10-37 緊急クエスト
「そうか。……やっぱり、お前さんを……。随分と長く話しちまったな。体も冷えてきたぜ」
オルドは自分の肩や頭に積もった雪を払う。
「それで? 話を聞いて、お前さんはどう思う」
問いかけは自分の足元へ向けて放たれた。
話を聞き終えた少年は攻撃をくらったように座り込んでいる。彼の頭にも雪が積もっていた。それがゆっくりと傾くのに合わせて崩れるも、黒髪に混じった白髪が雪のようにも見えた。
「……どうもこうもないよ、オルド。アンタが戦ったのは女神で、間違いなくクロノスだ」
青髪青目という特徴だけでなく、喋り方や雰囲気、発言、そして時を操れるという規格外の力は13神において一人しか思いつかない。
問題なのは彼女がこの地上、それも近く深くにある迷宮に出現したのかという事だ。13神は直接的な介入が出来なくなったと他ならぬ彼女が言っていた。加えてオルドが相対した彼女は間違いなく壊れてる。
レイが知るクロノスとオルド達が遭遇したクロノスが一致しない。
エルフの聖域で会って以降、彼女に何があったというのか。レイは混乱する頭で思いを吐露する。
「でも、何で神が地上に、それもよりにもよって迷宮なんかに出現するんだ。それも、どう考えても狂っている。思考だけじゃなくて、能力も暴走しているじゃないか。神々の観測所で何が起きたんだ」
「さてな。それを知るには聖域にでも行って、他の神と謁見しないと分からないが……まあ何故、はこの際置いておこう。重要なのはどうするからだ。お前はどうしたいんだ?」
オルドの発した問いかけの意味が分からず、レイは顔を上げた。そこに居たのはいつもの粗暴な表情では無く、経験を積んだ古強者の厳めしい顔だった。
「どうって、どういう意味ですか?」
「決まってるだろ。あのクロノス様を止めたいのか、止めたくないのか。関わるのか、関わらないのか。それを決めな」
どうして彼にそんな事を問われるのだろうという疑問はレイの中に生まれなかった。
レイは一度目を瞑ると、クロノスとの邂逅を思い出す。
顔を合わせて話をしたのはたった二回。エルドラドに送り込む時と、エルフの里の聖域で再会した時だ。どちらも印象的だったのは、彼女の悲痛な顔だ。
美麗な、この世の物と思えない整った美貌を悲しげに歪め、自らの罪を悔いるようにしていた。それが『黒幕』による記憶操作によって生み出された偽りの記憶だと知らず。
彼女は、何も悪い事をしていないのだ。
後悔する事も、気に病む必要も無い。自分で気づかない内に暗示に掛けられているだけだ。
自分が御厨玲を死なせかけてしまい、その責任を果たさないといけない。そう、思い込まされていただけだ。でも、彼女は真剣に、そうどこまでも真剣に自分の事を心配してくれていた。心を痛めてくれた。
自分がエルドラドに来てから様々な危機に直面したことを後悔していてくれた。神々なら人の行く末なんて些末事の筈なのに。
そもそも13神はエルドラドの崩壊を防ぐために『招かれた者』を利用している。本来なら、クロノスもレイを利用して世界崩壊を止める様に動かすべきだ。じゃないと彼女は世界の管理者という立場を失ってしまう。でも、彼女は言ったのだ。自分は関わるべきじゃない、関わる必要なんてない。大人しく、静かに時間が過ぎるのを待てば良いと。
レイにとってクロノスはよく泣き、責任感が強く、そして―――優しい神様だ。
彼女に何が起きたのか、レイには分からない。だけど、地上へと墜ち、記憶を失い、正常な思考回路も崩壊し、それでも自分を助けようと彷徨う彼女の姿が脳裏に浮かんでしまう。
「……助けますよ」
「ほう? ちゃんと理解して言っているのか? 相手は13神が一柱。俺達の攻撃なんて通じず、時を止められる怪物だ。お前さんが見つかれば、四肢をもがれ地の底で監禁されちまうぞ。それでも助けるって言うのか」
「ええ、助けます。だって、あの人は僕を本気で心配してくれた、最初の人なんだ」
たとえ、偽りの理由だったとしても。
たとえ、作られた縁だったとしても。
彼女は自分の行く末に心を砕いていた。
そんな人を見殺しにする事は、レイには出来なかった。
「危険なのは承知です。無謀なのも承知です。でも、助けます。だって、壊れた神ぐらい救えなきゃ、滅びる世界だって救えませんよ」
「……はっ。そいつは違いねえ」
オルドはどこか晴れ晴れとした笑みを浮かべ、空を見つめた。
彼の心配は杞憂に終わった。
もしも、レイが関わりたくないと言ったら、それはそれで良いとも考えていた。自分の使えるコネと伝手を総動員させて、時間と手間暇をかければクロノスを封じる事はできる。
アマツマラで別れてからのレイの足取りは多少なりとも知っていた。行く先々でトラブルに巻き込まれ、神経と命を削るような激闘を繰り広げてきた。それはちょっとした時の振る舞いで分かる。あの、ネーデの街で会った時の初々しさは拭い去り、血風に肌が馴染んでいる。それが喜ばしい事なのか、嘆くべきなのかは、答えは出ない。だが、これ以上の重しをレイに与えるのはどうかと考えていた。
だが、自分でクロノスと向き合う決断をしたレイに、これは余計なお節介だったと反省する。
「なら、好きにやりな。俺達からもっと情報を聞きたいなら、いつでも来い。欲しい道具や伝手、人手が足りないならカーティスに頼め。アイツが手配してくれる」
「はい。その時はよろしくお願いします。……そういえば、カーティスさんは、なぜボロボロになっていたんですか。話を聞く限り、あの人はクロノスと戦っていない様に思えるんですが」
「ん? ああ、そうか。クロノス様が転移で飛ばされる直前、あの歯車が戻ろうとしてな。体力の限界だった俺やベルドランドじゃ抑えきれなくなって、いくつか取りこぼしちまった。それをどうにか止めようとして、残った奴らが突っ込んでいったんだが……歯車の力が強化されやがった。最後の方はレベルを下げられてねえのに、カーティスの腕がちぎれかけるほどだ」
オルドはレイの方に手を伸ばして一気に引く。肩が抜けそうになるも、立ち上がると、オルドは自分の健在ぶりをアピールするように体を回した。
「最後には、歯車は溶ける様に消えやがった。話はこれで終いだ。さっさと中に入って暖まるとするか。レイ、今度見舞いに来るときは酒を持ってきてくれ。ドワーフ仕込みの酒が良いな」
「病院の見舞いに酒なんか持ってこれる訳ないでしょうが」
「そうか? がはは!」
呆れ顔のレイに機嫌よく嗤うオルド。二人は並んで病院の屋上を後にした。
レイ達は病院を出ると真っ直ぐギルド会館へと向かった。オーギュスター統括長に呼ばれたからだ。
病院からギルド会館までは近く、歩きで向かう。その道中、レイはリザとエトネに、オルド達が地下で遭遇した存在、『姿なき存在の呼び声』の正体が、13神が一柱クロノスで、精神が壊れてしまっている事を説明した。
最初は、話のスケールから疑って聞いていた彼女たちだが、レイの真剣な口ぶりや、オルド達の様子からも事実だと理解していた。
レイが話し終えると、リザは複雑そうな表情を浮かべた。
「……正直、驚きすぎて何が何だか。これでも修道院で育ちましたから、13神の事は多少なりとも学びました。ですから、神が降りてくるというのが、まず信じられません。そんな事は、無神時代がひっくり返る事態です。でも、オルド様が嘘を吐くとも、見誤るという事も考えにくいです」
「エトネは、よくわかんないけど、すごく、すごく、たいへんなじょうきょうなのはわかる」
「全くその通りだ。本当に大変な状況なんだ」
何しろ、クロノスが今にも迷宮から地上へと現れてもおかしくないのだ。オルド達が最後の奇策として転移の魔法陣を踏ませたことで、彼女は迷宮の何処かへと飛ばされた。だが、それは時間稼ぎにしかならない。彼女は地上を理解して、レイを探しに向かおうとしていた。
時間さえかければ、彼女が迷宮を脱出するのは容易だろう。冒険者はおろか、モンスターでさえ、彼女の脅威にはなりえない。
それまでに、神を止める手段を構築しなくては、待っているのは偏執的な救済欲からの監禁である。
「とはいえ、13神を止めるなんてこと出来るのかどうか。その辺り、何か知っている? 例えば、神々と人が交流していた時代に、神様を追い払った伝説とか」
レイのたとえ話に、リザはしばし考えた後、首を力無く横に振った。
「私の記憶する限り、そのような逸話はありません。ですが、ここは学術都市。13神に纏わる文献も多く保管されているはずです」
「そうだね。調べれば、何か出てくるかもしれないな。明日はシアラとレティを連れて、文殿に行くとするか。……っと、着いたね」
話をしているうちに、ギルド会館の前へと着いていた。
「それにしても、統括長の呼び出しか。……まあ、内容の予想は付いているけどね」
「そうですね。オルド様からクロノス様の事をお聞きになっているなら、その事絡みの呼び出しでしょう」
尋常ならざる気配を放つS級冒険者オーギュスター統括長。
彼が口にしたクエスト。その命じる内容は、果たしてどちらなのか。
レイはそれ以上を口に出せなかった。救うと決めた相手を、この手に掛けないといけない事態は想像もしたくない。リザも、エトネも、レイの気持ちを感じ取って何も言わなかった。
「……ここで、ぼうっとしていても風邪をひくだけだね。中に入ろうか」
呼びかけに二人は応じる。レイは彼女たちを伴って、ギルドの中へと入った。
会館は暖房がきちんと働いているのか、冷えた体が芯から暖まっていく。だが、その温もりを心地よいと感じる事は無い。ギルドの中は、特に冒険者の部門が騒がしかった。
「変な女の声を聞いた途端、仲間がぶっ倒れたんだ。いったい、何なんだよ、あれ!?」「『紅蓮の旅団』が青髪の女とやりあった事と関係あるのか」「モンスターが異常な行動を取っているけど、ギルドで何か掴んでないの?」「ギルドは情報を公開しろ!」
大勢の冒険者がカウンターに詰め寄り、口々に叫んでいる。その大半が、『姿なき存在の呼び声』に関する事だ。
「やはり、騒ぎになっていますね。情報の封じ込めには失敗したようです」
「みたいだね。オルド達が全滅したなんて情報が流れた時点で、こうなるのは読めていたけど、半日も持たなかったか」
レイ達が離れた所で様子を窺っていると、一人の職員が近づいてくる。正面で止まると、深々とお辞儀をした。
「《ミクリヤ》のレイ様でございますね。統括長がお待ちです。すぐにお連れするように仰せつかった者です。ご案内しても宜しいですか」
一呼吸で言い切った男に、レイはお願いしますと返した。
「それでは此方へ。統括長の執務室は最上階にございます」
案内されるまま階段を上る。下の喧騒から離れていき、静かなフロアを通り過ぎていき、廊下を渡った先に目的の部屋があった。木目調の扉をノックすると、入れと短い声が掛かる。
「失礼します。統括長、『緋星』のレイ様とパーティーをお連れしました」
職員は扉を抑えたまま脇に退く。レイ達は中に入ると、そこは嗅ぎ慣れた鉄錆の匂いが鼻を突く。
部屋は持ち主の性格や嗜好を現すと言う。グラッセ学長が職務に忠実で我欲を持たない清廉な人間なのも、カタリナが研究を優先するあまり私生活を疎かにしているのも、部屋を見れば大体予測が着いた。
その論理からすると、この部屋は迷宮の中のような息苦しさを感じる。
ギルド統括長という重責のある立場の人間が使うには物々しい武器が並び、モンスターのはく製などが飾られ、乾いていない血と汗の匂いにエトネが鼻を押さえた。
「よく来た。そこに座れ」
有無を言わさない迫力。ねぎらいの言葉すらも他者を威圧している。老年の男性は黒檀の机に肘を置いたまま、客用のソファを勧めた。
レイは座る前に挨拶をしようと前に出る。
「本日はお招き頂ぎ、ありがとう―――」
「―――くどい。挨拶などは無用だ。貴様の事はそれ相応に知っているぞ。何処から来たのかもな。今更、自己紹介などまだるっこしい」
「……そうですか。それでは失礼して座らせてもらいます」
挨拶を止められたレイはソファに腰かける。横にエトネが座り、リザは二人の背後に立つ。
オーギュスターは特に気にしたそぶりをせずに、案内した職員に退席を促した。扉が閉まるのを確認すると、重々しい口調で続けた。
「オルドから、何があったかは聞いたか」
「はい。『姿なき存在の呼び声』が13神の一柱、時を司るクロノスだったと」
「そうだ。これは由々しき事態である。神が観測所を離れ、地上に降りてくるなどこの千三百年間、一度も起きなかった出来事だ。それも、どういう訳か神々の権能を使えるというおまけつきだ。初めは許容できる被害だったが、オルド達と交戦して以降被害は拡大している。このまま放置して行けば更に増えていくだろう」
「それは分かります。それで、僕たち《ミクリヤ》にクエストとは一体なんでしょうか?」
「決まっているだろう。これの解決を貴様等に命じる」
一方的な通告に、リザが僅かに眉を顰めた。頭ごなしの命令に、レイも心にさざ波を生んだ。その発生源はレイ達の感情などお構いなしに言葉を続ける。
「貴様に命じるのは二つ。速やかな解決と、13神の無力化、及び確保だ」
「……確保、ですか。排除じゃなくて」
クロノスを生かして捕らえろと言う命令はレイの目的と合致する。レイにとってはありがたい話だが、オーギュスターがどういう意図でそんな命令を出したのか分からなかった。
すると、強面の老人は不機嫌そうに鼻で笑った。
「貴様は馬鹿か? 落ちて狂った神といえど、あれは神だ。失えば、世界にどんな影響が出るのか分からんだろう。それに、何が起きたのか把握するのも重要だ。オルドからの聞き取りによれば神クロノスは記憶を失ってはいるが、人との接触によって刺激を受けたかのように戻っているという。なぜ、13神が落ちてきたのか。他の神々はどうなっているのか、他にも落ちているのかどうか、聞きたいことは山ほどある。ゆえに、生かして捕獲せよ」
オーギュスターの説明は筋が通っている。世界に対する影響を考えたら生かして捕らえるのが一番だ。だが、それが簡単に済むかというと話は別だ。
「捕獲は分かりましたが、ギルドから何か支援はもらえますか。例えば、神々に対する有効な手段の提供とか、装備品の支給などは」
「残念ながら、そのような物は期待するだけ無駄だ。そんな便利な物があれば貴様に頼る必要などあるまい。大体、時の神は貴様を送り込んだ神なのだろう。ならば、貴様が責任を取るのが筋ではないか」
オーギュスターの言葉に、レイは拳を固く握った。レイの変調に、リザとエトネは気づくが、何も言わなかった。気づかない統括長は、そのまま一方的に続けた。
「無論、これがクエストである以上報酬は支払おう。もっとも金銭的な支払いではこの一件が公式の記録に残ってしまう。どんな形であれ、金の流れは記載されるからな。そこで、保留中だった貴様の等級をCに引き上げよう。並びに《ミクリヤ》もC級パーティーとする」
「……それは喜ばしい事になるんですかね。ランクが上がる事で、特別な扱いを受けられるようになるんですか?」
「いくつかあるが、貴様の興味を惹きそうなのと言えば、ギルド内部にある『冒険王』のレポートを閲覧する機会を得られるぞ」
統括長の言葉にレイの目が興味深そうに細まった。『冒険王』エイリークの残したレポートには、向うの知識が記されている。テオドールも日本刀の作り方をそこから学んだ。
どんな内容なのかは分からないが、魅力的な事にはちがいなかった。レイが頷くと、オーギュスターは声高に告げた。
「《ミクリヤ》に緊急クエストを命令する。『姿なき存在の呼び声』を早急に無力化、確保せよ」
「……承知しました。それでは準備などありますので、今日はこれで」
「ああ。だが、急げよ。期限は定めないが、早急に果たせ。貴様が手をこまねけば、それだけ被害者は増えていくのだからな」
用は済んだとばかりに手を振るオーギュスターにレイは頭を下げて部屋を出ていった。後に続くリザとエトネに、レイは囁いた。
「あの人を信用するな。彼は僕の事をオルド以外の誰かから聞いている」
レイが去った執務室。オーギュスターは扉が閉まっているのを確認すると、引き出しを開けた。
途端、血腥い部屋には不似合いの香りが広がっていく。
オーギュスターが取り出したのは、一枚の羊皮紙だ。宛名も、送り主の名前も無い。ただ、羊皮紙の片隅に、紅色の唇の跡が付いていた。オーギュスターはそれを机の上に置くと、自分の顔を寄せる。老練な冒険者な顔は拭い去れ、恍惚の笑みが浮かんだ。
羊皮紙に残った香水で肺を満たすと、満足そうに呟いた。
「万事抜かりありません。全ては貴女の思うがままに。これでよろしいのですな、女帝」
読んでくださって、ありがとうございます。




