閑話:冒険王 邂逅編 Ⅳ
信仰とは何なのか、その事を考え始めたのは何時の事だったか。
家庭教師から13神と呼ばれる古き神の存在を知り、彼らが大地から去ったこの四百年を無神時代と呼ぶと教わった時からか。神々が居なくなったことで、見捨てられたと嘆いた民衆による暴動の歴史を聞かされた時か。あるいは宝物庫で13神が大地に降り立った時の情景を綴った書物に触れた時か。
定かではないが、幼い時からずっと考えていた。
信仰とは何なのか、を。
13神と言葉を交わす事が出来た時代、神々とは傍に居る存在だった。人々を見守り、慈しみ、困った時には手を指しのべ、人の手に余る窮地には降臨なさる。だから民草は神々を信仰していた?
それは、果たして真の意味で信仰と呼べるのだろうか。
圧倒的な力を持つ者の庇護に収まり、崇め奉る事でそのおこぼれに預かるのは、貴族と民衆、あるいは王家と貴族の関係と変わらない。
力ある者に頭を垂れ、偉大なる者の参加に収まる事で安寧を得る。
そんな物質的かつ、世俗的な関係が正しき信仰なのか。
疑問が頭の内で湧き出ると、夜も眠れなかった。
数多の知識人と言葉を交わし、時には市井の者に混じって問いかけ、それでも答えは得られない。何故なら、エルドラドにおいて信仰とはそうなのだ。
神々が存在して、彼らを信じて仰ぎ見れば、福音が齎される。空気と同じように、あって当然の理だ。
そんな利己的な考えから、かつての人々は13神を崇めていた。ところが、13神が大地から消えた途端、その常識は泡のように弾けて消えた。これから先、神々という圧倒的全能が存在しない世界を歩むのは、さながら闇夜の荒野を歩くような物だった。一寸先に何が潜んでいるのかもわからない世界に放り出されて、利己的な信仰はあっという間に瓦解した。
見捨てられたと思いこんだ人々の心は、13神の傍で傅いていた教会へと向けられ、宗教への弾圧が始まり、結果として13神を信奉する組織的な集団や活動は消えてしまった。
誤った信仰の道筋はここで途絶えたのだ。
―――ならば、いまこそあるべき信仰を取り戻す時ではないか。
大地から離れた神に祈りを捧げ、神の残した言葉を導に慎ましく暮らす。
それこそが、あるべき理想だ。
そう思いたった瞬間、この身に稲妻が落ちたかのような衝撃を味わった。視界は一気に広がり、あたかも祝福するように鮮明になった。心は爆ぜる山の如き熱き物で満たされ、体は喜びに打ち震えていた。
自分が為すべき事を見出した瞬間から、迷わず行動に出た。
まずは父上の説得からだった。この無神時代において、人々の心がどれだけ荒み、どれだけ救いを求めているのか。いまこそ、本来あるべき信仰を取り戻すべきだと説得し、そのための支援を募った。
父上は理性的な判断を下せる人物だった。宗教の持つ有意性と危険性を正しく理解し、それでも民の為になるならと協力を申し出てくれた。
幸いと言うべきか、自分は三男坊。家を継いだ長男のスペアのスペアだ。
老齢だった父上は既に隠居しており、家を継いだ長兄には子供がいる。仮に、長兄が死んだ場合は次兄が長兄の子供が成人するまでの代役を務めるだろう。その過程で血腥い家督争いが起きたとしても、自分には関係の無い話だ。
普通に考えれば、三男である自分に当主の座は回って来ない。そればかりか、下手に長兄の傍に居れば、家督を狙うのではないかという無用な疑念を向けられる恐れもある。あるいは、周囲の思惑次第では担ぎ出されてしまう危険性もあった。
そうなるぐらいなら、家から追い出した方が良い。当主となった長兄がすんなりと送り出した背景を想像すると、そんな所だろうか。
とりあえずの挨拶もそこそこに慣れ親しんだ家を出て、各地を巡った。13神に纏わる書物や口伝、あるいは像や壁画の残骸などを探しに歩き回った。ある時は険しい山岳地帯に眠る遺跡を。ある時は美術品として秘蔵していた貴族の領地を。ある時は表に出ない商品を扱う闇のマーケットを。
供は現地の人間を雇い、危険を顧みずに突き進んだ。
まずは、13神に関する正しき伝承、失われた逸話を再収集し、編纂。それを一つの経典として纏め、あるべき信仰の形を生みだすのだ。
一年や二年、あるいは十年で完成するとは考えていない。
それこそ自分の代で到達できるかどうか不明な取り組みだ。だからこそ、やりがいがある。自分のしていることは正しい事で、きっと後に続く誰かが現れると信じて疑わなかった。
―――だからこそ、この結果は甘かったというしかない。
カビ臭く、澱んだ空気に混じる腐臭。
明らかに人とは違う存在の呼気が耳朶を震わす。
大森林奥深くに眠る寺院の存在を知り、危険を承知で探索に乗り出した。辺りの元寺院や貴族が所有する13神の遺物は粗方蒐集し終えたため、普段なら慎重に行動する場面で強気に出てしまった。
近くの村で暇をしていた請負人を雇い、森の安全と言えるルートを通って遺跡内部に入った。長い間無人だったこともあり、至る所が崩落していたが、危険を冒して来る価値はあった。
暴動の被害は少なかったのか、完全な状態で現代まで残された経典や、神々の事を綴った書物や壁画などが大量に見つかったのだ。
まさに宝の山だ。
眼に着いた物を片っ端から鞄に詰め込んでいくうちに、遺跡の地下へ地下へと無警戒に侵入していき、気が付けばモンスターの住処へと足を踏み入れてしまった。
必死になって逃げだしているうちに、同行者たちと逸れてしまい、その上落とし穴に引っかかってしまったが、彼らは無事に地上へと戻れたのだろうか。渋る彼らを無理に連れ出したのは自分だ。彼らが無事に戻れたと祈るしかできない。
ずしん、と。
腹の底にまで響く振動が遺跡を揺らす。
自分の背丈の三倍はあろう巨大なモンスターが、ゆっくりと徘徊する。間違いなく、自分を探しているのだろう。崩れた柱の影に隠れながら、息を殺す。
頭の上をモンスターの尾が通り過ぎる。いま、自分が隠れている柱とほとんど同じ太さのそれに叩きつけられたら、骨も肉も見分けがつかないほど潰されるだろう。
心臓が信じられないくらい早く鼓動する。あまりの五月蠅さに、モンスターに聞こえるのではと恐怖を感じてしまう。
(いやだ、いやだ、いやだ。こんな所で、死ぬのは嫌だ)
何度、同じことを繰り返し思ったのか。
まさに祈るような気持ちだった。
誰に、と問われるとやはり13神だった。それ以外、祈る対象は存在しない。
すると、その祈りが通じた様に振動は止まった。頭の上を何度も往復していた尾も消えていた。いつの間にやら巨大なモンスターは近くから立ち去っていたようだ。
ならば、今の内だ。
巨大なモンスターが消えた方向とは逆の方向に向けて走り出そうとする。自分が遺跡の何処に居て、どちらに向かえば地上に辿りつくのか知らない。ただ、モンスターから離れたいという思いで頭は一杯だった。
だからだろうか、最初はそれが現実なのか理解できなかった。
自分の足がゆっくりと床から剥がれていき、視点が高くなっていくことを。
「あ……ああ、ああああ!」
絶望が口から飛び出した。衣服に纏わりつく、自分とは別の生き物の体温。柔らかくもあり、弾力性のあるそれは自分を絡め取り持ち上げているようだった。
ようだった、などと曖昧な表現になるのは、それが周りの景色に溶け込み同化しているからだ。
必死になってもがくも、自分を絡め取る力を引き剥がす事は出来ない。実力差を確認して勝利を確信したのか、モンスターは文字通り姿を現した。
遺跡内部の景色と同化していた体表が血色の悪い薄紫色へと変貌していく。つい先程まで、自分の頭の上を何度も通過した尾だ。
ぐるり、と体の向きを変えられ、それを直視する。
自分を付け狙っていたのは、上半身が人の形をし、下半身が蛇の胴体というモンスターだ。男性とも女性とも取れる中性的な容姿だが、見惚れる事はあり得ない。束ねたような髪は全て蛇で此方を威嚇し、濁った黄色の瞳から隠しきれない憎しみが零れだしていた。
上半身には人間のように腕が二本生え、巨体に相応しい三又の槍を掲げていた。
「グルルルル」
人の顔から発せられた言葉は獣のうめき声だ。意思疎通を図ろうとしても不可能だと即座に理解した。
後に待ち受けるのは、このモンスターに甚振られてから殺されるのか、頭から貪り尽くすように食われて殺されるのか。その二択だ。
「いやだ、いやだ、いやだ! こんな所で、こんな誰も居ないような場所で死ねるもんか!!」
死を前にして、本心が吹きだした。
「誰も居ないこんな所で死んだら、誰が私の後を引き継いでくれる。誰が、集めた書物を編纂してくれる。誰にも託せないまま、こんな所で、まだ死ねるもんか!」
あるのは唯一つ、あるべき信仰をこの地上にもたらすという、ただ一点だった。
青年はあるべき信仰に繋がるなら、自分の死すら容認できた。
だが、これはただの無駄死にだ。
後を継げる者はおらず、後に続く者は存在しない、無意味で無価値な死。それどころか、自分が集めた物が、遺跡の地下深き場所で放置されるという事実に耐えられなかった。だから、叫ぶしか無かった。
「頼む! 誰か、私を助けてくれ!!」
もしも、まだ世界に神々の息吹が存在したのなら、彼の純粋なる信仰心に免じて一度なら軌跡を起こしただろう。
だが、今は無神時代だ。そのような奇跡は起こるはずもない―――本来なら。
それに気づいたのは、青年では無く青年を捕まえているモンスターだった。
モンスターは遺跡に響く振動音と―――奇妙な存在が近づいている事に気づいた。
人の言葉を操れないモンスターの感情を代弁するとしたら、それは圧力だ。人間よりも世界に近いモンスターだからこそ、何か別種の存在が発する圧力を敏感に感じていた。
誰かが真っ直ぐこちらに向かって突き進んでいる。此処を目印にしているかのように、わき目も振らず。
そして、その振動と圧力が真上に到達した瞬間、一瞬の静寂の後に空間を満たしたのは瓦礫が崩れる音だった。
雨あられと落ちてくる破片をモンスターは槍で弾き飛ばしていくが、あまりにも量が多かった。咄嗟に捕まえていた侵入者を放り出して、床を尾で叩いて一気に距離を取った。
当然、捕まっていた青年は床に落ちる。受け身の取り方なんて知らず、落下の衝撃で呼吸が止まりそうだ。落ちてくる破片を避けるなんて事、出来やしなかった。
数秒ではあったが豪雨のように降り注いだ破片は、空間を半ばまで埋め尽くす。急いで逃げ出したモンスターは無事だったが、直下に居た青年は飲み込まれていてもおかしくは無かった。
ところが、結果は違っていた。
「信じ、られない」
青年は自分が生きていることに驚きを隠せなかった。
「破片が……私を避けた?」
そう、思ってしまうのはある意味当然だ。モンスターから解放されて身動きの取れなかった青年の周囲は瓦礫で満たされているというのに、青年の居る場所には小石一つ降り注がなかったのだ。
それを何というのか、青年は自然と呟いていた。
「奇跡だ。私は今、13神の奇跡に浴しているのですね」
瞬間、彼の脳内で祝福を意味する鐘の音が鳴り響いた。それが幻聴なのは言うまでもないが、彼にとっては真実であった。指を重ねて手を組むと、彼は神々に感謝を口にした。
「遥かなる高みから我らを見守りし13神よ。ここに、貴方様の敬虔なる僕は命を救われました。貴方様の御加護に感謝いたします」
そして見上げると、瓦礫の上に立つ存在に気づいた。それは後ろ姿ではあったが、背の高い痩せた男の姿だと分かる。
手には剣を持ち、モンスターが消えた方角を向いていた。まるで、自分を守るように立ちふさがっていた。
「神よ、まさか貴方様の御使いを私の前に遣わせてくれたというのですか。私を助けるために。おお、おおお、おおおおお! 何という奇跡、何という慈愛! やはり、大地には正しき信仰を、貴方がたの愛を齎さねば!!」
青年は、自身の頬を熱き涙が滂沱となって落ちるのを構わず吼えた。
「……やばいな。何であの人、愛とか信仰とか叫んでるんだろ。宗教系の人って、ちょっと話が通じない所があるんだよな」
瓦礫の上に着地したエイリークは、背後で叫ぶ青年に困惑した。四方を瓦礫の山で覆われ、ちょっとした振動で崩れて潰されるかもしれないに呑気な男だと思う。ただ、様子や言動からすれば、彼が地上で遭遇した請負人たちが見捨てた依頼人なのは間違いない。
「とすると、やっぱりオルタナの奴、彼と会わせるために此処まで誘導したんだな」
エイリークが顔を上げると、上階の僅かに残った床から此方を見下ろす少年と目があった。彼は悪びれもせずに手を振る。
このような形で地下に降りてきたのは、全てオルタナの指示だった。遺跡内部はエイリークたちが予想していたよりも崩壊していた。通路だった場所は塞がり、壁が崩壊して隣へのう回路となっていたりと、内部は迷路のように複雑だった。
そんな空間を、オルタナは迷うことなく突き進んでいた。自身と同じ『招かれた者』である彼は勘が鋭いらしく、こういった複雑な道だと彼の誘導に従うと大概成功する。これまでの旅でも、オルタナの勘で窮地を乗り切った場面もあったし、何より死にかけの自分を見つけて助けてくれたのも勘だという。それに頼るのは当然の流れだ。
その結果、地下へ地下へと降りていき、突然こんな事を言いだしたのだ。
「ちょっと間に合わなそうだから、床に穴を開けて」
理由を尋ねると、これも勘だそうだ。流石に、今にも崩れそうな遺跡に穴を開けるのはどうかと悩むエイリークを余所に、親父さんは疑いもせずに魔法で床を破壊していった。
一直線に突き進み、最後は複数の亀裂を広げる事で、広範囲に渡って床を崩した。そして仕上げとばかりにオルタナは無防備な背中を晒していたエイリークを突き落とした。瓦礫の山に降り立ち、エイリークは辺りを見渡した。
「本当に、モンスターが居るんですか!?」
「居るぞ、すぐ近くだ」
落ちる最中にその事を呟いた親父さんは、確信を持って繰り返したが、エイリークには分からなかった。遺跡内部は発光する鉱石が埋め込まれていることもあり、幾らか視界は確保できるが、それでも圧倒的に闇が深い。
その何処かにモンスターが居るのだろうと目を凝らしていると、視界の端を瓦礫が動いたのを捉えた。
何もしていないのに、瓦礫が動く。
その違和感に答えを得る直前、エイリークの体は強い力で弾き飛ばされた。
衝撃と共に吹き飛ぶ最中、親父さんの無責任な声が耳に飛び込んできた。
「お前さんが戦う相手は、遠い未来じゃジャイアントナーガと呼ばれる、超級モンスターだ。今のお前さんじゃ勝てないかもしれんが、まあ頑張れ」
読んでくださって、ありがとうございます。
次回の更新は9月1日を予定しております。




