12-3 帰還可能境界線
雪をブロック状に切り出してドームのように積み上げた住居は、人が住んでいる痕跡がいくつもある。丸い絨毯の上にはランプが置かれ、壁際には正方形の箱がズラリと並ぶ。そのまま移動できるように、縄の留め具などが付いている。
氷の壁は冷気を遮断する。四方を冷たい氷に囲まれているというのに、中は意外と暖かい。
とはいえ、流石に防寒具を脱ぐほど暖かい訳ではない。防寒具を着こんだままレイが座ると、エスラは近くにあった毛布を引き寄せて座布団の代わりとして座った。
「うー。やっぱり寒いし。アンタさ、炎が出せる剣を使うんでしょ。ちょっと引き抜いて、その辺にぶっさしてよ」
無茶苦茶な要求だ。
「こんな所で龍刀を抜いたら、周りの氷が溶けて水浸しで外に放り出されますよ。吹雪いていないとはいえ、水浸しだとあっという間に氷漬けの死体になります」
「ちぇっ、いい考えだと思ったのに。……っと、どうやら来たようよ」
エスラの長い耳が音に反応すると、氷のドームに三つ目の影が生まれた。大柄な体を窮屈そうにしている白熊が、見た目のファンシーさとは真逆の渋い声を出した。
「お待たせして、すいません。学術都市から派遣されたエスラさんとレイさんで間違いありませんね」
レイとエスラは揃って冒険者のプレートを出した。白熊は刻まれた名前をすばやく確認すると、緊張を解くように細い息を吐いた。
「失礼しやした。これはお返しします。あっしはギルドから依頼を受けたイチェルといいやす。レイさん、お見知りおきを」
「ご丁寧にありがとうございます。僕は《ミクリヤ》のリーダー、『緋星』のレイと言います。仲間の紹介は後でさせて頂きますが、これから数週間、よろしくお願いします」
独特の喋り方で自己紹介したイチェルに、レイは応じた。
「イチェルは、というかここに住んでる奴らは中央大陸にある小国からの出稼ぎ組。イチェルの場合は、親族にギルドの職員がいるから、今回の協力者に選ばれたんだ」
エスラが補足すると、イチェルはレイ達の間を通り箱を開ける。大きな体だというのに、どこもぶつけないのは慣れているお蔭だろう。
「ギルドから貰える報酬が高いのもありやす。全額前払いで国に残してきた家族に支払われているんで、何かあっても問題ありやせん」
さらりと言われたが、イチェルの言葉にレイの顔は強張る。
これから赴こうとする場所は、それだけの危険地帯。何があっても不思議ではないのだ。
レイの不安を嗅ぎ取ったエスラが、眉の間に皺を作る。
「おいおい。アンタが言いだしたことなんだろ、これ。そんなアンタが今更不安そうな顔をすんじゃないし」
「……すいません。イチェルさんの言葉で改めて、覚悟を決めました。道中の案内、よろしくお願いします」
「いえ、あっしも口が過ぎました」
「誓います。貴方が故郷の家族の元へ戻れるように、必ず。何があっても守ります」
自分が始めたことに巻き込むのだから、その責任は果たす。かつての失敗は繰り返さない。
レイの覚悟はイチェルに伝わったのか、白い熊は首を縦に動かすと、箱から取り出した地図を広げた。
「随分と年季の入った地図だね。……この海岸線。この辺りの地形かい?」
「その通りです。あっしらが先祖代々書き足して作り上げた地図になりやす。ギルドから窺った話によれば、レイさんたちは帰還可能境界線を越えたいとか」
問いかけにレイが頷くと、イチェルは毛むくじゃらの指で地図の一点を示した。
「今、あっしらがいる入り江がここになります。ここは海を除いた三方が山に囲まれて、ちょっとした盆地になっていやす。あっしら以外の調査隊は東西に向けて出発し、山の低い場所を沿うように移動して調査をしやす。ですが、あっしらが向かうのは北。北方大陸の中心部でさぁ」
入り江から北に向かって指が滑る。山を越え、湖のような丸い地形を越え、その先にある点線の場所で止まった。
「この点線がもしかして」
「その通りでさぁ。ギルドが定めた帰還可能境界線。いわゆる、生きて帰って来れる限界って奴です。正直……正気の沙汰とは思えない任務でさぁ」
北方大陸の中心部は歴史上、誰も足を踏み入れたことのない空白地帯である。北方大陸には他の大陸で見かけない鉱石や資源はあるが、本格的な開発は行われていない。厳しい寒さや乏しい食料など様々な理由が重なり、北方大陸にきちんとした国家が築かれたのは無神時代以降だと一度しかない。
その国も、人龍戦役の終わりに滅んだ。
「ギルドも資源の豊富な北方大陸に進出したいという願望があるから、十年単位で冒険者を送りこんで、帰還可能境界線を押し上げているけど……それでもこの数十年、境界線は変わっていなんでしょ」
「仰る通り。その時も、百人単位の支援があって、数人が境界線を押し上げるのに成功したとか。そんな場所を、十人少々で突破しようとは……こんな事を言うのは失礼を承知ですが、止めるのも賢明ですぜ」
真剣に、レイ達を気遣うイチェルの気持ちは有り難い。だが、ポラリスが機能停止したままの状況は長引かせるわけにはいかない。
「ありがとうございます。僕らも学術都市を出発するまでにどれだけ危険なのかを勉強して来ました。でも、それでも行かなくちゃいけない理由があるんです」
「……分かりやした。もう、これ以上はなにも言いやせん。……話を戻しやす。北の山を越えると、平地が続きやす。ただ、この辺りは遮るもんが何も無いんで、年中吹雪いている危険地帯。過去の調査隊でも、ここを通るのは危険だと言われてやす」
「危険だと分かっていて行くわけ?」
「レイさんたちが向かいたい場所と距離を考えれば、最短距離を行くしかありやせん。そして、この辺り」
イチェルは帰還可能境界線の近くを指で叩いた。
「ここに迷宮の入り口がありやす。そこを拠点とし、調査隊を二つに分けやす」
改めて聞かされると、とんでもない計画だと思ってしまう。死すら凍る極寒の地で生を得るために迷宮を利用するとは。
レイの任務。
『龍王』黒龍との戦闘で破壊されたポラリスを復活させる為に、北方大陸にあるはずの『科学者』ノーザンの研究所へ向かうのだが、一つ問題があった。
それは、研究所の場所が絞り込めていないのだ。
ギルドが過去に調査した地図と、クロノが辛うじて覚えている北方大陸の地形、そしてポラリスの内部に仕込まれていた座標からある程度の目安は付いている。だが、最後は絞り込んだ範囲を地道に探さなければならないのだが、見つかるまでにどれだけの日数がかかるのか不明だった。
《ミクリヤ》のメンバーには、まだ幼いレティやエトネ、旅に慣れてないクロノがいる。彼女らを連れて何日も極寒の中を歩き回るのは危険だ。
そこで目を付けたのが、帰還可能境界線傍にある迷宮だ。かつて、その迷宮の入口に到達した調査隊は、迷宮内部は温度が地表ほど低くなく、食用に適したモンスターが生息しているのを確認した。
都合よく帰還可能境界線際に迷宮があるのは、かつて帰還可能境界線をここまで押し上げた数名の冒険者たちが、その迷宮に辿り着いて物資を補給し、体を休め無事に帰還できたという経緯があった。
レイ達は、過去の調査隊の成果を利用する。
《ミクリヤ》の全員で迷宮まで到達し、その後は迷宮を拠点に帰還可能境界線の向こう側にあるはずの研究所を少人数で探すのだ。
「アンタらが迷宮に到着した前後あたりで、行方不明になったアンタらを残してアタシらは予定通り調査を終了して撤退するよ」
自分たちを残して撤退するという、本来なら驚くべき発言に対して、レイとイチェルは了承の意味を込めて頷いた。
レイ達が『機械乙女』ポラリスを復活させようとしているのは、誰にも知られてはいけない。魔法工学の兵器の抑止力たる彼女の不在を知られれば、どこかで兵器を使った戦争が起きてしまう。
全てを秘密裏に進めなければならない。だから、正式に議会の承認を受けた百人規模の調査団を用意し、北方大陸に向かう不自然ではないカバーストーリーを用意したのだ。
行方不明になったレイ達を探されては逆に困る。
協力者のイチュルも、レイ達が周りに気づかれないように北方大陸の中心部に向かうのは理解しているが、その目的は聞かされていない。彼の役目は、迷宮までのガイドと北方大陸という厳しい環境で生存するインストラクターを兼ねている。
「迷宮に着くか、予定日数を過ぎた段階で僕らはこの入り江に期間内に戻れないと連絡を入れる。エスラさんたちは食料の問題やモンスターの行動が活発になっていることから二次被害になる危険性を理由に捜索を断念。停泊できる限界まで待ってから涙を呑んで出港……という流れでお願いします。くれぐれも、僕等を探しに誰かが出ないようにしてください」
「言われなくても、誰も探しに行かせやしないよ。まったく、こんな面倒な内容だと知っていたら断わっていたのに。あのハゲめ。帰ったら、後頭部にでっかくハゲと書いてやる」
愚痴るエスラにレイはお手柔らかにと苦笑いを浮かべるしか無かった。
この大掛かりな北方大陸資源調査団には、一つだけ大きな嘘がある。
それは人数だ。
公式発表では二つの船を合わせて百名が乗り込んでいることになっているが、研究員、水夫、冒険者などを合計しても実際は九十五人。足りない五人はレイ達と一緒に遭難事故にあってしまう予定だ。
レイ達の任務に本当の研究者や水夫兼荷物運搬人を巻き込むわけにはいかない。存在しない五人はレイとはぐれてしまい帰らぬ人となる。リストの上にしか存在しない人たちだから、いくらでも偽証できる。
今回集められた研究者や水夫、冒険者達は互いに面識が無い。
わざわざ船を二つに分けるほどの大規模な調査団にしたのは、正確な人数を誰も把握できないようにするためだ。
正確な人数を把握しているのは、レイ達とエスラを含めた数人の冒険者。そして、二つの船の船長だけだ。
「任務が終わったら、こちらから帰還方法を提示し、アンタらはそれに従って返ってくるって言うのが基本的な段取りさ。その辺り、ちゃんと覚えてるよね」
念押しするように尋ねるエスラに頷いた。
ポラリスが復活すれば、秘密に行動する理由が無くなる。学術都市からレイ達を迎える帰還船を堂々と出しても問題ないのだ。
「全部が問題なく、最速で片付いたとしても二週間以上はかかる計算でしょ。アンタら、そんだけ長い間、迷宮で暮らせる物資や装備を揃えているの?」
「一応、二カ月近くは暮らせるだけの物資を雛馬車に積み込んで持ってきたけど……計画通り上手く行くかどうかは分かりません。もしかしたら、夏を過ぎても見つからないかもしれません」
レイ達は北方大陸に向かう前に、幾つもの可能性を検討し、シミュレーションをしてきた。それこそ、北方大陸の奥地で何の食料もない所から瀕死の状態で一週間以上生存するための知識も頭に叩き込んである。
だが、所詮は知識だ。
過酷な現実はにわか仕込みの知識を容赦なく踏みつぶしてしまう。研究所が見つからず、ポラリスの修復が長期にわたる可能性は十分にある。
もっとも、一番最悪なシミュレーションは、ポラリスが機能停止していることを知った勢力によって、魔法工学の兵器による戦争が始まってしまう未来である。
それだけは、何としてでも止めなくてはいけない。
「……とにかく、調査隊は明日になったら出発する予定だけど、アンタらは今日の内に出発しな。北方方面の天候が荒れる前に出発したって周りには説明しておいてやるよ。ソリの準備は出来てるの?」
「ええ。レイさんたちがニチョウを連れてきているというんで、特別製を用意しました。ですが、その前にお耳に入れたいことがありやす」
不穏さを醸し出すイチェルの声に二人は冒険者の顔をした。
「なにかあったの?」
「へい。数日ほど前の事ですが、この辺り一帯が小さく何度も揺れやした。北方大陸は地揺れが少ない場所なんですが、あれほど長く、不規則に揺れたのは記憶にございやせん。極めつけは、北の空が不気味に輝いたのを、あっしらの仲間が目撃したんでさぁ」
「不規則の揺れに、空が輝く。……イチェルさんは、それを目にしたんですか?」
「あっしのことは呼び捨てで構いません。……あっしは見ておりません。揺れのせいで住処が崩れてしまった仲間を助けたりするんで、それどころじゃありませんでした。ただ、目撃した仲間が誰なのか知っているので、話を聞くことは出来ますが、どうしやすか?」
レイとエスラは答えずに顔を寄せ合った。
「どう思いますか? 地面が揺れるほどの振動……モンスターでしょうか」
「その可能性は高いけど、モンスターの縄張り争いにしちゃ、大げさすぎるような気もするんだよね」
「じゃあ、誰かが北方大陸の中心部方向で戦ったってことですか?」
「……低いかもしれないけど、その可能性もあるね。とにかく、情報が少ないから何とも言えないけど。……アンタのお仲間に簡易的な未来予知者がいるんでしょ。なにか聞いてないの」
シアラの《ラプラス・オンプル》は未来予知が可能な特殊技能だ。二種類の方法で未来を知ることができる。
本来なら秘密にしておくべき能力だが、《ミクリヤ》にはもっと秘密にしておかなければならない能力や事情が多すぎる。
急成長を遂げた新進気鋭の冒険者チームということもあり、情報を得ようとする輩は多い。下手に調べられてレティ達の秘密が知られるぐらいなら、重要度は高いが知られてもそこまでリスクにならない情報として、《ラプラス・オンプル》を公開している。
「今の所はなにも見ていません。危険は無いようですが、ほんのちょっとした変化で未来が変わりますから、今の時点で大丈夫とはいえ安心はできません」
《ラプラス・オンプル》は死の確率を影の濃さで判断できる。影の濃さは時間経過で増えるというよりも、危険な場所や存在、いわゆる死地に踏み込んだかどうかで変化するので、直前まで判断が付かないケースもある。
少なくとも、この入り江周辺に危険はないと事前に確認してもらった。
「ふーん。便利そうに見えて、案外不便なんだね」
「とにかく、北の方角は要注意ってことですかね。教えてくれて、ありが―――ッ!」
「―――ッ、おい!」
気づいたのはほぼ同時だった。
足元が縦に揺れ、氷を削った家具が倒れ、不吉な音が重なった。
切り出した氷を積み上げた住居が、振動によってずれたのだ。あっという間に頭上目がけて落ちる天井。高位冒険者なら致命傷は免れるが、氷の中に生き埋めとなってしまえば体温を急速に奪われてしまう。
なにより、この場にはイチェルがいる。
北方大陸で生活できる獣人種とはいえ、高位冒険者と比較すれば脆い肉体だ。氷の塊が頭に直撃すれば、致命傷ともなりかねない。
危機的状況にエスラはイチェルを掴み、氷の壁を突き破ろうと足に精神力を回した。
ところが、それよりも早く炎が頭上の氷を飲み込んだ。
レイの体から立ち上った紅蓮の炎は、凶器となって落ちてくる氷を一瞬で蒸発させると、そのまま空に伸びて消えていった。
「危なかったですね。流石に、氷に埋もれたら五分と持たないですし、イチェルも無事じゃ済まなかったですよ」
「へ、へい。助かりやした、レイさん」
「……ん、そうかもね」
危なかったと胸をなでおろすレイと対照的に、エスラは探るような視線を彼に向けた。
レイが炎を操る剣士なのは知っていた。
だが、その炎は炎龍を素材とした龍刀から生まれるはずだ。
いま、レイは龍刀を抜かずに炎を生みだし、降り注ぐ氷を一瞬で蒸発させた。
高位冒険者であるエスラが、イチェルを掴んで氷の壁を突き破ろうとするまでに一秒もかかっていない。刹那とよべる僅かな時間に、レイは身動きもせずに炎を操ったのだ。
『緋星』のレイが恐るべき速度で成長した冒険者だとは聞いていたが、それでも異常と呼べる素早さだ。
知っていた情報との相違点についてエスラは首を振ることで忘れた。
いまは、それよりも現状を確認するべきだ。
開けた天井を一跨ぎで超えると、周囲はいつの間にか吹雪に包まれていた。
叩きつけるような雪に遮られ、白に塗られた世界の果てに不吉さを漂わせる青が見えた瞬間、彼女は絶句した。
北方大陸中心部への侵入を阻む様に広がる山々の上に、見上げるほど高い氷の巨人が君臨していた。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は10日頃を予定しております。




