2-34 新式と旧式
何処かから街の目覚める音が聞こえる。頭の中に居座る眠気を押しのけて意識がゆっくりと覚醒していく。
ボンヤリとした視界一杯に写るのは壁だった。
視線を上にずらして壁に掛かっている時計を見た。針は八時半を指していた。ここ最近の生活リズムから考えると遅い目覚めだった。
(……考えてみたら、こんな上等なベッドで寝れたのはネーデの街以来だったな)
たとえ、一晩中ベッドの端で落ちない様に踏ん張っていたとしても疲労は回復していた。
ネーデを離れてからここに至るまでは馬車の固い床や、草の匂いがする大地、揺れる船室を塒としていた。ウージアの街にて一応ベッドで寝れたが、その前の誘拐騒動で疲れ果てていてちゃんと寝た気がしなかった。
久しぶりのまともな寝床に旅で疲れた体は休息を欲したのだろう。それに、野営のように敵を恐れて気を張る必要が無かったのも手伝っていたのかもしれない。
しかし、問題もある。自分の腕を枕代わりに眠っていたため、血流が滞り痺れる。このまま頭の下敷きにすれば壊死するかもしれないなんて馬鹿馬鹿しい発想が浮かんだ。
寝ぼけて碌に働かない頭でそう結論付けた僕は寝返りを打ち反対側を向いた。
視界が黄金の滝で満たされた。
(なんで……ベッドに滝が流れてんだ?)
思わず痺れていない方の手を伸ばした。金色の滝は柔らかく絹糸のような滑らかさを誇る。
当然、それは滝では無い。
窓から差し込んだ太陽の日差しを受けて隣で寝ている彼女の金髪が輝いてそう見えたのだ。
髪の毛を越えて少女の柔らかい背中を指でなぞる。擽ったそうな声が聞こえた。
そこまでしてから、ようやく意識を覚醒させた僕は反比例するように血の気が失せていく。
「ぬおおお!?」
自分が何をしているのか気づいて慌てて後ろに下がる。ベッドの端から後ろに下がるのだ。どうなるかはちゃんと考えれば分かったはずだ。ちゃんと意識があったらの話だが。
一瞬の浮遊感の後、僕は音を立ててベッドと壁の隙間に落ちた。
「―――っ! 敵襲ですか!?」
落ちた音と振動で揺れたベッドの上でタオルケットが舞い上がった。どうやら異変に気づいて目が覚めたリザが跳ね起きたようだった。
彼女の事だ。きっと当りを油断なく警戒しているのだろう。
「ご主人様? ご主人様!? 何処ですか!?」
「もー、朝からどうしたの、お姉ちゃん?」
ベッドと壁の隙間に落ちた僕の視界には切り取られた天井しか見えない。耳朶を震わすのはリザの恐慌する声とレティの寝起きの声だ。
「おーい。こっちだよ」
隙間に挟まった僕は無事な手を上に向けて振った。少ししてリザとレティがベッドの端に寄ってこちらを見下ろした。
二人とも訝しげな視線を間抜けな格好の僕に送っていた。
「……何をしているのですか? ご主人様」
「朝から変なことしてるね、ご主人さま」
上から見下ろした姉妹に僕は手を伸ばしながら口を開いた。
「二人ともおはよう。……それでさ、お願いがあるんだけど、ここから出してくれない?」
こうして精霊祭開幕前日の朝が始まった。
朝から騒がしくしてしまい、宿屋の女将であるカザネさんからこってりという程では無いが絞られた。
幸運にも大抵の客はもう起きて部屋を開けていたが、それでもこの時間まで寝ている客もいる。今後は気を着けようと心に誓った。
「……申し訳ありません、ご主人様」
朝食の席であからさまに落ち込んで肩を落とすリザが謝罪を口にした。皿には千切られた黒パンの残骸が山と積まれた。これは何の自己表現だろうか。
一番騒がしくしていたのが自分だと分かり、そのせいで主人に迷惑を掛けたと落ち込むリザは先程から黒パンを小さく千切る機械となっている。
無残にも千切られた黒パンを時折摘まんでは口に運ぶのを見る限り食べる気はあるようだ。
「もう気にしてないから。ほら、温かいうちに朝食を食べよう。……じゃないとこっちを見ている主人に何を言われるか分からないし」
昨晩と同じく、宿屋の隣の食堂にて朝食をとっている。給仕してくれる店の主人がひたすらパンを千切るリザを怯えた様に見ている。
カザネさんの夫である彼からカザネさんにリザの奇行をこれ以上彼女に伝わるのだけは避けたい。宿屋を追い出されるのだけは勘弁して欲しい。いまから宿を探して見つかる保証は無いのだ。
今日の朝食は黒パンのトーストが一枚に昨日と同じ酸っぱいドレッシングのかかった苦い野菜のサラダ。各人の手元には野菜スープと蒸かした芋とソーセジが大皿に乗っている。
ようやくパンを千切る機械から人に戻ったリザがサラダを口に運ぶ。リズミカルに、淡々と。何処までも無表情に。
これではサラダを口に運ぶ機械に変わっただけでは無いか。
隣に座るレティが諦めたような顔を浮かべている。彼女でも姉の奇行を止める事は出来ないようだ。
諦めて、目の前の食事に取り掛かった。
しばらくして、空の皿を回収しに来た店主が丁寧な口調で食後のコーヒーを勧めてくれた。
内心、この世界にもコーヒーがあるのかと驚きながら頂くことにした。
陶器のカップに注がれた黒茶色の液体から立ち上る芳醇な香り。少なくとも僕の知るコーヒーによく似ていた。
砂糖は貴重品なのだろう。小さなカップに注がれたミルクを掛けてお飲みくださいと言って店主はテーブルから離れた。
僕がカップに手を伸ばそうとすると、リザとレティの視線に気づいた。
二人は僕の動作を、目を皿のようにして見つめていた。視線の意味が分からず、気になりながらも僕は取手を持ち上げて口を付けた。
唇に当たる時の滑らかさと、苦みの走った味わい。マグマのような液体が食道を落ちていく。
「驚いたな。本当にコーヒーだよ」
周りに気を使って小声ではあったが驚嘆してしまう。記憶にあるコーヒー寄りも苦いが確かにコーヒーだった。
もう一口飲もうとすると、
「あつっ」
「にがーいよ」
と小さな悲鳴が聞こえた。
見ればリザとレティが手にしていたカップを下ろしていた。二人とも眉を潜めて、苦しそうな表情を浮かべていた。
「……もしかして、君たちコーヒーを飲むのは初めてなのか?」
二人の表情から自然とそう思った。肯定する様に二人は頷いた。
「話しには聞いていましたが飲むのは初めてでした。ですからご主人様の動きを真似していましたが……それがこんなに熱いとは」
まるで落語のようなことをリザは悔しそうに言った。思い返すと、彼女は野菜スープを飲むのも時間をかけていた。おそらく猫舌なのだろう。
「それに苦いよー」
小さな舌を精一杯伸ばすレティ。幼い彼女にこの苦味こそがコーヒーの真価だと力説しても理解してもらえないだろう。
僕は二人にミルクの入った小さなカップを差し出した。鉄で出来たカップは冷蔵庫で冷やされたのか凄く冷たい。これなら丁度良いだろう。
「コーヒーはこのまま飲むのも有りだけど、飲みなれていないならミルクを入れて飲むのも良いよ。味が柔らかくなるし、冷たいミルクなら温度も下がるし。……まあ、無理に飲まなくてもいいけどさ」
半信半疑でミルクを見つめていたレティが意を決した様に自分のカップにミルクを注いだ。
黒茶色の液体に純白の液体が渦を描いて混ざり合う。
レティは緊張した面持ちでコーヒーを口にした。そんな妹の勇敢な行動を姉は固唾を飲んで見守った。
「―――美味しい」
ほう、と感嘆のため息を吐いた後にレティの口から感想が飛び出した。リザも同じようにミルクを注いでゆっくりと飲み始めた。
「本当―――本当に美味しい」
先程は勢いよく口にしたせいで味わう余裕も無かったのだろう。両手で落とさない様にコーヒーを味わう。
視界の端でコーヒーを注いでくれた店主が小さくガッツポーズをしているのが見えた。僕も店主の入れてくれたコーヒーを味わう。
ゆっくりと、穏やかな時間が過ぎていく。窓の外を忙しなく駆けていく人たちと時間の流れ方が違うように思えた。
考えてみると、こんな風に穏やかに過ごすのは本当に久しぶりかもしれない。
しばらくして、リザが改まったように口を開いた。
「それで、ご主人様。本日はどのように行動しましょうか? 昼にはファルナ様と昼食を取り、鍛冶王の工房に向かわれるとの事ですが……それまでどうしましょうか」
「ちょっと寝る前に考えていたんだけど、まずはギルドに向かってパーティーに加わってくれそうな冒険者を探してみようと思う」
言うと、リザとレティは意外そうな表情を僕に向けた。
「いいの? ご主人さま」
質問の意図が理解できなかった僕は首を傾げた。
「ご主人様の秘密を命令が出来ない一般人に知られる恐れがありますが……それでも宜しいですか?」
リザが周囲を確認して言葉を濁しながら告げた。
「ああ、うん。だからギルドに向かうのは一応なんだ。本命はやっぱり戦奴隷を買うことになるかもしれない。君たちはそれでもいいかい。新しい子とも対等契約を結ぶことになるけど」
僕の言いたいことを理解して二人は頷いてくれた。真っ直ぐな瞳は僕を信頼しての事だろう。僕はこの信頼に相応しい人間にならなくちゃ、と思った。
「だけど、その前に聞いておきたいこと……っていうか聞いてほしい考えがあるんだ」
「―――何でしょうか?」
「うん。今の戦力で足りないのは中距離で戦える人材が居ない事だよね」
確認の為に問題点を口にした。二人は頷いて肯定する。
「だったらさ。僕が魔法を覚えるのはどうかな?」
二人が僕の告げた内容に驚いて顔を見合わせた。
食事が終わったテーブルを何時までも占領するのも悪いと思い店を出た。
店内から一歩外に出ると、街の賑わいが僕らを迎えてくれる。精霊祭を明日に迎えて街の活気がますます増しているように思えた。
混雑する通りを進みながらリザが先程の意見に対して彼女なりの考えを口にした。
「私は正直、賛同しかねます」
口調は丁寧だが、一刀両断だ。
「……理由は何でかな?」
「まず、前提ですがご主人様は魔法についてどれぐらい知っていますか?」
隣で歩を進めるリザは屋台へと引き寄せられそうになる妹を引き留める。
「魔法は二種類あって、旧式魔法は適正とか高い能力値が必要な代り威力が高く、新式魔法はコードを体に刻めば誰でも使える分威力が弱い事ぐらいしか知らないな」
ネーデの街でオルドから聞いた内容を思い出す。リザは分かりました、と言ってから彼女なりの考えを口にした。
「世にある魔法は大まかに分けると二つあります。長い詠唱や大量の精神力を必要とする旧式魔法と、短い詠唱や少ない精神力、それにその人にあった適切な属性なら体に刻むだけで使える新式魔法の二つです」
ここまでは僕でも知っている内容だった。リザが歩きながら言葉を継ぐ。
「属性とは火、水、風、土に光と闇の計六属性の事を指します。このどれかに人は適性を持ちます。私なら風、レティは光と水に適性を持ちます」
「二つの属性を持つのは珍しい方なの?」
リザに捕まって引きずられているレティを見た。脱力し、姉に身を任した少女は僕の視線に気づき誇らしそうな笑みを浮かべた。
「そうですね。普通、一人に付き一つの属性しか持ちません。それにこの子はまだ幼いためメインとなる光魔法、その中でも回復魔法しか使えません」
「ふむ。……そういえばさ、リザは風魔法を使えないの?」
僕はむき出しの肩や腕のあたりを見た。染み一つ存在しない、滑るような肌にはコードが刻まれているように見えない。
「私は……その……」
「お姉ちゃんは精神力が低いんだよ。低級の新式魔法を二発も撃てば気絶しちゃうから使えないの」
言い難そうにしている姉の秘密を暴露した。リザはレティの首根っこを掴む手に力を込めて反撃した。
「くるしいよーおねーちゃーん」
ちっとも苦しそうじゃない声で抗議した妹にため息を吐いてリザは僕に向けて説明を続けた。
「まあ、そういう事です。私のような近接戦闘が得意な戦士は往々にして精神力が低い傾向にあります。私では精神力を消費する戦技を二発は打てません。……戦技よりも威力の低い新式魔法なら最初から必要ではありません」
一拍の後、リザは言葉を継ぐ。
「ご主人様の精神力がどれぐらいあるのかは知りませんが、戦い方を見る限り精神力はそれほど高くは無いと思います」
視線が懐に仕舞ってあるプレートのあたりを撫でる。新式魔法がどれぐらいの精神力を使うのか分からないが彼女の言う通り僕の精神力はそれほど高くない。
「それに、ご主人様は魔法使い役に徹するわけでは無く魔法剣士として戦う事をイメージしていますよね?」
「うん。イメージではオルドみたいな近接も魔法もどっちも使える戦士を考えていたんだけど」
「あそこまでの達人になれば近接とか中距離とか、そういう区分が無くなりますけど、今のご主人様でそこに至るのは不可能だと思います。……もっとも未来のご主人様が戦闘時における手段の一つ程度に新式魔法を覚えるのは有りえるかもしれません」
手厳しい宣告だったが、ハッキリと言われて逆にすっきりした。
「あとは旧式魔法をご主人様が覚えられる可能性ですが……一応、手は無い事はありません」
一転して歯に物が挟まったような言い方だった。だけど、最初から旧式魔法を諦めていた僕にとってそれは意外な情報だった。
「世の中には魔道具と呼ばれる魔法工学とは別の特殊な道具があります。専用の技能を所持する職人が作る高級品です。その中に魔導書と呼ばれる魔道具があります」
「……魔導書」
リザの言葉を口内で反芻する。魔道具には聞き覚えがあった。ジェロニモさんやオルドが遠くにいる人と情報の伝達をしていた魔水晶がそれにあたるはずだ。
「魔導書を読むと強制的に旧式魔法を手に入れる事が出来ます。……もっともその魔導書を作った人の力量で手に入る魔法の威力が増減し、何より高いです」
「そんなお得なアイテム、皆が欲しがるだろうしな……ちなみに幾らなの」
「聞いた話ですが、私達がもう一セット買えますね。それでも中級魔法程度ですが」
頭の中で二人の値段を倍にした。とてもじゃないが今の経済状況で買えるとは思えなかった。
だとすればやはり僕が魔法を覚える案は却下だ。新しい仲間を増やす方向で進めるしかないな。僕は到着したギルドの看板を見上げながらそう結論付けた。




