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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第3章 精霊祭
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3-3 精霊祭 一日目〈Ⅲ〉

「ご主人様! モンスターです!」


 背後に控えていたリザの緊迫した声に振り返ると、赤い鬣を生やした豹のようなモンスターが僕に向かって飛びかかろうとしていた。


 ―――瞬間。世界の速度が遅くなった。


 僕の受動的パッシブ技能スキル、《生死ノ境》Ⅰが発動したのだ。


 スロモーションの世界で僕は迫りくるモンスターの姿を観察していた。


 奇妙な姿だった。


 背中には鞍が着けられ、咢から伸びている牙だけで人を十分殺せるのに両前足の爪にナイフが括りつけられている。膝には鎧が装置してある。


 モンスターが人間と同じように武装しているのだ。


 奇異な姿に思わず呆然としてしまう。迷宮で武器を持つモンスターを見たことはあった。だがそれも木彫りの弓や、岩を削った剣などだ。人が作った武器を扱うモンスターなど見たことが無かった。


 だから、僕は阿呆の様に防御も回避も反撃も忘れてモンスターの牙が首筋に食い込むのを見ているしかなかった。


 衝撃が体を貫いた。


 同時に、僕の身長よりも大きいモンスターに押される形で地面へと倒れこんだ。遠くでリザやレティが何かを叫んでいるのが聞こえたが―――手遅れだ。


 血が流れるに合わせて冷えていく体。モンスターはさらに止めを刺そうとくい込ませた牙を動かして傷口を広げ、空いた爪で腹部を抉る。


 体から溢れる血や痛みから推察するに僕の命は後、数秒で消える。死に慣れた僕だからこそ分かる事実だ。精神力による強化をしていない体はひどく脆い。


 ふと、空を見上げていた視界を更に上へと逸らした。先程まで対峙していた少女・・の顔が見てみたくなった。


 僕の死を予言していた黒髪の少女を。


 彼女は鉄格子の隙間から一部始終を見ていた。片方が金色のオッドアイは冷たく、だけど悲しそうな色が混じり合っている。


「ほらね。だから言ったでしょ。アンタは死んで、ワタシも死んで、みんな死ぬの」


 しゃがみ込んだ彼女は僕にだけ聞こえる声量で言葉を発すると、僕の死を看取った。




 ★




「―――っう!!」


 全身を貫くイタミに目が覚めた。魂を鈍い刃で削るようなこの感覚に何時まで経っても慣れる事は無い。いや、慣れる事はこの先も無いだろう。


 横で眠る彼女たちを目覚めさせない様にベッドと壁の隙間に落ちた。イタミの逃げ場は無く、体を掻き毟りたくなる欲求を堪える。


 このイタミに対する治療薬は存在しない。傷口が肉体にあるのではない。魂にあるのだ。傷ついた魂に合わせる様に苦痛だけを脳に送り込む。僕にできる事はその波が収まるまで苦痛にあえぐ事だけだ。


 しばらくして、全身から脂汗を流しながらも、波は収まりイタミはどこかへと姿を消した。


 滲んだ視界は切り取られたような天井を捉えている。いつぞや見た光景だった。


 精霊祭初日、二回目・・・の朝は最悪の目覚めから始まった。




「人の背丈よりも大きく、赤い鬣を持ったモンスターですか?」


「うん。何か心当たりはあるかな?」


 朝の賑わいの中、カザネ亭の旦那さんが経営する食堂で僕らは朝食を食べていた。メニューは黒パンの真ん中に切り込みが入り、そこにウィンナーが挟まったホットドッグ。付け合わせにサラダやフルーツが着いてきた。


 正直、前回に食べているので別のメニューにしようかと一瞬考えた。だがすぐさまそれを却下した。理由は簡単だ。前回と同じ行動をなぞらないと同じ事は起きにくい・・・・・


 《トライ&エラー》を幾度も使い経験して分かった事だが、同じ出来事が同じタイミングで起きるとは限らない。迷宮では特にそうだった。時間をずらして広間に足を踏み入れた時、罠が作動するタイミングがずれ命が助かった場合もあれば、逆にモンスターが迷宮から生まれたばかりの所に出くわした。


 極論だがそれこそ朝食さえ別の物を選べば、それだけでこの先に起きる出来事が変わる恐れもある。まして、状況が理解できない今、あまり不用意にこれから起きる事を弄りたくは無かった。


「そうですね……思いつくとしたらレッドパンサー。パンサー種の下級モンスターぐらいですかね」


 対面に座るリザが苦いサラダを口元に運びながら答えた。相変わらず顔は平静を保ったままだ。


「シュウ王国の南方の地域にコロニーがあり、主にそのあたりの迷宮から出現していると聞いたことがあります。……それが何か?」


「いや。さっき宿を出る時にそのモンスターの目撃情報を少し聞いてね。ちょっと気になったんだよ」


 もちろん、これは嘘だ。だけど、ここでこう言っとかないとこの先の展開によっては僕に疑念が向けられるかもしれない。仕込みは入念にしておく必要がある。


 そうですか、と納得したリザは妹にオレンジを分け与えた。僕はその微笑まし光景を見ながら今後の対策を講じる。


(あの時。僕らは朝から奴隷市場を訪れていた。理由は戦奴隷の購入の相談をハインツさんにするためだ。あの人と少し話してから売れ残っている戦奴隷を見に檻へ行き、そこでモンスターの奇襲を受けた)


 首筋にレッドパンサーの牙がくい込む感触を思い出した。肌を破き、肉を千切り、血が流れゆく。ぶるり、と体が震え首元を触る。まだ傷の無い肌を確認してほっとした。


(一番簡単な解決方法は今すぐ荷物を纏めて首都を出ることだな)


 頭の中で購入したばかりの地図を思い返す。たしか近隣に村があったはずだ。そこまで行けば補給などもできると思われる。


 だけど、それを選びたくないと思う自分がいた。それを選ぶと言う事はファルナたちを見捨てる事と同義だと叫んでいる。


 それにもう一つ気がかりもある。


 あのオッドアイの少女の発言。


 ―――どうせみんな龍に殺されてしまう! ワタシも、お前も、お前も、お前も。そこに居る黒髪のお前!! そう、お前だよ!


 ―――アンタは特にそうさ! お前は絶対に龍と会う前に死んでしまうよ! 良かったね! 炎に焼かれることだけは回避できるよ!!


 絶望に染まった表情で叫んでいた。耳朶を震わした声が今にも耳元で聞こえてきさえする。


 気がかりは彼女の口にした内容。僕が死ぬという予言・・。あれが現実となった事だ。


(だとすれば、やっぱり彼女は未来を知る術を知っているって事になるよな……そうなると本当に龍がやって来るのか?)


 頭の中の貧弱なイメージでは大きな翼を持ち、全身を鱗で覆われた怪物が火を噴く姿しか想像できない。だけど、それでも龍が脅威であるのは理解できた。


 彼女が本当に予言者で未来を口にしていたとしたら、この都市に龍が現れる事になる。それを知っているのはおそらく未来を知っている彼女と、未来の一部を体験してきた僕しかいない。


 突然、自分の両肩に重たいものが伸し掛かる。まるでこの都市に住む人々の命が自分にかかっているような圧力を感じた。


(だけど、僕に何ができるってんだよ。人脈も信頼も無いここで僕の言葉に耳を傾ける人はいない。特殊ユニーク技能スキルの事を知らせても証明のしようがない。打つ手なんかない)


 店の主人が開いた皿を片付けて、コーヒーを入れて机に置いていった。僕は思案しながらコーヒーをそのまま飲んだ。


(前提を間違えるな。僕は目の前の二人を守る。そう決めたはずだ)


 僕のマネをしてそのままのコーヒーを口に含んだレティは顔をしかめてしまう。そんな妹に呆れながらリザはミルクのカップを彼女の前に置いた。


 ウージアで彼女たちを守るとそう決めたはずだ。だからこそ第一に彼女たちの安全を考えるべきだ。


 頭ではそう結論が出ているのに、心はそれに納得できていなかった。どこかから声が聞こえてくる。


 本当にそれでいいのか、と。


 問いただす声が聞こえてくる。それは責めるような響きを持つ。凄惨な事が起きるかもしれない未来に対して何も備えるつもりは無いのかとなじっている。


 その声に向かって叫び返す。なら! 僕に何ができる! と。死んで戻るしか能のない僕に何ができるのかと、自問自答を繰り返す。


 答えは出ない。


 まるで出口の見えないトンネルに放り出された様な気分だ。歩いても出口に辿りつけず、もしかすると向かう先は行き止まりで後方にこそ出口があるのではないかと思ってしまう。いや、それとも出口なんか無いのかもしれない。


「……ご主人様? どうかされましたか」


 ふと気が付くと、リザが身を乗り出して僕の肩を揺すっていた。レティも心配そうに僕を見つめている。エメラルドグリーンの瞳が不安そうに揺れる。


「あ……ああ。ごめん。この後の事を考えるのに集中していたよ」


「左様でしたか。いくら呼びかけても返事が無いので心配しました」


「本当に大丈夫なの、ご主人さま?」


「うん。心配かけてごめんね」


 手にしていたコーヒーを啜ると、少し冷めていた。


「それで、今日はどのように動かれますか?」


 リザが尋ねたので僕は取り合えず、前回と同じことを口に出した。


「まず、奴隷市場に向かおうと思う。聞けばもうじき開会式が始まるそうだ。そうなれば特別地域に出店してる店が開く。観光客とかが押し寄せていき、掘り出し物とかを先に取られちゃうかもしれないから大きな買い物を先に済ませておきたいんだ」


「とすれば、ハインツ様の所に伺うのですか?」


「そうだね。僕にはほかに奴隷商人の知り合いは居ない。まずはあの人の所に向かおう」


「畏まりました」


「りょうかーい!」


 頷いた二人と共に立ち上がり会計を済ませ店の外に出た。通りを行きかう人の量は昨日よりも増え、その顔は皆祭りに浮かれ輝いている。この先に待ち構えているかもしれない凄惨な出来事を知らずにいた。


 当然だ。彼らは知らないのだ。知っているのは僕だけだ。


 再び心の奥底から僕に向かって声が聞こえた。これでいいのか、と。


(いい訳ないだろ! でも、僕は如何すればいいんだよ!!)


 自分に何ができるのか分からず、ただもどかしい気持ちだけが心の内に燻っていた。




 僕らは人で溢れる通りを抜けて正面の正門からでは無く左から二番目の門を潜った。此処を抜ければ目の前は奴隷市場の端に当たる。正門から行くのは遠回りになる。


 朝の奴隷市場は、人の数はそれほど多く無かった。逆に隣接している特別地域ですでに行列を成している店等があった。開会式と共に店へ雪崩れ込むのだろうか。この辺りの購買意欲は日本もエルドラドも差は無いように思えた。


 奴隷の身支度をしたり、朝食を済ませたりしている市場を突き進み、目的地であるハインツさんの天幕に辿りついた。前回は幾らか迷ったが今回はすんなりと着いた。


 だが食堂で時間を余計に取った分を考えるとタイムテーブルは変わらないだろう。もうじきこの辺りにレッドパンサーが襲い掛かるはずだ。


 自然と体に力が加わる。強張っていると言い換えてもいい。僕の変化を不審に思ったリザとレティに告げた。


「リザ。何が起きてもすぐ動ける様に備えていてくれ。レティは僕とリザから離れない様にしていてくれ」


「……分かりました。ご主人様」


「うん。了解だよ」


 二人は疑問を抱いたろうが僕の指示に素直に従ってくれた。すると、天幕の入り口がはらりと捲れ中からハインツさんが現れた。


 パイプを吹かせながら外の日差しを眩しそうに睨んだ彼は僕らを見つけて驚いた表情を浮かべた。


「お前さん……こんな朝っぱらからどうした? まさか、後ろの二人を手放す気になったのか?」


 前回と同じ冗談を彼は口にした。僕はそれにある意味安心しながら口を開いた。


「違いますよ、ハインツさん。実は相談があって参りました」


「相談? まあ、立ち話もなんだ。入りな」


 出てきたばかりの彼は僕らを天幕の内へと誘った。一昨日見たのと同じく、絨毯の上を土足で歩くとハインツさんは直接腰を下ろした。僕も彼の前に腰を下ろした。


 空気の流れの無い天幕の中でハインツさんのパイプから吐き出される煙が行き場を無くして彷徨う。


「それで? 相談ってのは何だ?」


「実はもう一人戦奴隷を購入しようかと思い、ハインツさんの意見を伺いたいと思ってまいりました」


 ハインツさんはメガネの奥の細い目で僕を不審そうに見つめた。


 僕はそんな彼に前回と同じく、このパーティーの欠点を彼に説明した。一度した説明をもう一度するのは億劫だ。


「―――という訳なんです」


「ふーむ。中距離で戦える人材が欲しいねぇ」


 パイプに溜まった灰を落とすとハインツさんは押し黙る。それから重苦しそうに口を開いた。


「商売人にあるまじき発言だが……お前さんに奴隷を売る気はあまり無い」


 一拍の後、彼は言葉を継ぐ。


「婆から聞いたぞ。お前さんどういう訳か知らんが対等契約しか結べないそうだな」


「……はい、そうです」


 これは前回にも同じことを指摘されたため動揺せずに済んだ。それにハインツさんはその事から僕が異世界人だとは気づいていない様子だったのであの老婆は僕との約束を守ってくれている。


「戦奴隷において対等契約がどれだけ危険なのかは理解できているはずだ。……主人が死ぬだけでなく奴隷が死ぬことでも全滅するリスクがある。そんな奴においそれと商品を売りたくは無い……ってのがワシの正直な気持ちだ」


そこで言葉を区切るとパイプに溜まった灰を皿の上に捨てた。


「まあ、それでも欲しいんなら仕方あるまい。ワシに止める権利は無い。着いてこい」


 言うとハインツさんは立ち上がり僕らを外へと誘った。僕らは彼に着いてきながらも周囲を警戒する。リザはすでに剣の柄へと手が伸びていた。


 ハインツさんは天幕の傍、幾つもの檻が置かれた場所へと僕らを先導した。そこはリザが僕を襲い掛かった所だ。


「ワシの所で今扱っている戦奴隷は五人。他はもう売れてしもうた。その中で魔法が使えるとなったら……コイツしかおらん」


 彼はそのうちの一つを指さした。檻の内側に魔法封じの陣を刻み込んだ檻を。


 その檻の住人僕らが近づくと静かに立ち上がり、鉄格子の傍に近づいた。一昨日見せた、狂ったような姿は一切感じられない。静かな湖畔を思わせる雰囲気を持っていた。


 誰よりもその変化に驚いたのは彼女を良く知るハインツさんだった。


「どうした? やけに静かじゃないか」


 唇で咥えていたパイプを指先で弄ぶ。常とは違う態度を前に彼は檻の中に囚われている少女に対して最大限の警戒をしていた。


 長い沈黙の後少女はポツリとつぶやいた。


「……どうせ。みんな死んでしまうの。どれだけ警告してもワタシの声に耳を傾けた者は居なかった。ならば亡びるのが道理といえよう」


 捨て鉢の言葉にシンパシーを感じた。彼女は僕と同じ、いや、僕よりも前から異変に気づき彼女なりに警告していたのだ。砂時計が尽きる前にどうにかしようと足掻いた。周りから殴られ、忌み嫌われようとしてもなお声を張り上げていた。


 たった一人で戦っていた彼女に尊敬の念すら抱いていた。


 すると、鉄格子越しにオッドアイの瞳が僕を射抜く。


「アンタか。……もうじき来るよ。アンタの死の運命が」


「……それを変える事は出来ないのか?」


 周りの視線が僕に集まる。訝しげな瞳を前に僕は言葉を継いだ。


「運命とやらは変える事は出来ないのか」


「……ええ。無理よ。アンタは死にワタシも死ぬ。それは覆すことのできない運命」


 諦めきったような表情に向かって僕はバスターソードを引き抜いた。


「なら、その運命を―――」


「ご主人様! モンスターです!!」


 ―――世界が遅くなる。


 不自然なほどゆっくりとした世界で背後から迫っているレッドパンサーの首を切り落とした。跳躍していた胴体はそのままの勢いで僕にぶつかりそうになるのを避けた。


 そのまま大地を滑り、首の無くなった胴体は檻に激突して止まった。金属製の檻が甲高い音を響かせる。それはあたかも開幕の鐘の如く、僕の耳に聞こえた。


「そんな運命は変えてみせる」


 ―――うじうじと迷いっぱなしの僕にどれだけできるか分からないけど、それだけは決めた。


読んで下さって、ありがとうございます。

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