2-31 旅の目的地
「不思議な手触りですね。……裁縫もしっかりしています。染色自体はそこまで差は無いようですが、不思議な生地ですね」
「へー! 軽い靴だよ、これ。靴底は何で出来てるんだろ?」
二人はベッドの上に広げた過去の遺物、つまりサイズが合わなくなって着れなくなったシャツやズボン、それにスニーカーを珍しそうに触れる。
僕は二人に自分の説明できる範囲で地球、日本、そして御厨玲について話した。最初はあまりにも違う文化レベルから話が噛みあわなくて何度も迷走しかけたが、二人は大まかに理解してくれた。無論、元の世界で僕が二十歳の大学生だったことは伏せておいた。これを話せば芋づる式に13神との出会いまで話す羽目になる。
日本の事を話している最中に何か証明できるものが無いかと思って、唯一持ってきた衣類を二人に見せたのだが、思っていた以上に食いついている。一度見ているとはいえあの時は夜だった事もあり真剣に見ている。
「……つまり、ご主人様の元居た世界。『日本』にはモンスターや魔法が無くて代わりに機械? や、科学が発達した世界なんですね」
ポリエステルで出来たシャツを握りしめたリザが感心したような、どこか心有らずの様子で口を開いた。
「……モンスターが存在しない平和な世界なんですね」
リザは僕の話の中で日本が戦争をしないと決めたことや、武器を持ち歩くことを法律で固く禁じた事を痛く驚いている様子だった。いや、羨ましそうに聞いてすらいた。
「まあ、世界中どこかで煙を上げているけど、すくなくとも日本は平和と言えたよ」
「それは……お辛かったでしょう」
唐突に沈むような声で言われた。意味が分からずにリザを見ると、青い瞳に僕を労わる様な優しい光が宿っていた。
「あの日、あの晩ですよね。何も分からずにモンスターに追われて命の危険を感じ、逃げ惑っていたあの夜にこちらの世界に来たのでしょう。その恐怖を考えると胸が痛みます」
そのまま顔を伏せたリザの背中をレティが撫でる。まいったな、第三者から見るとそんなに可哀そうだったか当時の僕。考えてみると、まだこの世界に来て二十日も経っていないはずなのにあの夜が遠い昔に思えた。
「うん。……そういえばエルドラドに来てから最初に出会ったのは君たちだったよ」
「そうなの、ご主人さま?」
「森に居たのはモンスターと冒険者の死体だけでね……正直二人と出会えていなかったら、心が折れていたよ」
これは紛れもない事実だった。《トライ&エラー》のデメリットの一つ。死亡時におけるイタミ。あのフュージョンスライムとの戦いに負けていれば心を砕こうとするイタミと独りぼっちの寂しさから心が折れていたと思えた。そうなったらどうなるかは想像したくない。
それだけに二人にはとても感謝している。
照れたような笑みを浮かべる二人を見て改めてその気持ちを再認識した。ふと、時計を見るとそろそろ夕食をとっても良い頃合いだ。それにずっと話をしていたため喉も乾いてきた。
だけどその前に大事な話を二人としておきたい。
「それじゃ、僕の故郷の話は一度ここまでにしよう。この後、つまり精霊祭が終わった後の旅の目的を決めたいけどいいかな?」
「分かりました、ご主人様」
「えー、お腹空い、イタァ」
居住まいを正したリザがレティに拳骨を降らした。ふて腐れたレティに、
「少しだけ我慢してくれ」
と、お願いした。
気を取り直して僕は二人に向かって説明する。
「まず、旅の目的はとりあえず三つ。リザの目的は強くなる事……で良いんだよね?」
「はい。その通りです」
青い瞳に燃えるような炎を見た。強くなった先に僕と同じ異世界人を殺す事こそ彼女の悲願と言える。
「僕の旅の目的は世界を見て回る事と元の世界への帰り方を知る事。それを探る為には場合によって危険な所にも向かうから覚悟して欲しい」
「望む所です。どんな敵も倒して見せます」
力強く答えたリザ。妹はそんな姉の姿に苦笑いを浮かべている。危険のワードが出た時点で目がキラキラしてるよ、この娘。正直ドン引きである。
僕の心境としては時の神クロノスの言っていた五年後に迎え行くという話は当てにできない。すでに神を馬鹿正直に信じる事は出来ない。少なくとも自力で帰り方を探すべきだと考える。
一方でネーデの迷宮で遭遇した火の精霊、アメノマの助言。『聖域』を探すことも忘れない。
もっとも13神のせいでエルドラドに来たことを伏せている以上、聖域を探すという方の目的は二人に言えないでいる。
「とにかく、僕らの目的を果たす為にもレベルアップが必要になる。だから基本は迷宮に入って魔石を回収して旅をする。ここまでに質問は無い?」
「はーい、質問」
黙って聞いていたレティが手を上げた。
「ご主人様はどこかに定住して、そこで帰る方法を探す気は無いの?」
「うーん。できれば根無し草は避けたいけど、やっぱり調べるためにもあちこち回る必要もあると思う。……なにか心当たりがあるのか?」
「ご主人さまは『学術都市』って知ってる?」
レティの口にした名称をどこかで聞いた覚えがあった。記憶が詰まった箱をひっくり返す。
―――それこそ、学術都市の文殿を彷彿させる本の山を見たよ。
そうだ。ネーデの街を出る日。ジェロニモさんが口にしていた。あの時も学術都市の意味が理解できずにいた。
「たしか文殿がある場所の事……かな、レティ?」
「そうそう。この世の知識が全て集まると言われる知の都。学術都市。そこならご主人さまの目的もレベルアップもどっちも叶えられるよ」
知識の都で帰還の方法を調べるのは分かるがレベルアップも果たせるとはどういう事なのだろうか。首を傾げる僕に向かってリザが口を開いた。
「学術都市の地下には三大迷宮の一つ、『ラビリンス』が冒険者を待ち構えています。数多ある迷宮の中でも少々特別な迷宮ですがレベルアップするには丁度いいかもしれませんね」
「そいつはいいね。その学術都市はどこにあるんだ?」
聞くと、レティが突然スニーカーをベッドの上に置いた。片方は横に、片方は縦に置いた。
「こっちの横になっているのが中央大陸。こっちの縦が東方大陸だとすると、今私たちはこの辺に居るの」
レティが縦に置いた靴の真ん中から少し上の地点を指さす。次いでリザが横に置いた靴、つまり中央大陸へと指を当てた。
「学術都市はおおよそですが、この辺りになりますね」
リザの指さした場所は中央大陸の西側だった。
「つまり、あれかい? 来た道を戻れば良いの?」
僕らは中央大陸の東よりにあるネーデの街から東へと向かって旅をしてきた。だとすると今度は同じ道を逆に行き、西を目指せばいい事になる。
だけど、二人は否定する様に首を振った。
「実は中央大陸の南にある国は現在陸路からの入国を固く禁じています」
リザの指が靴の下側、中央大陸の南側で円を描く。だとするとルートは中央か、北回りになるのか。そう思った僕を否定する様にレティが口を開いた。
「そしてね、北回りは世界一険しいイプテン山脈によって阻まれているの。人が歩いては登れない反り立つ壁といわれる場所。つまり中央大陸の東側から西側へは陸路だけで行くのは無理なの」
レティの小さな指が中央大陸に見立てた靴の北側でバツを描く。
姉妹は揃って厳しい顔を見せる。しかし二人の口ぶりに違和感を覚えた。まるで最初からこのルートが存在しないかのような口ぶりだった。確認の為にそのルートを指摘する。
「あのさ。素直にまっすぐ中央を進むのは無理なの?」
僕の指は靴の端から端へと真っ直ぐ横切る。二人はああ、という顔を浮かべた。まるで、皆が知っているタブーを口にしたように僕を見た。
「ご主人様。説明不足で申し訳ありません。……いまご主人様が提示したルートは一番危険です」
「中央大陸の中央部はね、昔起きた戦いのせいで陸地が無くなって海になっているの。ネーデで聞いたことない? 内陸湾の事」
言われて思い出した。オルゴン亭の女将が釣り上げた魚の場所を内陸湾と呼んでいたことを。
「海岸線から地引網をする分には問題はありませんが、内陸湾を横切ろうとすれば、そこは上級モンスターの縄張り。とてもじゃありませんが生きて帰れる保証はありません。だれも船を貸してくれません」
下級寄りの中級とオルドが評していたバジリスク亜種の幼生が脳裏をよぎる。あれよりも強いモンスターの縄張りを越える勇気は僕には無い。だとすると中央大陸の東西は見えない壁に隔てられていることになる。
「だとするとさ、この西側にはどうやって行くの?」
「ルートは幾つかあります。まず一つが海岸線に沿って行く方法です」
細くて長い指が靴の側面を撫でる。
「ですが、これは確実とは言えません。定期便が出ているという話も聞きませんからこの航路を進む船の持ち主と交渉して乗せてもらう必要があります」
「……確実とは言えないのか。他にはなにかある?」
問いかけると、レティが僕のシャツを折りたたむと、中央大陸の下に置いた。これも大陸を見立てている様だ。おそらく位置関係から南方大陸だと思われる。
「ある意味確実なのが南回りのルート。一度南方大陸を経由してから中央大陸の南に上陸するの」
「ちょっと待って。その南ってさっき言っていた鎖国している国の事だよね。入国は出来ないんじゃないの?」
「陸路からの入国だけを拒否しているんだよ。国に二つある港だけは外来船の受け入れをし、そこで手続きさえすれば監視付きだけど国内を進み学術都市がある西側に出国することが可能なの」
つまり、レティの話をまとめるとこうだった。まず東方大陸の中央部から北寄りのアマツマラを出発。大陸を南に縦断して南方大陸に行く船に乗る。南方大陸に着いたら今度は大陸の北側を目指して旅をする。
南方大陸の北側にある港から中央大陸へと渡り、監視されながら陸路で出国。そして学術都市へとむかうと。
「随分、遠回りだね」
この世界の大きさがどれほどか分からないがそれでも短い距離とは言えないはずだ。
「でも、ご主人さまの世界を見て回りたいって願いも叶えられるよ?」
得意げな表情を浮かべて僕に投げかけた。どれぐらいの日数がかかるか分からないが、急ぐ旅でもない。気長に道中の景色や食事を楽しみながら行けばいいかと気楽に考える。そう考えればこのルートも悪くないように思えた。
すると、今度はリザが手を上げた。僕は彼女に水を向ける。
「ご主人様はこの先仲間を増やすつもりはありませんか?」
言われて、やっぱりそれを指摘したかと思う。正直、仲間を増やすつもりは無かった。理由は《トライ&エラー》だ。死んでもやり直せる力は僕の手に余る。いつか、この力をもってしても変えられない死の未来に誰かが巻き込まれた時に僕はその人を救うために死ねるかどうかいつも悩んでいる。
目の前にいるエリザベートとレティシアの為ならそれは出来る。でも、単なる仲間の為に心を傷つけるイタミと向き会えるかと問われたら答えは否だ。
その時が来たら僕は仲間とて見捨てるだろう。
そして、絶対に見捨てた事を後悔してしまう。心に十字架を背負って生きる事になる。結局見捨てれば地獄。見捨てずにいても地獄が待っている。
押し黙った僕を不思議そうに見つめる二人。
「今のところは仲間を増やすつもりは無い。だけど……リザから見てこのパーティーに人材が不足していると思う?」
「はい。そう思います」
力強く断言されてしまう。僕よりも戦いについて詳しい彼女の言葉だ。聞く価値はある。リザは淡々と言葉を継ぐ。
「万全を期すためにも出来る事なら、壁役や囮役、道具の運搬役などの専門職が欲しいですけど、一番は中距離で敵と戦える人材が欲しいです」
正論だと思えた。前衛が二人に支援回復の魔法使い一人とバランスが悪いのは明白だ。前衛二人の内一人はレティに着いていないといけない為、もう一人戦える人材は確かに欲しい。
「そうすると、魔法使いとか弓使いとか?」
「槍使いも悪くありません。レティにボウガンを持たせて戦う方法もありますが、そうするとレティに負荷がかかりすぎます」
「回復役に支援役に中距離役。三つも同時にこなせないよ!」
悲鳴を上げるレティ。確かにこのパーティーに中距離以上を任せられる人材は居ない。僕が弓を使えるようにするという案も却下された。素人が簡単に使いこなせる武器では無いとの事だ。
「この場合どうするべきだと思う?」
何だか質問ばかりしているなと自分でも思ってしまう。顎に手を当てて考えていたリザが口を開いた。
「どこかクランに入ると言う手もあります。例えばしばらく『紅蓮の旅団』に入るというつもりはありませんか」
「……悪くは無いけど、あそこは迷宮に潜るのをメインにしていないクランだよ」
これはファルナから聞いていた事実だった。意外な事に大規模クランは日々の活動としてはあまり積極的に迷宮に潜らないそうだ。クラン全員を食わす為に稼ぎの良いクエストを行いつつ、レベルが低い冒険者の為のレベリングの為に迷宮に潜るそうだ。
それにオルドを始めとする『紅蓮の旅団』の上位の冒険者たちがその辺の迷宮に挑めば出費の方が大きくなるそうだ。もし、僕らが『紅蓮の旅団』に所属すればレベルを幾らかあげた時点でどこかの部隊に配属されてクエストをこなす日々になってしまう。それでは帰還の方法を調べる暇は無い。
「そうですか……それでは手段としては二つです。一つは金銭のかからない方法で仲間を増やします」
リザは一拍の後、言葉を継ぐ。
「例えばギルドに赴き、低レベルの冒険者をスカウトする。運が良ければ故郷を離れて旅をしても良いと言ってくれる冒険者が居るかもしれません。もう一つは戦奴隷を購入することですね」
「戦奴隷をもう一人か」
思い出すのはハインツさんの所に居た黄金の瞳を持つ、『気狂いの王女』。そういえば彼女は魔法使いだったな。ハインツさんも手放したがっていて安くするとも言っていた。あの呪詛に目を瞑ればお買い得かもしれない。
すると、急にリザが冷たい目で僕を見る。
「ご主人様、昼間の奴隷を思いだしていませんか」
酷く冷たい響きを孕んでいた。
言い当てられて心臓が飛び出しそうになる。動揺を顔に出さないようにこらえつつ、そんな事ないと返した。
まだ疑りの眼をこちらに向けるリザ。女の勘は恐ろしい物だと身に染みて分かった。
「……はぁ。とにかく、今のメンバーで迷宮に挑むのは難しいと思われます。できれば中距離を任せられる人。もしくはもう一人前衛で戦える人が居てくれた方が安全です」
たしかにリザの言うとおりだ。前衛がもう一人増えるだけでも楽になるのはこの旅を通じて痛いほど身に染みている。縦横無尽に動き回り、僕らの隙を埋める様に動いてくれたファルナのありがたみを今更ながらに理解できた。
リザが纏めてくれた内容を頭の中に刻み込む。それから彼女たちの主として宣言する。
「分かった。僕らの今後の方針として、まず、仲間を増やす。そして精霊祭が終わった後は南回りで中央大陸の学術都市を目指す。二人ともそれでいいかな?」
「異存ありません、ご主人様の思うとおりに」
「良いと思うよ。いい人を見つけて、楽しい旅にしようね、ご主人さま」
口々に同意してくれた二人を見ていると、先の見えない旅だけど興奮を感じていた。一方で、やはり仲間をもう一人増やすことに抵抗を感じている自分が居るのも事実だった。
もういっその事、死んでも見捨てられそうな人材を見つけようかと暗い考えすら浮かぶ。だけど、そんな奴でも見捨てたら見捨てたらで結局後悔する自分が容易に想像できる。
どうしたもんかと悩んでいるとき、控えめにドアがノックされた。
読んで下さって、ありがとうございます。




