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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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10-51 白い世界 『後編』

 レイの手を握るのは妙齢の女性だ。灰色の髪を後ろで纏め、焦げた琥珀の色のような肌を持ち、服の上からでも均整の取れたプロポーションをしているのが分かる。レイよりも一回り以上の年上の、美女が穏やかに微笑んでいる。


 ただ、向こう側が透けて見えるのが、彼女が普通ではない事を証明していた。


「初めまして……というのはおかしなものですね。ですが、私からしたら、そう言う他にありません」


 凛とした口調の中に優しさが混じる。耳朶を震わした声に、表情に、仕草に、レイは彼女が誰なのか呟いていた。


「本当に……ナリンザ、さん、なのか」


 口にしてから、少年は腹の奥底から押し寄せてくる、怒りの感情に顔を歪めた。


「影法師ッ!!」


 絶叫が白い世界を叩きつける。空間を震わした怒りは収まらず、食いしばった歯の隙間から、今にも炎を噴き出しそうな程、顔を真っ赤にしていた。


「卑怯、いや最低だぞ!! 僕を惑わそうとして、こんな、こんな偽物を、彼女の姿を使うなんて! 聞こえているだろ! 隠れてないで、出てこい!!」


 影法師はレイの心に巣食い、何らかの思惑を持って行動している。自分に対する試練や、忠告めいた事を口にするが、基本的に信用ならない相手。目の前のナリンザも、影法師が用意した物だと、レイは考えた。


 叫びは白い世界の隅々まで伝わり、飲み込まれて行った。影法師が応じる様子も無く、周囲を取り囲む靄がゆらゆらと動くだけだ。


 レイは怒りのやり場を失い、眼前のナリンザの姿をした靄を睨みつける。穏やかな微笑みはそのままに、琥珀色の瞳を睨みつけると、胸の内に湧くのは別の感情だった。


「……違う」


 知らずの内に、そんな言葉が口を突いて出た。


「……違う、こんな、嘘だ。……偽物、じゃない、のか」


 怒りはあっという間に拭い去れ、困惑と動揺が胸の内を占める。レイの手を握るナリンザから発せられる空気や雰囲気、仕草がどうしても偽物とは思えなかったのだ。レイがナリンザと行動を共にしたのは数日だけだったが、それでも眼前の女性が偽物かどうか分かる。共に死線を潜り抜けた仲間だから。


 困惑するレイを見て、ナリンザは眉を下げた。


「酷い人ですね。まさか、あれだけ共に戦ったというのに、疑うなんて」


 悲しそうに顔を伏せるナリンザに、レイは何も言えなかった。


「などと言ってみますが、それは貴方の知るナリンザ・ナキの歴史であって、私の過去ではありません」


「……じゃあ、貴女はナリンザさんの偽物、なんですか」


「正真正銘、と付けると偽りになってしまいます。貴方の知るナリンザ・ナキに最も近い存在、と思ってください。何ともややこしい話になってしまいますが、それで納得して欲しいです」


 納得と言われても、レイには何がなんやら。影法師に引きずり込まれたと思ったら、見知らぬ精神世界で、なぜかナリンザらしき人物が待っていたのだ。


 頭にクエッションマークを付けたレイに、ナリンザらしき人物は咳払いをした。


「レイ殿、訳も分からず混乱しているでしょう。正直な所、全てを語りたいのですが、時間も、何より状況が許してはくれません。ですから、今は私の話に耳を傾けて下さい」


 ナリンザの言葉は、迷路で迷子になっている思考に、一本の道を生んだ。レイは、色々と聞きたいことがあったが、まずは彼女の話を聞くことにした。


 レイの手を離すと人の形をした靄は、自分の胸に手を当てた。


「私は、貴方を助けて死んだナリンザではありません。ナリンザという人物に最も近い魂に過ぎません。私の主はダリーシャスという人物ではありませんでしたし、何よりナリンザという名前でもありません。ですが、貴方の中から、ナリンザ・ナキという人物を見て、彼女の思いを最も理解できるのは私だけです」


 それはまるで、謎かけのような説明だった。彼女は、自身の核心に到るワードを削り、迂遠な表現を考えながら、それでもレイに自分の思いを必死に伝えようとしていた。


「貴方の中から、貴方がナリンザと共に深層迷宮を必死になって攻略していたのを見ていました。どれだけ過酷な探索だったのか、どれだけ絶望的な状況なのか、手に取るようにわかりました。ナリンザ・ナキと近しい存在だからこそ、彼女が感じていた思いを理解できていました」


「ナリンザさんの思い。……やっぱり、恨みですか」


 自嘲的に呟いた内容を彼女は首を横に振って否定した。


「ナリンザ・ナキは、貴方に恨みを抱いた事は一度もありません。むしろ、感謝していたはずです」


「感謝だって? そんなの、あり得ない。僕を助けるために、彼女はダリーシャスの傍を離れる事になったんだ。それも深層迷宮なんて、地獄のような場所に飛ばされて。それで、感謝なんかするはず無いだろ」


「いいえ、それでも感謝をしていまいした。一緒に飛ばされたのが、貴方だったからです。ご存知でしたか? 貴方が迷宮の罠にかかり、転移した時。ナリンザ・ナキはダリーシャスの命令で魔法陣に飛び込んだんですよ。もしも、あの時に魔法陣に捕まっていたのが他の人間だったとしても、ダリーシャスという人物は命じていたとナリンザ・ナキは確信していました。そういう主であり、自分は従うだろうと。だからこそ、深層迷宮という死地で諦めようとしない貴方に感謝していたのです。レイ殿以外だったら、とうに死んでいたと。命を無駄にしていたと」


 ナリンザによく似た人物の言葉は、どれも推論だ。推測だ。決定的な証拠も、確信も無い、それこそ作り話と同じだ。だというのに、レイの胸に鋭く入り込み、根付いていく。


 彼女の言葉を否定するのは、ナリンザの想いを否定するような気がしていた。


「ナリンザ・ナキは、貴方から《トライ&エラー》の事を聞き、死を繰り返しても立ち上がる姿に非常に感銘を受けていました。それは同じ特殊ユニーク技能スキルを持ちながら、自分が招く災いに周りだけが倒れていく絶望に悩む主にとって救いになると思ったのです」


 ダリーシャスが持っている《ユマン・ゲンニュ》は、他者から自分への感情をコントロールする。ダリーシャスに憎しみや怒りをぶつけるのは難しい。だが、その代償として彼の周りにいる人間に不幸や災いが訪れやすくなるのだ。技能スキルによって人に好かれやすくなってしまい、彼らは命懸けで自分を守る。ダリーシャスにとって、それは地獄のような状況だった。


 いつしか守られ、守ってくれた者が傷ついていくのに疲れ、自分に守られるだけの才覚はあるのかと疑うようになっていった。


「決して、諦める事をしない貴方は、主君ダリーシャスの希望になる。ナリンザ・ナキは貴方だけでも深層迷宮から脱出させようと決めたのです。事実、貴方は脱出でき、そして彼女の願い通り、ダリーシャスの希望となった。彼に前を向く勇気を与え、王にしてくれた。これ以上ないほど、最善の未来に導いてくれたのです。彼女にとって、それは奇跡のようなことです。自分では絶対に辿りつけなかった、一番欲しかった未来」


「嘘だ。その未来に自分が居ないのに、一番欲しかったなんて、そんな事あるはずが無い」


「嘘ではありません。ナリンザ・ナキは、私は、そういう女なのです。私には分かります」


 断言した女性の姿に、ナリンザの姿が重なる。過ごした時間は短くとも、彼女がダリーシャスに尽くそうとしていたのは痛いほど理解できた。だからだろうか、彼女の言葉はすんなりと受け入れられた。


「もう、ナリンザ・ナキの、いえ、彼女ならこういうはずです。もう、私の死を悔やまないでください。私は私の務めを果たし、貴方は貴方の務めを果たした。それで十分です」


 その言葉は、レイを縛る鎖を一つ、砕くのに十分すぎた。


 レイは右の目から一筋の涙を流していた。自分の中にあった、ナリンザを死なせたという罪の意識は、心の奥底にある。だが、これまでのように重石のように圧し掛かるのではなく、忘れてはいけない墓標のように刻まれていた。


「……貴女は、本当にナリンザさんじゃないんですね」


「はい。私達の中で、もっともナリンザ・ナキに近い魂が、私だったのです」


 私達、という言葉にレイはまさかという思いを抱いた。ナリンザ・ナキの姿を模った靄は、自分を囲い、白い世界を埋め尽くしかねないほどの量となっていた。


「まさか、これ全部が、誰かの魂、なのか」


「……貴方に、一つだけ謝らないといけない事があります」


 唐突に言う彼女に、レイは何をと聞き返した。


「貴方に嘘を吐きました。……私は貴方の中から見ていたと言いましたね。あれは嘘です。より正確に言うとしたら、貴方の中にある存在の中から見ていました」


「あれが嘘。なら、貴女は何処に、いえ、貴方達は何処に。……そもそもここは、誰の精神世界なんですか」


 半ば、答えに気づきながら、レイは問いかけるのを止められなかった。すると、白い世界を満たしていた靄が、風も無いのに動き出していた。ぐるぐると、レイを中心に円を描いていくと、それは竜巻へと変化していく。不思議な事に、靄は束ねられていくと色を拒絶したような純白が濁っていくのだ。白から汚れた灰色に、そして何もかもを塗りつぶした純黒に変化していく。


 ナリンザに似た彼女も、黒い竜巻に飲み込まれて行き―――世界は静寂を取り戻した。


 気が付くと、レイは赤灼けた空の下に立っていた。無辺に広がる乾いた大地は、死を想起させる。


 背後に慣れた存在の気配を感じた。振り返らずとも、誰なのかすぐに気づいた。


「……影法師」


「くははは、呼んだか、俺を?」


 錆びついた歯車を無理やり回したような、不快な声が背後から聞こえた。レイは振り返ることなく、どこまでも広がる死の世界を見つめていた。ただ、眼に写るのは色を拒絶した白い世界だ。


「影法師。さっきの世界は、お前の心象風景か?」


 ナリンザによく似た女性と言葉を交わすうちに辿り着いた可能性を口にすると、意外なほどにあっさりと肯定が返ってきた。


「そうだぞ。あそこが、俺の心象風景さ」


 秘密だらけの影法師が素直に話したという事は、知られても問題ないという事だろうか。レイは続けて、あの空間で気づいた事を尋ねた。


「あの靄は……人の魂なのか。あの全部が生きていて、死んでしまった誰かなのか」


 コウエンが消滅する前に語っていた、無数の人間の記憶。


 フィーニスの憎悪に則られそうになった時、口走った一人称の乱れ。


 そして、自分が直面した現実から、レイはある可能性を口にした。


「僕の中に、あれだけ大勢の人間の魂が宿っているのか? 答えろ、影法師!」


 背後の存在は何を考えているのか。レイには分からない。ただ、痛いほどの沈黙が、そうだと答えていた。


「カタリナさんが言っていた。お前という存在は、僕の罪悪感から生み出されたにしてはおかしな点があるって。……本当に、お前は僕の罪悪感から誕生したのか。僕が誰なのか、お前は知っているんだろ。……何とか言えよ。何か、答えろよ!!」


 叫びは赤灼けた空に吸い込まれる。影法師は黙ったまま、ただ、どこか悲しそうに佇んでいた。長い沈黙の後に、影法師の錆びた声が投げられた。


「……自分の秘密ぐらい、自分の力で解き明かせ。誰かから与えられた答えなんか、何の価値も無いぞ」


「はっ。お前に説教されるなんてな。……相変わらずだんまりって訳か」


 そう言うと、レイはその場に崩れ落ちるように座り込んだ。ナリンザらしき人物との邂逅は、精神的に疲弊していた。


 すると、影法師がレイの正面に姿を現した。


 同じように座り込んだまま、人の形をした影が起き上がった様なシルエットが大地に浮かぶ。その手には、純黒の塊が握られていた。


 レイが視線で、塊が何なのか問いかけた。


「分かるだろ。フィーニスの憎悪……奴風にいえば、聖印の塊さ」


 真っ黒な球体は内部で雷雲を形成しているのか、時折強い輝きを放つ。漏れ出る気配は、レイを苦しめていたフィーニスの憎悪だった。


「憎悪、というよりもフィーニスの人格なら大丈夫だ。俺の中で、無数の人格に磨り潰されて消えた。あるのは吹けば消し飛ぶような残滓と、力だけだ」


 説明すると、レイの方に球体を投げる。片手で受け取ったレイは、指先から流れ込んでくる影の能力スキルを魂で理解していく。影法師の言う通り、フィーニスの人格は消えている。


「あとはそれを取り込むだけだ。魔人に至らず、《魔王乃影》だけがお前に宿るって言う寸法さ。使い方は理解できるだろ。クロノス討伐に役立つはずだ」


「……随分とサービス精神旺盛だな。期限も良さそうじゃないか」


「当たり前だろ。神を討伐できる、またとない好機だ。昂らない訳がないだろ。俺は、私は、僕は、あたしは、オレタチはそれを待っていたんだから」


 一瞬、影法師の姿がぶれた。影の中に多くの人物の表情が浮かんでは消えた様に見えた。どれも一様に、怒りと屈辱で歪んでいた。


「それに、お前がようやくフィーニスの影を使う気になってくれたからな。ナリンザの死は悲しみ、悼むべき事だが、お前には前を向いてもらう必要があるんだ。そのためには、フィーニスの影は積極的に使うべきだぞ」


 もしも、影法師にちゃんとした顔があったのなら、喜悦に染まっているだろう。そして、その喜び顔に水を掛けるような物だなと思いながら、球体を放り投げた。


 影法師の方に、フィーニスの力を投げたのだ。


「―――ああ?」


 意表を突かれた影法師は、球体を取り落としそうになる。腕で弾き、上に起動を変えたそれを、仰け反りながら掴んで見せた。


「ナイスキャッチ」


「ナイスキャッチ、じゃねえだろ! レイ、お前、まさか」


「そのまさかだ。僕は、フィーニスの影を使うなんて言った覚えはない」


 唖然、愕然、驚愕。顔の無いはずの影法師からそんな感情が伝わってくるのは、精神が繋がっているからだろうか。これまでは、レイの思考は影法師に駄々漏れだったが、最近は読めなくなっていると言っていたが、どうやら事実だったようだ。


「……お前、お前、お前! ふざけるな!! そのままの状態でクロノスに挑んで勝てると思ってるのか。無駄死を増やすだけだぞ。いや、死ねるだけましだ。時間停止を浴びて、二度と動けない体になるかもしれないだろ!! それを承知で、青臭い理想論を掲げるつもりか!!」


 声を荒げ、今にも飛びかかりそうな影法師を前に、レイは静かに首を横に振った。


「違うとでも言いたげだな。だったら、答えろ。なんでフィーニスの影を使わないんだ!」


「それを使うべきなのは僕じゃないからだ」


「……ああん?」


 またしても影法師の意表を突いた様だ。レイは身を乗り出し、影法師との距離を縮める。そこにあるはずの、人格に対して語りかけた。


()()()使()()()()()







 意識が浮上する。目に飛び込んでくるのは鮮やかな輝きを放つ水晶の森だ。


 レイは自分が戻って来れたのを確認すると、目を瞑り、瞼の裏に浮かび上がった本を捲る。目的のページをすばやく確認して、目的通りになっているかを確かめた。


 それはレイの目的通りになっていた。結果に満足すると、目を開け、立ち上がる。左目の下に走る傷は痛まなくなっていた。


「主様。……どうやら、その様子だと決心した様ね」


 足音に気づいて視線を向けたシアラが、レイの覚悟を決めた表情で全てを察してくれた。


「ああ、待たせたね。僕の準備は万端だ。……これが最後だ。クロノスを、狂気から解放しよう」


 レイの言葉に、全員が頷いた。


読んで下さって、ありがとうございます。

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