9-23 エトネの目標
極力、音を立てないようにして近づいたつもりだったが、エトネ相手に通じなかった。短い尾が立つと、エトネがぐるりと振り返った。
「おにいちゃん。きたんだ」
「ああ。隣、いいかな」
尋ねると彼女は首を縦に振った。
夕日を背景にしたエトネは、予想とは違って涙を流していなかった。集落の人々からむき出しの憎しみを浴び、故郷から拒絶され、父の墓前と言う事もあって悲しみに暮れているかと思ったが違った。
だが、そうじゃないとすぐに分かった。近づき、彼女の横に座れば、眦が赤くなり、頬を涙が伝った跡が幾筋も残っていた。地面には雫の落ちた跡もある。
やはり、涙を流していたが、自分がここに来たことで拭ったのだろう。そう考えたレイは、視線を墓の方へと向けると、その横に掘り返した跡があるのに気が付いた。
「……これは?」
「それは、おかあさんのいはつを、うめたの」
エトネの上ずった声に、よくよく見れば彼女の指先は土で汚れていた。素手で掘ったのだろうか、爪の先にまで土が詰まっていた。
「あのもりに、おかあさんをうめたとき、かみをひとたばきったの。もしも、ここにもどってくることがあったら、そのときはおとうさんのとなりに、うめてあげたかったの」
「そうだったのか。……ここで、母親と、しばらくの間暮らしていたのか」
「うん、そうだよ」
エトネは振り返ると、暗い闇しか見えない洞窟を懐かしそうに見つめた。
「もともと、あのどうくつは、ひじょうじのたくわえをおいておくばしょだったの。なにかあったときにって、おとうさんがよういして。だから、やまがもえて、すむばしょもなくなっても、しばらくはだいじょうぶだった」
「用意が良いおとうさんだったんだね」
「うん。おとうさんは、ほんとうにすごいんだよ。このやまの、すみずみまでしってって、どこにどんなしょくぶつがはえてて、どこにけものがあつまりやすいのか、そらをみて、あしたのてんきをあてられたんだよ」
幼い少女は、身ぶり手ぶりを交えながら、いかに自分の父親が凄いのかを熱弁する。レイはそれを頷きながら、時に驚きながら、感心しながら話に耳を傾けた。
エトネの口から、家族の事が出るのは二度目だ。
初めて会った時以来の事だ。
恐らく、思い出す事で失った悲しみと向き合うのを無意識に避けていたのだろう。話すにつれ声は詰まり、目に涙が溜まっていた。
「それで、それで、おとうさん、いつも、いってたの。さとのひとに、いっぱい、いっぱい、おせわになったって。だから、おんがえし、しないと、いけないんだって」
彼女の滲む視界は、眼下の光景を映し出していた。
墓前の向こうは、レイが昇って来た斜面がすそ野へと伸び、狼人族の集落が一望できる。夕日が世界を赤に落し、流れ出した血液のように土砂が民家や畑へと伸びている。
「おとうさん、が、いきてた、ころ。よく、ここから、しゅうらくを、みてたの。このじかん、たいになると、おしごと、おえたひとや、あそびおわったこが、おうちにかえるの」
その光景は容易に想像できた。一日の勤労を終え、互いを労わりながら家路に付く大人たち。その歩みを追い越すように子供らが駆けていく。家族の待つ家からは炊煙が昇り、どこからともなく夕食の匂いが漂い出す。
そんな幸せな風景。彼女はそこに飛び込むことが出来ずに、いつも此処から眺めていたのだろうか。確かに、父母と共に暮らした日々は、彼女にとって幸せだったはずだ。それでも、同じ年ごろの友達も居ない生活は、寂しかったはずだ。
目と鼻の先で、楽し気に遊ぶ同年代の子供を見て、何を思っていたのだろうか。
「エトネは、ひとり、だったから、あこがれ、て、たんだよ。みんなと、いっしょになって、あそぶのを。おうたを、うたって、どろんこになって、それで、おかあさんのまついえに、かえるの」
近くて遠い温もり。それも今や過去の話だ。
無慈悲な自然災害は、彼女の焦がれた風景を飲み込んだ。大きく様変わりした故郷は、彼女を許さず、拒絶した。
「……でも、ぜんぶ、エトネ、の、せいで、なくなっちゃ、った」
嗚咽は止まらない。
我慢していた涙が堰を切った様に流れ出し、地面へと吸い込まれていった。
「エトネの、せい、で、こん、な。ごめ、ん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
―――ああ、同じだ。
顔を伏して、涙を流して謝罪の言葉を繰り返す彼女を見て、レイはそう思った。
《トライ&エラー》の副次効果である因果を重ねてしまう力。過去へと死に戻る事で、同じ場所に絵の具を塗り足して厚みを増してしまうように、自分は良く無い物を引き寄せやすくなる。
シュウ王国で起きたスタンピードが自分のせいで起きたのだと、自分を責めて罪悪感を膨らませた。その時の自分とエトネの姿が重なってしまう。
(あの時僕は……そうだ。あの人に助けられたんだ)
記憶が甦ると同時に口の中を、少し苦みのあるコーヒーの味がしたような気がした。
レイは全身の水分を流し尽しそうなエトネの背に手を当てた。
小さな背中だ。
ほんの何かがバランスを崩せば、あっという間に潰れてしまいそうな背で、彼女はこの災害の責任を負いこもうとしているのだ。
それは―――間違っている。
「エトネ。もしも、君が、この状況を引き起こしたんだと思っているなら、それは間違っているよ」
「な……なんで。だって、エトネが、おかあさんが、いたから、こんな」
「山火事は、そうかもしれない。君達母娘が居たから、起きた出来事だ。でも、この土砂崩れは、ただの自然災害だ」
「でも、やまかじが、なければ」
「無くても、土砂崩れは起きたかもしれない。元々、地盤が緩くて、長雨に見舞われれば何処かで崩れていた山かもしれない」
山火事が起きた後の長雨は、土砂崩れを引き起こしやすい。それは一つの事実ではあるが、絶対の真実では無い。例え山火事など無くとも、土砂が崩れる事は起こり得るのだ。
「時期が近かっただけで、皆は、君も含めた多くの人は、山火事を起こした君達母娘に責任を求めているけど、そんなの自分たちが受けた苦しみを、怒りとして発散しているだけだ。そんなのを、馬鹿正直に受け止める必要なんてない」
「でも、でも、でも」
分かっている。
これが、ただの屁理屈であり暴論でしかなくて、何の救いにもならないのは。他ならぬレイ自身が理解していた。
だからこそ、彼はかつて自分が通った道を歩むだろう彼女に、こう教えるのだ。
「それでも。君がこの悲惨な状況に責任を感じるなら、謝るんじゃなくて、行動するんだ」
一人の女性が居た。
死ぬ度にやり直しが出来る自分なんかを、身を呈して助けてくれた女性。その人は代償として、一つしかない命を散らした。
レイは彼女の死に責任を感じ、どうにか報いたいと考え、彼女の意思を継いだ。
ダリーシャス・オードヴァーンを王に。
それがナリンザの願いだと思って。
そうする事こそが、死んだ彼女に対する責任の取り方だと信じたのだ。
「こう……どう?」
考えてもいなかった言葉に彼女はきょとんとした目でレイを見つめた。自己嫌悪に陥っている時、人は思考が内向きになってしまう。だから、自分が悪いとだけ思考が同じところを延々と彷徨ってしまう。
「そうだ。エトネが、この災害を自分のせいで起きたと思うのなら、ここの人たちの為に何かをしてあげるんだ」
「なにか、ってなに?」
「それは……まだ思いつかない」
レイは困ったとばかりに頭を掻くと、エトネは目を丸くして、次の瞬間には顔をくしゃっと笑った。
「なに、それ」
そう言って、くすくすと笑う。やっぱり、この子は泣いているよりも笑っている方が似合っている。
エトネはしばらく笑い、そして落ちきらなかった涙を拭い、鼻をすすると、レイに向かって、
「うん。おにいちゃんのいいたいこと、なんとなくだけど、わかった。おとうさんが、しゅうらくのひとに、おんがえししたように、エトネも、つぐなえばいいんだね」
一息入れると、彼女は続けた。
「でも、いまのエトネじゃ、なんにもできない。まだ、もじだって、ぜんぶおぼえてないし、かくなんて、ぜんぜん。たしざんはできるけど、ひきざんはちょっとまちがえるし、いっぱい、いっぱいおぼえないと、いけないことがある。まなばないと、いけないことがある、とおもうの。だから、おおきくなりたい。おおきくなっていろんなことができるようになりたい。そしたらこのばしょにもどって、みんなにつぐないをしたいの」
真っ直ぐな瞳で、そう宣言した彼女に、レイは尊敬の念を抱く。つい先程まで、あっという間に潰れそうだった小さな体を内から押す強さが感じ取れた。
それはリザやレティ、シアラが持つのと同じ、芯のある強さだ。
今は未熟で、何もできないと自分を冷静に見つめ、その上で成長した時にはきっと故郷に戻り、身を粉にする覚悟を好ましく思う。
「……エトネ、僕の話を聞いてくれるかな」
問いかけに、彼女は不思議そうにするも頷いた。レイは、どう切り出すべきかと考え、そして口を開いた。
「僕は、ここで君と別れるつもりだった。ううん、別れるべきだと考えていた」
息を呑む音がレイの耳朶にまで届いた。傷つけたかもしれないと思いつつも、話を続けた。
「この先、旅は過酷さを増すだろう。『六将軍』や『魔王』とは明確に敵対したし、封印の解かれた『龍王』なんかも居る。その中で《トライ&エラー》の恩恵を得られない君は、死ぬかもしれない。そして何より、僕には時間制限がある。四年半後、君達を置いて、僕は元の世界に帰ってしまう」
レイは墓前の方へと視線を向けた。そこに眠るエトネの両親へと思いを馳せた。
「今なら、君とちゃんとした別れ方が出来る。そう考えて、納得して、君と別れる準備をしようとしていた。でも、それが間違いだと教わったよ」
最も重要で、基本的な事を抜け落ちていた。そこを無視して考えているから、無理が生じていたのだ。
「エトネ、君がどうしたいのか。僕はそれを聞きに来た」
この一言を告げるために、随分と遠回りをして、悩んでいた。だが、口に出せば気持ちが収まるべきところに収まった。
エトネは萌黄色の瞳に強い意志を宿し、ゆっくりと自分の気持ちを告げた。
「おにいちゃんやリザおねいちゃん、レティおねいちゃん、それにシアラおねいちゃん。みんなといっしょにたびをしたい。みんなといっしょにたびをして、おおきくなりたい、です」
そして、一転して不安そうな顔をすると、
「だめ……かな?」
「駄目なもんか! 喜んで!」
レイが言うと、不安そうな表情は一瞬で吹き飛んだ。幼い顔は満開の花びらのように綻び、彼女はレイの胸へと飛び込んだ。頭を押し付けるようにしたのは、顔が喜びでどうしようもなく崩れてしまうのを隠すためだが、耳と尾が嬉しげに揺れているため一目でばれてしまった。
ひとしきり喜んだのを見計らい、レイはエトネの体を持ち上げ、目線を合わせた。
「それじゃ、改めて。よろしくね、エトネ」
「うん。おねがいします、おにいちゃん」
いつの間にか集落は薄闇へと包まれていた。家々に明かりが付き、足りない場所にはかがり火が足されていく。斜面の入り口で待っているシアラは苛立ちを隠そうともせずに足を揺らしていた。
「主様ったら、何時まで掛かってんのよ。まさか、おちびを見失ったのかしら。それとも……ああ、もう!」
「あまり、苛立たないでください、シアラ。人目を集めています」
窘めるリザの言う通り、遠巻きで集落の人間が三人と一匹を見つめ、声を潜めて囁いていた。距離があるため何と言っているのか分からないが、どうせ碌でもないのだろうとシアラは鼻を鳴らした。
「……あ、ご主人さまたちだ」
一人で斜面の方をじっと見つめていたレティの言葉に二人が素早く反応する。振り返れば、斜面に対して跳ぶようにして降りてくる影は、レイだ。
その背にエトネがしがみ付いていた。
二人が揃って降りてきた事にホッとするも、問題はまだある。
レイとエトネがどのような結論になったのか。二人の元に集まったリザとシアラはどう切り出せばいいのか言葉に悩んだ。
(ちょっと、リザ! アンタが切り出しなさいよ)
(そんな起爆寸前のケラブノス石に手を伸ばすような行為、私には無理です!)
小声で囁き、肘で相手を誘導しようとする二人を見て不思議がるレイとエトネ。そこを強引に割り込んだのは、レティだ。
「お帰りなさい、二人とも。それで、どうなったのかな。エトネは、この後どうするの?」
「「レティ!?」」
よくぞ聞いたと思う気持ちと、そんなにずばりと切り込むのかと慌てる思いがない交ぜになったリザ達だが、エトネは落ち着ていていた。レイの背から降り、三人の前に出ると、
「エトネはおにいちゃんたちといっしょにたびをつづけることにしました。だから、あらためて、よろしくおねがいします」
と、言って頭を下げた。
「やっぱり、こうなったか」
半ば予想していた結果にレティが嘆息すると、エトネは目を潤ませた。
「……エトネがいちゃ、だめ?」
「そんな事ないよ! 大歓迎だよ!」
エトネに飛びつくようにして抱き締めるレティ。幼い二人はそのまま、喚声を上げて喜びをあらわにした。
「ふ、ふん。まあ、四人だとあの馬車は広すぎるし、おちびがいて、丁度いいくらいね」
「素直じゃありあませんね。唇の端、笑っていますよ」
「うっさいわね、リザ!」
シアラの視線から逃れるようにリザは前に出ると、レティは場所を姉に譲った。
「貴女が居なくなるのは、やはり寂しいです。だから、共に旅を続けられるのを私は喜ばしく感じています。これからもよろしくお願いします」
堅苦しい挨拶だが、エトネにも気持ちは伝わったのだろう。手を伸ばし握手をすると、リザはシアラに場所を譲った。
彼女は紫がかった黒髪をいじりつつ、顔を背けていた。そんなシアラに、レイやリザ、レティや、何よりエトネの視線が突き刺さった。
その視線に根負けしたように、彼女は金色黒色の瞳をエトネに向けた。
「……気持ちの整理は付いた?」
「……まだ、ぜんぶじゃないけど、いろいろとかんがえはまとまったかな。どうしたいのか、もくひょうもきまったよ」
「そう。なら、アンタは大丈夫よ。その目標がどんなのかは知らないけど、アンタが頑張って来たのを、ワタシ達は見て来たんだから。きっと、アンタはアンタの望む人間になれるわ。それまでの間、よろしくね」
シアラは言うと、エトネの頭を撫でた。緑と灰色が混じる髪が乱れ、少女はくすぐったそうにした。
「うん。いろいろとおしえてね、シアラおねえちゃん」
「ええ。分かったわよ、エトネ」
そう言うシアラの表情はどこまでも穏やかだった。
エトネが《ミクリヤ》に残るのが決まり、夜も更けてきた事を受けてレイ達は大長の庵へと歩き出した。ところが、その途中にある広場に人が集まっているのを見て、足を止めた。
人垣の奥には馬に乗った犬人族が居た。
獣人種の国とは言え、集落全員が狼人族の中だと逆に目立っていた。
「なにか、あったのでしょうか」
「かもしれないね」
相槌を打つと、レイは人垣から離れた場所に大長が立っているのに気が付いた。集団から離れて、全体を観察している様子だ。周りに人が少なく、話を聞きだせると踏んで、レイ達は近づいた。
「ほほう。どうやら、一件落着の様子で」
大長はレティと手を繋ぐエトネを見て、嬉しそうに呟いた。
「おかげさまで。それで、これは何の騒ぎなんですか」
「ああ、何でも食料泥棒が出没しているとの報せですわ。あの犬人族の集落は、ここから近いのですが、そこがやられてしまい、近隣の集落に知らせて回っているのです」
「食料泥棒。それにしては、随分と殺気立っている様子で」
集まった狼人族は、手に武器は持っていないが、拳を握り、歯をむき出しにして、ここに居ない食料泥棒を威圧していた。
「仕方ありません。土砂崩れで大分、畑に被害が出てしまい、更には長雨のせいで作物に虫も生え、今年は実入りが少なく少なく。他の集落でも大丈夫な量でも、ここでは致命的になりかねませんから」
思っていた以上に死活問題だなとレイが考えていると、裾を引っ張る感触に振り返った。
エトネが萌黄色の瞳に真剣な色を宿らせ、
「おにいちゃん。エトネたちで、そのしょくりょうどろうぼう、つかまえようよ」
と、お願いをしてきた。
読んで下さって、ありがとうございます。




