11-58 救出
時計の針は、シアラがリザと一緒にヨシツネに殺された直後まで巻き戻る。
死のイタミと共に、カタリナの研究所前の時点まで巻き戻った彼女は、すぐさま研究所へとオルタナに対して交渉を持ちかけた。
自分たちに協力すれば、時の権能に関する情報を渡すという条件をオルタナが受け入れると、彼にキョウコツを押し付け、リザとの合流場所を伝えた。
そして、彼女は窓の近くで潜んでいたヨシツネの首根っこを捕まえると有無を言わさない口調で告げたのだ。
「ヨシツネ。これからワタシは敵に捕まるわ。多分、意識を失わされて、レティとクロノが捕まっている変な空間に閉じ込められると思うわ」
「な!? それは、一体どういう」
「黙って話を聞いて。もう、無駄話をしている時間は無いの! アンタは、ワタシのポケットの中に入りこんで、一緒に来てほしいの。状況はその中で聞いて判断してちょうだい」
シアラの緊迫した様子から、尋常じゃない状況だと察したヨシツネは小さく頷いた。
「……了承したでござる。しからば、御免!」
言うなり、ヨシツネは窓の縁に手をかけて室内に飛び込んだ。そのまま体を小さくすると、シアラのポケットに入りこむ大きさになった。
ポケットの縁を手で掴み、今まさに入りこもうとする小人にシアラは説明を続けた。
「いい? いま、レティに危険な未来が迫っているの。あの子が一番死ぬ確率が高いけど、もしかしたらクロノも同じくらい高いかもしれない。悪いけど、アンタの無事を保証できないから、覚悟してね」
「皆様方の為なら、火の中であろうと水の中であろうと飛び込んでみせるでござる。それで、どのような空間なのか情報あるので?」
ヨシツネにしてみれば声を張り上げているのだろうが、シアラの耳には囁き声としか聞こえない。彼女はオルタナが座っていた椅子に腰かけると、ジャイルズを待ち構える。
「ほとんど無いわよ。でも、推測ならできる。それでも構わない?」
「たとえ推測であっても、知っているかどうかで生死を別つ時がありまする。お願いするでござる」
「分かったわ。多分、その空間の中だと状態が固定されるわ」
「状態が……固定? それはどういう意味でござるのか」
「それは……駄目ね。もう、時間切れよ。早く中に入って、《器を満たせ》《送声》」
言葉の意味を聞き返すよりも早く、天井が砕ける音がして、頭上から侵入者が落ちてきた。ヨシツネはポケットに入りこむと息をひそめ、シアラとジャイルズ、そして『魔王』フィーニスの会話に耳を傾けた。
途中、未来予知に関する話もあったが、彼らの会話で大よその理解はできた。レティとクロノがフィーニスの影に囚われており、シアラが《トライ&エラー》を複数回使用した結果、この未来に繋がるように行動したのだと理解した。
そして、意識を奪われたシアラがゆっくりと影に飲み込まれていく。フィーニスは自分の孫娘に向けて、情愛に満ちた瞳を送った。
「眠れ、我が血族。目が覚めた時には、新しき故国だろう」
孫娘の体が完全に影に飲み込まれるのを確認すると、捕縛の影を消した。
「さて……次はレイと会っておこうか。彼の中の憎悪がどんな風に花開いたのか、ああ、楽しみだな」
眦が溶ける様に下がった奇妙な笑みを浮かべる主に、ジャイルズは見た目に反した静かな態度で付き従う。
彼らは気づいていない。
フィーニスの影に取りこまれたシアラのポケットから飛び出した小さな存在が、一人で暗躍している事を。
ヨシツネはポケットの中から飛び出すと、風船が膨らむ様に大きくなった。
「むぅ。予想していたとはいえ、完全に暗闇でござるな」
ぐるりと、頭を振って危険は無いか確認するも、一寸先も見通せない暗闇に嘆息した。
自然界にあるような闇では無い。使役者の中で蠢く黒い感情をそのまま具現化したような闇は、光を一切感じさせず、体に纏わりつく。
そんな、常軌を逸した暗闇の中でと漂っていた。
常人なら身動きも取れなくなるような視界の悪さだが、彼は忍者。見えない環境で視る為の訓練は積んでいた。
まず、同じタイミングで影に取りこまれたシアラを、長布を使って自分を結ぶと、喉で舌を鳴らす。光が一切ない闇の中で、広がっていく音に耳を傾ける。
コウモリと同じで、音の広がりや反響で空間内の構造を確かめようとした。だが、音は戻って来なかった。
音を吸収する空間なのか、あるいはとてつもなく広い空間なのかもしれない。
「呼吸は出来るでござるが、足元が覚束なし。手触りとしては液体に近いでござるが、泥のように体に絡まってくるでござるな」
気づいた事を口にして、状況を整理していく。四肢を大きく動かして影の中で移動できるか試してみた。結果は、疲れるが泳ぐのに近い形で動けると判明した。
そこで、自分の異変に気づいた。
「能力が解除されていないでござる」
仮に、この空間に明かりがあったり、地面があれば、目線の違いからすぐに気づいただろう。
影の中を漂うシアラの体が、いつもよりも大きく感じられてようやく異変に気づいたのだ。
ヨシツネは暗がりの中、自分の指先をセンサーとして、体の輪郭をなぞっていく。正常時に比べれば、半分程度の大きさだ。どうやら、《ジャックス・スプラット》の解除が途中で止まってしまったようだ。意識的に解除しようとするが、何かの力で阻まれてしまう。
「ふむ。まさしくシアラ殿が言い当てた通りでござるな。いやはや、流石でござる」
闇の中、ヨシツネはシアラの洞察力を褒めたたえた。
ジャイルズが登場する直前に、シアラが《送声》を発動したのは、移動中にヨシツネに指示の続きを伝えるためだ。彼女は、ジャイルズに抱えられて高速で移動する最中、悲鳴の合間にヨシツネに向けて情報を伝えていた。
悲鳴は小声で話すのを誤魔化す為のフェイクだ。《送声》は術者と対象にしか発動している事が分からないため、ジャイルズでも気づくことは出来なかった。とはいえ、悲鳴を上げたくなるほど負担のかかる移動に加えて、そんな綱渡りをしていたせいもあって、フィーニスの前に着いた時は息も絶え絶えとなっていた。
すぐ傍にいるジャイルズに気づかれないようにするために、断片的な情報しか渡せなかったが、それでも十分だった。
その内の一つが、フィーニスの影内部では時間か、あるいは状態が変化していないのではないかという推測だった。
「シアラ殿の推測通り、この空間だと状態を固定されしまうでござるな。拙者の能力が途中で解除が止まったのではなく、途中の状態で固定されてしまい、意識を失った者は失ったまま、という訳でござるか」
ヨシツネは暗闇の中、掴んだシアラに対してありとあらゆる気付けの方法を試した。痛みによる覚醒も試したが、無反応だった。
シアラは、これまでの戦いからフィーニスの影に囚われたレティとクロノ、そしてオルタナ対策に捕まえた人々が、意識を失ってから取りこまれたというのが気になっていた。影が内部から脱出できないのなら、わざわざ意識を奪う必要はない。戦技や魔法を警戒して冒険者の意識を奪うのは理解できるが、冒険者だけでなく一般人の意識も奪っているという念の入り様に違和感が残った。
その謎に対する答えは、オルタナ用の人質が影から解放されても意識を失っていたという話をリザから聞いた時に出た。
オルタナの捕縛の影は、取りこんだ人間の状態を保存して保つ効果があるのではないのか。そのため、意識を失った人間は失ったまま取り出され、死にかけの人間は死にかけのまま保存される。
もしも、この推測が正しければ、オルタナが暴走した時の違いにも説明が着くのだ。
(シアラ殿の推測によれば、この空間内の何処かにレティ殿とクロノ殿も居るのでござるが……これは厄介でござるな。体が小さいせいで動くのに不便ではあるが、拙者の長布も伸ばせないとは)
ヨシツネが首に巻いている長布は技能で自在に操作できる。伸縮自在な、彼のもう一つの腕なのだが、影の内部だと単なる布としか使えない
今回ばかりは役に立たない。
(ともかく、シアラ殿に言われたとおりに、お二方を見つけなければ。果たして、時間までに間に合うでござろうか)
闇の中、どこまで広いのかすら見当も付かない中、ヨシツネは必死に探した。子供並の体格しか無く、意識を奪われて脱力したシアラを抱えながらの探索は難航した。
視界の全てをのっぺりとした暗闇の中、頼りになるのは己の感覚だけだ。
光が無く、音も無く、触れる物も無く、しかし彼には二人を辿る術はあった。
それは匂いだ。
目と耳と肌で掴める情報が無くとも、匂いは感じられる。むしろ、闇の中という隔絶された空間において混ざり合っていない匂いというのは強烈な存在感を放っている。流石に狼人族の血を引くエトネ程の嗅覚は持っていないが、ある程度まで近づけば感じられる程度には訓練されている。
「これは……石鹸の匂い! レティ殿が掃除した時の匂いでござる! それに、近くにクロノ殿も居るでござる!!」
ようやく掴んだ手がかりを前に、気づかない内に、ヨシツネは叫んでいた。そのまま、足をバタつかせて影の中を泳いで行った。まるで、フェロモンを辿るアリのように、迷わずに進む。
闇の中に放り込まれてから、一時間以上は経過しただろう。
ようやく、彼はレティとクロノを発見したのだ。幸い、彼女たちは一カ所に集められていた。
指先でレティとクロノで間違っていないか確認すると、メイド服の端や短く揃えられた髪に触れた。間違いなく、レティとクロノだ。二人とも、シアラと同じように意識を失ったままだ。
二人の体を掴むと、持ち歩いている縄で互いの体を繋ぎ止めていく。フィーニスが気まぐれで影を開き、誰かを外に出すかもしれない。影の内部が撹拌されて、散り散りになる恐れもあった。しっかりと結んでから、ヨシツネはレティの体調を確認した。
光の無い世界で感じられるのは、レティの脈拍と体温、そして息づかいだけ。ヨシツネは指先と耳に全神経を注ぎ込み、彼女の状態が極めて危険な状態であると確認した。
そして、ヨシツネは彼女の小さな唇を指でこじ開け、躊躇う事なく口蓋に指をねじ込んだ。苦しそうに噦きはするも、意識を取り戻す様子は無い。指を引き抜くと、唾液で濡れた指先を嗅ぐ。
「これは……やはり、シアラ殿の推測が正しいという事でござるか」
指先を拭うと、彼は用心の為に持ち歩いている薬を取り出し、彼女の口元に近づける。だが、飲み込む事は出来ず、仮に飲ませられたとしても、状態が保存されているこの空間内では効果を発揮しないだろう。
(それが逆にレティ殿を生かしているというのだから、何とも皮肉な話でござる。しかし、こうなるとこれ以上、拙者にやれる事は……むっ!!)
思考を止めたのは、それだけの異常事態が起きたからだ。
情報の爆発。
目に光が飛び込み、耳に音が流れ込み、肌が風に撫でられていく。隔絶された空間で爆発が起きたかのような変化だ。
雪崩のように押し寄せる情報量に、闇に慣れていた体は戸惑ってしまう。だが、ヨシツネの思考はすぐに平常状態を取り戻した。
(五感が急に蘇ったような感覚。これは外と繋がったでござるな!)
確信は現実となる。
ヨシツネの視線の先で、闇の中にぽっかりと穴が生まれていた。その穴は光に輝き、音に溢れ、何とも言えない気持ちの悪さを運びこんでくる。どう考えても、穴の先の方が危険に満ちていると、誰でも理解できる。
そんな穴に向かってヨシツネは一気に動く。意識を失った三人を引っ張りながら、全身を精神力で満たし、影を泳いでいく。これこそが、自分が此処に居る理由だからだ。
あっという間に穴の前に辿り着くと、ヨシツネは長布を外した。ロープを左腕で手繰り寄せ、長布を右腕に巻きつけると、先端を穴の向こうに垂らした。
穴から零れる光量は強く、その向こう側がどうなっているのか分からない。だが、穴のすぐ傍にいる不吉な者の気配は感じ取れる。何しろ、この闇を構成する影と同じ気配なのだ。間違えようがない。
(頼むでござる。穴の向こうなら、この影の効果も消えていてくれ!)
祈るようにしながら長布の先端は穴を越え―――戸惑いの声が返ってくる。
「……どういう事だい、これは」
声は若い少年の物だ。シアラのポケットに収まっていた時に聞いた声と同じだ。
「そこに居るのは誰だ!!」
明らかに怒気が混じり、悍ましい殺意が穴の向こうからした。ヨシツネは恐ろしいと思いつつも、声に答えた。
「拙者は影に潜む者、忍びでござる」
宙に浮かんだ穴の中から飛び出したヨシツネの長布は、フィーニスの腕を掴んでいる。普段の彼なら引き剥がせるはずだが、レイの戦技を受けた事で余力を使い果たしていた。
そのまま長布の先端は伸びていき、フィーニスの体を拘束すると同時に、穴の中にいる者を引っ張ろうとする。
長布に引きずられる形で、ヨシツネの体が半分だが外に出た。忍びは視線を素早く周囲に向け、レイの状況を一目で把握すると、長布を巻いた腕を懐に持っていく。取り出したのは投擲用のナイフだ。
「させるかっ!」
ここに来て、正気を取り戻したのかフィーニスが反応する。腕は拘束されているが、影の一部が刃となってヨシツネを襲った。だが、僅かにヨシツネの方が早かった。彼の顔や手首に影は突き刺さるも、ナイフは手元に無かった。
ヨシツネが最小限の動きで投げたナイフは、レイとフィーニスを繋ぐ糸のように細い影を両断した。
途端、レイの中で神経を侵食していた影の力が弱まる。
「ぎゃははは! 値千金の好機だ! どれだけ金を積まれても逃すんじゃねえぞ!」
影法師の声が頭の中で響くと、レイの中にあったフィーニスの影が泡となって消えた。自由になったレイは龍刀を掴むと、刀身から炎が巻き起こる。
「うおおおおおお!」
裂帛の咆哮と共にレイは刀を振るう。フィーニスは腕を交差して刃を防ぐが、衝撃で大きく後ろへと飛んだ。当然、フィーニスの腕を掴んでいるヨシツネも引きずられる形となって地面に落ちた。
「ヨシツネ、皆はどこだ!?」
フィーニスに意識を向けつつ、ヨシツネに尋ねると、彼はもう片方の手に繋いだ縄を持ち上げた。
「この先に御三方が揃っているでござる! しかし、レティ殿が!」
「ああ、分かってる!」
レイはヨシツネの言葉を最後まで聞かず、穴の縁で引っかかっている縄を一気に引き寄せた。手ごたえは重く、消耗している体には過酷な肉体労働だ。しかし、急がなければフィーニスが影を閉じる可能性があった。
だから、レイは最後に残った精神力をほとんど注ぎ込み、一気に引っ張った。
縄が穴から吐き出され、そして少女たちが数珠つなぎに出てきた。シアラ、クロノ、そしてレティだ。
三人が地面に落ちてうめき声を上げるが、レイはレティに飛びつくように近づいた。
メイド服姿の彼女は、日の下では青白い顔をして、口の端に泡を浮かべていた。
「やっぱり、そういう事か!」
レイはシアラの推測が正しかったと理解し、そして龍刀を彼女に向けて構える。
深紅の炎が刀身を覆い、そして水滴が垂れる様にレティへと落ちた。
途端、炎が彼女の全身を駆け巡り、桜が散るように鮮やかな火の粉を残して消えた。
「主殿、レティ殿は」
「分かってるって。毒だろ」
慌てて駆け寄ったヨシツネの方を向いて、言葉を続けた。
「でも、もう大丈夫だ。この毒なら前にも消したからね。これで、レティが死ぬ運命は回避できた」
うっすらと頬に血が通いだすと、レイとヨシツネは安堵したように息を吐いた。
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4月28日より更新を再開します。




