閑話:冒険王 立志編Ⅴ
「《我、雷帝に希う。御身の矛より殲滅の雷を》」
まるで讃美歌を歌う合唱隊のようなきらびやかな言葉の粒に、頭目の顔から余裕と傲慢ははぎ取られた。明らかに狼狽した様子で、男は手の鎖を放つ。鎌首をもたげた蛇のような一撃は、しかし親父さんは軽やかに避けた。
「《其の雷は、我が敵を焼き尽くし地上に平穏をもたらす鐘の調べとなろう》」
「誰でもいい、魔法を使わせる前にあいつを殺せぇえええええ!」
絶叫は親父さんの詠唱を遮る事は出来なかった。頭目の悲鳴まじりの命令に部下たちは動く事が出来ない。
魔法。
それはエルドラドにおける神秘の一つにして、究極の一であった。
選ばれた人間にしか使えず、高位の術者となれば戦争の勝敗すら変えかねない人間兵器と呼ばれる。どこの国もこぞって有望な魔法使いをかき集め、育成し、軍事力を強化しているという。
その位の知識は、エイリークも奴隷時代に外から来た人より聞いていた。反乱時には魔法使いと相対して、その脅威は十分に体験していた。
それでも親父さんから湧き上がる力の奔流が、あの時の魔法使いとは比べるのも烏滸がましい。清涼でありながら、途轍もない巨大な量。あの時の魔法使いが水たまりならば、親父さんから感じるのはダムの如き圧力だ。
肌に突き刺さる威圧感だけで死んでもおかしくない。野盗の部下たちが動けずに居るのは、そのせいだ。
「くそがっ! こんな村に、技能持ちだけじゃなくて、魔法使いもだと!? 《絡み取れ、腐臭漂う泥濘よ》!」
再び頭目の技能が発動された。前回よりも距離があるエイリークの元まで地面が腐ったような臭いが届いた。どうやら範囲を最大に広げて発動したらしく、野盗たちにも効果が及んでいた。
しかし、肝心の親父さんまでは届いていない。朗々と紡がれる詠唱に淀みは無かった。
「《ここに顕在するは、白色の雷なり》」
最後の詠唱を紡いだ瞬間、それまで場を圧倒していた威圧感がぱたりと消えた。だが、消失したのではないと直ぐに思い知らされる。溜めこみ練り上げた力が、別の神秘へと昇華された。
「《デモリションライトニング》!」
完成された魔法は夜空を白く輝かせた。幾筋もの雷が地面に向かって落とされていく。まるで土砂降りの雷だ。
だが、その雷も地面に近づくにつれ、より正確に言うならば頭目に近づくにつれて速度を失っていく。
魔法すらも絡め取る技能。その結果に頭目は引きつった笑みを浮かべた。
頭目の持つ技能、《泥ノ園》Ⅲは自身に向かってくる物の速度を奪う。近づくにつれて物体は速度を失っていき、遠ざかると速度は元へと戻る。
残念ながら決して零にはならないため、膨大な時間さえかければいずれ辿り着くが問題ない。
これの真価は攻撃の一切を無効化できるという点だ。
相手は近づくにつれて速度を失っていき、攻撃が届くまでの時間を稼げる。そうなればいくらでも対処できる。仮に届いたとしてもその時には威力は弱体しており大したダメージにはならない。
加えて、鎖という変則的な武器を用いる事で相手との距離を支配して適切なタイミングで技能を発動できる。考え抜いた末の運用方法であり、これまでは問題が無かったのだ。だが、一つだけ天敵と呼ぶ存在はあった。
それが魔法だ。
魔法は速度を殺したとしても威力が弱まらない種類もある。炎の魔法などはその最たるものだ。鎖の届かない距離から一方的に放たれれば逃げるしかない。
とはいえ、この時代において魔法使いは国に属し、出くわす事は滅多にない。そう考えて対策を取って来なかったツケを男は払わされる。
親父さんが放った魔法から逃げなくては。
失敗すれば自分の命が潰える。
頭目は、降り注ぐ雷に対して懸命に体を動かす。魔法の軌道から、どこに落ちるのか先読みをして、安全地帯を見出して、そこに飛び込もうとする。その判断は間違っていないが、しかし初手から間違えていた。
彼はこの男と対峙した時に逃げておくべきだったのだ。
自身へと向かってくる雷の速度は遅くなっていたが、地面へと落ちて消えたはずの雷が蘇ったのだ。数十、あるいは百にも及ぶ雷が足元からせり上がり狙いを定めていた。
まさに、三百六十度、全方位からの狙撃。逃げ場など無かった。
魔法の精密な操作は術者の力量次第だ。放たれた魔法の難度と威力、そして規模に比例して操作は困難
になる。前二つがどれ程なのか頭目は知らないが、辺り一帯に雷を降り注いでいる時点で普通の魔法使いではないと悟った。その上、雷一つ一つにまで神経を通したように操っているというのは常軌を逸していた。
噂に聞く、王国が抱える魔法使い部隊。あるいは秘境の地に篭っているという老魔術師。もしくは魔人種の傭兵部隊。そんな眉唾の噂話すら一蹴する怪物と出くわしたのだと己の不運を嘆いた。
幾十、幾百の雷があらゆる角度から頭目を取り囲み、外から見れば白色の球体が完成した。たった一人を殺すのにはあまりにも過剰な檻はゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと動く。
囚われの頭目が放った技能がこの状況を生み出していたのだ。もしも、《泥ノ園》を使わなければ、あっという間に雷は体を貫き、骨も残さずに楽に死ねただろう。
だが、《泥ノ園》を使った事で死への旅路が極限まで引き伸ばされた。明確な死が秒単位で迫ってくる光景を前にして、頭目は悲鳴を上げず歯を食いしばった。腐っても、野盗共の頭目としての意地だろうか。
誰もが頭目の死という結果に固唾を飲んで見守る中、術者である青年だけは違った。
帽子を深く被り直し、ため息を一つ吐くと指を鳴らした。
その音が引き金として、魔法が霧散した。
跡形も無く、最初から存在しなかったように白色の雷は姿を消し、処刑寸前だった頭目が尻餅をついた。どこも雷を浴びていない。
どうやら《泥ノ園》も解除したのか効果が切れたようだ。
「……い、生きてるのか、俺は」
信じられないとばかりに呟いた頭目はそのままの姿勢で親父さんを見上げた。瞳には戸惑いと怯えが混じっていた。
「そうだ、生きているぞ。生かしてやった。……というよりも、生かさざるを得なかったというべきか。こっちはこっちで面倒な事情があってな。人を殺せないんだよ、俺は」
唐突な告白に野盗たちはもちろん、エイリークですら何を言っているのだと困惑した。
「そういう決まりでな。悪いんだが、これ以上付き合っているのも面倒なんでさっさと帰ってくれないか。見逃してやるから」
「な、なに馬鹿なこと言ってやがるんだ!」
野良犬を追い払うように手を振った親父さんに野盗共が猛る。手にした武器を振り回して、恫喝する。
「てめぇが人を殺せないって言うなら、こっちには都合が良いじゃないか! そんな腰抜け、俺がぶち殺してやる」
明らかに見下した発言だ。それも仕方ない。何しろ自分で、自分は人を殺せないと告白したのだ。先程の魔法で下がった士気は幾らか持ち直し、反撃に出ようとする。
坂を上る野盗に対して親父さんは肩を竦め、
「《踊れ、踊れ、踊れ。薪はくべられた》」
再び響く詠唱。一瞬、足を止める野盗だが、それをハッタリだと彼らは捉えた。
頭目にした時と同じで、途中で魔法を止める。ならば恐れる理由も無いと意気軒昂に意味不明な雄叫びを上げながら突進した。
「うぉおおおお――――おおっ?」
それが失速したのは、男の足が片方この世から消えたからだ。
「《ダンスファイア》」
親父さんが完成させた魔法が、小さな火球が野盗の右足に触れるや否や巨大な塊となって焼き尽くしたのだ。バランスを崩して倒れこむ男の口から絶叫が上がった。
「ぎゃあああああ!! 熱い、痛い、なんで、どうして」
「なんで? どうして? お前、馬鹿か、馬鹿なのか、そうか馬鹿だったのか。馬鹿ならしかたないな」
痛みで喚き散らす野盗に対して、親父さんは冷ややかに告げた。
「俺は殺せないだけで、お前らを傷つけないとは一言も言ってないぞ。例え、両手両足をもぎ取られ、目を潰され鼻を削がれ歯を抜かれたとしても生きていれば、それで問題ない。俺はそれが出来て、お前ら相手に実行するのに何の躊躇いも無い」
続けて、親父さんは斜面で喚く野盗の無事な片方の足を指差して、
「お前、バランスが悪いな。よかったら、ちゃんと揃えてやろうか?」
と囁いた。それは張り詰めた風船を針で突いたように野盗たちの士気を著しく下げた。
この男は本気だ。これ以上は関わり合うべきじゃない。
「……お前ら、引き上げだ。持てるもんだけ持って、退くぞ!」
頭目の言葉に彼らは明らかに安堵していた。手近にあった略奪品を掴み、動けない仲間に手を貸して一目散に逃げていく。頭目は何かを言いたそうにエイリークと親父さんを見つめるも、言葉が出なかったのか背中を向けた。
「にーにー! さっき言ったこと、忘れないでくれ。俺達、待ってるから」
「来てくれよ、絶対に来てくれよ!」
「お前ら、何やってるんだ。早く行くぞ!」
引き上げていく野盗たちの中にはネズとデクノの姿もあった。彼らは他の仲間に引きずられるようにしながら、声を枯らして叫び、次第に遠ざかっていた。
後に残ったのは骸と炎、そしてエイリークと親父さんだけだった。
「手間かけさせんじゃねえぞ。ほれ、俺達もこれ以上は此処に居られねえ。行くぞ」
火の手はますます強くなり、黒煙が夜空に吸い込まれていく。この勢いならば朝まで火は止まらない。そうなれば、遠くの村にも異変が知れ渡り王国の兵も派遣される。その前に少しでも遠くへ。
だが、エイリークの様子がおかしかった。親父さんが不審そうに近づくと、エイリークは剣を構えたまま、立って気絶していた。何時からなのか分からないが限界を迎えていたのだ。
「なるほど、コイツは頑固な奴だな」
呆れかえりながらも、親父さんはエイリークを軽々と持ち上げて運ぶのだった。
目が覚めた時、全身くまなく痛みが走った。
皮膚はすりおろされた所に辛子を塗られたようにひりつき、身じろぎするとどこかの骨が悲鳴を上げ、それに連鎖して他の箇所も痛み出す。
「あれ、目を覚ましたの?」
痛みで寸断されそうになる意識を繋ぎとめたのはどこか能天気そうな子供の声だ。目を開けば、顔を覗き込むオルタナと視線が合った。彼はにこりと笑うと、
「もう大丈夫だよ。ここは安全さ」
「……ここは……どこなんだ」
「村から北の方角にしばらく進んだ場所さ。兵士から逃げるのにこっちに来るしかなかったんだ。大変だったよ、君は起きないし、お父さんは面倒だって昼寝ばかりで」
一転して膨れ面を作るオルタナだが、エイリークは構っている余裕はない。彼は無理やりにでも体を起こそうとするが、腕に力が入らずに地面へと倒れこんだ。
「駄目だよ、まだ動いちゃ。骨折とか、治りかけなんだから。体力も戻ってないだろうし、いまは休んでおくのが良いよ」
そう言って、用意した回復薬を飲ませようとするが、エイリークは包帯を巻いた腕で振り払った。
「休んでなんか、居られない。早く、行かなくちゃ。こうしている今も、皆が、デクノが、ネズが、また誰かを殺している」
「そのためなら、兄弟を殺すという訳か。見た目と違い、本性は随分と過激な奴なんだな」
止めていた馬車から降りた親父さんにオルタナは咎める視線を向けたが、息子を意に介さずに男は重ねて言う。
「それで? その体で行って、どうするつもりなんだ。兄弟を殺すにしても、またあの頭目にやられて終わるだけだぞ。このご時世、兵士でもないのにあそこまで戦える奴は珍しい。ありゃ、どこかできちんと戦闘訓練を積んだ奴だ。今のお前が戦っても、千に一つも勝てないぞ」
淡々と告げられた内容は非情なれど正鵠を射ていた。
このまま闇雲に突き進んだとしても返り討ちに遭うのは目に見えていた。だからといって、諦める訳にもいかない。
兄弟がこれ以上その手を汚す前に、彼らを止めなくてはいけない。
エイリークは痛む体を押して親父さんの前に出ると、頭を下げた。
それを男は冷ややかに見つめた。
「……なんの真似だい、そりゃ。見た事ない儀式だな。俺を呪い殺すつもりか」
「俺の知っている頼みごとの作法です。どうか、貴方の魔法を俺に教えて下さい」
自分が完膚なきまでに敗北した相手をああもあしらえた親父さん。その力の源と言える魔法があれば、今度こそ勝つことが出来るはずだ。
藁にも縋る思いで頼み込むが、親父さんは首を横に振った。
「てめぇに魔法を教えてやる筋合いはないし、そもそも一朝一夕で身に着けられるもんでもない。仮に手に入れたとしても、初歩の初歩。生半可な技なら、無い方がマシだ」
魔法の存在が知られている割に多く広まっていないのは、習得に天性の才能と素養、そして長い時間を掛けた修練が必要だからだ。各国が軍事力増強としてこぞって養成しているが、物になる魔法使いなど数百人に一人の割合でしか誕生しない。
むしろ一族全員が魔法使いとしても、戦士としても大成できる魔人種が異常なのだ。
その事実を告げるが、エイリークは頭を上げようとしない。親父さんもまた、己の意見を翻すつもりはない。このままでは平行線だと思われた時、
「だったら、こうすればいいんじゃないかな」
と、気の抜けた声が割って入った。
オルタナは馬車の中に飛び込むと、荷物から墨と筆を取り出した。頭を下げたままのエイリークの袖を捲ると、素肌に何かを記していく。
「オルタナ? これは何を書いているんだ」
「いいから、いいから。っと、これで完成」
鼻歌まじりで書かれたのは、絵とも文字とも見分けが付かない文様だ。それはエイリークの手首をぐるりと一周していた。手で触れようとすると、消しちゃ駄目だとオルタナに止められた。
「そのまま、空に向かって手を伸ばしてみてよ」
「……おい、オルタナ。お前さん、なにをやろうとしているんだ」
親父さんの口から聞いた者をぞっとさせるような声がするも、オルタナは動じない。動こうとしないエイリークの手を無理に取り、天に向かって突きださせた。
「そうそう。そしたら、こう言って。――――ってね」
耳元で囁かれた言葉の意味を理解できないまま、エイリークは繰り返した。
「《超短文・低級・火球》」
瞬間、エイリークに記された魔法式が作動した。彼の体内を循環する精神力を吸い上げ、式に組み込まれた魔法言語にそって定められた魔法を発動させた。
エイリークの掌から、ボールほどの大きさの火が放たれ、青空へと吸い込まれた。
それは紛れも無く神秘の技、魔法だった。
あり得ざる光景に、エイリークはもちろん、親父さんも唖然と言葉を失った。
ただ一人、初めと変わらない屈託のない笑みを浮かべた少年は、何でもない風に言う。
「ね? これならエイリークでも魔法が使えるよ」
それは後の世において、新式魔法と呼ばれる技術が産声を上げた瞬間だった。
読んでくださって、ありがとうございます。




