3-2 精霊祭 一日目〈Ⅱ〉
時計の針が少し戻る。
モンスターの群れに包囲されたダラズの街。そこから決死隊の如く包囲網を抜けた満身創痍の伝令がアマツマラに着いた数分後。
すぐさまスタンピード発生の報は都市に張り巡らされた伝声管のリレーにより城内の重職につく者達へと届いた。
騎士団長ミカロスもまた、己の執務室にてその報を受け取った。
彼はしばし硬直した後、己の果たすべき役割を思い出した。いまのうちに打つべき手を打つ。殆ど反射的に複数ある伝声管の内の一つに呼びかけた。
「誰か! 当直の者は居るか!?」
金属のパイプが自分の声を反響させながら城の近くに設置されている詰所へと運ぶ。
少し間を置いてからパイプの空洞へと耳を寄せた。
「はっ! 何かご用ですか団長!?」
「ダラズの街にて異変が起きた。今より騎士団は厳戒態勢を取る。警備の者を除いた全ての兵に通達。装備を整え、いつでも出動できるようにしろ」
彼はあえてスタンピードの事を伏せた。騎士団の中にダラズ出身者は少なくないのを考慮した。何よりまだ全体の規模も把握できないうちに憶測だけが先走り、誤った情報が出回る事の方が恐ろしい。
故に彼は言葉を濁しながら指示を続ける。
「それと、騎兵部隊に偵察を指示。五小隊を編成の後、ダラズに向けて偵察を敢行。必ず生きて情報を持ち帰る事。それと魔導士長殿からの通達だが現在魔水晶による通信が使えない。その点を留意するべし」
「はっ! 全兵士に召集及び騎兵部隊に偵察任務ですね。了解いたしました!」
復唱を確認するとパイプの向こうに居た兵士の息遣いが遠くなり、慌ただしく動く人の気配が聞こえてきた。そして続けざまにいくつかの指示を飛ばすと伝声管の蓋を閉じた。
(これでいまのところ打つべき手は打った……さて、これは忙しくなるぞ)
窓から見える街並みはまだ静寂に包まれ、これから起きる脅威に対して穏やかに眠っているようだった。
城門を潜り騎兵が駆け抜けていく。朝早くからの軍事行動に奴隷市場の人々は目を丸くしながら彼らを見送った。
その数は五十。一小隊十騎が五つ。その先頭に立つ隊長と思わしき男が右手を上げると背後で列をなしていた騎兵たちは動き始めた。
先頭の十騎を残して残りの四小隊が左右から隊長を追い抜いていく。
瞬く間に陣形が完成した。進行方向に対して鶴翼の陣を築いた。上から見ると彼らはブイの字を描く様に隊を配備している。
隊の間隔を開け、まるで大海原のどこかに居る魚に対して網を広げている様だった。
この陣形には意味があった。通常の偵察ならば敵の存在する方向まで密集陣形を取り、付近にまで近づいた後に散開。渦を描く様に偵察範囲を広げていく。
だが、敵の正確な位置や数、目的が不明な現状では相手の行動を推測するのは難しい。その上、魔水晶が使えない以上誰かが確実に生き残り、情報を持ち帰る必要がある。
そこで両端の先頭の二小隊が先行し敵の発見を。後方で控える二小隊が観察を。そして隊長の率いる中央の隊が情報の帰還を担う分担制を取った。
そのためにも中央の隊は帰りを確実に、迅速にするためにワザと馬の足を休ませ、代わりに先頭の隊たちは一刻も早く敵部隊の発見をするために馬に鞭を打つ。
(とはいえ、やはり危険なのは先頭の奴らだ。……いくら敵の情報すら上から降りてこなかったからとは言え、貴様らに危険な真似をさせて……すまない!)
視界の両端で小さくなりつつある部下を見つめながら隊長は心の中で謝った。
(そもそも。今回の件は何かが変だ)
彼は馬を走らせながら胸中で振り返った。
本来彼らは精霊祭の開会式において王の随伴として首都を練り歩く為に朝から準備をしていた。
そこに降ってわいたように偵察命令が下りてきた。
曰く、ダラズの街にて異変あり。五小隊を率いて偵察に行け。なお、魔水晶による通信は不可能。
この短い命令が彼に降りた時、頭の中に浮かんだのはバルボア山脈の向こう。東の諸国による侵略だった。
彼がまだ新人と呼ばれたころ、この大陸は戦火が燃え上がる寸前まで行きかけていた。理由は東の諸国と海を挟んだ帝国の睨みあいだ。
バルボア山脈から採れた資源を安値で仕入れ、西方大陸で採れた自国の食料を高く売りつけていた帝国に諸国は恨みを抱いていた。
それが行きつくところまで行きつき、海を挟んでの戦争へと突入しかけた。
だが、その直前に内乱が起きた帝国は戦争を嫌い、他国による圧力によって諸国を黙らせることを決断。白羽の矢が立ったのが中立を貫いていたシュウ王国だった。
紆余曲折あったものの戦争は回避できたが、今度は東の諸国はシュウ王国と敵対してしまう。無理も無い話だ。
シュウ王国は形の上で帝国と王室同士が結婚し、親戚となった。正式な同盟は結んでいないが帝国に肩入れしたことになる。
大海原と山脈。どちらも隔たりはあるが憎悪はより近い方へと向けられた。
結局。東の諸国は軍を動かすようなことはしなかったがシュウ王国側のバルボア山脈に住む山の民に対して物質的に支援。代わりに鉱山や街道を走るキャラバンを襲うように仕向けた。
彼らの憎悪は晴れることなく、いまだに根強く残っている。
それが遂に弾けたのかと思った。
だが、一方でそれは無いと断じる。
理由は簡単だ。今が精霊祭の時期だからだ。
この世界における重要な儀式を邪魔すればどうなるか。考えるまでも無い。世界に対する宣戦布告と同義だ。
魔力の少ない地域にとって精霊祭によって持ち帰られる魔力はまさに黄金の雫。次がいつ行われるのか分からない以上、この機会を逃すと言う選択肢は無い。
そんな時のそんな場所に戦争を仕掛けようとするのはまさに自殺行為だ。例え、シュウ王国を滅ぼした所で、その後にどうなるか想像もつかない愚か者とも思えなかった。
故に、人間による侵略ではないと早々に結論付けた。
(だとすれば。残った可能性はモンスターによるものだろう)
手綱を握る手に力がこもる。連鎖する様に一つの単語が頭の中で浮かんでいく。
―――スタンピード。
迷宮によるモンスターの異常発生。それにより迷宮内の魔力が枯渇。結果、モンスターは他所に食料を求めて地上への侵攻を開始する。
エルドラドにおける自然災害の一つだ。
だが、ある程度人の手によってコントロールの可能な自然災害といわれている。モンスターの数を常に一定数以下に保つことで急な増加でも迷宮の魔力が枯渇しない様にギルドが冒険者を使って調整している。
だから少なくとも東方大陸ではここ二百年程、スタンピードは起きていなかった。
言い換えれば今回の緊急事態を皆が初めて体験するのだ。
出発前の不安そうな、浮足立った部下の姿を思い出す。正確な情報無しに危険地帯へ赴くことに訓練した精兵といえ緊張は拭えていない。
(だが! だからこそ! ここで我らがその任を全うすれば、それだけでこちらは有利になる)
そう、心の中で結論付けると、彼は視線を遠くに向けた。この丘の向こう。そのさらに奥のダラズにいると思われるモンスターの群れを捉えるかのように背筋を伸ばし。
―――どすん、と。軽い衝撃が彼の背後から襲った。
まるで背中を押されたように衝撃に彼は一度仰け反った。視界に晴天の青空が写る。
(―――何が……起きた)
視界を下に向けると、そこには鎧を突き破って鏃が生えていた。
ごぷり、と。破けた内臓から溢れた血液が逆流し口蓋からあふれ出した。赤ん坊の涎の様に彼の顎を、喉を、胸元を汚す。
そこでようやく、体が現実に追いつた。手綱を握りしめていた手から力が抜けそうになる。
隊長は混乱する中、馬上からずり落ちない様に手綱を手首に巻き付けた。
しかし、後方で起きた二つ目の衝撃により、馬の体勢が崩れてしまう。一度持ち上がったと思ったら地面に前のめりで放り出される。
「てっ! 敵襲だ!!」
並走していた部下が大声を出したのが遠くに聞こえる。地面に叩きつけられたのさえ現実だと受け止めきれない。
隊長の体は転倒した馬のすぐそばに叩きつけられた。手綱が彼の体を支えていた。
「……なにが……起きた」
胸元の痛みに堪えながら隊長は周囲の、愛馬の様子を見て―――絶句した。
大地に腹這いになって倒れた馬の後ろ脚が欠けていた。
馬は痛みに苦しむ様に嘶き、残った前足だけで立とうともがいていた。何が起きたか分からない隊長はそこで一つの匂いに気づいた。
鼻をつく刺激臭。これは火薬だ。
見れば馬の後ろ脚だけでなく自分が通ってきた大地が捲れ上がり黒ずんでいた。それだけじゃ無い。周囲にも倒れた馬の姿や落馬した兵士の姿が見える。
彼らは一様に体のどこかしらを何かで抉られたような跡があった。
(何が起きている!)
隊長は咄嗟に鎧を内側から突き破っている鏃を引き抜いた。鮮血が開いた穴からあふれ出す。その穴に注ぐようにポーションを振りかけた。
みるみるうちに表面の傷口は塞がっていくが、中身はまだ破けたままだ。残ったポーションを口に流し込んだ。
多少なりとも回復した彼はふと地面に放り投げた鏃を見て、戦慄した。
それは矢にしては太く、短い。ボルトと呼ばれるある武器において使われる矢だった。
「馬鹿な! クロスボウだと!?」
混乱した彼は馬に提げていた盾を持ち、剣を抜いて手綱を切った。その際に愛馬の瞳と視線が合ってしまう。苦痛にあえぐような目から彼は逸らしてしまう。
「すまん。……許せ」
口を突いて出た謝罪を述べると愛馬は一度嘶いた後、体から力を抜いたように寝そべった。弛緩した様にだらりとした姿から息を確かめる必要はないと判断した。
隊長は一瞬黙祷するように目を瞑ると、すぐさま思考を切り替えた。
馬の影に隠れながら周囲の状況に目を配った。
並走していた九騎は全て地面に倒れている。騎乗していた騎士たちも自分と同じように落馬している。
その彼らに近づく人影が見えた。いや、あれは人影なのだろうかと心の中で疑問を抱いた。
草原の草むらから、草の塊が複数立ち上がる。大人の背丈よりも低い複数の草の塊は慎重な足取りで倒れている部下へと近づく。
(あれは一体?)
疑問を抱いた隊長は次の瞬間、目を見開き驚いた。
その草の塊の一部が剥がれ落ち、そこから醜悪なモンスターの貌が現れたのだ。
アローゴブリン。手製の弓と矢を用い、集団で冒険者を襲う種族がそこに居た。手にはクロスボウを携えていた。
彼らは狙いを定めると、地面に倒れたままの部下を―――撃った。
クロスボウの矢は近距離であればある程威力を増す。それは鋼鉄の鎧すら貫く。実際に自分でその威力が証明されたばかりだ。
鈍い音が数度続き、短い悲鳴が隊長の耳に届いた時。
彼は弾かれたように馬の影から飛び出した。
クロスボウは幾つかの弱点を有す。その一つが装填にかかる時間だ。普通の弓の様に弦に矢を番えるのではなく弓床に矢をセットしなくてはならない。例え熟練者でも数秒はかかる。
その隙を隊長は突いた。
手にしたロングソードが数度煌めき、草の塊を切り裂いていく。モンスターの喧しい悲鳴が聞こえた。
「はぁはぁはぁ。……何だこれは、一体!!」
混乱の余り叫ばずにはいられなかった。ようやくここに来て隊長にも全てが分かってきた。
このゴブリンたちは体に草を纏い、草むらに潜み此処で待ち伏せをしていた。ただの草むらと思い通り過ぎた己を背後からクロスボウで打ち抜いた。
そして、この地面の捲れ方。火薬の匂い。馬の体が持ち上がる程の衝撃。おそらく奴らは火薬壺を地面の浅い所に埋めたのだ。
壺の中には火薬と火打石。そして威力を上げるための鉄くずが詰め込まれている。地面に埋め込めば振動により中で擦れて火薬に引火。爆発する仕掛けだ。戦車や騎兵に対して有効な戦術といわれている。
それが爆発したのだろう。
全てを後方で見たのち、止めを刺しにアローゴブリンは姿を現したのだ。
そこまでは理解できた。理解できないでいるのはそれらの戦術をモンスターが仕掛けたことにある。
クロスボウや火薬壺を何処から手に入れた事や、草を体に巻き付けて偽装した事などは重要だが、この事実と比べて驚くに値しない。
モンスター共は偵察部隊の編成や進路を予測し、人間の道具を使って罠を仕掛けた。
隊長は戦慄と共に恐怖を味わっていた。
今回のスタンピードは今まで伝え聞いていた物と違いすぎると。心の内で思った。
「……そうだ。他の部隊は」
ようやく思考が外へと向いた彼は進行方向へと顔を向けた。だがそこには何もなかった。先を進んでいた四小隊の姿は見えない。
「まさか……そんな」
最悪の想像が脳裏を過った。だが、それを超える最悪がすぐさま姿を現した。
自分たちが進もうとしていた丘の先。そこから続々と土煙を上げながら迫りくる集団。合わせる様に振動が大地に伝わっていく。
彼は見てしまった。一つの群れの様に乱れぬ動きで駆ける四足歩行のモンスターに跨ったモンスターの集団を。
それは言わばモンスターの騎兵。密集陣形を保ち、矢のように真っ直ぐ首都を目指す軍の姿を。
遅れながらようやく隊長は気づいた。
このアローゴブリンたちは自分たちのような偵察部隊にあれの存在を知られないためにここで待ち伏せをしていたのだ。あの部隊を無傷のまま無防備な首都へと突き進めるために。
「そんな……そんなの……戦略じゃないか。モンスターが戦術どころか戦略だなんてそんなの有りえない。有りえない!!」
呆然と跪いた隊長は目の前まで迫った軍を前にして絶叫しながら踏みつぶされた。
ゴブリンを背に乗せたレッドパンサーは自分が何かを踏みつけた事を意識の片隅で認識していた。
だが、そこに気を回す余裕は無かった。それは恐らく自分に跨っているゴブリンも同じだろうと思った。
なにせ自分たちは今、自由意志とよべるものが存在していないのだ。これは屈辱といえた。
本来、迷宮で産み落とされた自分たちはある目的を果たす。至上にして由一無二の使命とさえいえる事だ。
それは生まれた事だ。おかしな話だが自分たちは生まれた時点で役割を全うしたと生まれた瞬間に理解する。
そこから先は自分たちの自由といえた。だからこそ、母なる迷宮の中では他種族の者といがみ合うことなく共生できていた。
なのに、今の自分たちはどうだ。思考能力の大部分を何者かに操られながらわずかに残った自我で自分のしている事を客観的に見る事しかできない。視界は暗く濁り、何者かにのぞき見されているような不快感を味わう。
なんとも不愉快な状況に陥っている。
だけど抗う事は出来ない。それほどまでに何者かは強力で絶対だった。
こうして同じように操られている同種とゴブリン共、合わせて三百の軍勢は人間共が暮らす大きな都を目指して走っている。
遠く、霧がかかったような思考に誰かの声が囁く。
「君たちは奇襲部隊だ。傷つけるだけ傷つけろ。壊せるだけ壊せ。殺せるだけ殺せ。人間共が守備を固める前に多くの血を流せ」
甘ったるく粘ついたような不快な声が繰り返し、繰り返し流れる。その声に導かれるように軍勢は人間共の都。アマツマラへと辿りついた。
彼らは遠くから聞こえる声に従い、分散を始めた。驚き、慄き、逃げ惑う人間共を踏みつけ、牙を立てる。背に跨るゴブリンは下馬し人間から奪った剣を振るいなら突き進んでいく。
レッドパンサーは遠ざかるゴブリンの背中を見送った後、人間の姿を探した。いくつかは発見できるのだが全て鉄製の檻に守られ簡単には手出しができない。
声に急かされるように檻の迷路を抜けていくと、彼は自分に背中を向けている人間を見つけた。
黒色の髪をした人間に向かって駆けた。隣にいた金色の髪の持ち主がこちらに気づき剣を抜いたが遅かった。
「■■■■、■■■■■■■!」
自分たちに理解できない言葉を聞きながらレッドパンサーは少年の柔らかな首筋に牙を深々とくい込ませた。代償に腹部にロングソードを捻じ込まれ、魔石が砕かれたが目的は果たせた。
体に圧し掛かりながら牙の隙間から鮮血が溢れ、少年は大地へと倒れこんだ後―――絶命した。
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