閑話:人龍戦役Ⅸ
音も衝撃も置き去りにして、黒龍の体が吹き飛んだ。
対特殊戦力兵器乙型参号は直撃するなり、黒龍の左下半身を吹き飛ばした。衝撃により文字通り、鱗も、皮膚も、肉も、血も、骨も残らない。辛うじて破壊を免れた左後ろ足のつま先が、遅れてやって来た衝撃波と共に何処かへと飛んでいく。
瞬間的に、体の3割以上を吹き飛ばされた黒龍は、体の内側から凄まじい勢いで迫る苦痛を意志の力でねじ伏せる。舞い上がる衝撃波で崩れそうになるバランスを押さえつけ、攻撃が来た方角を、空を睨んだ。星々を隠していたベールに穴が開き、夜空に紛れるように人影があった。
「絡繰り風情が……我を天から見下ろすとは不敬であるぞ」
牙の隙間から地響きのように漏れた声は、果たしてポラリスまで届いたのか。何しろ、彼女は地表から遥か遠く、低軌道上に身を置いているのだ。
黒龍の背びれが発光すると、急速に大気が震える。黒龍の力が一点に集中していく。天に向かって黒龍の怒りが放たれようとしていた。大陸を越えて届く熱線だが、二千シロメーチル上空まで届くのかどうかは黒龍ですら知らないが、反撃をしない理由にはならない。
もっとも、それを確かめる機会は失われた。
黒龍が顔を上げるよりも前。一投目から遅れること五秒後に投擲された対特殊戦力兵器乙型参号が黒龍の顔面から右半身を消し飛ばした。
集中していた力は霧散していく。これで体の六割を吹き飛ばされた黒龍だったが、それでも死なない。それどころか、衝撃で抉れた断面に肉の泡が張り付いている。あと数秒もすれば、肉体は再生するだろう。
しかし、二投目からきっかり五秒後に投下された三本目の対特殊戦力兵器乙型参号が黒龍の首から下を無慈悲に削り取った。
再生中だった断面はもちろん、まだ無事だった胴体や翼、左腕などは大地の染みとなった。ぼとりと音を立てて黒龍の割れた頭が地面に落ちた。
これが対特殊戦力兵器乙型参号の力である。
特殊戦力とは、『科学者』ノーザンが危惧した可能性を指す。ノーザンの最高傑作である対魔法工学兵器用兵器Ω―1、個体名称ポラリス・オルストラは、ノーザンが想定したあらゆるケースに対応できる柔軟性を持つ。どのような敵が、どのような環境でも、どのような状況であっても任務を成功させ帰還できる能力と知性を備えている。
とはいえ、それはあくまでもノーザンのシミュレーションした状況下での設定だ。自分が想定しているよりも過酷で、想像を絶する状況は起こり得るとノーザンは考えていた。それこそ、ポラリスを単騎で倒せる敵がこれから現れるだろうとさえ予想していた。
自分の死後、たった一人で兵器殲滅を行う娘に対して、ノーザンは贈り物を用意した。彼女の処理能力を越える危機に対して、彼女が任務を成功させ、なおかつ無事に帰還できる兵器。それが対特殊戦力兵器になる。
対特殊戦力兵器は、それぞれコンセプトが違う。対特殊戦力兵器乙型参号の場合は、対象が巨大かつ広範囲に展開している時に有効な兵器だ。要は大きな敵、あるいは複数の敵を一度に殲滅できる。
破壊力は申し分ないが、一方でデメリットもある。
命中率が悪いのだ。
最大の威力を発揮させるには低軌道上から落下させないといけない。目標までの距離は二千シロメーチルはある。ドローンと連携させて目標へと誘導させるシステムではあるが、数度のずれが致命的なずれにもなり得る。
現に、一投目から黒龍の中心部を狙って投下していたのに、着弾箇所は斜め左にずれてしまった。そのずれを修正するのにもう一投必要になった。
確実に狙った場所や対象に命中させようとすると推進装置が大型となり、ポラリスが運用するのに不向きとなってしまう。
とはいえ、二千シロメーチル上空から金属の棒を落下させるだけで対象を破壊できるというコンセプトはノーザンも満足している。ポラリスを倒せる可能性のある脅威から遠く離れた場所で、一方的に攻撃できるというのは得がたい魅力となっている。
結果はご覧の通りだ。
『魔王』フィーニス、『守護者』サファ、『魔術師』オルタナ、『勇者』ジグムントの四人が、十二時間近く全力で戦い続けても倒しきれなかった『龍王』黒龍を、僅か三回の攻撃で肉塊に変えてしまった。
『機械乙女』ポラリスを恐ろしいと呼ぶべきか、『科学者』ノーザンを異常と称賛するべきか悩み所ではある。
「観測。当該目標からのシグナルの消失を確認。兵器の破壊に成功」
ポラリスは淡々と機械的に自分の戦果を報告する。そこには、あの黒龍を追い詰めたという感慨は欠片も含まれていなかった。彼女にとって最重要なのは兵器破壊であり、黒龍は単なる障害に過ぎないのだ。兵器を大切に保管してある城や研究所と同じ、邪魔な壁だ。
「受領。ミッションプラン、アップデート。これより帰投します」
残った二本の対特殊戦力兵器乙型参号を入れた箱の蓋が閉じる。身の丈の何倍もある箱を背負うと、彼女は何の躊躇いもなく研究所の方角へと振り向いた。
繰り返しになるが、『機械乙女』ポラリスにとって最重要事項は兵器の破壊であり、任務が終われば研究所に帰投する事だ。トラゴエディアの戦いに介入する事では無く、ましてや世界のために黒龍を倒すなんて殊勝な事は考えていない。
だからだろうか。
噴煙に紛れて再生を果たしつつある黒龍が自身に向けて力を集中させているのを、脅威と思わずに放置していた。
「絡繰り人形がッ! 我にこれだけの狼藉をしておいて、逃げるというのか!? 許さん、許さんぞ!!」
黒龍の再生能力を持ってしても、全身の復元は容易でないのだろう。失った部位の大部分は骨が露わとなっており、修復される内臓と共に血が垂れていき、遅れて肉が張り付いていく。それでも数秒の内に肉体という枠組みは再生していた。あと一分もあれば完全復活するはずだ。
だが、今の黒龍には一分も長すぎた。既にポラリスは雲に紛れてしまった。龍の感知能力でも正確な位置を把握するのは難しい。完全復活まで待っていれば、逃がしてしまうのは確実だ。
逃がす前に一撃を与え、速度が落ちた所を完全復活した体で追えばいい。黒龍はそのように考えて、治りかけの体に鞭を打った。遥か上空から一方的な破壊をもたらし、あろう事か興味もないとばかりに立ち去ろうとするポラリスに向けて、己の怒りをぶつけようとする。
―――その瞬間を待っていた。
「―――ぐむぅう! オルタナ、貴様ッ!!」
黒龍の息苦しそうな声。怒りの矛先は龍の喉を素手で貫いている男に向けられている。対特殊戦力兵器乙型参号の衝撃が三度広がった地表に残っていたオルタナは、不敵に笑って見せた。
「そういうこと、か。種が分かればなんという事も無いな。テメェの不死性はどこか神じみた物を連想させていたが、その通りじゃねえか」
自分の懐に潜りこんでいる人間に対して、黒龍は身動きが取れなかった。ポラリスの破壊行為による肉体の再生が途中だからという理由だけでは無かった。
いま、オルタナは黒龍の肉体を掴んでいるのではなく、黒龍という存在の根幹を掴んでいた。
「てめぇ、どうやったか知らないが神の領域に足を踏み込んでやがる。それも、あの神々とは違う奴だ。……神無き時代の新しき神になろうとしてやがるな」
「……然り。この大地に救いは消えた。衆生は導きを失い堕落し、無道を働く者共が横行する。なんと哀れな事なのか。誰かが正さなければならない。誰かが救わなければならない。我は、そのために立ち上がったのだ!」
「もっともらしい救世論を掲げるのも良いがな、てめぇのやっている事はとどのつまり破壊行為じゃねえか。どこが救っているんだ!」
「破壊こそ救済である。死を持ってでしか救われない衆生を、我は救っているのだ」
「……話にならねえ。これ以上、てめぇと喋っても時間の無駄だ。だから、やらせてもらうぞ、黒龍!!」
ぞわり、と。黒龍の全身が悪寒に苛まれた。《神聖騎士団》を相手にした時も、『七帝』と二日近く戦っていた時でさえ感じた事の無い悪寒を誤魔化すように叫んだ。
「オルタナ、貴様、何をしようとしているのだ!!」
黒龍の喉に突き刺さったオルタナの腕がびしり、びしりと音を立てていく。亀裂が肩の所まで届くと、オルタナは無理やり肩を捻った。途端、オルタナの右腕が肩のあたりで砕け散った。残された腕は再生を続ける黒龍の肉体に押しつぶされ、細かい破片となった。
「ぬ―――う―――」
瞬間、異変が黒龍を襲う。元の形を取り戻しつつあった復元が止まり、肉の泡が弾けたのだ。
「貴様、オルタナ。何を、何を我に埋め込んだ!」
「くはっ。いい表情じゃねえか。くそみたいに面倒な戦いだったが、最後にそんなてめぇの姿を見られただけで元は取れたぜ。……俺が埋め込んだのは、俺という存在さ」
「……なに?」
言っている事が分からないと唸る黒龍に、オルタナは勝利宣言を突きつけた。
「てめぇと俺は限りなく似ている存在だ。己の分をわきまえず、神々が定めた階級を飛び越えようとした。俺は人の身から精霊に。てめぇは精霊から神々へ。存在の昇格は、普通なら出来やしねえ。俺達を阻む壁は高く険しい。だから、壁を迂回するしかねえ。人の身から精霊になるには、人の領域から抜け出し、世界と同期する必要がある。残念ながら、俺はその段階でつまづいてこうなっちまったが、てめぇは神々の領域に限りなく近づいている。だが、完璧じゃねえ」
オルタナの推理は正しかった。黒龍が神の如き力、権能を行使しているのは、無神時代における神になりかけているからだ。一方で黒龍に『七帝』たちの攻撃が届くのは、神の領域に到達していないからだ。
仮に、黒龍が完璧な神として覚醒しているなら、攻撃自体が効かないのだ。人と神では同じ地平に立ったとしても存在の重みが違く、同じ空間に立っては居られない。
「だから、混ぜてやったんだよ。出来損ないの、最後の最後にしくじった俺の存在を、てめぇにな」
「我に……我に精霊の紛い物を埋め込んだというのか!!」
激昂が大地を震わす。衝撃で凍り付いていた海が砕け、海水が流れ込んでくる。足元からせり上がる海の水は冷たく、普通の人間なら数分でも浸かっていたら死んでしまう。そうやって死んだ兵士の死体たちがそこら中にあった。
「そういうことさ。さて、どうする。このまま続けるか? 俺を埋め込んだとはいえ一部だ。時間が経てば排出されて元に戻るだろうが、今すぐは無理だろうな。今のてめぇは、神に近く、龍に近く、そして世界に近い。現に、自分を見てみな。限りなく神に近いから手に入れた復元力は失われていないだろうが、弱まっているな」
オルタナの指摘通り、黒龍の体の修復は速度が圧倒的に遅くなったが、それでも修復自体は続いていた。
「そんな不安定な状態で戦えば、てめぇがどうなるのか俺にも予想は付かねえ。……だが、予測は出来るぞ。てめぇにとって都合の悪い未来でも測定してやろうか」
虚勢だ。
未来の自分と同期できるが、その未来をオルタナが選ぶことは出来ない。もしかすると、黒龍がこの窮地を乗り切り、神として完成する未来を測定する可能性は十分にあった。一方で、オルタナの言う通り、黒龍に都合の悪い未来を測定する可能性も十分にある。
黒龍にとって恐ろしいのは言うまでも無く後者であった。
「さあ、どっちだ! このまま俺達と戦うか、それとも尻尾を巻いて逃げ出すか、どっちを選ぶんだ黒龍!」
凍てつく程冷たい海面に影が生まれると、そこから三つの人影が浮かび上がった。フィーニスとサファ、そして全身を影で拘束されているジグムントだ。四人の『七帝』を前にした黒龍は瞳に憤怒の炎を宿したまま翼をはためかせた。
まだ、再生途中の翼では満足に空を飛べないのだろう。体が傾く度に再生途中の肉塊が海に落ちていく。
「認めよう。これは我の敗北である」
「……随分と素直に認めるんですね。どういった心境の変化ですか。そんなに『機械乙女』にやられたのが堪えたのですか」
フィーニスの問いかけに黒龍は否と答えた。
「絡繰り娘など些末事である。貴様等もそうだ。我にとって塵芥に等しい。……オルタナ、貴様を除いてな」
「ほう、こいつは過大評価されちまったな。あの黒龍に恐れられるなんてな」
「……認めよう。我は貴様が恐ろしい。この地上で、神々を除けば貴様が我に匹敵するだろう。我の救済を阻むとしたら、それは間違いなく貴様であろう。……ゆえに、貴様は必ず我が滅ぼそう。たとえ、世界のどこに隠れたとしても必ず見つけだし、どのような手管を使ってでも消滅させよう。それまでは貴様の生存を許す」
そう告げると、黒龍は体を震わせるように翼を羽ばたかせた。帝国内部に引きずり込まれている本隊とは別の方角に向かって、よろよろと飛翔していく。その姿が厚い雲に飲まれるまで見届けてから、三人は崩れ落ちるように力を抜いた。
「やっと、やっと終わった! ああ、疲れた疲れた。温泉に入りたい!」
「温泉も悪くないが、まずはまともな飯が食いたい。休みながらとはいえ、簡単な保存食だけでは食えた気がしない」
「やれやれ。最後まで偉そうな態度を改めない奴だな。おいてめぇら、そのままだと海に沈んで死んじまうぞ。フィーニス、全員を陸地に引き上げろ」
「はいはい」
気だるげな返事と共に、全員の体が影に飲み込まれた。数秒も経たずに解放された時、そこは地上だった。ポラリスが投擲した対特殊戦力兵器乙型参号の影響が少ない場所だ。とはいえ、先程までの戦場は地平線のはるか先である。
大地に座りこんでいるフィーニスとは対照的に、サファたちは地面に立っていた。
「……凄いなぁ、君たち。あれだけの戦いがあったのに、まだ立っていられるなんて。そんなに余力があるのか」
「俺は問題ないが、こいつはやせ我慢だ。棒で突っつけば、ぱたりと倒れるぞ」
「黙れオルタナ。……おい、その右腕は大丈夫なのか?」
「ん? これか」
オルタナは肩から先が無くなった右腕に対して、何でもない風に言った。
「問題ないぞ。黒龍の奴が混ざった俺を排出すれば、勝手に復元する。まあ、その時は黒龍の奴が完全に復活した事になるがな」
「じゃあ、君の腕が残っている内にあの神様もどきをどうにかしないといけないのか」
黒龍とオルタナの会話は影の中から聞いていた。
オルタナに確認すると、それは難しいだろうと言われてしまう。
「俺の腕が残っている今は、確かに戦えば勝てるかもしれない。存在が固定されず、神としても龍としても、世界としても不安定な状況だ。それが返って危ないんだ」
「刺激を与えると、逆に神として完成される恐れがあるのか」
「それもある。厄介なのは神以外の、更に別の存在に変化してしまうのが俺は恐ろしい。もっと手におえず、どうしようもない存在になってしまう方が厄介だろ。ここは下手に刺激を与えず、奴が俺の腕を排出するまでの期間を利用して対策を講じるべきだ」
「対策だって? 神様もどきをどうやって倒すっていうんだい。この四人に『機械乙女』を加えたメンバーでも、アイツを倒しきれなかったじゃないか」
「その通りだ。黒龍を力で倒すのは不可能だ」
「じゃあ、どうするんだ」
フィーニスの問いかけにオルタナはしばらく考えてから、答えを口にした。
「他の龍の力を借りるしかないな。黄龍を封印した時と同じように、いや、黄龍以上の封印を彼らに用意して貰わないと。……なんだ、その顔は」
ムッとした口調になったのはサファがオルタナを意外だと言わんばかりに見つめていたからだ。
「意外だ、と思ってな」
実際に口に出した。
「貴様が自主的に動こうとしているのが、意外だと思ってな。……あの頃とは大違いだ」
「ふん。……黒龍を野放しにすれば、俺の目的が邪魔されちまう。ただ、それだけだ」
「……君の目的ってなんだい?」
フィーニスの質問にオルタナは答えなかった。ただ、視線が別の方向を向いていた。
視線の先に居たのはフィーニスの影から解放されたジグムントだ。『勇者』はだらりと下げた聖剣を引きずるように歩き出していた。サファたちには興味もくれず、黒龍との戦いで見せた狂戦士じみた振る舞いは影も残っていない。
「あの方角は帝都か?」
「そうだろうね。黒龍を追いかえしたから、戻ろうとしてるんだろうね」
「どうやら、そのようだな。……ならば、俺もそろそろ帰らせてもらおう」
言うなりサファは歩きだそうとしていた。方角はフィーニスが安全地帯に送っていた貴族の子弟やエルフたちが集まっている場所だ。
「サファ、一応聞いておくが、てめぇはこの後の戦いに関わるつもりはあるのか?」
「無い。帝国への義理はこれで果たした。後は貴様等で勝手にやれ」
一方的に言うと、そのまま振り向きもせずに歩いていく。ある意味、無責任な態度のように思えるが、それもサファらしいとオルタナは呟いた。
「さて、と。『魔王』フィーニス。悪いが仕事を一つ頼まれてくれないか」
「内容にもよりますが、何を?」
「簡単な事だ。今回の戦いだが、黒龍が撤退したのは『機械乙女』ではなく、十万の兵士の犠牲とジグムントのお蔭だったと帝国や諸国に伝えるんだ」
「報告を誤魔化すんですか?」
「そうだ。馬鹿正直に、黒龍は『機械乙女』の攻撃でも再生していたと伝えれば、かえって恐怖を煽る結果となる。かといって、『機械乙女』の攻撃で撤退したと聞けば、奴らはこぞって兵器を持ちだして来るぞ」
「なるほど。そんな報告を聞いて兵器を起動して『機械乙女』が登場しても、黒龍は倒せない。地上がこんな風に破壊された上で、『機械乙女』まで破壊されてしまう可能性があるという訳か。それを防ぐために、嘘の報告をするんだ」
「そういう事だ。俺の口からじゃ信用されないが、てめぇは何だかんだ言って一国の主だ。その上、貴族の子弟を助けている。信用度が違うだろうな」
「了承した。……そういえば、聞きそびれていたな。どうして未来が変わったんだ。君が最初に測定した未来だと『機械乙女』と『勇者』が破壊されるはずだろ。なのに、実際に到達した未来は、二人とも無事で黒龍が逃げている。十万人が死亡して、これだけの被害が出た以上、勝利と手放しで喜べないが、それでも勝利に違いない。何がきっかけで未来が変わったんだ?」
「ああ、それか。そいつは簡単だ。フィーニス、てめぇは『招かれた者』だろう」
瞬間、フィーニスの足元から伸びた影は先端が刃のように鋭くなって、オルタナを取り囲む。同時に、フィーニスの周囲を光の剣が取り囲んでいた。どちらも指先一つ動かすだけで攻撃が届く距離だ。
互いの心臓を掴みあうような状況で、オルタナは笑った。
「若いな、フィーニス。自分の正体を言い当てられて直ぐに攻撃態勢なんて。……まあ、エイリークに比べればマシな反応か」
「……驚いたな。どうしてぼくの正体が分かった。『七帝』は『招かれた者』を見抜く力でもあるのかい。それとも、何かヘマでもしたかな」
「ヘマをした、というのは当たらずとも遠からずだな。……『招かれた者』はな、この世界の人間じゃねえから、運命に対する抵抗力が強い。未来を観測しても、それを変える事が出来る存在なんだ。あの場には俺以外にサファとジグムントが居たが、アイツらは違う。ジグムントは『招かれた者』だったが、もう死者だ。他の『招かれた者』のように運命を変える力は無い。後は消去法で考えれば、お前以外に居ないだろ」
サファとジグムントが候補から消えれば、残るのはフィーニスだけだ。
「そういう事か。……それで、どうするんだい? 『七帝』として『招かれた者』を野放しにはできない、なんて義務感にかられるのかい?」
試すような口ぶりだ。金色の瞳は油断なくオルタナに向けられている。オルタナが僅かでも殺気を出せば、すぐにでも反応できるほど集中していた。
オルタナは張りつめられた静寂をいともたやすく破った。
「そんな義務感はねえよ。てめぇが俺を倒したいというなら、全力で抵抗するがこっちから仕掛けるなんて面倒なことはしたくねえ」
どうする、とオルタナは言外に尋ねた。
『招かれた者』として、フィーニスはどうするのか、と。
フィーニスは逡巡することなく、全身の集中を解いた。
影の刃が崩れて主の元へと戻っていく。
「いいのか、俺を見逃して」
「あははは。『招かれた者』としては不味いだろうね。ただ、君をここで始末したら、誰が黒龍を封印するために六龍と交渉するんだい。それこそ、君以外に適任者は居ないよ」
目の前の存在よりも黒龍の方が危険度は高い。
現状、オルタナ以外に黒龍の対抗策を用意できる人材はいない。娘のカタリナなら、あるいはという可能性もあるが、その可能性は現段階だと低い。
王として守るべきは国であり、そこで暮らす民である。彼らが生き延びるために、差し迫った脅威に対抗するのは王として当然の選択である。それは『招かれた者』の責務よりも優先すべき選択だ。
フィーニスから殺気が消えたのを確認して、オルタナも魔法を引っ込めた。
「まともな判断をしてくれて助かる。助かるついでに、あっちでヤバイ槍を投げようとしている奴を止めてくれないか」
「ゲオルギウス、もう大丈夫だから。攻撃しなくてもいいよ!」
いつの間にか近づいていたゲオルギウスが、愛用の槍を構えて今にも投擲しようとしているのを止める。
納得していないのが遠くからでも伝わってくるが、構えを解いたのが確認できた。
「……流石にあの槍で攻撃されちゃ、ひとたまりも無いな」
ポツリと呟いた言葉は風で掻き消された。
「何か言ったかい?」
「いや、別に。それじゃ、後の面倒はてめぇに任せる。助けた貴族のガキどもに口裏合わせをするのも忘れるなよ」
「了承した。黒龍への対抗策が整ったら、アトス国にも教えてくれ。微力ながら、力を貸そう」
「そうかい。なら、その時は頼むぞ。じゃあな」
オルタナは無くした右手の代わりに左手で帽子を押さえて、風に紛れるように消えてしまった。後に残されたのはフィーニスだけだった。
「陛下。ご無事で何よりです。……他の者共はどちらに?」
「彼らは旅立ったよ。……ああ、随分と面倒な戦いだったけど……うん、楽しくはあったかな」
「それは……喜ばしい限りでございます、陛下」
満足そうに笑う王にゲオルギウスは深く頭を下げた。本音を言えば、共に戦いたいという欲はあったが、己の役目を果たすのも重要だと理性で説き伏せる。
そんなゲオルギウスの心を読んだかのようにフィーニスは彼の肩を叩いた。
「大丈夫。君の力が必要な場面は必ず来るよ。それこそ、魔人種の力を世に知らしめる戦いが、いずれね」
「―――っ、はは! その時は陛下の槍として、この身を捧げると誓います!」
「あははは。期待しているよ、ぼくの槍。さて、帰るとしようじゃないか」
かくして二日に渡るトラゴエディアの戦いは終わりを迎えた。
多国籍軍、合わせて十万の兵が死亡。帝国も四大公爵の一つ、ウィンドヘイル家当主を始め有力貴族の当主を失い、小さくない混乱を招く結果となった。
人死に以外にも爪跡は残っている。
不毛な土地だったとはいえ、これまで北方の侵入を阻んでいたトラゴエディアの切り立った崖は消え失せ、大きく抉れた湾が誕生した。土地が削れた事で海流が変化し、周辺の漁場が大きな影響を受ける事となった。対特殊戦力兵器乙型参号の衝撃は大陸全土を揺るがす地震となっており、帝国北部では家屋が幾つも倒壊し、死傷者を出す結果となった。
それでも人の手で黒龍を撃退できたというニュースは、竜に苦しめられる人々にとっては喜ばしい出来事となった。竜に対する士気は向上し、人龍戦役の推移は人側に大きく傾くようになった。
オルタナが黒龍を排除するために赤龍たちの元を訪れるようになり、帰還した貴族の子弟たちから話を聞いた事でアトス国への周辺国家の態度が軟化するようになった。信頼されるようになった魔人種たちは各地へと派遣され戦果を上げるようになる。人々は希望を抱き、戦争の終結が夢でないと思うようになっていた。
戦争の無い平和な時代も夢ではない、と。
―――それが儚い夢だったと知るまで、それほどの時間は無かった。
黒龍は封印される直前、最後の抵抗とばかりに暴れ、放った炎が北方大陸に広がった。黒龍の炎は何をしても消える事は無く、まるで『龍王』の邪悪に染まった救済の意志を具現化したかのようだった。魔人種たちが安住の地を求めてたどり着いた北方の地に築いたアトス国は、一夜にして滅んだのだ。
誰かが言った。
黒龍を封印するために必要な犠牲だった、と。
誰かが言った。
滅んだのは魔人種で、人間種では無い、と。
誰かが言った。
黒龍も魔人種も、どちらも恐ろしい存在だから、こうなったのは好都合だった、と。
―――誰かが言った。
復讐せよ、と。
奪われた痛みを、失った痛みを、亡くした痛みを、全てを奴らにくれてやれ。
そうするだけの資格がぼくたちにはある。
人龍戦役の幕は降り、第二幕人魔戦役が始まる。
読んで下さって、ありがとうございます。
11章の閑話はもう1つあります。次回の更新は一回お休みをいただいて、18日頃を予定しております。




