10-57 神殺しⅤ
結局のところ、レイ達が勝利する条件は一つしかなかった。
龍刀コウエン。死を司る神タナトスから、存在に終わりを付与する権能を貸与されていた赤龍の力が宿った刀だけが、神の守りを持つクロノスに致命傷を与えられる。
影法師の出現も、シアラの《アイスエイジ》も、リザ達の必死の抵抗も、レティの毒薬も、全ては本命を隠すための目くらましに過ぎない。
ところが、この龍刀に問題があった。
それは、権能が完全に覚醒していないという問題だ。
元々、無神時代が始まった事で赤龍は13神から与えられていた権能を失っていた。それは龍刀に形を移してからも変わっていない。だが、時を司る神クロノスがエルドラドに落ち、自分自身に逆行の権能を発動させていた事で状況が変化していた。
彼女の影響下にある空間はかつてのエルドラド、無神時代が始まるよりも前の法則が働く空間になっていた。これによってクロノスは失うはずだった神の力を保持しており、そして龍刀から失われた神々の権能が復活した。
だがこれは、完全な復活とは言い難い。
クロノスの神格が不完全なため、龍刀に宿る権能も不完全な覚醒しか果たしていない。コウエンが復活し、クロノスと戦った時に、その事は気づいていた。この龍刀では目的を果たせない、と。
そこで考え付いたのが、クロノスに完全とまではいかなくても、ある程度までの力を取り戻してもらうように誘導する事だった。彼女を追い詰め、神としての力を取り戻したいと促す事で、龍刀の権能を引き上げる。
そのためには、クロノスが持つ権能を封じる必要があった。影法師による時間停止の無効化。レティの毒薬による技能停止へのカウンター。攻撃手段である歯車を氷漬けにする事で失わせ、リザ達が足止めをする事でクロノスを焦らせる。
人は考える生物だ。手段を断たれても、諦めないという精神がある限り、どこまでも足掻き、新しい道を切り開く力がある。それは誰よりもレイが知っていることだ。
レイ達の狙い通り、無敵の力が通じなくなったことでクロノスは動揺し、レイに拒絶されたことで思考がまた一つ狂ってしまう。遂にはレイを殺す事で救うという結論に至り、それを実行するために更なる神の力を引きだし始めた。
それまでにないほど濃い神気に満たされたセーフティーゾーン。クロノスの影響は地上にある学術都市をすっぽりと覆うほどになっている。これ以上、無神時代の前の法則が広がれば、世界は崩壊してしまう。
だが、濃すぎる神気に誰もが膝を折り、苦悶の表情を浮かべていた。それは地上で休養しているオルド達も同様だった。
「……おい、オルド。こいつは……やばすぎるんじゃないか」
「お前に……言われなくても、それぐらいは……分かるぞ」
屈強な体格を持つベルドランドもオルドも、病院の廊下で壁にもたれかかり座っていた。先程から頻発する、時間の逆行に混乱する病院内を鎮めるために、傷ついた体を押してまで駆けずり回っていた。それにも限界が来ていた。この数分で感じる圧はけた違いになり、上位冒険者でも抗えなくなっていた。
「お前が任せた、《ミクリヤ》の連中が失敗したんじゃないのか……こりゃ。本当に、あんな尻の青い奴らに任せて、大丈夫だったのか?」
「さあな。ただ、あいつ等に出来なきゃ、誰にもできやしねえ」
青色吐息の様子で絞り出すように言うオルドは、自分たちよりも酷い状況になっているであろう後輩にエールを送る。
「やっちまいな、レイ。お前なら出来るはずだ」
鮮血が水晶を汚していく。薄く反射した表面には、呆気にとられるクロノスの美貌があった。
彼女の持っていた神器もどきの槍は半ばから強引に砕かれ、肩から縦に傷が生まれていた。それを認識してから、痛みは遅れてやって来た。
「『―――っ、なんで、なんで、なんで!? どうして、私が、こんな傷を。いえ、そもそも権能はどうして発動しないの!?』」
彼女の言う権能とは無機物の時間を加速させる権能の事だ。槍に付与する事で龍刀を破壊しようとしていた。ところが、龍刀は歯車を組み合わせて出来た槍を、それこそ砂の城を吹き飛ばすように両断したのだ。
予想していない結末に思考が止まり、彼女は上段からの振り下ろしを浴びてしまった。
「何も不思議な事は無かろう。いまの其方様は不完全な権能を操る狂いし神。一方で龍刀に宿る妾の力は、正常なる神から貸し与えられた完全な権能。それも其方様の神格が此処まで取り戻されたことで、ほぼ完ぺきな形で復活しておる。不完全な権能とほぼ完ぺきな権能なら、どちらが優先されるかは自明の理。赤子でも理解できましょう」
《ミクリヤ》の面々が倒れる中、神の圧に負けずにいられたコウエンが、混乱するクロノスに答えを教えたが、彼女は理解している風では無かった。とにかく、流れる血を、止まらない痛みを止めるために自分の状態を権能で戻す。
一瞬で傷口は塞がり―――というよりも無かった状態に戻った。
だが、安心するのにはまだ早い。すでにレイは二撃目を放つ態勢に移っていた。一撃目が浅かった事を受け、さらに深く踏み込む。
刃を返し、クロノスの脇腹下から斜めに入る斬撃。影の鎧を纏う事で、身体機能を上昇させ繰り出される一撃は、彼女を一撃で両断する破壊力を持っていた。
だが、
「『止まりなさい!』」
クロノスの叫びに世界が凍り付く。龍刀の存在を終らせる権能は、刃という形に押し込まれている。切る事で効果を発揮するそれは、空間に作用する時間停止を防ぐことは出来なかった。
生物の時間が止まり、レイの動きが固定されたように止まった。
すぐさま影法師がレイを無理やり動かすが、それより前に彼女の一撃がレイに届いた。
一度は叩き切られた槍は、一瞬にして復元された。先程までは破壊力に重点が置かれたのに対して、今度はクロノスの細腕でも震える細身の槍が、レイの足を貫いた。影の鎧は、槍の先端が触れた瞬間に塵となり何の抵抗も出来なかった。
同時に時間停止は解除された。まだ、時間停止を行いながら他の権能を使うほどの力は戻っていなかった。
レイにしてみれば、瞬きしたら体の内側を槍が貫いているのだ。痛みで反射的に退いてもおかしくない。だが、その防衛反応は意思でねじ伏せ腕を振り切った。
その軌道は狙いから逸れたが、クロノスの脇腹を裂く。鋭すぎる斬撃に、切られた側が切られたことを自覚してから血を流し出す。
痛みで苦悶の表情を浮かべるのも一瞬。クロノスは自分に触れることなく巻き戻しの権能を発動した。あっという間に、切られた箇所は無かったことにされてしまう。
時戻しを発動しなかったのは、レイにダメージを与えたという事実を消さないためだ。
互いに手を伸ばせば触れそうなほど近い距離。両者はそこを決戦の場に定めた。
引くことをせず、武器を叩きつける様に振るった。
金属音と共に鮮血が噴き出す。またしてもクロノスの神器もどきは、不完全な神器と化した龍刀に打ち負ける。粉々に砕けた歯車だったが、地面に落ちずに軌道を変えた。細かい破片が刃のようにレイを襲った。
影の鎧の表面にさざ波が起きると、鎧から影の触手のようなものが何本も吐き出された。それらは歯車を叩き落そうとしたが、逆に権能によって塵へと変えられた。歯車は勢いを止めず、露出されたレイの顔面に突き刺さろうとした。しかし、手にした龍刀から炎が巻き起こる。それは渦を巻いてレイを包み込み中空へと消えていった。
歯車は一瞬の内に溶けてしまった。
クロノスの青い瞳と、レイの黒と紅蓮に輝く瞳が交差した。
猛々しい狂気に包まれているというのに、サファイアのように神秘さを携えた瞳をレイは怖いくらい美しいと思い。
静かな覚悟を抱き、万華鏡のように角度によって輝きを変える瞳をクロノスは羨ましいと感じた。
刹那よりも短い時間、二人は見つめ合い、そして殺し合いは再燃した。
クロノスが今の状況で扱える全ての歯車を出現させ、レイに向けて放った。押し寄せる津波のような猛攻は、龍刀から吹きだした紅蓮の炎に飲み込まれた。二つの塊がぶつかった余波で水晶が溶けだしていく。
レイが龍刀を斜めに構えれば、即座に時間停止が発動した。影法師がレイの体を動かしていくが、させまいと神器もどきの槍が行く手を塞ぐ。今度は細身の槍が二本、両手に握られている。時間停止が解除されるのと同時に、槍はレイの肩とわき腹に突き刺さった。痛みに耐えながらレイの一撃はクロノスの胴体を斜めに切った。
鮮血が炎の熱で蒸発される。明らかに致命傷だが、クロノスは自分の状態を戻して無かったことにしてしまう。
その繰り返しを都合、五度。レイの体は十近くの穴を作り、クロノスは五度の致命傷を無かったことにした。
状況は圧倒的にレイの方が不利なのに、クロノスは自分が追い詰められているという自覚があった。
影法師の存在はもう脅威にならない。処理の手順さえ間違えなければ、少しずつ削り取れる。レイの傷口を縛る為に影を回しているせいか、鎧の存在感は薄くなり、いずれ消えるだろう。
龍刀の一撃は致命傷だが、即死では無い。ほおっておけば死ぬが、すぐさま巻き戻せば問題は無い。痛みと死への恐怖がじわじわと押し寄せてくるが、それを狂気が飲み込んでしまっている。
問題はレイの意思だ。相打ち覚悟で振るわれる斬撃は鋭さを増して行き、徐々にではあるが急所を捉え始めている。一方でクロノスの槍は、レイにダメージを積み上げてはいるが、殺すのには至らない。
彼女の細腕で振るえる槍では、幾多の視線を越えてきたレイはびくともしない。かといって、破壊力重視の巨大な槍を形成しても隙が大きくなるだけだ。
龍刀が自分の心臓か、あるいは首を断つまであと数手。
それで決着が着く。それまでにレイを殺さなければ、レイを救う事は出来ない。
どうするべきかと悩んだ神は、視界の隅に捉えた存在に意識を向けた。
それは地面に倒れ伏しているリザだった。クロノスの足止めをしていた彼女が、二人の最も近い場所に倒れているのは何ら不自然ではない。
むしろ、好奇だった。
レイとリザの間にある、命に関する繋がり。その事を思い出したクロノスは、手にある槍を落とした。
槍が歯車で構成されている以上、手に持って振るわなくても操作する事は可能だ。大きな集合体になるほど鈍重になるが、細い槍なら十分な速度でリザに突き刺さる。それこそ、頭部に穴をあける程度造作も無い。
レイを殺しきれなくても、対等契約を躱した戦奴隷なら殺せる。そう考えたクロノスの殺意が宙を飛んでいった。
しかし―――それをレイは待っていた。
「《留めよ、我が身に憎悪の視線を》!」
他者の敵意や殺意を自分に向ける技能、《魂ノ誘導》。クロノスがリザに向けた殺意はレイへと引き寄せられる。同じように宙を飛んでいた殺意が向きを変え、レイを背後から貫き、そして勢いそのままにクロノスをも貫いた。
「『―――ぇ?』」
「……やっと、彼女たちを、狙ってくれたな」
驚きのあまり硬直するクロノスに対して、レイは血を吐きながら笑う。その笑みは、こうなる事を予測していたかのようだった。
否、ようではなく、こうなるこそレイの狙いだった。
クロノスと近距離で戦う状況が成立しても自分に勝機は少ないと理解していた。相打ち覚悟で切り結んでも、敵は傷ついた端から治療していく。通じる攻撃手段は龍刀のみ。
あと一つ、あと一つ武器があればクロノスを追い詰められるとレイは考えていた。そして考え抜いた結果、ある事を思い付いた。
神を守る加護が、人と神の間にある越えられない階級制度に起因するなら、神の力は神の守りを破れるのではないか、と。
クロノスの攻撃は、クロノスの防御を突破できるのではないか、と。
だから、レイは耐えた。一手ごとに、一撃を振るうたびに体に穴が開き、無理な挙動で節々から血が噴き出ても、そのチャンスに耐えた。クロノスがリザかレティ、あるいはシアラに対して殺意を向ける瞬間を。
彼女が対等契約に気づいているのは、前の戦いで判明している。リザ達の誰かが死ねば自分が死ぬという事に気づけば、躊躇わずに実行できるように仕込みは済んでいた。
クロノスが全部に気づいたとしても遅い。互いが手を伸ばせば触れあえそうな程近い距離で切り結んでいるのだ。槍はレイを貫いて、そのままクロノスを貫くのに十分な長さがあった。
瞬間―――彼女の脳裏に何かが蘇る。自分の放った一撃が、自分に突き刺さるイメージだ。
あれは何だったろうか。
思い出しそうになる何かに呆けるクロノスに対して、レイは二人を繋ぐ槍を掴むと抜かせまいと力を込めた。
「『痛っ、やめて、離して、』痛いのっ!」
痛みから神としての声も発せられないクロノス。自分の状態を巻き戻そうにも、このままでは戻った瞬間に槍が体の中にあるという状況だ。時戻しを発動しようにも、レイが固定している槍を小さく動かすから痛みは広がっていた。
ならば時間停止している間に無理やり逃げればいいと気づいたクロノスが、必死になって時間を止めた。
レイの動きが止まり、彼女は槍を引き抜こうとした。だが、その手が、足が何かに絡めとられたように動かなかった。
いつの間にか、彼女の四肢に絡みつくように、黒い物が這いずり回っていた。
それは影だ。
鎧となっていた影が地面に伸び、クロノスの死角を回って絡みついていた。鎧の存在感が減ったのは、影を削ったからではなく、影を別の場所に回していたからだ。
逃げる事も出来ず、槍を抜くこともできないクロノスは見た。
槍を押さえる手とは反対の手にある龍刀がゆっくりと動き、そして自分の心臓を貫く瞬間を。
読んでくださって、ありがとうございます。




