2-40 13神
―――世界に何もなかった時代。六つの魔力が混じり合う。それぞれ『火』、『水』、『土』、『風』、『光』、『闇』。
それらが混じり合う事で何もなかった空間に命の生まれる土壌ができた。即ち『魂』が生まれた。
だが、そのままでは変化しないそれに『時』を与える事で『生』と『死』が生まれた。これによって魂の循環、御霊が生まれる。
何時しか長い時間が過ぎると無色に過ぎなかった魂が個性を得て姿形の違うものへと別れていく。それぞれ『人』、『獣』、『魔』。
これらは全てエルドラドを構成する重要な要素。これらを司り管理する者こそ『神』である。―――
ことり、と。目の前のテーブルに何かが置かれた。買ったばかりの作者不詳の『エルドラドの神々』から目線を上げると、カザネさんが陶磁器のカップを置いていた。
「はい、これ。うちの人からのサービス」
「いいんですか?」
テーブルにはコーヒーが暖かな湯気を吐き出している。ここはカザネ亭の一階ロビー。時刻も深夜を周り、静かな宿屋に時計の針が進む音だけが響いていた。
別に僕はリザとレティに追い出されたわけでは無い。本屋を出て、夕食を済ませた僕らはしばらく部屋にて本を読んでいた。
だけど、早々に眠くなってしまったレティを気遣い、部屋の明かりを消した。流石に月明かりの下で読書の続きは出来ないので、レティをリザに任して僕は宿屋の中で本が読める場所を探し、ランタンの明かりの灯るロビーに行きついた。
静かなここなら読書だけでなく思索にふける事もできる。そう思ってソファに座った。
「なーにアンタ、その年でコーヒーの味を知ってんだって? うちの人も最近嵌りだしてね。それにお仲間にも飲み方を教えたんだろ? 愛好者が増えるのは喜ばしいって。だからこれはそのお礼さ。ねえアンタ」
カザネさんが後ろに呼びかけると、何故か壁際に音も無く控えていたカザネさんの旦那さんが頷く。
「ほら、本人もそう言ってるでしょ」
無口な店主が何かを言っている気配はしなかった。
「それじゃ、頂きます」
結局、好意に甘えてコーヒーを掴む。一口目は何もいれずに味わいたかった。苦みが疲弊していた脳細胞を刺激し、また動かすように働きかける。
「ああ、美味しいです」
と、言うと。二人は笑ってその場を離れていった。僕はもう一口飲んでから手元の二冊の本に視線を落とした。
僕の手元には『エルドラドの神々』と『冒険の書』が置かれている。
どちらもエルドラド共通文字、つまりアルファベットを使ったかな読みで書かれていた。
(エルドラド共通文字―――いや、アルファベットをこの世界に齎したのは冒険王エイリークこと『安城琢磨』。彼はどういう訳か刀の製造に関して恐るべき知識を有してこの世界にやって来た)
『冒険の書』を手に取ってパラパラと適当にページを捲っていく。エイリークが旅の仲間と共に書いたこの本はまさに冒険における重要事項がいくつも書いてあった。
戦う時の注意点やアイテムの選び方。移動時の隊列や罠の見分け方。当時の食べられる野草や毒草。回復手段の無い時の応急処置などの旅の経験から。
レベル、魔力、精神力、モンスター、迷宮、魔法、戦技、状態異常、精霊、ステータスの種類と特徴。そして技能などのエルドラド特有の概念の説明まで。
事細かに書いてある。もっともちゃんと解説しているのは共同執筆者の方だが。
僕は一通り目を通してから、ネーデで渡された時にちゃんと読んでおいていくべきだったと後悔した。
そうすればこの本の違和感にもっと早くから気づけたかもしれない。
(この本は初心者冒険者への手引書なんかじゃない。自分と同じ異世界から来た人間へのサバイバルブックじゃねえか)
山に入って生きる術が記されているわけでは無い。この本には右も左もわからない日本人へのこの世界でのある程度の常識が書いてあった。それはこの世界で生まれ育った人間なら自然と身に着ける類の知識だ。
言いかえれば、彼はこれを作る段階で自分の後にも異世界人が来ると確信していたのだ。だからそいつの為にこの本を残し、冒険王のレシピを残し、メッセージを残した。
(ここまで来ると、マジで僕がこの世界に来たのも偶然とは思えないな)
かといって、『安城琢磨』の様に特別な知識を持たない僕がこの世界に来る必然的な理由は思い当たらなかった。
視線を横に滑らして『エルドラドの神々』を見つめた。
―――エルドラドには13神以外にも幾つもの神が訪れていた。彼らは異世界の神々だ。ある者は文字通り神として崇められ、ある者は遠い過去に追いやられ、ある者は世界その物を滅ぼしてしまった者も居る。
世界に対する神の姿勢は神それぞれだった。だが、彼らには常に一つの欲求があった。それは人の子らの成長だった。
彼らは未熟で不格好で見苦しくても懸命に生き抜こうとする人を、溢れんばかりの愛おしさを持って見守っていた。
だが、あるとき神々はそれぞれのお気に入りを持ちより、一つの世界で競わせることを思いついた。異なる価値観、異なる知識や技術、異なる正義。ぶつかり合い、成長するのは目に見えていた。
そこで選ばれたのが全ての異世界の受け皿ともいえたここ、エルドラドだった。13神も他の世界に居る目ぼしき人材を見繕い、こうしてこの世界に異世界人、『招かれたもの』が訪れるようになった。―――
折り目の着けたページを読み、頭の中で情報を整理する。ネーデの迷宮で火の精霊は僕の事を『招かれた者』と言っていた。
これは神々のせいでエルドラドに来た異世界人を指す言葉だった。奴隷市場の老婆も異世界人は13神がまだ居た頃は異世界人が存在したと言っていた。
おそらく冒険王もその一人なのだろう。だけど、ここで一つ見過ごせない事実が生じる。
冒険王は二つの名前を持っている。日本人としての『安城琢磨』。エルドラド人としての『エイリーク・レマノフ』。
僕は『冒険の書』の末尾。彼の経歴について簡単に纏めてあるページを開いた。そこの冒頭に辺境の地にて生を受け、幼少期を過ごすと書いてあった。
そして文章の終わりは仲間に看取られて安らかに死亡、と書かれていた。
(つまり、『安城琢磨』はエルドラドにエイリークとして生まれて、そして元の世界に帰る事なく死んだ)
重苦しい不安が心の中に暗雲の様に立ち込める。僕と同じかもしれないと思っていた日本人がこの世界で『転生』しそして、死んだ。リザやレティが冒険王の正体が日本人どころか異世界人だとすら知らなかったのも納得がいく。
彼は紛れも無くエルドラド人だったから。知らなくて当然だ。
だけど、少なくとも僕と鍛冶王は彼が異世界人だった事を知っている。
(とりあえず、今まで分かった事を纏めると。日本人である『安城琢磨』は一度死に、何らかの目的で13神か、それ以外の神によってエルドラド人『エイリーク・レマノフ』として蘇った。彼は二度目の人生を全うし、そして死んだ事になる)
所謂、転生物のファンタジー小説を彼は生き抜いたことになる。そう、生まれて、死んだ。
僕にとって最悪なのは彼が僕と同じ異世界人でありながらこの世界に来た経緯が違う事だ。おそらく、彼はこの世界から日本へと帰ろうとはしなかったのだろう。
「ちくしょう。手探りで進んでいたら、振り出しに戻された気分だ」
コーヒーを口にしながら呟く。これ以上、冒険王の足跡を追っても帰還の方法を知る事は出来ないだろう。
だけど、収穫が無かったわけでもない。分かった事が二つある。
一つは千三百年前に無神時代が始まってからは異世界人が現れるのは一気に少なくなった。これは奴隷市場の老婆が言っていた。だけど、冒険王は少なくとも自分の後にも異世界人が来ると確信していた。
だからギルドを作り、後世に『冒険の書』を残した。後から続く者へバトンを渡すかのように。
もう一つは、彼は何かしらの目的を持って送り込まれたことだ。いくら刀の作り方を知っているからといって異世界に呼び出すほどの理由だと思えなかった。だから彼を呼ぶにふさわしい理由が他にあったと思う。
それはそのまま、僕がこの世界に来てしまった本当の理由に繋がるかもしれない。神が隠している真実へと辿りつけるかもしれない。
(とにかく。冒険王。魔法工学を生み出した天才。この二人は確実に異世界人だった。彼らが何の目的でこの世界に来たのかを調べてみようか)
胸中に刻む様に方針を固めた。目指す先を見出すことで少しだが胸に立ち込めていた重苦しい不安が晴れたように感じた。
(むしろ問題なのはこっちの方かな)
コーヒーを口に運びながら、まるで味わうようなふりをして目を瞑った。瞼の裏にステータス画面が浮かび上がる。
僕は素早く、仲間の欄を開く。本の体裁を持つステータス画面はページを捲り、目的の項目を開いた。
そこには二人の名前が刻まれていた。
『エリザベート・■■■■■■■』
『レティシア・■■■■■■■』
一部を黒く塗りつぶされた項目を開くと能力値以外、技能も称号も全て黒く塗りつぶされている。
昨晩、眠れない僕が必死に瞼を瞑っているときにこれに気づいた。だけど、名前と能力値以外、何一つ新しい情報は手に入らなかった。
(これは僕の魂が異世界人だから起きている不具合なのか、それとも別の事なのかどっちなんだろう)
このステータス画面は神からのプレゼントだと考えていた。少なくとも僕以外、これを使える人はいないと思われる。いたら、ギルドはプレートなんか発行しない。
だとすると、この黒く塗りつぶされたのがステータス画面の故障だったらと考えると再び不安に襲われそうになる。
僕は出されたコーヒーを飲み干して読み終えた二冊の本を抱えて立ち上がった。
ずっと同じ姿勢でいたせいか体の骨がパキパキと小さな音を立てた。軽く背伸びをして体をほぐしてから二階へと向かう。
真夜中の宿屋は本当に静かで、木製の床を踏む自分の足音がやけに大きく聞こえてしまう。
部屋に辿りつき、鍵を回す。出来る限り寝ていると思う二人を起こさずにそっと扉を開けた。耳を澄ませば規則正しい寝息が聞こえてくる。
扉の隙間から体をすべり込ませて後ろ手で扉を閉めた。室内は暗く、窓から漏れる月明かりだけが唯一の光源だ。鍵を内側からかけると慎重に進む。途中の棚に本を置いた。
そっとベッドに視線を向けると、姉妹が向き合うように眠っている。リザがレティを抱く様にしている。月光に照らされた少女たちの横顔は年相応にあどけなかった。
(不安材料は一杯だけど、一つずつ彼女たちと一緒に解決して行こう。僕にはそれしか出来ないんだから)
そう、決意して僕は慎重に二人を起こさない様に体を滑らしてベッドに潜った。
瞼を瞑れば、すぐに眠りの園へと落ちていった。
月が昇り、沈めば入れ替わるように太陽が昇り始める。
アマツマラから南に九シロメーチルほど行くと城塞都市がある。名をダラズと言った。
円形の防壁に囲まれたこの街は東にバルボア山脈を有しているが概ね周囲はなだらかな平地といえたため川もあってか近隣でも図一の穀倉地帯として有名だった。
一方でここより北には砦も監視塔も何もなく、いわばアマツマラの喉元ともいえる。そのため常に常備兵七千が置かれいつか来るだろう敵に備えて日々を過ごしていた。
とはいえ、十数年前の帝国と先王との婚姻騒動を除けば概ね平和といえた東方大陸。東をバルボア山脈が天然の城壁として聳え、隣国と接する南側も第二王子が率いる精鋭が守りを固めている。
すくなくともその時が来るまでここが本来の役割を果たす日は来ないと考えられていた。
当然、城壁の上で見張りをしていた兵士も面甲を上げてまだ肌寒い早朝の青空に向けて欠伸をしてしまう。吐いた空気が薄らと白く流れた。
眼下の長閑な農園と朝から働く農民の光景はこの勤めを始めて三日で見慣れてしまった光景だった。
「おいおい。隊長に見つかったら懲罰もんで、連帯責任取らされちまうだろう」
隣で直立不動の姿勢をしたまま地平線を睨んでいた同僚が彼に注意した。面甲を下げた兵士は軽く笑いながら、
「悪い、悪い」
と、謝った。だがその態度はだらしが無かった。男は周りを見回して自分たちに視線が向いてないのを確認すると背筋を伸ばした同僚に耳打ちする。
「今日は、ほれ。精霊祭が始まるだろ。息子にせがまれてな、昼から首都に連れて行く約束なんだ」
「そういや、お前。連日勤務を交代していたのは」
「ああ。今日の昼から明日の昼までを開けるためにな。苦労したんだぜ。アマツマラで精霊祭が開かれるなんて久しぶりだからどいつもこいつも考える事は一緒でさ。そっちも確か……」
「四日目から家族を連れて行くことになってる。下の娘はこの時の為に繕い物の下働きをして小銭を稼いでいたよ」
見張りの兵士たちは精霊祭の為に苦労したことを思い出しながらも、もうじき始まる盛大な祭りに内心心を躍らされていた。
財布の紐が固い嫁もこの時ばかりは幾らかの贅沢を許してくれるはず。たしか、南の国の雑技団がやって来るんだよな。
彼らは口々に祭りの事を語り合っていた。
すると、不意に足元が揺れた様に兵士たちは感じた。
「地揺れか?」
時折、数年に一度だが大地が揺れる事もあって、兵士たちは城壁の上でも平然としてた。だが、その揺れがいつまでも長く、そして、ゆっくりとだが大きくなっていくのにつれて彼らは態勢を低くする。いつ、大きな揺れに変化しても城壁の上から落ちない様に備えた。
「こいつはデカくなるぞ!」
見張りの一人が危険を知らせる様に叫ぶ。一瞬、街の方へと二人の視線は向かった。だが、街並みは平穏といえた。いくら城壁よりも低いからといっても地揺れが起きて平気でいられるとは思えなかった。
だとすればこれは。
「こいつはタダの地揺れじゃないぞ」
胸中で浮かんだ疑念を代弁する様に同僚が呟いた。
―――その時だった。
南から一陣の風がさっと肌を撫でる様に吹いた。それは本当に一瞬の風といえた。春の冷たい朝の空気と共に血の匂いが鼻をついた。
「まさか」
彼は揺れが収まらない城壁の上で意を決して立ち上がった。先程まで見えていた農園の向こう。南の地平線から大地を埋めるような何かが向かってきていた。
見張りに渡されている双眼鏡を使い、その正体を―――見てしまった。
それは多種多様なモンスターの群れだった。兵士の見たことのある物もいれば見たことも聞いたことも無いような怪物もいた。
だけど、それを知識として彼は知っていた。
振るえる唇で、全身を走り抜ける恐怖心に押される形で絶望を口にした。
「―――スタンピードだ」
遂に死の河はシュウ王国の喉元まで押し寄せてきた。
河の後方。幾つもの人里を壊滅へと追い込んできた軍の後方上空。
角を生やした赤龍の背中で魔人は歌うように叫んだ。
「人よ、見限られた神にまで届く悲鳴を上げよ! モンスター共よ、供物を陛下に捧げよ! さあ! 開演の時は来たれり!! 血に染まり、臓物を撒き散らし、死臭の漂う祭りを始めようじゃないか!!」
狂ったような金色の瞳がアマツマラを捉えていた。
ここまで読んで下さって、ありがとうございました。
これにて第2章は終わりとなります。次回の更新は少し開けて九月二十八日頃を予定しています。
その間に第3章の制作と並行して、第2章の誤字脱字の直しもしますので、ご指摘があったら幸いです。それといつになるかは分かりませんが第2章終了時のステータス及び、第1章と第2章に登場した人物の簡単な紹介を載せる予定です。よかったら見てください。




