11-9 迷宮からの脱出Ⅰ
頭が割れんばかりに痛い。頭蓋を開き、脳内で直接オーケストラが爆音で演奏しているかのような頭痛が止まらないでいた。しかし、服の下で流れていく冷たい汗は、この頭痛と何ら関係が無かった。
窓の外に広がる景色は異質だ。
天に蓋がされ、ほのかに光る鉱石で偽の青空が広がり、地は人工の光で満たされている。空気は淀み、道行く者のほとんどが冒険者。その異常性は、異常では無い。何故ならここは、地の下の更に下。
ラビリンス中央上層部ボスの間手前に位置するセーフティーゾーン。
冒険者だけの街、デッドエンドスポットだ。
「間違いない。ここは、デッドエンドスポットだ。……でも、なんで。なんでまた、ここに?」
混乱のあまり、レイは眩暈を覚えた。
レイの記憶では、昨日ここからボスへと挑戦し、そのまま地上に戻ったはず。それなのに、自分が此処に居る理由が、レイには分からず、呆然としていた。
「……戻ってる? まさか、《トライ&エラー》が発動したのか!?」
真っ先に思いついた可能性に、ある事を思い出す。
それはエルドラドに来てすぐ、ネーデの街で遭遇した出来事だ。
目が覚めたら、同じ日に戻っていたという事があった。《トライ&エラー》のセーブポイントは、レイの意識が覚醒した瞬間か、真夜中を過ぎた時に生成される。真夜中前に就寝し、目覚める前に殺された場合、戻るポイントは前日の朝になる。ネーデの街では、ゲオルギウスの魔法によって眠っている最中に殺されたために発生した現象だ。
今回も何者かによって殺されたのか、あるいはアルコールの取り過ぎで急性アルコール中毒になったのか、などと考えが頭の中を駆け巡る。
しかし、それは違うとばかりに頭痛が訴えた。
割れんばかりの痛みの正体は、二日酔いだ。レイの主観的な記憶ではオルドに誘われ合同訓練会とC級昇格を祝った打ち上げに参加した。その席上で、挨拶に来る客に酒を注がれ、何度も杯を空にする羽目になった。
後半からの記憶は思い出せず、いつ酔いつぶれたのか定かでは無い。だが、この頭痛が今の時間軸が昨日から地続きであることを証明している。
そしてもう一つ、《トライ&エラー》の死に戻りが発動していない証拠を思い出した。
レイは懐に入れあるプレートを取り出し、刻まれている等級を口に出した。
「やっぱり。C級の刻印が入っている。という事は死に戻りは、《トライ&エラー》は発動していないよな。……だとすると、飲み会の後に……ここに連れてこられたのか?」
自分の足でここまで来た可能性は零だ。
記憶を失うほど飲んだ人間が、たった一人で迷宮の上層部とは言え最下層まで潜れるはずがない。途中で死んでもおかしくない。
となれば、考えられるのはたった一つ。何者かによって連れてこられたという可能性だ。
「そうだ、皆。皆も此処に居るのか!?」
ようやく頭痛が治まって来ると、周りの状況を判断する余裕が出来た。レイは自分が置かれている部屋をぐるりと見回す。そこは簡素な室内で、ただ寝るためだけの部屋だった。おそらくは宿屋なのだろうが、見覚えは無い。
すると、扉がノックされた。レイは音に反応して、近くにあったダガーの柄に手を伸ばした。龍刀は室内で振り回すには大きすぎる。
「……どちら様で」
思わず、声が固くなる。レイの問いかけに、扉の向こうから女性の声がした。
「チェックアウトの時間さ。清掃に入らせてもらうよ」
声は一方的に告げると、扉が開いた。現れたのは肉付きの良い女性で、見覚えは当然のようにない。
女性はじろりと睨みつけると、
「あんたの支払った代金は一泊分だ。これ以上宿に居座るなら、もう一泊分頂くよ」
「僕が……払った? 貴女に?」
身に覚えのない事を言われ、レイは面喰った。女性は持っている叩きで埃を落としながらそうさ、と返した。
「明け方近くになって、飛び込みでやって来たんだよ。うちは、昼で一日が切り替わるから、そんなに長くは居られないよって説明しても気にせずに部屋を取ったんだよ。……アンタ、随分と酒臭いね。どんだけ、飲んだんだよ」
「ちょっと待ってほしい。貴女に金を支払ったのは、本当に僕なのか。それに、他に仲間は見なかったか」
レイの質問に宿屋の女将は面倒だと言わんばかりの態度で答えた。
「アンタかどうかって言われちゃ、分かんないね。何しろ、頭まですっぽりとフードを被っていたんだから。それで、仲間? あたしの知る限り、アンタは一人で来たよ。さあさあ、追加料金を払わないんなら、出ていきなよ」
女将は言うなり、レイに向かって叩きを鋭く振った。流石は冒険者の街、宿屋の女将といえど侮れない叩き捌きだった。
レイは自分の荷物を持つと、宿屋を飛び出した。混乱と動揺が続く思考の中、一縷の望みに賭けてある所へと走り出した。
「いらっしゃい、いらっしゃい。ポーションが安いよ。それにこっちはアイアンゴーレムの皮膚だ。これを取ったのは、ついこの間、ここのボスを撃破した《ミクリヤ》一行ときたもんだ。破竹の勢いで活躍する冒険者チームのご利益あらたかな素材だよ。数に限りがあるから、早い者勝ちだよ!」
購買意欲を駆り立てるうたい文句に、冒険者の紐の財布が緩む。デッドエンドスポット入り口で雑貨屋兼換金商を営んでいる小人族の青年―――はた目には少年にしか映らないが―――は群がる冒険者に笑みが止まらない。
レイ達と出会えたことは幸運だったと言える。彼らが採取した素材と言うだけで単なるモンスターの素材が、ご利益や運気が上がるアイテムに早変わりだ。昨日の賭けでも設けた上に、一財産を築ける勢いだった。
すると、群がる冒険者を掻き分けて何者かが近づこうとしていた。
「おいおい! 《ミクリヤ》のご利益欲しさに、列の割り込みはよくないない。そんな不届き者には売ってやらねえ―――って、お前さんは」
青年の前に現れ、酒臭い息をさせている人物は、黒髪に白が混じる不思議な存在感の少年だった。間違いなく、《ミクリヤ》のリーダー、『緋星』のレイだ。
「お前、レイだよな。昨日、ボスの間をクリアして、もうここまで戻ってきた……にしちゃ、早すぎるよな。何やってんだ、お前さん」
「悪いんだけど、先に答えて欲しい。この街の入り口で商売している君は、今の時点で僕の仲間を見ているか?」
意味不明な問いかけだったが、青年はレイの迫力に負けて答えた。
「い、いいや。俺の知る限り、お前さんの仲間は見ていないぜ。あんだけの美人ぞろいだ。街に戻って来れば、嫌でも耳に入るぞ」
「……そうか、分かった。ありがとう」
それだけ言うと、レイは来た道を引き返した。あっという間に冒険者の壁の向こうへと消えてしまい、青年の背丈では見えなくなってしまう。
何が何だかさっぱりだったが、青年は気を取り直して声を上げた。
魔法で冷えた水が喉を通ると、合わせる様に思考がクリアになっていく。頭痛も治まり、冷静になって来ると考える余裕も出てきた。
「こんなに、水を美味く感じる日は無いだろうな……大体、状況は理解できた」
呟きは雑踏に紛れていく。小人族の換金商から話を聞いたレイは場所を移していた。街を一望できる高台に時刻を知らせる鐘があり、そこは憩いの場としてベンチが置かれている。その一つに陣取り、レイは現状を整理する。
(状況としては、今の僕は昨日の打ち上げに参加した時の格好で迷宮に放り込まれてしまったことになる)
幸いな事に、最低限の装備一式は身に着けていた。
打ち上げの席で、新進気鋭の冒険者の名刺代わりになる為に着て来いと指示したオルドに感謝だ。
ガルドを入れる巾着に混じって、デッドエンドスポット独自の通貨が混じっていたお蔭で飲み水ぐらいは買えたが、ポーションなどを揃えるには足りない。
(街入り口に店を構えている換金商の言葉が正しければ、皆はここに来ていない事になる。……全員地上に居ればいいけど、迷宮のあちこちに置き去りにしている、という事は無いだろうな)
自分の想像で不安が頭をよぎるが、確かめる術はない。最悪の可能性として心に留めておくべきだとレイは次に移った。
(宿屋女将の話では、顔を隠した誰かがあの部屋を借りた。そいつが犯人か、犯人の一人のはずだ。……そうなると、考えられる人は限られてくるな)
仮に、自分が学術都市の外で目覚めていたら、犯人を絞る事は不可能だっただろう。だが、ここは迷宮ラビリンス。地の底、モンスターが蠢く危険地帯だ。
地上から上層部最下層まで、どれだけ強行軍で進んだとしても十日以上は掛かる距離を、真夜中から明け方までの数時間の間で踏破するのは物理的に不可能だ。
それこそ、オルドでも『聖騎士』ローランでも不可能だろう。
そんな不可能を可能に出来る人物がこの街には一人だけいた。
元六将軍第三席カタリナ・マールム。
『魔王』フィーニスの娘にして、シアラの母親。
一族の裏切者で、正体の掴めない研究者だ。
彼女の持つ魔人としての力。フィーニスから分け与えられたのは転移の力だ。
同種の力を持っている第四席クリストフォロスに気取られるから、転移の力は滅多に使わないと言っていたが、あれは嘘だろう。
学術都市に向かう船の中でシアラを誘拐した時に使い、キョウコツの体に影を纏わせてカメラのようにクロノスとの戦いを覗き見していた。こうも連続で使用するからには、クリストフォロスに気づかれるというのが嘘なのか、気づかれずに力を使う術を身に着けている可能性が高い。
(誰が犯人なのかは、彼女で間違いないはずだ。問題は、どうして。動機だ。彼女が僕を攫うとして、なんで迷宮なんだ)
フィーニスと敵対しているレイではあるが、カタリナとの関係は依頼者と研究者だ。レイは自分の秘密を探る為に血を提供しており、『七帝』の肥大化した魂の謎を解き明かす事も頼んでいる。この依頼に対する彼女の見返りは、今の時点では特にない。
(まさか、これが依頼に対する要求……だとしたら、彼女が傍に居ないのは何故だ。……駄目だ、あの人の考えを読もうとすること自体が無理なんだ!)
レイは頭を抱えてしまう。
相手は稀代のトリックメーカー。
世界を魔界に変えるという悲願を達成する寸前だったフィーニスを裏切り、世界から憎しみを向けられても生き延びた存在だ。レイがいくら考えても、彼女の思考を紐解くのは不可能に近い。
そこで、考え方を変えてみた。『現在の状況がどうして起きた』のではなく、『現在の状況で自分たちはどうなっているのか』を主体に考える。
(命は取られていない。龍刀も奪われていない。体の何処かに傷や呪いを受けた形跡も無い。本当に、迷宮に一人で連れてこられただけだ。……つまり、僕を迷宮に送りこむ事か、仲間から引き剥がす事のどちらかが目的なのか)
可能性が高いと直感したのは後者だ。仮に、迷宮に放り込むのが目的だとしたら、宿屋の部屋を取って放り込んでおくという手間が不要だ。その辺の道端に転がしておけばいいし、あるいはモンスターの出没する広間でも問題ないはずだ。
そうせずに、宿屋の部屋と言う閉じられた空間を用意したのは、他者の介入を排除するためだろう。道端や広間で転がっていれば、通りかかった冒険者に見つかり起こされる可能性が高い。あるいは、モンスターに殺されてしまう場合もある。
(僕を死なせずに、なおかつある程度の時間までは起きないようにするために宿屋を取った。つまり、僕が狙いでは無く、僕を皆から引き剥がす事が狙いという事だよな)
じわり、と。再び冷たい汗が流れ落ちる。
《ミクリヤ》のメンバーは様々な秘密を抱えて集まった。
リザとレティは帝国に反旗を翻した大貴族の出身で、特にレティは帝国の秘密兵器を操れる数少ない人物だ。シアラは魔人種の雑種で、祖父にフィーニス、母にカタリナと言う魔人種のサラブレッドのような存在だ。エトネは狼人族とエルフ族の雑種だ。エルフ族は非常に美しく、森に隠れ住んでいて滅多に人前に現れないため、裏のマーケットでは高値で取引される。ヨシツネは一週目のエルドラドから来た、真正の『招かれた者』で、コウエンは古代種が一種、赤龍の記憶を引き継ぐ存在だ。そしてクロノは力を失ったとはいえ、元13神が一柱、時の神クロノスだ。
改めて考えると、狙われる理由だらけのパーティーである。
(カタリナの立場や性格からすると、狙うならクロノか? あるいはジグムントを操作できるレティか? いや、カタリナが単独犯とは限らない。複数なら両方が目的……これ以上、考えても答えは出ないな)
思考の袋小路に嵌りつつあったレイは、頭を振って余計な考えを捨てた。そして、シンプルな結論を出した。
(皆が危ない。今はそれを念頭に動くべきだ)
余りのシンプルな考えに、失笑すら浮かんできそうだった。事実、自分の内側から声がした。錆びついた歯車を無理やり動かしたような、耳障りで不快な声だ。
『ぎゃははは! 色々と考えた末に出した結論がそれかよ。相変わらず、馬鹿だね、てめぇは』
声の主は尋ねるまでも無かった。自分の内側でどろりとした塊が人の形を作り上げていく。生み出されたそれに顔は無く、まるで影を立体にしたかのような異質な存在。
それゆえ、彼はこう呼ばれていた。
(影法師、重役出勤だな。随分と遅いお出ましだ)
『皮肉のつもりか、それ? だったら、才能ないな』
隠そうともしない嘲笑が、今の状況だと心地よくもある。そんな心の揺らぎを感じたのか、影法師が不快そうな声を上げた。
『……随分と余裕そうだな。今の状況が分かってんのか』
かつては、レイから生まれた影法師は、レイの心を読む事は容易かった。しかし、フィーニスの憎悪を影法師が取りこんだことで別の存在に変質しており、以前ほど正確には心が読めなくなっていた。表層的な感情の変化だけを感じ取れる。
(いや、こんな状況だから、お前の罵倒なんかも頼もしく感じるんだよ)
『……ちっ』
(そういえば、お前は見ていないのか。僕がカタリナさんに連れてこられた時とか)
『見てないな。基本的に体の主導権はてめぇが握っているだろ。真夜中過ぎぐらいだったか。完全に酔いつぶれたのは分かったが、その後は知らねえ。気づいたら、ここだ』
(なんだ、頼りにならないやつだな)
『アアッ!? 舐めた口きいてんじゃねえよ、巻き込まれ体質!』
影法師が何か言い返しているようだが、レイは気にせずに立ち上がった。空になったコップを、移動販売の店に返すと高台を降りていく。
『おい、おい! どこか行く当てがあるのか』
ようやく怒りが収まったのか、冷静になった影法師の問いかけにレイは心で答えた。
(行く当てなんかないよ。でも仲間の危機にここで指を咥えている訳には行かない。まずは、地上を目指す。ある程度の階層まで行けば、シアラから連絡が届くかもしれないだろ)
今回の合同訓練会に参加するにあたり、パーティーがバラバラで活動する事を不安視したシアラは、意思を飛ばす魔法を習得していた。まだ、シアラから各個人に一方的にしか繋げられないが、迷宮内部でも効果を発揮できる優れものだ。
(昼になっても帰って来ないなら、誰かが様子を見に行くはずだ。そこで僕の失踪が発覚すれば探しているだろうし、もう地上で何らかの事件が起きているなら、シアラなら連絡しようとするはず)
旅をしてきて育まれた信頼関係をレイは信じた。
『だとしても、いまから地上まで目指すのは時間が掛かるだろう。どうやっても一日じゃ踏破出来ねえし、最低限の道具しかないだろ。戦力的に足りてるのか』
(それに関してはあんまり問題にしていない。ちゃんと考えてあるからな)
そう言うと、レイは地上に続く階段を昇り始めた。
読んで下さって、ありがとうございます。




