそこに居た。


「面白いものが見れたよ、おにーちゃん」


 と、からかう様に僕をおにいちゃんと呼びやがった。一瞬《トライ&エラー》を使い、今の出来事を無かったことにしたい気分に陥る。


 だけど、今はそんな馬鹿な妄想をしている場合じゃないと自分に言い聞かせた。恥辱に悶えるのは後回しだ。


「……上から見た限りではモンスターの数は多数。少なくとも百は軽く超えていると思う」


「そんなにですか!」


 周囲を警戒する様に首を動かしたリザ。レティも笑みを消して真剣に話を聞く。


「抵抗する人もいるけど散発的だ。組織立って動いている集団はまだないようだ。だから僕らはハインツさんたちの準備が済み次第一直線に門を向かうべきだと思う」


 僕はリザに向かってそう告げた。僕よりもこういったことに慣れているはずの彼女に判断してもらうためだ。思案した表情を浮かべた後、リザは徐に口を開いた。


「そうですね……残念ですが他の方々は」


 リザは最後まで言えなかったが、悲痛そうな彼女の表情から何が言いたかったのかは推測できた。僕も同じ気持ちだった。


 気を強く持ち直して僕は上から見た情報を二人に続けた。


「それと、敵の種類はレッドパンサーだけじゃ無かった。どうやらゴブリン種も交じっている。さっきも弓で射抜かれそうになった」


「一種類じゃないの!?」


 レティが驚いた様子で叫ぶ。リザも無言ながら青い瞳を大きく見開いている。僕は彼女たちに自分の考えを説明する。


「二人とも。この鞍を見てくれ」


 死体とかしたレッドパンサーの鞍を剣で指す。二人の視線は剣先の鞍へと向かった。


「多分、ゴブリンはこの鞍に跨ってここまで来たと思う。じゃなかったらこいつらの背に鞍が着いてる理由が分からない」


「そんな……迷宮の外でモンスターが他種族と歩みを揃えるなんて!!」


 エルドラドの常識では考えられない事態なのだろう。リザは取り乱したように叫んだ。だけどレティは冷静にある可能性を口にした。


「―――もしかして、スタンピード?」


 彼女の呟きに僕らはしん、と静かになる。辺りの狂騒と反して重苦しい沈黙に包まれる。


 スタンピード。かつてアイナさんの弟を死に追いやったモンスターの大量発生。これを避けるためにギルドは冒険者を迷宮に送り込んで数を減らすのを目的の一つとしている。


 それなのにこの大陸のどこかの迷宮よりモンスターが這い出てきてしまったのか。


 その異常事態に愕然としつつ、僕は二人に疑問を問いかける。


「スタンピードだと違う種族同士でも行動を共にするの?」


「……ええ。迷宮を出るという事は彼らが空腹だという事です。少なくとも腹が満たされるまでは欲求に従い、結果的には行動を同じにします……だとすればやはり……ですがこれは」


 リザの青い瞳が不安げに揺れる。彼女は跪くと地面に横たわるレッドパンサーの鞍や爪に巻き付いてあるナイフなどを探る。


 死骸から剥ぎ取ると裏面など細かい所を確認した。


「間違いありません……これは人間の作りしものです。……彼らは人の作りしものを人の様・・・に使っています」


 放心した様に結論付けた。レティもまた口に手を当てて驚いている様子だ。


 僕だけが二人の驚愕に着いていけてない。


「それって何か変なの。道具を使うモンスターは幾らでもいそうだけど」


「ちがうの、ご主人さま。そんな簡単な事じゃないの。スタンピード時のモンスターは食欲に支配されて行動しているの。こんな風に理性的・・・な行動は絶対にしないの」


 力強く彼女は断言した。僕にもようやく理解が追いついた。モンスターに理性が無いとは言えない。迷宮での彼らは彼らなりの行動倫理に従い、罠を仕掛け、連携を高め、執念深く冒険者を倒そうとする。だが、それでも獣の知性に過ぎない。これではまるでモンスターが人と同程度の知性を身に着けたかのようではないか。


「……なにか変だよ」


 小さな少女は己の体を抱きしめる。二人の様子から何か得体のしれない影が足元を覆っている様な気持ちの悪さを感じた。


 そこで、ようやくハインツさんが従業員を連れて檻の前に戻ってきた。その中には老婆の姿もあった。


「おめぇら。檻の奴隷たちを早く出せ!」


「「「へい!」」」


 彼らは手に鍵を取り出すと檻へと殺到した。ガチャリ、ガチャリと音が響き鉄格子が開かれていく。


「……なあ。もしかしたら檻の方が安全って事は無いか」


 ふと、ハインツさんがそんな事を言い出した。確かに頑丈そうな鉄格子の中は安全そうに見えた。だが、それを否定する様にリザがロングソードを振るった。


 金属音が数度響くと、オッドアイの少女を遮っていた鉄格子が切断された。


「いかに低級のレッドパンサーといえどこの程度の檻、容易く切り裂きます」


「そうか……そう上手くはいかないよな」


 本人も理性では気づいて居た様に何処か諦めた表情を浮かべてハインツさんは肩を落とした。僕は勝手に檻を破壊した請求がこちらに来ないかと怯える。また勝手なことをして。


 リザへの説教は後だ。僕はリザとレティに他の人の手伝いをするように指示をしてから穴の開いた檻へと近づいた。


 オッドアイの少女は未だ檻の中から僕らを見つめていた。放心した様に心ここにあらずといった具合だ。こうやって静かに、日のあたる所で眺めるとレティのいう通り綺麗な少女だった。


 食事を取らずにいた為痩せ細り、折檻の跡が残っているが気品のある顔立ち。『気狂いの王女』と侮蔑されていたが、もしかすると本当に王女なのかもしれないとさえ思う。


 腰よりも先に伸びた紫の混じった黒髪はウェーブし、不思議な色を放つ金色黒色こんじきこくしょくの瞳。ボロを纏った細い躰から伸びる長い手足は将来成長する予感を与える。ハインツさんが高値で売れると踏んだのも無理は無かった。


 僕はそんな少女に手を伸ばした。彼女は不思議そうに僕の手を見つめる。


「ほら、早くここから出るよ」


「…………出てどうすんの? どうせ、みんな死ぬに決まってんのよ」


 沈黙の後彼女はふて腐れた様に、諦めきった様に呟く。その未来を見ているかのような物言いに確信を深めると同時に腹がたった。


 確かに、これからとんでもない事態が訪れるかもしれない。ネーデの迷宮でファルナが死んだように。ゲオルギウスが現れアイナさんを殺したように。ウージアでレティが誘拐されたように。


 だけど、それを運命だと受け入れて頭を垂れたことは一度だってない。綱渡りのような可能性に全てを賭けてきた僕にとって座して死を待つ彼女の姿に怒りを覚えた。


 僕は檻から出ようとしない少女の細い腕を掴んだ。驚いた彼女はろくな抵抗もせずにされるがままだった。


「まだ、僕の死ぬ可能性は視えるか」


 オッドアイの瞳が僕を見る。鉄格子が取り払われ、遮るものが無い彼女の瞳を正面から見つめ返す。こうしてまじまじと観察すると、ゲオルギウスの金色の瞳との違いに気づく。


 アイツのような怨念めいた狂気が無い。まるで宝石の様にきらきらと輝いている。


 少女の首が否定する様に横に動く。でも、と小さく続けた。


「でも。近いうちに死ぬ。それはやっぱり変わらない。運命は決して変わらない」


「いいや。間違えるな。もう運命は変わったはずだ」


 彼女の言葉を力強く否定する。畳みかける様に言葉を継いだ。


「見ろ。君が死ぬと言った僕はまだ生きているだろ! 運命なんてもんはな、粛粛と受け入れるもんじゃ無い。精一杯抗ってみるもんだよ!」


 彼女の瞳が驚きで見開いた。だが、彼女の足はまだ動く気配は無かった。


 僕は意を決して彼女の手を―――放した。少女の唇が小さく動いた気がした。


 え、と。傷ついたような表情と共に。


「自分で運命を切り開こうとしないなら……そこで終わるのを待つんだな。……でも、『気狂いの王女』と蔑まれながらも警告を続けた気概が残っているなら。自分の足でここまで来てほしい」


 そう言って、檻に背を向けた。背中越しに彼女の戸惑う気配を感じて振り返りたくなるのを堪える。


(偉そうに言ってみたけど、これでも立ち上がるつもりが無かったらどうしようか)


 内心では失敗したかなと思ってしまう。彼女が未来を見通す力を持つのは確実だろう。それがどんな未来を見れて、どこまで変える事が出来るのか分からないけどここで失うのは惜しい。


 でも自分で立って歩くことができない人間を死地で守るのは僕にできない。なまじ未来が見える分、それが苦難の未来であればある程彼女にとって立ち上がるのは至難かもしれない。だから冷たいかもしれないがその時は諦めるしかない。


 丁度、ハインツさんたちの準備も終わったようだ。武器を持った大人たちに交じりリザとレティがこちらに手を振っていた。


「ご主人様! こちらは準備が済みました。早く行きましょう!」


「はやく行こうよ! ご主人さま」


 レティが自分よりも幼少の子どもをあやしながら叫んだ。というか、あの集団子供も居るのかよ。彼らを連れて危険地帯から脱出する難しさに気が滅入りそうになる。


 僕は彼らの方へと足を動かして。


 ―――ぐい、と。背中を引っ張られる感触に足を止めた。


 振り返るとオッドアイの少女が俯きながら僕の服の裾を掴んでいる。彼女の足は檻の外・・・にある。


「僕の名前はレイ。……君は?」


「……シアラよ」


 オッドアイの少女―――シアラは顔を俯かせたまま僕に名を告げた。僕は振り返ると彼女の細い手を掴む。


「じゃあ、シアラ。行こうか!」


 僕は彼女を連れて待っている人たちの所へと駆けだした。


読んで下さって、ありがとうございます。

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