10-40 文殿 『後編』
※16日追記
誠に申し訳ありませんが、投稿をしばらく中断させて頂きます。
詳しくは活動報告にて説明しますので、ご確認ください。
「……随分と興味深い話をするじゃないか」
娘に似て少し癖のある髪を手櫛で梳くと、眼鏡越しの瞳がレイをじっと見つめる。本来の色を誤魔化した瞳を見ていると、心の中まで覗かれているような気分になる。レイは咄嗟に視線を外した。
「ワタシが、あの島を作ったなんて。そんな馬鹿げた妄想、どこから生まれたのかしら」
「きっかけは、ゲオルギウスの持つ槍。肉体なき概念をも殺してしまう槍を見た時です」
これは少しばかり嘘が混じっている。レイがこの仮説を思いついたのは昨晩。眠る前に神に対抗する手段は無いかと手製のミクリヤレポートを開いている時に思い付いた事だ。
「元々、シアラが父親の同志と共に作った不戦の島は世界が戦争に包まれる中、平和という理想を享受できるために、戦火から逃げて作り出した楽園でした。結界を張り、限られた人間以外は侵入できない。でもそこは、ゲオルギウスの襲来で壊滅した」
「そうだね。ワタシがお父様の力を奪い、『勇者』に敗北したことでゲオルギウスがキレて、乗り込んだのさ。ワタシを殺せないから、ワタシの娘を狙った。卑怯なやり方だとは思わないかい」
キョウコツに同意を求めるが、彼女は話のスケールに付いて行けてないとばかりに肩を竦めた。レイは自分の考えを纏めるように、言葉を舌に乗せていく。
「不戦の島には、招かれざる者を排除する結界が貼られていた。それは間違いありませんね」
「そうらしいね。ワタシの夫が他の魔術師と一緒になって組み立てた物さ。でも、ゲオルギウスを阻む事は出来なかった」
「アイツは、概念殺しの槍を。神の権能が宿った神器を持っていますから、人の作った結界では止められません。古代種の六龍が施した結界でも同じだったんだ」
南方大陸の各地にあった黄龍の封印を解いた槍。あれならば人払いの結界も砕けるだろう。
納得できる結末であると同時に、不可解な謎も浮かび上がった。
「でも、そうなると謎が一つ残るんだ」
「謎って、何のことなの、お兄ちゃん」
背後に隠れたレティを肩越しに振り返り、レイは言う。
「どうして、島はいまも人払いの結界が張られているんだ」
「え? ……ああ!」
聡いレティはレイの問いかけにそういう意味かと声に出した。だから、近くで発した物音に気付くことは出来なかった。
「ゲオルギウスの槍が人払いの結界を打ち破ったのは疑う余地も無い。でも、その結界が今も張り続けられているのはおかしくないか。ゲオルギウスの槍は結界を殺す、つまり消失させる槍だ。それなのに結界が残っているのは、結界は壊された後に、誰かによって修復、あるいは新たに張り直されたという事になる」
「誰かって、もしかして」
レティはまさかという思いでカタリナの方を見る。薄ら笑いを浮かべて本棚に体を預ける女性から、動揺の色は微塵も浮かんでいない。ただ、レイの推理を楽しむ余裕があった。
「そうなると、次の謎はどうして結界を張り直す必要があったのか。楽園は陥落し、生き残りは氷漬けにされたシアラ一人。そんな場所を守る為に、どうして結界が必要だったのか。その答えはやはり、最後の生き残りを守るためなのだろう」
「ちょっと待って、なんで結界を張ればシアラお姉ぇを守る事に繋がるの。お姉ぇを助けるなら、魔法の氷から出してあげればいいじゃない」
ゲオルギウスが使った《アタランテ・フィールド》は氷で閉じ込めた相手の時間の流れを歪ませる牢獄のような魔法だ。そんなのに閉じ込められたシアラの苦しみを考えれば、魔法から出すのが当然のように思える。
だが、それは物事の一方的な主観だ。
物事を一方しか見ていては真実に辿りつけないと、レイはこの街で教わった。同胞から裏切りの魔女として蛇蝎の如く嫌われている女性が、見方を変えれば世界を救った人物になるように、物事の側面だけが真実ではない。
「その人は守りたかったけど、助けられなかったんだ。守る為に自分の娘を氷の中に閉じ込め、人が近づかないように隔離をして、世界から隠そうとした。何故なら、時代は人魔戦役が終わったばかりだった」
人と魔人種がぶつかり合った戦乱と闘争の時代。
ほとんどの魔人種が魔界へと旅立っていたが、それでも僅かな数はこちら側に残った。『魔王』と対立していたとか、人間達と共に暮らしていたとか、理由は様々だ。だが、残された彼らがどうなったのかは血塗られた歴史と共に記されている。
大きな爪跡と被害を生んだ『魔王』達への憎しみは、残った隣人たちへと注がれる。こちら側に僅かに残った者達も、人の憎しみに飲まれて消えていった。
もしも、シアラがそんな時代に直面していたとしたら、どれだけ辛い思いをしたのだろうか。それも『魔王』を裏切った者の血を引く少女。
人間達に混じる事も出来ず、魔人種からは憎しみを向けられる。
それは生きながら地獄を歩くような世界だろう。氷の中でいつ終わるとも知れない停滞の時間を過ごすのと、世界の何処にも居場所は無く常に死と隣り合わせの日々を送るのと、どちらが過酷なのか。
「自分の手で守る事も出来ず、一人で地獄のような世界を旅させる訳にもいかず。せめて、偽りの楽園で生き延びて欲しいと言う親心が、そんな選択をさせたのだとしたら。娘を氷から出すのではなく、氷と結界の二つを使う事で、彼女を守ろうとした……そんな風に僕は考えました」
レイはカタリナの反応を確かめるため、一度言葉を区切る。
垂らした前髪で影の出来た顔から彼女の感情を掴むのは難しい。レイは更に推理を続ける。
「ある人から聞きました。シアラの島に結界はまだ残っているそうです。なのに、シアラはあの島を出て僕らと一緒に旅をしています。ということは、誰かが結界を正式な手順を使って解除した。結界を解除する方法を知っているのは結界を張った者。そして、シアラを解放させるなんて事をするのは、貴女ぐらいしかいません。……違いますか、カタリナさん」
言葉と共にレイはカタリナを指差す。これでレイの言いたいことは全てぶつけた。後は、彼女の反応待ちだ。
「ふふふ、素晴らしい。実に面白いじゃないか」
すると、カタリナは役者に拍手を送るように手を鳴らす。静寂を旨とする文殿には似つかわしくない音が弾けて消える。
「面白いね。君は想像力が豊かだ。きっと、面白い物書きになるだろう。……だが、それだけだ。推理というにはあまりにも拙い。ゲオルギウスが壊した結界なんて、勝手に再修復されただけかもしれないだろ。娘を守る為に、あんな場所に残して行くなんて、そっちの方が親としては最悪じゃないか。それに、今になってシーちゃんを氷から解放するなんて事をした理由はなんだい?」
「……そうですね。認めますよ、僕の推理は穴だらけだ。確固たる証拠なんて一つも無いし、結界を張ったからといってそれがあの島を作った人間なんて発想が飛躍している。ただ、貴女がそこまで悪い人間じゃないかと……そう思ってしまうんです」
「ワタシが? 随分と愉快な事を言ってくれるじゃないか。稀代の悪人、種族の裏切り者と揶揄されるワタシが善人だと?」
くすくすと笑うと、カタリナは眦に浮かんだ涙を拭った。
「ああ、久しぶりに笑わせてもらったよ。……おや、こんな時間だ。すまないが、お暇させてもらえるかな。これでも忙しい身なんでね」
キョウコツに目配せすると、彼女たちは来た道を引き返していく。そしてそのまま本棚の森から消えた。
張り詰めていた緊張感から解放されたレティは、レイの背中に向けて尋ねた。
「……今の推理、どこまで本気で言ってたの?」
「いちおう、本気でそう思っていたよ。彼女が善人であってほしいと言う前提があったのは否定しない。でも、そういう風に思えたんだ。不戦の島は、シアラを守る為にあの人が生み出したんじゃないかって」
「でも、いくらなんでもありえないよ」
「そうかな」
否定するレイの言葉は力強い。彼はある事実を見逃さないでいた。
「彼女は否定しなかった。僕の推理の穴や粗を指摘したけど、それだけさ」
「……そうだけどさ」
「まあ、この話はここでお終いだ。シアラには内緒にしてくれよ。僕がこんな甘い事を思い付いたなんて知られたら、目尻を吊り上げて怒りそうだ」
自分の目を指で吊り上げるレイに、レティはあり得ると同意して笑った。すると、レイ達が歩いてきた方角から人の影が現れた。視線を向ければ、そこに立っていたのは、シアラを追いかけていったヨシツネだった。
彼は襟巻で顔を半分隠しながらも、気まずそうにしている。
「ヨシツネ? シアラを追いかけて外に出たんじゃないのか」
「……いえ、そうであったのでござるが……面目ない」
何やら要領の得ない事を口籠りながら、ヨシツネは観念したように白状した。
「外に向かったと思いきやすぐに引き返して、やっぱりもっと言ってやりたいと息巻いておられて。それで怒鳴りつけようとしたところ、主殿の話を聞いてしまい……またしても外へと追いかけていってしまったでござる」
ヨシツネの話には抜け落ちている単語があった。レイは嫌な予感と共にそれを指摘した。
「それってつまり……立ち聞きしていた訳? そこで、彼女が」
こくり、とヨシツネは頷いた。
「待ちなさいよ!」
その声は文殿前にある広場を横切ろうとしたカタリナたちの足を止めた。二人が声のした入り口へとふり向くと、そこに立っていたのは肩で息をするシアラだった。
金色黒色の瞳が鋭くカタリナを睨んだ。
「……私は、席を外した方が宜しいですね」
空気を呼んだキョウコツは返事を待たずに広場の奥へと進んでいく。取り残されたカタリナは、近づいてくるシアラを嬉しそうに眺めていた。
事実、嬉しいのだ。
大きくなったとカタリナは声に出さず思う。最後に、こうして動いているのを見たのは、人龍戦役が終わった直後に開かれた祝勝会の席だ。その時にはすでに老人となった愛しい人と一緒に、家族三人で過ごした数少ない思い出だ。そして、その席でフィーニスは宣言した。
人への宣戦布告を。それは予想できたシナリオ。予期出来ていた未来。こうなるしかないと諦めていた道だ。だから、アレクサンドと共に、人と竜と同胞の目を盗んで作った楽園に娘を置いて行った。彼女が健やかに成長できるように、自分のしようとする行為によって迷惑をかけないために、そうした。
結果は失敗に終わってしまったが、彼女には平和に生きて欲しいと願った。
「……なんの用だい、シーちゃん。さては別れのハグをご所望かな」
両腕を広げて迎え入れようとするが、シアラは一メーチルの距離を開けて立ち止まった。どうやらハグではないようだ。
「……アンタが、アンタが不戦の島を作ったなんて、そんな事、絶対に信じない」
「おや? そんな事を言い来たのかい?」
シアラが盗み聞きをしていたのは気づいていた。シアラがそれを否定するのも予想していただけに驚きは無かった。だが、直接言いに来るほどの事ではないだけに、ちょっと意外だとカタリナは感じた。
すると、シアラの唇が終わりじゃないと動いた。
「ただ、聞きたいことがあるの」
「ほう! ワタシに聞きたいことなんて、嬉しいな。いいよ、どんな事でも答えてあげよう。お父様の弱点かい? 旧式超級魔法のコツとかかい? それとも男の悦ば―――」
「―――どうして、ワタシを生んだの」
それは静かな、それでいてカタリナの心へと深く突き刺さる質問だった。彼女の美貌からふざけた気配は消え去り、酷く乾いた真剣な物へと変化していた。
シアラもまた、どこまでも真剣な眼差しで母を見つめた。
「どうして、人間のお父様と結ばれたの。だって、アナタは魔人種の姫よ。同族から婿を取るように周りから言われなかったの?」
声に篭るのは真剣な響き。単なる好奇心以外で聞いているのだとカタリナは理解して、そして自分も真摯に答えようとした。
「そりゃ、言われたさ。クリストフォロスに嫌味を散々ね。でも、まあ、相手が人間族だから、寿命は平均して六十年。ワタシ達にしたら二つ、三つ年をとったら別れる短い付き合いだから、黙認されたのよね。お父様もワタシを姫扱いしていなかったから、特に気にしていないのも大きいわね」
「なら、なんでワタシを生むことにしたのよ」
「だって、一目ぼれだったもの」
「……はぁ?」
あまりの回答にシアラは隠し持っていた杖を取り落としてしまう。カタリナは赤く染まった頬を両手で押さえて、身を捩らせた。
「だって、ワタシがあの人と会った時、こう、びびっと来たのよ。あ、ワタシ、この人の子供産みたいって。三十ぐらいのアレクサンドは、もう、男の色気とか全身から出てね。それでいて魔法使いだから女っ気が少なくて、自分に厳しい所も好みだったわ。もちろん、お爺さんになっても魅力は減るどころか益々増したわ。八十近くなってもあっちの方はげ―――」
「―――勘弁してちょうだい! ワタシは親の赤裸々なぶっちゃけ話を聞きたいわけじゃないのよ!」
耳まで赤くなったのは、寒さ以外の理由だろう。シアラは叫んだ時に消費した酸素を取り戻そうとする。
「ふふふ。そうね、こういうのはもっと落ち着いた雰囲気のある場所でしましょう。その時には、お友達も連れて来るといい。やってみたかったのよね、女子会。ワタシがそういう風に集まれるのって、魂からして腐り切った同類ばかりだから、たまには初心な子をからかいたいわ」
カタリナが誰のことを言っているのか分からず黙っていると、彼女はシアラに対して、照れた風に言った。
「ワタシが貴女を生んだ理由なんて、たった一つよ。あの人が好きで、そしてあの人との子供なら好きになれると、そう思ったの。何の根拠も無くね。そして、その通りだったわ」
放たれた言葉をどう受け止めればいいのか、シアラには分からなかった。不戦の島で過ごした日々、彼女のした行為の代償。色々な感情が自分の中で暴れ回り、答えを出そうともがきだす。だが、シアラは己の感情を無理に分ける必要はないと決めた。
「……アナタの事を、許すなんて事は出来ない。それだけのことを、アナタはした」
眼を閉じれば、今でも思い出せる惨劇。一人、また一人と島の住人が散っていく。あの惨劇は彼女のせいで起きた。一緒に暮らしていた家族同然の人々を失った悲しみは、シアラの中で抜けない棘となっていた。
「でも、アナタの事を、ワタシはよく知らない。知っているつもりでいた。知っていると思い込んでいた」
母とこうして会話をするのは、学術都市が初めてと言っていい。シアラにとって、カタリナはあらゆる意味で謎の存在であり、同時に自分の中にあるレイへの感情を明確にする指針となりえる。
「……だから……もっと……話したい……と、思う」
一言、一言。絞り尽くすように放った言葉にカタリナは破顔する。満面の笑みを浮かべた魔人は喜色を隠そうともしない。
「そうなのかい! それは、ああ、それは嬉しいな!!」
「言っておくけど! 別に仲良くしたいとか、そんな感情は一切ないんだからね! そこの所、勘違いしないでよね!!」
捲し立てるなり、シアラは来た道を駆けるような速度で去っていった。文殿へと飲み込まれて行く娘の背中を、カタリナは見えなくなるまで眺めた。
「あれも反抗期というやつなのかな。そう考えると、母娘そろって反抗期の真っ最中だね。それとも、世の一般家庭というのは皆こうなのかな?」
「『魔王』への反抗期なんて、他では聞いたことありません」
「そういうものかい。キョウちゃんはその辺りどうなんだい?」
いつの間にか戻ってきたキョウコツに驚きもせずに質問をする。
「父に対してそれなりの敬意はありましたよ。ですが、情勢を見極める事も出来ずに一族の基盤を揺るがしたまま死に、面倒事を回したなという思いもあります。こうして一族を抜けると……哀れな人だったなと思います」
「哀れとは、随分な言い草だね」
「祖父……父の父がそれなりに優秀だったこともあり、常に期待されて育てられ、その分の圧力があったと思います。結局、期待に応えられず、後継者が別の者に決まりそうになったのを知って父は祖父を追放しましたが。……そう考えると、あの人の行動理由は父親を見返すためだけだったんだなと。そう思えてしまえて」
「なるほどね。どんな人にも、相応の歴史や考え方があるって訳か。……さて、キョウちゃん。ちょっとお願い事があるんだけど、いいかな」
雰囲気が切り替わる。いつの間にか、カタリナの手には眼鏡が掴まれており、曝け出した金色の瞳がキョウコツを射抜く。
魔人の瞳を前に断わると言う選択肢は無い。
「しばらくの間、レイ君たちを見張っていてほしい。そして、ワタシの目となり、耳となり、口となって欲しいんだ」
文殿の中には調べものをするための机などもある。レイ達は時の神に関する伝承や記述を片っ端から捲り、拾い上げていた。そんな彼らに大股で闊歩する女性が居た。
シアラだ。
彼女は手に本を握りしめ、レイ達の方へと一直線に向かっていた。ヨシツネが気づき、レイ、レティと続いた。
レイは先程立ち聞きされた内容に怒っているのかと表情を引きつらせていると、シアラが机に持っていた本を置いた。
古めかしい装丁本はタイトルが何だったかさえ判別しにくかった。
「これは……なんだい?」
「それよ。それこそがクロノス様を無力化する最善の方法よ」
自信満々に答えたシアラに、レイ達は驚くばかりだった。
読んでくださって、ありがとうございます。




