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試行錯誤の異世界旅行記  作者: 取方右半
第10章 世界の中心
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10-46 緋色の復活

 煌々と燃え盛る鞄。緋色に染まる空間は幻想的でもあった。青い瞳を赤く染める炎は渦を巻くと、クロノスへと襲いかかった。


 クロノスが応戦しようと歯車を展開するが、一瞬で飲みつくされた。


 まるで意思を持ったかのような軌道を描くそれに、神は神器もどきとなった槍を向けた。無機物の時間を加速させ消滅させる権能は、しかし彼女の思惑から外れてしまう。


 槍の穂先に炎が絡みつくと、金属の塊がどろりと溶ける。予想と違う結果に戸惑うクロノスの腕まで炎は伸びた。


 瞬間、彼女は叫んだ。


()()()!」


 彼女が感じたのは、それこそ浴槽に溜まったお湯程度の熱。不意に浴びれば驚くが、それを痛いと感じる事はありえない。しかし、エルドラドに落ちてから、神として絶対の守護を受けていた彼女にとって、それは生まれて初めて味わう痛覚だった。


 槍を手放し、腕を振って絡みつく炎を払い落す。そこには、先程までの狂った愉悦も、底冷えする悍ましい狂気も無く、初めての経験に戸惑い恐怖を浮かべる女の姿だった。


 僅かに赤くなった右腕を凝視し、どうしてこうなったのかと考えるクロノスの耳に、ぺたりという音が飛び込んだ。


 顔を上げて、音の方向を凝視する。それは緋色に彩られた階段から聞こえていた。自然とクロノスは距離を取り始め、周囲に無数の歯車を展開する。傍から見ていたキョウコツにしてみると、それら全てがクロノスの怯えを現していた。


 彼女の位置からでは、何が起きているのか大よそでしか伝わらない。食い入るように見つめて、階段から降りてきた存在をはっきりと視認した。


 それは少女だった。ともすれば、幼女と呼んでも差し支えない年頃の子供。


 目にも鮮やかな紅蓮の長髪は先端に行くほど色合いが変わり、上質の織物のように滑らかだ。褐色の肌は無垢その物で、衣服を身に纏っていない。遠目からでもくっきりとした顔立ちだと分かる。何より目を引くのは、意思の強そうな緋色の瞳だ。宝石を埋め込んだかのような美しい瞳に圧倒される。


「……童、童が、なぜこのような場に。レイの奴の趣味か」


 本人が聞けば否定する推理だが、言ったキョウコツもそこまで本気ではない。むしろ、現れた幼女から発せられる威圧感に圧倒されていた。それまで取り巻いていたクロノスの神気を押し返す、緋色の闘気のような物が薄らと見えるようだった。


 同格とまではいかないが、あの幼女もまた人の枠を超越した存在だと


「これを、待っていたのですか。《ミクリヤ》に、このような隠し玉があると存じていたのですか?」


 尋ねた相手は自分に影を注入したカタリナだ。彼女は、自分の愛娘であるシアラや、目をかけているレイが蹂躙されても動こうとしなかった。何かを待っていたかのような振る舞いは、これだったのかとキョウコツは思う。


『いいえ』


 ところが返事は否定の言葉だった。


「……違うのですか。私はてっきり、こうなるのを望んでいたのかと」


『いいえ。ワタシはあの子のように、人をうまく使って状況を整える力なんてないわ。こうなるなんて、まったくの予想外。でも、だからこそ面白いわ』


 言葉を区切ると、熱のこもった吐息がすぐそばで聞こえる。カタリナがささやくように、


『何しろ、古代種の六龍と狂った神の一騎打ちなんて、()()()()()()()でも起きなかったわよ』







 ぺたり、ぺたりと足音をさせながら、褐色の幼女は階段を降りきった。そして小さな腕を伸ばして思いっきり背伸びをすると、満足そうに体を回す。


「ふむふむ。肉の体は久方ぶりだが、これも存外悪くないな。視点がこれほど低いのも新鮮味があって面白い。もっとも、このような光景は好ましくは無いがの」


 見た目と反した年寄り臭い言葉遣いも、不思議と違和感が無かった。幼女は広間の彼方此方に残る爪跡や、倒れ伏す《ミクリヤ》のメンバーを順に見やる。その視線は、一番奥で時間停止を受けて動けなくなっているレイに合った。


「まったく。相も変わらず、妙なのと出会う運命を持ちよって。これでは昼寝もろくに楽しめんではないか」


「……あ、あな、た。もしか、してっ」


 くぐもった声に幼女は視線を下に向けた。階段に体を預けているエトネが、驚きの表情を浮かべていた。


「ああ、喋るな喋るな。その様子だと肺もやられておるな。あの木端精霊が内側の負傷箇所を押さえていたのが、消えてしまって噴き出しているのだ。無理に喋れば、死んでしまうぞ」


「……やっぱ、り、こ、のこえ。……コウエン、ちゃん、なの?」


「如何にも。妾が誰かといえば、コウエンの名以外ありえん。……しかし、ちゃんづけは背中がむず痒くなるな」


 口の端を吊り上げるコウエンは、乱雑な手つきでエトネの頭を撫でる。その柔らかな皮膚のは感触は、死の淵に立った事で見た幻覚ではないとエトネに訴えた。


 どうして死んだはずのコウエンが生きているのか、レイの精神世界から実体化しているのか、どうしてこの場に居るのか、疑問は山のようにあった。だが、考える余裕も、口に出すだけの余力も無かった。


 絞り出すように告げられたのは一言だった。


「……おねがい」


 それだけを告げると、エトネは力尽きた様に目をつぶった。意識を保つのが難しくなったのだろう。僅かに上下する胸が、生きている事を証明していた。コウエンはエトネの腰から無事だったポーションを取り出すと、全身に振りかけた。


 命の雫が傷を僅かに塞いでいく。


「妾の主となった事で、期せずして受動的パッシブ技能スキルが発現したのだろうな。さもなければ、とうに死んでおったわ。其方に死なれると、ちと面倒だからな。ここで休んでおれ」


 そう言うと、彼女は緋色の瞳でクロノスを睨みつけた。


「それにしても暴れに暴れましたな、クロノス様。いや、感心しておるのだ。貴女と言葉を交わしたのは、それこそ片手の指で数えられますが、貴女がこのような凶暴性を有しているとは知りなんだな」


 敬語を使っているが、そこに敬意は欠片も無い。


「時を司る神クロノス。時という不可逆にして、重要な要素を任されるだけあって思慮深い性格と思ってましたが、このような激情を隠し持っていたとは。本質とは外見から分からないとは、まさにこの事」


「『黙りなさい』」


 ぴしりと、地面に亀裂が走る。クロノスの体から放たれた神気が、物理的な威力を放つ。かろうじて意識のあるエトネや、遠く離れて観戦するキョウコツたちが苦しそうにうめいた。


 そんな中でコウエンは、なんの変化もなく悠然と立っていた。床に触れる長い赤髪を軽く梳き、笑みと呼ぶには獰猛な形に唇をめくる。牙のように八重歯が突き出た。


「くははは。これは失礼。何しろ、久方ぶりの肉の体。久方ぶりの自由。柄にもなく饒舌になってしまうのも許してほしい。……もっとも、今の貴女には関係のない話なんでしょうがね」


「『黙れ、黙れ、黙れ! 邪魔をしないで。私は、レイ様を安全な場所に連れて行かなくちゃ、誰の手にも届かない場所で守らなくちゃいけないのよ』」


「ほう、その小僧を連れて行くと。それは困りますな。何せ、そやつには色々と貸しがあり、返してもらうまでは手元に置いておく必要があります」


 クロノスの双眸に危険な輝きが宿る。場の空気が、さらに重く、息苦しくなっていく。


「『そう、いうことね。貴女も、レイに纏わりつく害虫の類なのね』」


「害虫とは心外な。これでも13神に最も近い存在なのですが」


 コウエンの言葉がクロノスに届いている様子はない。彼女は背後の空間に展開してあった無数の歯車を一斉に敵へと向けた。おうとつは刃のように尖り、回転はどんな激流よりも早い。


「『死になさい、死になさい、死になさい。害虫は速やかにつぶれて死になさい!』」


 言葉と共に歯車が解き放たれる。空間を削る勢いで放たれた鋼の塊は、あっという間にコウエンを飲み込んだ。鉄砲水の如き勢いの歯車たちは褐色の幼女を切り裂くのは疑う余地もない。


 ―――ただし、それが本当に無力な子供だったら。


 最初に気づいたのは、鋭敏な感覚を持っているキョウコツだった。


 潜入活動を得意とする一族で生まれただけあって、耳には自信があった。


 彼女はうずくまりながら、自慢の耳で異音に気づいた。


 歯車同士が擦れあうのとも、歯車が肉を裂き、骨を砕くのとも違う。鋭い刃が次々と砕けていくような音。


 その音の正体にいち早く気づいたのは、眼球を影に張りつけ観戦していたカタリナだ。鈍色の濁流の中に、明らかに異色な塊があった。色は深緑。コウエンの色ではない。


 永遠に続くかと思われた攻撃は、ある瞬間を境にぴたりとやんだ。役目を果たした歯車は次々に地面へと落ちていく。そのどれもが、刃のようなおうとつを折られていた。


 そして、コウエンがいた場所にはカタリナの見た深緑の塊だけが残されていた。


「あれは……カメの甲羅?」


 キョウコツの呟きは状況を正確に表していた。


 コウエンのいた場所には、深緑の色をしたカメの甲羅のような物があった。四方を囲み何かを守るようにそびえていた。ただ、キョウコツには知識が足りないため、それ以上の推測はできない。後を継ぐように別の人物が答えを教えた。


『あれは超級モンスター、サウザンドタートルの甲羅だね。なるほど、そういう風になったのか』


「サウザンドタートル? どうして、ここでモンスターの名前が?」


『答え合わせは後だよ。見てごらん、ここからが面白い』


 カタリナの上ずった言葉通り、そこから先はキョウコツにとって理外の範疇の出来事だった。


「呵々、ぬるい攻撃だな。そよ風だとしても生ぬるい。攻撃とは、ほれ、こうやるものですぞ!」


 甲羅が赤色の液体へと変化し、なんとコウエンの両腕となった。


 そして、彼女が柔らかな両手を前に突き出すと、今度はブレイブサラマンダーの頭部へと変化した。双頭の火蜥蜴は真っ赤な炎を吐き出しクロノスを包み込む。もっともマグマ並みの高温で熱せられても、神の肌に火傷の筋すら生まれない。彼女はレイを自分の後ろに下げ、歯車で囲うと、即座に反撃する。


 炎を切り裂くように歯車が前進する。半分以上の歯車は溶けたが、残った物は炎を突き破る。しかし、そこにコウエンの姿はない。彼女は炎を目くらましに、すでに移動していた。


 では、どこへ。


 答えはキョウコツたちの視線の先にあった。


 人の気配に、クロノスはとっさに視線を斜め下に向けた。そこには、いつの間にかコウエンが迫っていた。


 彼女は、自分の生み出した高温の炎へと飛び込んでいた。肉が焼け、髪が焦げ、歯車に切り刻まれても歩みは止めず、一気に距離を詰めた。


 瞬時に歯車が展開される。


 クロノスを叩き潰すように頭上から。


 彼女の小さな体躯を踏みつぶして余りある巨大な歯車は、彼女の背中から飛び出たアイアンゴーレムの巨腕に押しとどめられる。そして、コウエンの右手がどろりとした液体から斑色の何かへと変貌した。それは鉢の下腹部にある針によく似ていた。


 キョウコツの印象は間違っていない。コウエンの右手に現れたのは、バーサークボーネットの下半身。装填された針はバリスタに匹敵する威力があると言われている。


 その一撃が、クロノスの背後にあるレイを囲う歯車の檻へと放たれた。衝撃音が迷宮に響き、バリスタ並みの針は迷宮の天井に突き刺さり、砕けた欠片が砂のように飛び散った。


 いまだに時を止められているレイは自分の周りがどう変化しても無反応を貫くが、クロノスにしてみれば許しがたい事態だ。レイを守っておくとじこめておく檻が壊れた。そればかりか、コウエンはクロノスを見向きもせずに、レイへと走ろうとする。


「『その人に、近づくな! 害虫!』」


 ―――がちゃん、と。


 視界が切り替わる。一瞬の酩酊ののち、キョウコツの瞳がとらえた景色は数秒前の光景だ。


 コウエンがブレイブサラマンダーの炎を吐き出す直前、クロノスは巨大な歯車を眼前に展開する。それは炎を防ぐための盾であり、コウエンが吶喊できないようにする壁だった。


 だが、コウエンは瞬時に切り替えた。


 ブレイブサラマンダーの頭部が崩れ、濁った紫色のした触手へと変貌した。それはバイオレットオクトパスの触手だ。触手自体の粘液がセンサーとなり、周りの状況を知覚できる。たとえ、歯車の盾で視線を遮られても、クロノスの位置やレイの位置は手に取るようにわかる。


「『今度は、何よ!』」


 歯車の盾を迂回して左右から迫った触手の一つにクロノスが絡めとられた。トーガという薄着だった彼女の体を触手がはいずり絡みつく光景は淫靡で艶めかしいが、クロノスはそれどころではない。もう一つの触手がレイをとらえようとしているのだ。


 ―――がちゃん、と。


 再び視界が切り替わる。酩酊になれないキョウコツが、瞬きを繰り返すと飛び込んできたのは、巨大な歯車が四つ生成される場面だ。炎を吐き出す直前のコウエンに対して、四つの歯車が彼女を囲う。そして唯一空いている上空に無数の歯車が展開され、一斉に落ちる―――直前だった。流星の如く一斉に落ちるはずの歯車は中から放たれた黄色い輝きの前に全てが石へと変化した。


 そして、石に変わった歯車を砕きながら、コウエンが上部から外へと躍り出る。背中にはジャイアントバッドの羽を展開し、右腕と左腕にジャイアントラミアの頭部が人面粗のように浮かび上がっている。


 ―――がちゃん、と。


「あの娘は人間じゃないのか!?」


 それはまごうことなくキョウコツの本心からの叫びだった。それだけコウエンのしていることは異常だ。幼くとも野生味のある美しさを放つ子供の体から、次々と怪物の腕や足、爪や牙、はては翼や頭部がにょきにょきと生えてくれば、理解が追い付かなくなるのも当然だ。


 正常な思考能力があるほど、この異常事態に付いていけなくなる。


 そういった意味ではキョウコツはまっとうな人間なのだろう。まっとうではない人間のカタリナが、キョウコツに対して語りかけた。


『少しばかり懐かしい話をしてあげよう』


「この状況で昔話ですか。気は確かですか」


『なに、君の疑問を解消する役立つお話さ。傾聴する価値はあると自負しているよ』


 そういわれてしまえば、キョウコツに反論はなかった。


 彼女が押し黙るのを確認して、カタリナはつづけた。


『六将軍ってのは一席から五席までは、一応人間が魔人へと至った奴らだ。まあ、元から化け物級に強いのもいたけどね。だけど、第六席ディオニュシウスだけは違う。あれはワタシが生み出した人造モンスター、キマイラスライムが偶然人格を得て魔人となった、例外中の例外なんだ』


「モンスターを作るなんて、そんな事が。……まさに神をも恐れぬ所業ですね」


『あっははは。確かに神を敬うなんて柄じゃないね。まあ、それは脇に置いていおいて、キマイラスライムってのは数十種類のモンスターの遺伝子を組み込んだ存在なんだ。平たく言えば、数十種類のモンスターの要素を持ったモンスターだね。自分の肉体を変化させて、別のモンスターに変身でき、あのように一部だけを変身する事も出来る。そんなモンスターさ』


「なぜ、そんな物を誕生させようと」


『あの当時は、魔人種の国は立場的に弱かったからね。人龍戦役が終われば、次は自分たちという危機感から、戦力補強のためにモンスターの生成が始まったんだ。数を揃えたところで、当時の怪物たちに一掃されるのは目に見えていたから、怪物と戦える特別製を作るために、一体のモンスターに様々な特性を持たせようとしたんだ』


 戦闘において手数の多さはそれだけで脅威だ。例えば、水の魔法しか使えない魔法使いが、水を無効化するモンスターに勝てるはずがない。逆に鉄壁の甲羅を持っていながらも火に極端に弱いという弱点を持つモンスターは、その弱点を克服することは難しい。しかし、あらゆるモンスターに変身できるキマイラスライムなら、その弱点を補う力を持つことができる。


「そんな物が量産されたら、人間は間違いなく敗北していますね。結局、量産はできたのですか」


『ワタシが六将軍に居た時は無理だったね。人格を持ったのがディオ一体だったからね。さて、話を戻そうか。ディオが魔人になったのはいいけど、彼ははっきり言って雑魚だった』


「魔人でも雑魚だったのですか」


『君たちぐらいから見れば、十分強いよ。でも、ワタシたちの末席に来るには力不足。だから、強くするために手っ取り早く、増やしたんだよ』


 増やしたという言葉の響きが、キョウコツの中で不気味に響く。何がと尋ねるのどがかすれた。


『数をだよ。モンスターの遺伝子を、ざっと数百種類にね。古今東西、低級から超弩級まで幅広く、手当たり次第に埋め込んだんだ。魔人になったことで、耐久性が上がったのか、許容範囲が広がったのか、あるいは耐性ができたのか。とにかく詰めるだけ詰めたんだよ。それなのにさ!』


 突然、カタリナの声がはじけた。何となくではあるが、彼女が子供のように腕を振り回して怒っているのが容易に想像できる。


『あの武人かぶれの馬鹿垂れ。キマイラスライムとしての力を使おうとしなかったんだよ! 命を与えられ、魔人になる機会を頂いたから実験に協力しよう。だが、その力を使うか使わないかは私に決めさせてくれって、生意気だよね! お父様も、面白がって許可しちゃんだから。結局、人魔戦役の頃はキマイラスライムとしての力を一度も使わずに、魔人として戦い抜きやがって』


 面白くない、面白くないと愚痴るカタリナだが、キョウコツにとっては疑問が残る。それと眼前の、何度も巻き戻る戦いは何の関係があるのだ。


 すると、カタリナがキョウコツの心中を探ったように告げた。


『あの子のベースは、キマイラスライムだよ。レイ君たちが持ち歩いていたモンスターの卵は知っているだろ。あれは、キマイラスライムの卵さ。おそらく、ディオが死んだ際に残した物じゃないかな』


「……見た目は普通の子共のように見えますが」


『見た目だけはね。でもあれは、キマイラスライムの体表を人間らしくしているだけで、皮の下はスライムの体液が詰まっているはずだ。よく観察していると分かるけど、モンスターの器官を具現化する際、一度赤色の液体になってるだろ。あれが本当の姿さ』


「そういうことですか。幼い見た目はまがい物というわけですか。……だとしたら、この戦いはどうなるのでしょうか」


『どうって?』


「決着ですよ。すでに52回もやり直しています」


 ―――がちゃん、と。


 53回目のやり直しが始まった。コウエンの両手がブレイブサラマンダーの頭部へと変化する。クロノスは歯車を盾のように展開して炎を受け止めようとする。


 それを見た瞬間、コウエンが手段を変えた。右腕が波打つと、あっと今に巨大に膨れ上がった。キュクプロスの腕は勢いよく降りぬかれ、強靭な盾ごとクロノスを吹き飛ばしてしまう。


 ―――がちゃん、と。


 54回目のやり直しが始まった。


 戦いは終始、コウエンがクロノスを圧倒していた。


「クロノスは明らかに対応できていません。そもそも、彼女の戦い方は一種類しかなく、それを神気によってごり押し、ダメだったら時を巻き戻して自分が勝つまで続けています。しかし、あの者にどういう訳か神気は通じていない」


 観察者に徹していたお蔭で冷静な分析が出来た。《ミクリヤ》の敗北した理由は解き戻しよりも神気だ。


 クロノスが放つ、精神を削っていく神の威圧感は、戦いが長引くにつれてリザ達の疲労を濃くしていった。時戻しで体力は戻るが、精神は戻らない。精神的な疲労は不注意を生み、対応を誤らせる。


 その神気がコウエンに通じている様子が無いのだ。


『その通りだ。あれの性質は人よりも世界に近く、精霊よりも神に近い。それにクロノスは不完全な状態だ。不完全な神の威圧なんて、赤龍に通じるはずが無い』


「一方で千変万化の攻撃を繰り出す童女ですが、決め手に欠けると言わざるをえません」


 キョウコツの見立ては正しい。コウエンの炎や拳は、クロノスに届いていない。


 精霊が召喚された時と同じように、クロノスの絶対の守りは剥がれているが、それでもダメージと呼ぶには弱い。ちょっとのダメージすらも時戻しでなかった事になる。


 クロノスの攻撃は完璧に処理され、コウエンの攻撃は無意味と化す。


「このままでは千日手です。正直、これ以上見ていても意味があるとは思えません。それに疑問があります。クロノス様は、なぜ大きな時戻しを使おうとしないのでしょうか」


 クロノスの時戻しは二種類ある。ほんの数秒前に戻る小さな物と、レイを時間停止した直後まで戻る大きな物だ。


 コウエンが現れる前に戻り、速やかにリザ達を無力化すれば、とりあえずの安心は得られるはずなのに、そうしないクロノスに違和感があった。


『キョウちゃんは意外と分析力があるね。そして辛らつだ。これは推測だけど、今の彼女は大きな時戻しが使えないんだろうね。……どうやら、他の権能もいくつか使えない様子だしね』


「そうなのですか? それは一体」


『退屈だろうけど、そろそろ大きく動くよ。何しろ、クロノスはワンパターンの力押しかない。もう、打てる手はないんだ。何より、動きが格段に悪くなっている。もう、限界さ』


 カタリナの言葉通りだった。


 65回目のやり直し、事態は大きく動いた。背中をアイアンライノーの外皮で覆ったコウエンの突進が、歯車を吹き飛ばしていく。


「『いい加減、諦めなさい!』」


 言葉にそれまで込められていた神気はなく、どこか疲弊した様子だった。


 それもそのはずだ。


 時を巻き戻すという行為が、精神にどれだけの負担をかけるのか。《トライ&エラー》の本来の持ち主であるレイを見れば、一目瞭然だ。


 精神が壊れていようが、思考が破綻していようが、心は疲弊していく。特に戦闘経験のまったくないクロノスにとって、あらゆる攻撃方法を持つコウエンは最悪の相手だった。時を巻き戻しては思いついた最善手が片っ端から潰されていくのだ。


 そして、コウエンが登場してから大きな時戻しを始めとした、いくつかの権能が使用できなくなっているのが、彼女に焦りを生ませる。


 だから、ほんの一瞬、思考に空白が生まれてしまう。その瞬間をコウエンは待っていた。


 彼女は一気に駆け抜けるとレイのもとへと駆け寄る。


「『させないっ……だめ!』」


 クロノスは時を戻して対抗しようとするも、意識が乱れてしまう。歯車を展開しようとするも遅かった。


 コウエンの手はレイを捉え―――ない。彼女はまっすぐに、レイの腰に差してあるものを掴んだ。小さな体格ゆえに、引き抜くには体を回す必要があるそれは、回転する紅蓮の髪に劣らない、美しき波紋を抱いていた。


「呵々。なんと驚いた。これほど、手に馴染むとは。……いや、手に馴染むのは当たり前か。何しろ、妾の血肉から出来ておるからのう」


 笑いながら肩で担いだのは、赤龍の骨から生み出された名刀、龍刀コウエンだった。


読んで下さって、ありがとうございます。

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