12-2 北方大陸
エルドラドは春の上月に入っても、すぐに暖かくなるわけでは無い。残雪が地面を覆い、吐く息が白くなるのは珍しくない。だが、一月も経てば雪は融け、春の息吹が顔を覗かせ、眠っていた獣たちが姿を現す。
久しぶりの春の訪れに、人々は新しい一年が始まったことを実感するようになる。
ところが、そのような季節の変化とは無関係な場所がエルドラドにはある。夏になっても吐く息は白く、眉毛が凍り、気を抜けば吹雪と共に伸びた死神の手によって命がかすめ取られてしまう。
その場所の名前は北方大陸。
最果ての地と呼ばれている。
静かだとレイは思う。
吸い込む息で肺が凍りつきそうになる。距離感が狂いそうなほど巨大な氷の塊を船は舐める様に進み、雪が音を奪っていく。甲板では水夫たちに混じってリザとエトネが、積もった雪を長い棒で削っていく。凍ってしまえば、事故の原因となるからこまめに掃除する必要があるのだ。
欄干に命綱を付けて、レティが網を使い流氷を拾う。あれが炊事の水となるのだ。炊事の手伝いとしてクロノとヨシツネも駆り出されていた。
見える範囲に居ないがシアラも活躍している。
彼女の魔法は様々な場面で役立っていた。薪を使わずに水を湯に変え、鉄で固めた船でも危うい流氷を逸らし、一寸先も見えないような暗闇を光で照らして道を示した。船長が、冗談交じりとはいえ船の専属になってほしいと言ったぐらいだ。
《ミクリヤ》のメンバーにとって初めての北方への旅だったが、これまでの旅の経験もあるのだろう。自分たちの能力と適性を考えて、それぞれがやるべきことをしていた
人が暮らすのに厳しい環境下ではあるが、冒険者として鍛えられた肉体は過酷な環境に慣れている。時には二十度以上も傾く荒波にも《ミクリヤ》のメンバーは耐えた。
慌ただしい出発となってしまい、完璧な準備とは程遠い。それでも、誰も欠けることなくここまで来れたことをレイは心の中で感謝していた。
学術都市を離れて二十日。レイ達を乗せた北方大陸資源調査団の船は、遂に北方大陸の沿岸部にまでたどり着いていた。
まばらに浮かぶ流氷を掻き分けて、学術都市が用意した魔法工学の大型船二隻は進んでいく。
「ようやく北方大陸に到着か」
旅程の大半は水平線しか見えなかった船旅だったが、寒さが厳しくなるにつれて大陸の姿が遠くに見えてきた。雄々しい山々が海岸線にまでせり出しており、時折、崩れた氷か雪が水柱をたてる。
手を伸ばせば掴めそうなほど近いが、船は大陸の縁をなぞる様に航海を続けていた。できれば、少しでも早く上陸したかったのだが、団体行動の輪を乱す訳にもいかない。
何しろ、この調査団は本当に調査団なのである。
学術都市から派遣された研究員十五名。水夫兼作業人員として三五名。護衛として冒険者が五十名。合計百名の人員が二隻に分かれて乗船している。
大陸に眠る資源の調査という目的と必要な経費、入念に計画された旅程を纏めた計画書が学術都市評議会の審議を通り、正式に結成された資源調査団だ。調査団の行動は日誌の形で記録されており、後日評議会に提出される予定だ。レイが勝手な行動をとれば、彼らがこの北方大陸に来た本当の理由に気づく者が出るかもしれない。
可能な限り自然に、かつ誰にも気づかれずに任務を果たさなければならない。
レイはパーティーで使っている部屋に隠してある、『機械乙女』ポラリスの頭部を思い出した。神が生み出したかのような、造られた美の結晶は少し前の話。滑らかな頬には指の跡がくっきりと残り、割れた肌から覗かせるフレームが、彼女が人ならざるものだったと思い出させる。
レイ達が北方大陸を目指す理由は一つ。
学術都市での戦いで機能停止してしまったポラリスを復活させることだ。
彼女の中から取り出した座標は、クロノの知識から北方大陸だと判明した。正確な場所や、本当に研究所があるかどうかは記憶を奪われたクロノも断言できなかったが、とにかく手掛かりはこれしかない。
レイは学術都市の学長グラッセや『紅蓮の旅団』団長オルドと相談をし、北方大陸資源調査団のメンバーに加わり正式な理由を持って北方大陸に上陸できるように状況を整えたのだ。
気が付けば、誰も知らない異空間で『七帝』を相手に戦ってから一月以上が経っていた。
(クロノ……いやクロノス様によってエルドラドに落ちてきたのが春の上月だったから、いつの間にか一年が経過していたんだな)
日誌の暦を見て、春の中月に入っていたことを知る。今更ながらにこの一年間を振り返ると、壮絶としか言えなかった。落ちてきて早々に六将軍第二席ゲオルギウスと戦い、リザやレティ、シアラと出会い共にアマツマラのスタンピードと赤龍襲来を乗り越え、エトネを拾った森で世界崩壊の話をクロノスから聞いた。
そしてデゼルト国のダリーシャスとナリンザに出会い、ナリンザに救われた命でダリーシャスを守ると決め、水の都でエレオノールの引き起こした『怪物の行進』に巻き込まれたのが夏の頃だ。
傷が癒え、南方大陸にあるデゼルト国に上陸すれば、国は敵対勢力に乗っ取られ、更には帝国が軍を送りこんでいるという一触即発の事態。道中で出会った『聖騎士』ローランたちの協力もあり、王都に辿り着き、ダリーシャスを王にすることができたが、数百年ぶりに黄龍が復活。『七帝』の一人であるサファと共に黄龍を倒すも、息を突く暇も無く同じ『七帝』の一人であるジグムントを擁する帝国軍と、帝国を利用する魔人たちとの戦争が勃発。
どうにか全員生き延びれたのは、奇跡のような積み重ねと、レティが自らの秘密を明かしてくれた勇気のお蔭だ。
季節が変わり、秋になって中央大陸に到着して、エトネの故郷を目指して何日も旅をした。その果てで、同じ異邦人であるヨシツネと遭遇した。
ヨシツネとの会話でこれまで無視していた違和感を自覚し、気づいてしまった真実。自分の根幹を揺るがした衝撃は、未だに胸の中をかき乱す。
長い遠回りをした果てで、ようやく目的地だった学術都市に到着し、神の座から引きずり下ろされたクロノスと出会った。激しい戦いの末、奇跡の復活したコウエンの助力もあり、神クロノスは死に、人間クロノとして蘇った。
そして、冬の終わりに何かに導かれるように集まった『機械乙女』ポラリス、『龍王』黒龍、『魔王』フィーニス『魔術師』オルタナ。『七帝』達との壮絶な戦いは魔法で作られた空間を薙ぎ払い、ポラリスはレイ達を守って機能を停止した。
あまりにも濃すぎる一年。だが、のんびりとはしていられない。エルドラドで一年が過ぎたというのは、クロノスから聞かされた世界崩壊まで、四年を切ったということなのだ。
「呵々。妙なしかめっ面をしておるの。大方、寒さに耐えているのではなく、残り時間が少なくなったことを憂いておるじゃろうな」
「……いつから僕の心を読めるようになったんだよ、コウエン」
近いけれど遠い大陸を睨むレイの横には、いつの間にかコウエンが立っていた。
スライムではなく、人間形態だが学術都市で見せたラフな格好では無い。頭から足元までを保温性の高い防寒具で覆っており、トーレドマークの褐色の肌は目の周りでしか確認できない。
「その格好には慣れたのかい?」
「其方、分かっていて聞いてくるとは無礼じゃぞ」
途端、紅蓮の瞳が細まり、周囲の温度が上がる。落ちてくる雪は見えない境界線に触れた途端に蒸発し、同じ防寒具を着こむレイは汗ばみそうになる。
「ごめん、ごめん。……ちょっとした意趣返しだよ」
「意趣返しとなると、妾の推測が的中したということか。呵々、其方は相も変わらず考えていることが顔に出るから読みやすいのう」
「そうなのか。……影法師にも似たようなことを言われたな」
「指摘される悪癖ならば、早々に改めろ。……して、影法師はなにも?」
レイは答えずに頷いた。
影法師。レイの中に生まれた存在は、年末に御霊を見た瞬間から沈黙を保っている。前にも似たようなことはあったのだが、気配すら感じ取れないのは珍しかった。
影法師には色々と聞きたいこと、話したいことがあったのだが、それをぶつけることができないのは厄介だが、それ以上に切実な問題があった。
「この旅の間にモンスターや海賊に何度か襲われたけど、幸い《魔王乃影》を使うほどじゃなかった。けど、この先も弱い奴が相手だとは限らない。あいつが呼びかけに応じないんじゃ、影を使えないよ」
影法師と深く結びついている技能、《魔王乃影》。
『魔王』フィーニスから望まずに与えられた力が色々な経緯があって、影法師の体となった。レイの精神世界でしか存在できなかった影法師が、外に出る力を得たのだ。ところが、影法師がレイの呼びかけに応じなくなると、《魔王乃影》が使えないというのが発覚したのだ。
「聞けば、北方大陸は強いモンスターが生息しているんだろ。せめて、不安要素は一つでも減らしてから上陸したかったな」
ぼやきながら、レイは龍刀の柄を撫でた。
「こればかりは仕方あるまい。本来なら、其方に定着するはずだった力を影法師に押し付けたのは其方自身。自らの下した選択ならば、運命と思い受け止めないか」
「……耳に痛いご意見、どうも」
世界崩壊までの残り時間。自らの正体。『科学者』ノーザンの研究所。『機械乙女』ポラリスの復活。影法師の不在。
幾つもの不安要素が入り交じったレイを気にすることなく、ようやく船は北方大陸の入り江に接舷したのだった。
「……北方大陸って、凄い寒い土地なんだよね」
「そう、聞いていたんだけどね。……こりゃ、驚いた。こんな所でも人が住んでいるよ」
レティの言葉に、レイも驚きながら同意した。
桟橋に船を寄せ、水夫が荷卸しを始める。長期間保存の利く食料品や防寒具、生活必需品。地質や資源を調査するための道具などが船から次々と運ばれていく。
彼らに混じって荷卸しを手伝うのは、北方大陸の地元民だ。
そう、人の住めないような極寒の地だと聞かされていた場所に住人が居たのだ。接舷した桟橋から山の方に向かってなだらかに伸びた斜面に張り付くように、雪を固めた住居が幾つもある。そこから出てくるのは殆どが獣人種だったが、五十人以上は居る。
「説明し忘れてたわね。北方大陸といっても、まったく人の住んでいない未開の土地って訳じゃ無いのよ」
したり顔で説明するのは、金色黒色の瞳を持つシアラだ。彼女のトレードマークである紫がかった黒髪は、防寒具の中に納まっている。
「彼らはこの地に定住している人達じゃないわ。季節ごとに寒さが厳しくない場所を探して一時的な拠点を作り、そこで漁をしてお金を稼ぐ出稼ぎよ。出身は中央大陸のどこかじゃないかしら」
「漁って、こんな寒い場所で? 何が取れるんだ?」
「ワタシの時代だとアザラシだったかしら。毛皮が高く売れるから、こういった沿岸地に人が集まっていたはずよ」
「そうなのか。それじゃ、この先はやっぱり」
レイは斜面に沿って並ぶ雪の家の向こう側に視線を向けた。大陸の中央から流れてくる吹雪を遮る山の向こうに、レイ達の向かう座標がある。
「ええ、そうよ。あの山を越えた先は人の住めない土地が広がっているわ。そこに、ワタシ達の目的地があるはずよ」
シアラの重々しい口調に、レイもレティも気を引き締めた。予想はしていたが、予想以上に手ごわい環境と状況に、これから待ち受ける困難が想像できた。
「……と、まあ脅すのはこれぐらいにして。主様、呼ばれているわよ」
「えっと、誰に?」
「冒険者たちのリーダーに、よ。ほら、早く行きなさい」
レイはシアラに押されるがまま歩き出すと、確かに自分を呼ぶ声に気づいた。降ろした荷物に寄りかかり、今回の北方大陸資源調査団の中心人物が集まっていた。
「おそい。うちらが氷漬けになったらどうしてくれるのよ」
「お待たせして申し訳ありません。打ち合わせですか、エスラさん」
名前を呼ばれた冒険者、『紅蓮の旅団』に所属する『首狩』エスラは不機嫌そうな態度を隠そうともしない。獣人種の血が混じっているが、寒さに弱いのか鼻の頭が赤くなっている。
「そうなの。とりあえず、当面の予定を確認するわよ」
ぶっきらぼうな態度にレイは苦笑を浮かべてしまう。
どうやら、いまだにこの任務に巻き込まれたことを根に持っているようだ。
エスラは『紅蓮の旅団』に入って日は浅いが、あっという間に信頼と実績を積み上げ、『紅蓮の旅団』の班長になった傑物だ。兎人族と人間族のハーフで、上級冒険者として二つ名を持っている実力者だ。
今回、レイに協力してくれたオルドは、自分のクランから北方大陸で戦える人材を選出し、北方大陸資源調査団に組み込んでくれた。
裏の計画では、レイ達は調査団を離れて研究所へ向かうため、非戦闘員の研究者と水夫たちを守るのは、『紅蓮の旅団』から派遣されたエスラ率いる、十四名の冒険者たちだ。一応、『紅蓮の旅団』以外にも冒険者は居るのだが、難度の割りに手当が少ないという理由から、上級冒険者は誰も居ない。
真っ当な資源調査団という体裁を整えるためには、研究用の装置などに費用が集中し、冒険者への予算を増やせなかった。だから、《ミクリヤ》や『紅蓮の旅団』を除けば、レベルの高い冒険者はそれほどいない。
だが、エスラが怒っているのは危険度が高く、面倒な裏事情が含まれている調査に加わったからでは無く、彼女の愛しい人と離れ離れになってしまったことが原因である。
出発前にカーティスから忠告を受けてはいたが、理由が理由だけにレイにはどうすることも出来ず、関係修復には至らずに今日まで来ていた。
「それじゃ、確認するし。資源調査の日数は今日を含めて十日。班を五つに分け、一つは基地であるこの港の防衛。残りの四班で山を越えた先を順次調査。連絡は今回用に支給された魔水晶を使って密に行うこと。班の振り分けは、脱落者が居なかったから出港前に決めていた通りで問題ない?」
不機嫌な態度は変わらないが、テキパキと指示を下す姿は流石としか言えない。上位クランの班を任されるだけのことはある。
研究者の代表と居残り組の船長、そして他の冒険者パーティーのリーダーと共にレイは頷いた。
他の細かい連絡事項や確認作業を済ませると、打ち合わせはあっという間に終わった。元から、学術都市を出発する前にも、航海中でも何回も打ち合わせした内容だから、いまさら話し合うことは少ない。
別の場所で、他のメンバーたちは北方大陸での移動方法や休憩の取り方、睡眠方法などを教わっている。レイもそれを受けようとしたが、エスラに腕を引っ張られた。
「ちょっと来な。アンタとは、もう一つの打ち合わせがあるでしょ」
そう言うなり、レイを引きずるようにして氷の家へと入っていた。
いや、入るというよりも潜るという方が正解に近い。雪国の住居が冷気を遮断するために玄関を二重にするように、氷の家も入り口から母屋までの間に高さの違う前室や背の低い通路があった。とことん風が入らないように低く設計されているため、地面に膝をするようにしないと入れない。
だが、氷に包まれた母屋はかなり冷気を遮断している。思っていたよりも暖かくて広く、隅には毛布などが積み上げられている。
「この家は誰かの家なんですか?」
「そ、アンタの任務に協力してくれる現地協力者の家よ。今は、荷卸しの手伝いをしているから、戻って来るまで少し待つよ」
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は7日ごろを予定しております。




