閑話:北へ 『前編』
ランタンが灯された室内にペンの走る音がする。静かな夜だと、暖炉にくべた薪が割れ音ですら大きく聞こえる。数日前までは年の終わりを祝う催し物が開かれており、街全体が騒がしかったのが嘘のようだ。
「これでよし、と」
書き物を終えたクロノは顔を上げると体を動かした。同じ姿勢をずっと取っていたから、肩や腰が鳴った。
一仕事終えた緊張感から解放されていると、鼻をくすぐる香りに顔を向けた。いつの間にか、他に誰も居なかった部屋にシアラが入っていた。
「流石、熟練の冒険者ですね。部屋に入ったのを気づきませんでした」
「なに、馬鹿な事言ってんのよ。このぐらい、アンタも出来るようになるわよ」
苦笑と共に持ち上げたのは盆にあったカップだ。
「それだけ集中していたって事でしょ。お疲れ様。紅茶を入れたから、休憩にしない?」
「ありがとうございます。ちょうど、書き終えた所です。頂きます」
カップには薄い琥珀色をした液体が並々と入っていた。紅茶だけでなく、カップも温めていたのか指先からシアラの気遣いが染みこんでくる。クロノが紅茶をゆっくりと味わうと、シアラが書き上げたばかりの羊皮紙を掴んだ。
「本当だわ。この量を一晩で書き上げるなんて。ちょっと舐めてたわ」
金色黒色の瞳が机に摘まれた羊皮紙の束に向いた。クロノが書き上げた羊皮紙は握った拳を三つ重ねた程の厚さがあった。
どの羊皮紙を開いても文字に乱れが無く、文章を追っていくと内容が頭の中に直接放り込まれていくように分かりやすく書かれている。報告書として完璧な仕上がりだ。
「これなら公証人として食べていけるんじゃないかしら。もっとも、神様の特技が書類作成ってどうなのよ」
「神は座しているだけでは神とは為りえません。世界のわずかな変化からどのような結果がもたらされるのか、予想を立て、仮説を考え、実証を確かめ、それを纏めなくてはいけないの。だから、どの神もこういった書類仕事は得意なのよ」
「……意外というべきか、知りたくもない真実を知ってしまったかのような気分ね。でも、本当に助かったわ。これなら、『鍛冶王』に献上しても問題ない出来だわ」
クロノが一晩で書き上げたのは報告書だ。内容はこれまでに《ミクリヤ》が旅をしてきて手に入れた情報や『七帝』、そして騒動の顛末が事細かに書かれている。
人によっては大金を出してでも欲しがりそうな情報を求めたのはシュウ王国の王、『鍛冶王』テオドールだ。オルドを通じて今回の騒動を知ったテオドールは、これまでにレイ達が知り得た情報を共有したいと申し出た。
世界崩壊のタイムリミットを知っているテオドールとしては、自分が音頭を取っている国際会議の場で連合軍を設立したいという野望がある。各国や法王庁を動かすには、世界に本当に危機が迫っているのだと実感させるための情報が必要なのだ。
これまでもレイ達は騒動に首を突っ込めば報告をしてきたが、どちらかといえば主観的な内容ばかりで各国首脳を説得するだけの材料としては弱かった。
一度、きちんとした形の報告書を作成して、各国に資料として配る必要があった。そこでテオドールは今回の騒動に関する報告に対して、これまでに得てきた情報などを一緒に報告するように命じたのだ。
それに頭を抱えたのはシアラだ。
確かに情報は武器だ。
闇の中で形も分からない物の、真の姿を浮かび上がらせる光だ。
一方で情報の公開と共有は危険な行為でもある。
例えば、相手が知らない情報を自分たちが独占していれば、相手の裏を掻くことが出来る。自分たちがどこまでの情報を知っているのか、敵対する者達に知られてしまえばアドバンテージが減ってしまう。
知っているという事実を知られただけで、妨害を受ける恐れもあった。
現状、レイ達には複数の敵がいる。
『七帝』が一体。『魔王』フィーニス・マールムが率いる魔人種たち。
『七帝』が二体。『魔術師』オルタナと『龍王』黒龍の同盟。
西方大陸の覇者たる帝国。その頂点に立つ帝室。
そして『七帝』が一体。『正体不明』の一派だ。
特に厄介なのが『正体不明』の一派だ。いまだに手掛かりすら掴めない『正体不明』を筆頭に、神々の中に紛れ込んだ『黒幕』に、『機械乙女』ポラリスを通じてノーザン・オルストラが警告した『正体不明の娘たち』が居る。彼ら、あるいは彼女らがどこに潜伏し、どんな活動をしているのかは不明だ。
もしかすると、これまでに遭遇した誰かなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。ともかく、フィーニスやオルタナ達とは違った意味で脅威であり、文字通り正体が掴めない敵なのだ。
彼らの存在をテオドールに教えれば、テオドールを通じて彼らに知っている事が知られてしまうかもしれない。千三百年近く、神々ですら影も掴めなかった彼らに姿を隠されてしまったら、どうしようもない。
また、レイには大きな秘密がある。レイの持つ特殊技能、《トライ&エラー》だ。死に戻りの力は、これまでにダリーシャスやローランには話している。今回、不本意ながらフィーニスたちにも知られてしまった。
テオドールがダリーシャスやローランのように信頼できない、という訳では無い。ただ、『鍛冶王』は連合軍を組織するにあたって、最後の『招かれた者』であるレイを救国の旗頭にしようと目論んでいる。そんな人物に死に戻りの力を知られてしまえば、ますます旗頭に据えようとするだろう。あるいは、《トライ&エラー》の危険すぎる力を憂いて直接的な行動を取るかもしれない。
このようにレイ達は全ての情報、全ての出来事をつまびらかにする訳には行かない事情という物があった。
シアラはクロノとレティ、ヨシツネを交えて一日中話し合いをして、どこまでの情報を開示するか決めた。
今回、テオドールへの報告書に記さないのは《トライ&エラー》を含めたレイの秘密と謎、『正体不明の娘たち』、そしてヨシツネの存在だ。
反対に、クロノが地上に落ちてきた経緯や13神の中に紛れ込んだ『黒幕』の存在、そしてリザがポラリスから聞いた魂魄に関する話は伝える事にした。
《トライ&エラー》や、レイの秘密や謎を軽々に明かすのは危険であるため、他の者達も同意を示した。しかし、『正体不明の娘たち』を知らせるべきかどうかでちょっとした議論が起きた。
シアラは話すべきだと主張したが、レティが真っ向から対立したのだ。『正体不明の娘たち』が誰なのか、何人いるのかも不明な状況で下手に知らせたら、かえって不信を招く元になってしまう。
『黒幕』の存在を知らせるのは、テオドールの各国首脳の危機感を煽るという目的に合致しているが、地上に潜伏している可能性が高い『正体不明の娘たち』については話すのは早いと判断したのだ。最終的に多数決を採り、レティの意見が通った。
そしてヨシツネの存在―――彼が本来の意味での『招かれた者』である事は完全に隠す事にした。ある意味、元神であるクロノ以上に貴重な存在なのだ。本来の歴史を知っており、世界崩壊の現場に居合わせていた。彼の知識は『正体不明』や『黒幕』による認識の変更を受けていない。奴らが隠している何かを見抜く鍵となるかもしれないのだ。
それに、シアラには漠然とした予感があった。
今回の騒動の時、ヨシツネと遭遇したオルタナが口走った言葉。
―――「……間違いない。お前はアイツのヨシツネだ。この事を、レイの奴は知ってるのか!? 自分が誰の部下を傍に置いているのか!!」
言葉の意味をオルタナから聞きだす事は出来なかったが、彼の反応からすると何かしらの重要な秘密と繋がっていると推測できる。ならば、本人に尋ねてみるかとそれとなく話を振ったのだが、予想外の邪魔が入ったのだ。
ヨシツネに前の主について尋ねると、彼は困ったように眉尻を下げ、舌の裏を見せた。赤くぬめぬめとした口内に、明らかに人為的に付けられた印があった。
「契約でござる。拙者の前の主は一定の身分を持ちながらも敵の多かった御仁。それゆえ、拙者のような忍びを手ごまに使っていると知られれば、致命的な弱点となってしまう。故に、拙者は主に関する事を明かさないように、このように刻印を打たれたのでござる」
「喋ったりしたら、どうなっちゃうのよ」
「刻印が溶け、毒が体内を駆け巡るようになっているでござる。仮に助かったとしても、脳をやられてしまうため、喋る事はおろか、意志を通わす事も難しいでござろう。お力になれず申し訳ござらん」
「なんて面倒な仕掛けなの。外す事は出来ないかしら。何か分かる、クロノ」
「……おそらくは無理でしょう。この刻印は術者の血肉を使わなければ解除できなかったはずです。その主が一週目のエルドラドに居たのなら……解除の方法はありません」
クロノの言葉に肩を落としてしまう。何かしらの情報が手に入るのではと期待しただけに落胆は大きかった。
同時に、ヨシツネの価値が高まったといえる。ヨシツネの前の主はヨシツネを使い捨ての道具として扱わなかった。自分の信頼できる部下として身近に置き、重要な仕事や危険な場所へと送りこんでいた。そこには固い信頼関係があり、裏を返せば前の主にとってヨシツネは重要な存在だったといえる。
もし、前の主がシアラの考えている人物の誰かだった場合、彼が味方として傍に居るのは大きな意味を持つ。
もっとも、諸刃の剣とも言えるのだが。
ともかく、オルタナの発言からヨシツネの存在は非常に重要だと判明した。だから、彼の事はあまり周囲に知らしめない方が良いだろうと判断したのだ。
こうして、開示する情報を決め、これまでにレイが遭遇した事件の騒動をクロノが報告書に纏めることになった。クロノが筆を取った理由としては、彼女がこの手の書類に書き慣れていると志願したからだ。もう一つの理由としては、クロノ自身が今回の騒動であまり力になれなかったのを悔いていて、せめてここで挽回したいという気持ちがあった。
幸いというべきか、クロノはカプリコルでヨシツネと遭遇するまでの旅を神々の観測所で見ていたため、秘密にすべき部分とそうでない部分をきちんと理解していた。文章の組み立ても上手く、読んだ人間が内容に不信を持たないように誘導している。
ただし、アクアウルプスで起きた事件は『黒幕』たちの暗躍もあり彼女も知らなかった為、書く時は最後まで意識のあったシアラが手伝った。
クロノが紅茶を飲み干すのと、シアラが内容を添削し終えるのは、ほとんど同時だった。
「うん。ワタシの目から見ても問題はなさそうね。朝になったらレティとヨシツネにも見て貰って、問題が無いか確かめて貰いましょう。それで大丈夫だったら、これを献上するわ」
「分かりました。……その、レイさんに確認を取らなくても宜しいのでしょうか?」
クロノが不安そうに天井を見たので、シアラもつられて同じ方を見上げた。屋敷の最上階に部屋を構える主の事を思う。
「主様は……今は放っておきましょう。一応、どんな風に報告書を仕上げるかの方針だけは伝えて許可は取ったわ。だから、これを見せなくても大丈だと思うわ」
「……分かりました」
本当に問題は無いだろうかという感情が読み取れてしまうが、クロノは一応同意した。彼女も、今のレイに無理をさせたくないと考えたのだ。
あの日。
『七帝』が学術都市に集結し、『龍王』黒龍が『機械乙女』ポラリスを破壊した日の夜を境にレイの様子は一変した。
どこか、ぼうっとした表情で空を眺め、心ここにあらずといった状態なのだ。
最初は怪我か、あるいは《トライ&エラー》を何度も使用し、心と魂をすり減らすような戦いを潜り抜けた反動なのかと思ったが、どうも違う様なのだ。レティやエトネが話しかけると、彼はいつもの様に振る舞うのだ。
明らかに無理をして。
それが返って痛々しく映り、皆はレイに気づかうようになっていた。
「……あんな風な主様を見るのは初めてかもしれない」
ポツリと呟いた言葉にクロノが首を傾げた。
「どういう事でしょうか?」
「主様ってね、凄い必死なのよ。普通の人なら倒れちゃいそうな重荷を抱えていても、歯を食いしばって耐えようとしているの。我慢して、我慢して、何とか乗り切ろうとする。それが出来なかったのは、カプリコルで自分の秘密と直面した時かしら。あの時は、我慢できなくて心が砕けてしまった」
「そう……ですね。私が見てきたレイさんは、本当にそういった方でした」
「だけど、今の主様は違うわ。……変な言い方だけど、ちょっと安心するぐらい、普通に落ち込んでいるように見えるの」
妙な発言だが、意外な事にクロノも同意するように頷いた。
これまでのレイは、どこか無機質な感情に突き動かされているかのような部分があった。
命を助けられたから、リザとレティを命懸けで助けようとする。
人々を助けたいから、赤龍を相手に無謀とも呼べる作戦を完遂してしまった。
ナリンザに救われたから、ダリーシャスを王にするまで戦った。
一見すると、受けた恩義を律儀に返した美談のように思える。だが、どれもが命懸けの戦いであり、《トライ&エラー》が無ければ死で終わる物語だ。
厄介なのは《トライ&エラー》があったから、レイは命を賭けられたのではない。
仮に《トライ&エラー》が無くても、同じことをしたかもしれないのだ。自分の意志というよりも、状況を受け入れ流されるままに戦う。
「ある意味、ポラリスよりも意志が薄かったのかもしれないわね。それがカプリコルでの出来事を経てから、少し変わったように思えるの。……今回の事も、その一環かもしれないわ。……何を笑ってるのよ、クロノ」
「いえ、ごめんなさい。ただ、シアラが可愛いな、と」
可愛いと言われ、シアラの眉が吊り上がった。唇を尖らせると、
「なによそれ、失礼するわね」
と、あからさまに拗ねてしまった。その仕草も可愛いのか、クロノは笑みを止めようとしなかった。
「ふふふ。……ごめんなさいね。こうやって貴方達と触れあい、感情の変化に触れるのが楽しくて。不快にさせたのなら、謝罪するわ」
「そんなに本気で怒ってないわよ。……感情の変化に触れるのが楽しい、ね。それぐらいしか、神様って娯楽が無いのかしら? これだけの報告書を難なく仕上げられるって事は、普段から書類仕事をしてたんでしょ。ワタシだったら、退屈で無理だわ」
シアラの言葉にクロノは笑みを変えた。
何処か超然とした、それでいて深い虚無を思わせる笑みに言葉を失ってしまう。
「退屈。……そんな風に感じられる神は居なかったと思うわ。きっと、言葉にできない恐怖とずっと戦っていたはずよ。少なくとも、私はそうだったわ」
「……どういう意味かしら? 神が恐怖を感じるなんて」
「神の役目については前にも話したかしら。私達にできる事は、世界の管理。管理する世界が無くなれば、後は永劫が待っているだけ。……ねえ、シアラ。永劫ってどれ位か知っているかしら?」
問いかけに答えを詰まらせてしまう。
それが答えだ。
「貴女でもすぐには答えが出せないのが答えよね。宇宙の寿命と言われている十の百乗年が終わっても続くのよ。それだけ長い、途方もないほど長い時間を神は生き続けなくちゃいけない。生まれた瞬間から、終わりの無い時を過ごさなくちゃいけない。普通なら気が狂ってしまう……いいえ、狂った後に悟って無になるくらいの地獄よね。それを狂わずにいられるのは世界があるからよ」
神は死ぬ事が出来ない。
そして、何かを作り出す事も出来ない。
彼らにできるのは世界を管理する事だけであり、それを失った後に待つ永劫という時の牢獄にいつも怯えていた。だからこそ、神々にとってエルドラドは、唯一の娯楽場だったのだ。自分たちの背中に張り付いて離れない、永劫への恐怖を忘れられる唯一の術だ。
「だから……正直言って黒龍の気持ちが分からないわ。神になっても、待っているのは永劫への恐怖だけなのに」
どこか憐れむような呟きは、暖炉の薪が爆ぜる音に飲み込まれてしまった。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は21日頃を予定しております。




