10-60 時は動き出す 『中編』
豪奢な建物の入り口が解放され、中から沈痛な音楽とすすり泣く声が聞こえてくる。レイは立ち止まると、身だしなみを軽く確認してから中へと入っていく。急ごしらえの喪服はところどころ糸が出ているが、黒いコートが隠していた。
中は人いきれで妙な熱がこもっていた。外との温度差に軽く汗をかきそうだ。それだけギルド会館は大勢の人で満たされていた。
半数近くが冒険者らしき者達で、残りがギルドの職員や、高級そうな仕立ての商人、急いで駆けつけたらしき職人や町人たちだ。
それが仁徳による物なのか、彼の立場がそうさせたのか、あるいは打ち立てた伝説によるカリスマ性なのか。ともかく、人の価値が死んだ後に分かるとしたら、間違いなくオーギュスター統括長は価値のある人間だったのだろう。
今日、ギルド会館では急死したオーギュスター・クロイライン統括長との別れの会が開かれていた。葬式自体は、すでに終わっており彼の遺体は墓地に眠っている。参加したのは、彼と親しくしていた身内ばかりの、肩書と名声に比べればこじんまりとした物だ。そのせいか、別れの会と銘打ったこの催しは、人の流れが途切れることなく続いている。献花台には白い花が山のように積まれ、その向こうにはオーギュスターの肖像画が置かれていた。
眼光鋭く、ギルドの制服を身に纏って睨む姿は今よりも若く見える。もしかしたら、冒険者部門統括長に就任した際に描かれたのかもしれない。
「こちらを、お受け取り下さい」
入り口でギルド職員に呼び止められ、白い花を受け取った。レイは人の列に紛れながら、献花台へと近づいていく。自然と、周りの噂話が聞こえてきた。
「驚いたね。あんな、殺しても死なないような人が、こんなに急に逝くなんて」
「全くだよ。あたしなんか、つい二週間ほど前に会議でお会いしたけど、ぴんぴんしてたよ。あれで私より一回り上だったなんてね。人生、何があるかわからないもんだよ」
「そうさね。病気、って聞いたけど、どこか悪いって聞いていたかい?」
「いんや、まったく。まあ、我慢強くて頑固な人だから、悪い所があっても隠していたんだろうね。そういや、弟子のオルドが学術都市に来ているんだろ」
「そうそう。喪主を務めたそうだよ。いや、あのひょろひょろとした坊主が、気が付けばいい年をしたおっさんになってたね。……考えてみれば、あの子も大変な思いをしたもんだ。嫁さんに先立たれるは、乳飲み子を抱えてクランを運営しなくちゃいけないわ、随分苦労したそうで」
「クロイライン殿も随分と気にしていたね。あの時は、まだギルドに所属していなかったけど、自分の人脈を使ってこっそりと支援をしていたようで。だから、頭の上がらない人だって、オルドも言ってたわね」
そんな話を聞き流していると、献花の順番が来た。レイは前の人と同じ作法をして、花を手向けた。そして、一礼すると献花台の前を離れてギルドの受付へと足を向けた。
だが、その足は直ぐに止まる。どうやらお別れの会を受けて職員が大勢で払っているようで、窓口はどれも受付終了の札が下げられていた。
近くに居たギルド職員を捕まえて話をするかと考えたが、大抵忙しそうにしているか、涙をこらえているかしていて、話しかける雰囲気では無かった。
仕方ないと嘆息して、レイはギルド会館を出た。
すると、顔にひんやりとした物が当たり、空を見上げれば灰色雲から雪が降ってきた。
寄り道をした事で体が冷たくなったレイは、家の扉を開けて流れ込んでくる温かな空気にほっとした。肩や靴の裏に着いた雪を落として中に入ると、出迎えたのはヨシツネだった。
「お帰りなさいませ、主殿。お召し物をお預かりします」
まるで執事のような振る舞いで後ろに回り込むヨシツネに逆らえず、レイはコートを渡した。ヨシツネがコートをかけていると、応接間でくつろいでいた者達が次々に声をかけてくる。
「おかえりなさい、おにいちゃん」
「おかえりー、寒かったでしょ。いま、紅茶を入れるね」
「邪魔しているぞ。もぐもぐ。うん、美味いなこれ。おかわりはあるか?」
「勝手に食べてなさいよ。おかえりなさい。お疲れ様ね。それで、どうだったの。統括長の方は?」
「うん、それなんだけど……ちょっと待って。いまの食いしん坊発言は誰だ?」
椅子に座ろうとしたレイは、聞き逃せなかった声に反応する。顔を上げれば暖炉の前に陣取り、茶菓子で頬を膨らましている少女に呆れた。
「キョウコツ。……なんで、お前が居るんだよ」
「もぐもぐ、ごっくん。……なに、仕事だよ、仕事」
名前を呼ばれた少女は、頬に溜まった茶菓子を飲み込むと、手にした封筒をひらひらと振ってみせた。
「カタリナ様からお前宛だ。何でも、頼まれた件の中途報告書だそうだ」
「……あの人、きちんと働いているのか」
「それに関しては私も驚いてる。あれだけ奇天烈な振る舞いをする人物だが、性根は真面なのかもしれないな」
「まあ、分かった。此処に居る理由は理解できた。書類も有り難く貰うが、どうして茶菓子を摘まんでいるんだ?」
「酷い奴だ。この寒い中をやって来た友に対して、さっさと帰れと言うのか」
心外だとばかりに言うキョウコツに対して、レイは半目で言い返す。
「誰と誰が友なんだ」
「私とお前たちが。一緒に迷宮を突破した仲じゃないか」
彼女の言葉に偽りはない。カタリナの命令でレイ達を尾行していたキョウコツは、クロノスとの死闘が終わるや否や、カタリナに置いてかれた。彼女の中にあった影は消え失せ、迷宮に取り残されてしまった。
レイとしてはキョウコツを助ける道理は無い。彼女はレティ誘拐という前科があった。属していた一族から離れたとはいえ、彼女の身分は帝国人だ。帝国の暗部から狙われているレティやリザの事を考えると、彼女を見捨てた方が安全であった。
だが、見捨てたとなると今度は別の問題があった。彼女がカタリナに拾われ、こき使われているとはいえ彼女の部下という事実だ。カタリナから何を聞かされているのか、あるいは何を知っているのか不明なのも厄介な点だ。下手に見捨てて、別の冒険者に助けられて地上に出た時、色々な事を暴露されたら面倒になる。
そこでキョウコツと取引をした。迷宮から脱出するのに手を貸す代わりに、自分たちに不利益になるような行動を一切取るな、と。口約束だけでなく、血と魔法による契約書を交わす事を条件にした。
彼女はそれを呑み、レイ達と一緒に迷宮を突破したのだ。
契約があるため彼女はレイ達に攻撃を加える事は出来ず、攻撃を受けたら反撃も出来ない。一方的に嬲られるというのに、リラックスした様子でくつろいでいた。カタリナの元で働くうちに、妙な胆力が着いた様だ。
「まあ、長居するつもりは無い。ちょうど、お暇する所だった。なにせ上に居るんだろ、あれが」
立ち上がると指を上に向けた。彼女の言う、あれが何なのかすぐに分かった。
「お前の気が知れないね。あんな目に遭ったって言うのに、自分の家に連れ込むなんて。悪い事は言わない、さっさと何処かの研究所に引き渡しなよ。そうすれば、とりあえず安心だろ」
「彼女の事をそんな風に言うな。それにもう、暴走する事は無い以上、研究所なんかに預ける必要は無い」
レイが言うと、キョウコツは鼻で笑った。
「そんなの、誰が保証するんだ。もしかしたら、って事があるかもしれないだろ。それこそ、神の奇跡って奴さ。まあ、私にしてみればどうでもいい話だがな。それじゃ、確かに書類は渡したぞ」
キョウコツは言いたい放題言うと、そのまま扉を開けて外へと飛び出した。その軽やかな挙動は猫のようで、あっという間に暗闇へと消えていく。
レイは受け取った書類を机に放り投げ、椅子へと身を投げ出した。
彼女の言う事も一理ある。本当なら何処かの研究所なり、専門機関できちんと見て貰うのが筋だろう。だがそれは、彼女の存在を公に晒してしまう。あるいは、公にならなくても研究者の好奇の目に晒されてしまうだろう。何しろ、神から人へと転生した稀有な存在なのだから。
もう、何の力も持たない彼女をそのような目に遭わせるのは、気が進まなかった。結局、迷宮を出てすぐにグラッセとオルドだけに事情を説明した。
「はい、お兄ちゃん。紅茶だよ」
横からレティがティーカップを差し出した。受け取ると、器からして温かい。紅茶を入れる前に湯で温めていたのだろう。その気遣いだけで、胸が一杯になる。
「ありがとう、レティ。それでシアラ、さっきの話だけど」
「ええ。冒険者部門統括長の方は、何か分かったかしら? それにギルドの動きは?」
紅茶を一口飲んで、唇を湿らすとレイは語り出した。
「ギルドの方は上から下の大騒ぎだった。葬式とかの影響でギルドの業務自体が停止していた。しばらくは『姿なき幽霊の呼び声』の事を調べようとすることはなさそうだ。それで、オーギュスター統括長の死因は病死とされている」
「……その言い方だと、裏がありそうに聞こえるわね」
「もちろん、あるとも。ギルドからの帰り道に黄金の小鹿亭に寄ったんだ。オルドは不在だったけど、ロータスさんが応対に出てくれてね。……どうやら、オーギュスター統括長は自殺だそうだ」
「自殺ですって!」
シアラの驚きに他の者達も反応する。自殺という単語の不吉さから、温かな室内が急に寒く感じ始めた。
「うん。僕らが迷宮から帰った翌日、どうやら執務室で自分の武器で心臓を刺したようなんだ。発見された時には手遅れで、理由は分からないそうだ。流石に統括長という地位にある人間が自殺したとなると混乱と動揺が広がるから、表向きは病死という事にしたそうだ」
「それが良いでしょうね。……それじゃ、緊急クエストの報酬とかは」
「言い出せる様な空気じゃないって」
「それもそうね」
緊急クエストの報酬とは、生前のオーギュスターと取り交わした事だ。『姿なき幽霊の呼び声』を確保し、解決に導いたなら《ミクリヤ》をC級パーティーに引き上げると約束していた。
C級になるとギルドに保管されている『冒険王』のレポートが閲覧できるのだが、この報酬はオーギュスターとの個人的なやり取りだ。表に出ない契約のため、ギルドに頼んでもどうにもならないだろう。
「『冒険王』のレポートは魅力的だけど見送るしかないね。とりあえず、C級に上がるのは別の方法でやろう。……それで、上の方はどうかな」
「静かなもんだよ。それこそ、眠っているようにね。今はお姉ちゃんとコウエンちゃんが付いているよ」
レティの答えにそうか、と返すとレイは紅茶を飲み切った。そして、立ち上がるとホールへと続く扉を開ける。何か言いたそうにする視線を後ろに感じたが、それを振り切った。
ホールは吹き抜けになっており、上の階まで繋がっている。音がすれば聞こえてくるが、何も無いという事はレティの言う通り眠っているのかもしれない。レイは階段を昇っていく。
食堂やヨシツネの部屋がある二階を通り過ぎ、女性陣が固まっている三階を越え、そして空き部屋となっている四階の部屋の前で止まった。
ノックをするべきか悩んでいると、扉の方が開いた。
「入るなら、早く入らんか」
高圧的な口調は下からする。視線を下げれば、見上げる紅蓮の瞳とぶつかった。
「悪い、コウエン」
コウエンは鼻を鳴らすと部屋に戻った。レイが後に続くと、壁に寄りかかっていたリザが軽く頭を下げた。
そして、通りに面した窓を見ていた少女が穏やかに振り向いた。
「お帰りなさい、玲様」
「ただいま、クロノス」
そう言った少女の瞳は、外の雪を詰め込んだように白かった。
クロノスが目覚めたのは比較的早かった。荷物を纏め、迷宮の変成が終わったのを確認してすぐだった。当初、自分が生きていること混乱していたが、コウエンの説明を聞いて納得した。
納得した上で―――死を懇願したのだ。
「私は、私が許せません。貴方がたにした非道を、すべて覚えています。偽りだったとはいえ自分という存在が、嬉々として実行したことが許せません。ですから、どうか、どうか、殺してください」
そう、涙ながらに訴える彼女の意思は固かった。レイ達が拒絶すると、隙を突いて自害しようとしたのだ。レイの持つダガーや、ヨシツネの小刀などを手入れ中に奪い、あるいはろくに動けない体でモンスターの前に飛び出したり、あるいは舌を噛み切ろうとさえした。
神として死んだことで、神としての力は失われている。今の彼女は、手首を切ったり、首にナイフが突き刺されば死ぬ、当たり前の人間だ。それはコウエンが保証していた。
そのため、レイ達は迷宮の間も、そして迷宮を出た後も彼女を監視する必要があった。
今も、クロノスの両腕は布で固定されていた。こうでもしないと、自傷行為に走る恐れがあった。
「この窓から、貴方が帰ってくるのが見えました。外は寒かったでしょう」
「……ええ。朝から寒いと思ってたら雪まで降って来ましたよ」
「雪。そういえば、観測所から眺めた事は幾度もありますが、こうして見るのは初めてですね」
あまりにも普通の受け答えが逆に不気味だ。死にたがっていること以外、彼女はあまりにも普通だった。神でなくなったというのに、人間になってしまったというのに、平然としていた。
「雪は触ると冷たいと聞きます。そうなのですか?」
「はい。触れると冷たいですね。ただ、人間の体温が高いから、雪も溶けてしまいますね」
「溶ける。……それは羨ましいですね」
「羨ましいとは、どういう意味ですか?」
「そんな風に、私も消えたいと、そう願うのです」
そう言って、彼女は白くなった瞳で外を見つめた。降り注ぐ雪に自分を重ねているのだろうか。
レイは傍にあった椅子を掴むと、視線でリザとコウエンに退出を求めた。
「……宜しいので?」
「うん、ごめんね」
心配するリザに謝ると、彼女は首を横に振った。そして、そのまま部屋を出ていく。コウエンはレイの体を叩くと出ていった。
彼女なりのエールだろう。レイは叩かれた部分の熱を感じていた。
二人が出ていき、クロノスと二人きりになると思いだすのはエルフの聖域で言葉を交わした時の事だった。あれから、色々な事がありすぎた。自分の正体、クロノスの転生、『黒幕』の存在。目まぐるしく変わる状況に気を抜けば流されそうだ。
「……クロノス様。まだ、死にたいとお思いですか?」
「はい。思っております」
力強い宣言だった。彼女が、心の底からそう願っているのだと知り、レイは寂しさを感じた。
「このまま、貴方がたの傍に居るのは耐えられません。玲様だって、いえ、他の方だって同じようにお考えでしょう。私の顔なんて見たくないはずです。なら、どうか、お願いします」
死を懇願する女性に対して、レイは長い長い沈黙の後に口を開いた。
「貴女が死んだら、僕も死にます」
読んで下さって、ありがとうございます。




