10-54 神殺しⅡ
悪夢のような光景だ。
リザは瞳に映る光景を端的に表現した。
片や、エルドラドを管理し守護していた13神が一柱、時を司る神クロノス。無数の歯車は人を容易く肉片に変えてしまう、鋭利な歯が水晶の光を反射していた。
片や、正体が謎に包まれている、レイの心象世界に居候していた影法師。起立した影としか形容できない黒い塊は、堂に入った構えで槍を振るう。
どちらも現実とはかけ離れた存在なのに、大地にしっかりと根付いたように存在している。
金属音が途切れることなく続く。影法師めがけて落ちてくる歯車は、槍に弾かれていた。砕けたり、あるいは向きを変えて激突するたびに金属音が反響していた。同時に―――がちゃん、と時間が巻き戻る感覚が起きる。
クロノスの時戻しが、何度も、何度も発動している。その度に、距離を詰めていたリザは戻され、戦いに介入する事が出来ない。
《風ノ義足》を発動すれば一瞬だが、回数制限がある。ここで使うのは勿体ない。かといって、クロノスが時を戻すのに付き合う余裕だってない。
リザは握った精霊剣に生命力を注ぐ。剣に刻まれた生命変換の魔法陣が精神力へと変換させ、剣は薄紅色に発光する。
彼女は光の斬撃をイメージし、剣を振るった。
音も無く、ただイメージした通りの熱線が空間を焼く。展開されていた歯車を飲み込み、真っ直ぐクロノスを狙うが、その一撃は霧散した。
神の守りは健在だった。
だがそれは、想定の結果だ。リザはクロノスを狙ったのではなく、影法師を狙って展開された歯車を一掃したのだ。
防御に手いっぱいになっていた影法師は、一瞬の空白を見逃さない。するりと歩を詰めると、クロノスを槍の間合いに捉え、神速の突きを繰り出した。戦闘経験の無いクロノスでは、その一撃を防ぐどころか目に捉える事も出来ない。槍は神の守りに一瞬阻まれ、彼女の柔肌を軽く裂いた。
クロノスの喉に朱い雫が落ちる。
「『―――ひぃ』」
「くはは、神の悲鳴とは。これほど心地良い調べは、おそらく無いだろうな」
神の表情が青ざめる。脳裏に浮かぶのは、コウエンとの戦いで嫌というほど味わった死への恐怖だ。彼女は時戻しを使おうとするが、死への恐怖から権能が上手く発動しなかった。
動揺する時間こそ、リザ達の時間だ。ようやく影法師の隣に並んだリザは、滑るように移動すると、精霊剣を直接叩き込んだ。
薄紅色の刃は、見えない守りに阻まれてしまう。じわじわと押し込める感覚はあったが、それでも衝撃が拡散しているのが分かった。リザは、足を鋭く前に出してクロノスを蹴ろうとした。当然、これも攻撃として認識され神の守りが阻んだ。だが、彼女はそれを足場に後ろへと跳んだ。
くるりと一回転して下がったリザ。あと数瞬遅れていたら、上下左右から恐るべき速度で迫っていた歯車に挟まれていただろう。
「《ミヅハノメ》様を含めた三体の精霊に加えて、コウエン様も居るというのに神の守りは健在ですか。クロノス様が神としての力を更に取り戻しているというのは事実のようですね」
リザの言葉に影法師は答えない。彼女も最初から返事を期待していなかったのか、何とも思っていなかった。
「『不愉快、不愉快、不愉快! どうして貴方たちは、私の邪魔をするの!』」
怯えたという事実を塗り替えるかのように、一転して鬼の形相をするクロノス。ほれぼれする美貌が怒りに染まって、迫力はあった。同時に神気がリザを蝕んだ。装備品やポーションのお蔭で耐えられるが、苦悶の声が上がる。
「『彼は守られるべき存在なのよ。過酷な目に、悲惨な目に、凄惨な目に遭う理由なんて一欠けらも無いのよ。それなのに、休む暇も無く傷ついて、苦しんで。そこから救ってあ業とする私を、どうして邪魔するの!?』」
「……貴女様の仰ることは、正しいです。レイ様はいつだって傷ついて、苦しんでいます。あの方がそうなる理由なんて、一つもありません」
カプリコルで知った、レイの真実。『黒幕』の計画の為にエルドラドに落とされたレイは、傷つかなくていい場面で傷ついてきた。もがき苦しみ、それこそ血を吐くようにして前へと進んで、ここまで来た。その後ろ姿を見て、何とも思わないはずが無い
「『そうでしょ。なら、私が正しい事も―――』」
「―――ですから、決めました。私は、あの人の剣となって、苦しませる敵を打ち滅ぼします。あの方が傷つく前に、あの方を傷つける者を倒します。いまは、貴女がそうです、クロノス様」
「『……そう。理解は得られないのね。なら、本当にどうでもいいわ。さっさと潰れて染みになりさない』」
言葉と共に繰り出される歯車をリザは精霊剣で両断する。熱線を剣に溜めておくことで、切れ味を上げているのだ。
「その剣術は……俺の中には無いな」
耳障りな雑音まじりの声が、誰の物なのか一瞬分からなかった。隣で槍を構えたままの影法師が呟いたのだと理解するのに数秒ほど時間がかった。
どういう意味なのかと聞きたい衝動に駆られるが、状況は待ってくれない。リザはクロノスを見据えたまま、
「影法師……殿。レイ様が動けない以上、有効なのは貴方の攻撃です。ですから、防御は私が。貴方は攻撃だけに集中してください」
一方的に言い放つと、リザは迫る歯車を次々と切り伏せていく。死角を回って飛んできた物を振り返りもせずに熱線で撃ち落とし、コンビネーションを発揮する攻撃は力づくでねじ伏せる。
クロノスとの戦いは、リザにとって良い経験となっていた。
リザが精霊剣を手に入れたのは古代種の龍が一頭、黄龍との戦いの後だ。それから上位冒険者やモンスター相手に鍛錬を積んできたが、まだまだ甘い所があった。精霊剣という特殊な武器を自分の手に馴染ませるには、死線を越えなければならない。
時戻しを操れるクロノスは、うってつけの相手と言えた。次々と変化していく攻撃の軌道。自分が有利になれるのは僅か一瞬。すぐさま時戻しが発動して勝負は振出しに戻る。クロノスが勝つまで続く攻防は、リザにしてみれば疲れを知らない特訓相手だった。
今では精霊剣の熱線を帯状に広げて盾にしたり、より細くして速度と貫通力を高めたりといった小技も使えるようになっていた。
そしてもう一つ、これは彼女も予想外な発見があった。
精霊剣は彼女の流派に非常に馴染むのだ。
リザの生まれは帝国。四大貴族の一角にして、帝国で主流となっている剣術の総本山、ウィンドヘイル家だ。彼らが学び、研鑽し、継承していく剣術は、元を辿れば『勇者』ジグムントの剣術だった。
ジグムントの剣術は、聖剣を使用する事が前提の剣術だ。そして聖剣は精霊剣と同じように熱線を放つ。
帝国に広まる過程で、熱線を放つことが前提として構築された構えや技は取り除かれて行ったが、ウィンドヘイル家は原型を保っていた。ジグムントの剣術をそのまま踏襲し、子々孫々に受け継いでいった。
今や、ジグムントの剣術を真の意味で体得しているのはリザのみ。そして彼女の手には、聖剣ほどの出力は無いが、同種の剣があった。
あっという間に十個の歯車を蒸発させたリザに、隙などあるはずが無い。歯車の妨害が無くなれば、影法師の独壇場だ。
鋭い踏み込みに、体重の乗った突きが繰り出される。それはクロノスの青い瞳に吸い込まれる軌道を走り、神の守りに防がれた。拮抗した時間はわずか数瞬。守りを突破した槍は青い瞳を貫く―――がちゃん、と。
貫くはずだった槍は遠くにある。
眼球が潰される直前、クロノスは時戻しに成功した。小さくも分厚い歯車を、槍の通る空間に配置する事で守ろうとした。
だが、影法師はそれを見て笑った。
影法師には見るための目も、笑うための口も無いが、その場に居た人間にはそう思えた。
深く沈みこむと、槍が黒い塊となって影法師の体に取りこまれる。代わりに、幅が分厚く、刀身の短いナイフが二振り、両手に握られる。
肉を解体するかのようなナイフが、空間を鋭く滑る。その軌跡にあったクロノスの腕に、赤い線が浮かび上がった。
痛みでクロノスの集中が乱れた。時戻しで防ぐことが出来なくなってしまった。
クロノスの時戻しは、事前に決めたポイントまで戻すのと、数秒だけ戻す物の二種類ある。どちらも発動するには集中が必要で、傷を負うたびに集中が消えてしまう。死への恐怖が首筋に触れる度に、やり直しができなくなっていた。
「くははは。無敵に近い能力だが、対処方法さえ間違えなければ、いくらでもやりようがあるな。こんなのに負けた奴らなんて、情けねえ、情けねえ」
「それは違います。オルド様達が負けたのは、クロノス様の謎を解く余裕が無かっただけです。……同じ情報量だったら、私達以上に上手くやっているはずです」
「はっ、そいつはやってみないと分からないが。……まあ、もしもの話なんざ興味ねえな。俺が気になるのは、こいつを殺せるかどうかだ!」
今度は巨大な斧が具現化する。真上から振りかぶった一撃は神の守りに減衰されるも、クロノスへと届いた。
「『っ、くうう、つぅう』」
斧がクロノスの鎖骨に食い込み、肉を裂く。赤い血が流れ、苦悶の声が上がる。影法師は己をあっさりと手放すと、続けて新しい武器を取りだ―――がちゃん、と。
視界が切り替わった。
影法師は数秒前の光景、今にも斧が神の守りに激突するシーンをもう一度見ていた。
それがどういう事なのか理解するよりも前に、彼女の白い左手が前へと伸びる。柔らかな、それこそ重い物を持ったことの無い細い指が黒い影に触れた途端、そこが溶ける様に消えた。
影法師は空中で身を捩ると、それ以上触れられる前にクロノスから距離を取った。
「影法師殿!」
「騒ぐな! これは想定の範囲だ」
答えながら影法師は影で出来た斧を解いた。黒い塊に戻すと、自分の体に取り込んだ。ぽっかりと抉れた穴が塞がったが、全体的に一回り小さくなった印象は否めなかった。
「『そう、そう言う事。貴方がどういう存在なのか、結局分からないけど、無機物扱いのようね。なら、話は簡単じゃない。触れれば消えるのね』」
笑みと呼ぶには禍々しすぎる表情を浮かべながら、クロノスは得意げに語った。
それは事実を突いていた。影法師の体を構築しているフィーニスの影は、分類すれば無機物。クロノスの持つ、無機物の時間を加速させる権能によって消滅されるリスクを持っていた。
だが、重要なのはそこでは無い。
「傷を負いながら、時戻しを行ったな」
「はい。私も確かに見ました」
影法師の振るった斧が食い込み、赤い血が流れたのをリザも確認していた。それが次の瞬間、時間が巻き戻り無かったことにされていた。
これが意味する所は唯一つ。
「クロノス様の力が、さらに戻ったという事ですね」
リザは呟くと、背後に視線を向けた。汗をかくレイの向こうに居るコウエンに視線で問いかけると、彼女は首を横に振った。
「まだ駄目ですか。なら、エトネ、お願いします!」
その言葉を待っていたと言わんばかりに、尻尾を逆立てエトネが吶喊する。させまいと歯車が次々降ってくるなか、速度を落とさずに駆け抜けると、クロスボウのトリガーを引いた。軽い音をさせて射出されたボルトはクロノスの頭上を越えて水晶に突き刺さった。
「むう。ねらいがそれちゃった」
エトネは不満そうに呟くと、今度は両の拳を握り構えた。今の彼女は精霊の加護を得ていない。《ミヅハノメ》を含めた三体の精霊は、力を長く保持するために憑依させずに待機させていた。だから、彼女の攻撃は神の守りを突破する事は出来ない。
それにも関わらず、彼女はクロノスとの距離を詰め、拳を振るう。ガントレットに守られているとはいえ、神の守りに防がれる度に衝撃は彼女の指先に集中していた。
無謀で、しかも無意味な吶喊。だが、それは無意味なんかではない。
エトネと入れ替わるように後ろへ下がった影法師の体が泡立ち、次の瞬間には翼が生えた。光を飲み込む黒い塊に、細かい羽が無数に並ぶ。
それらが一斉に射出される。
黒い羽はクロノスを一人で引きつけているエトネごと、クロノスを飲み込んだ。
ほとんどが神の守りに防がれるも、僅かに突破した羽がクロノスの体に突き刺さる。
「『信じられない。仲間ごと狙うなんて!』」
「馬鹿言え。俺にとっちゃ、こいつ等は仲間なんかじゃねえ。大体、よく見てみな」
影法師の言葉にクロノスは気づかされた。エトネは背中を向けているのに、影法師の羽を避けているのだ。もちろん、彼女に特殊な防御は施されていない。それなのにかすり傷一つ負っていないのは、クロノスにしてみれば悪夢のような奇跡だった。
無論、種も仕掛けもある。
クロノスにとってみれば驚異的な速さと数だろうが、死線を潜り抜けてきたエトネにとってはさほど脅威では無かった。何より、影法師は抜け道を作っていた。一見すると、穴の無い、水も漏らさないような攻撃に見えるが、絶対に傷つかない部分が巧妙に隠されていた。獣人種の耳が捉えた風きり音だけで、彼女は抜け道を察知する。
もしも、クロノスが近接戦に優れた戦士なら、こんな曲芸は失敗していた。彼女が神の守りに慢心して、エトネたちの目的に気づいていないからこそ成功しているのだ。
エトネの役割は、クロノスが影法師に近づかないようにする事だ。無機物の時間を加速させる権能が有効だと気づかれたら、影法師に接近戦をやらせず中距離から攻撃するように作戦は決まっていた。
リザも影法師の近くに陣取り守りの態勢に入っている。クロノスが差し向けた歯車を次々と切り伏せていた。
エトネはクロノスが近づかないようにする壁だ。壁だからこそ、攻撃は当たらなくても良い。とにかく動きを止めるのが重要だった。
その事に気づかないクロノスは、歯車を必死に操作して影法師の攻撃を防ごうとする。エトネの攻撃は絶対に当たらないからこそ、脅威だとは思えず後回しだ。だが、歯車はリザに切られるか落とされるかして届かない。一方で影法師の羽は止まらない。小さくとも刃のように鋭く、マシンガンのように連射される。神の守りが防いでくれるが、すり抜けた僅かな羽がクロノスに突き刺さり痛みが襲う。
神としての力を取り戻し、短い時戻しなら負傷しても発動できるようになった。だが、ここで発動すれば悪手だ。
数秒時を巻き戻しても、そこは今と変わらないのだ。羽が突き刺さり、痛みがある。
「『時戻しじゃ、駄目。時間を止めないと。アイツらが居る事なんか、関係ない。早く、早く、早く!』」
精神を集中させ、さらに神としての力を取り戻そうとするクロノス。そうなる事が、レイ達の目論見通りだと気づかないまま。
そう、彼女は何も気づいていない。
この場にいたはずのヨシツネが、何処にもいない事にすら気づいていない。
読んでくださって、ありがとうございます。




