2-25 鍛冶王
その男が室内に一歩踏み入れただけで、部屋に静かな、けれど威圧的な空気で満たされていく。オルド程背は高くは無いのに、胸を張る様な威風堂々とした態度が男をより大きく見せる。また、それが虚勢や張りぼてでは無く体に染みついている。
動くと腰に提げた日本刀がカチャリと音を立てる。揃いの朱色の鞘に大小、二振りが腰に巻いたベルトに引っかかる。
テーブルに近づいた男は誰にも止められることなく、小瓶を摘み上げた。厚手の手袋を嵌めた指で撮んだ小瓶を様々な角度から見ていた。僕を除いた人たちは男の一挙手一投足から目が離せないでいた。
だけど、僕は男の腰に提げた日本刀に目が釘付けになる。
(―――あれはどう見ても日本刀だよな)
朱色の鞘に収まったそれは、柄に糸が巻かれ滑り止めを果たし、楕円形の鍔が手元を守るために存在し、何より西洋剣にはあまりない反り返った刀身。鞘に収まっているため分からないがこれで刃紋があって片刃なら製法はともかく見た目は日本刀と言える。
だとすると目の前の偉丈夫はもしかして僕と同類なのか。あるいは同郷の人間から譲り受けたのか。
ちらりと、目線を上げると、瓶から目を離して僕を見下ろす視線とぶつかる。髪の色と同じ銀色の瞳が猛禽類のように僕を捉えて離さない。
「一つ……問いたい」
男が再び口を開いた。決して大きな声では無いのにどこまでも響き、人の耳に飛び込む力強さを感じる不思議な声だった。
「これは確かに六将軍の血。それも心臓部分の物だ。ここ最近で奴らの目撃例は凡そ二週間前。中央大陸のネーデにおいて。そうだな、ヤルマル」
「左様でございます、国王陛下」
ギルド長の言葉に思わず耳を疑った。目の前の武人がこの国を治める王様だと彼は言ったのだ。
「……それじゃ貴方が……鍛冶王」
気が付けば言葉が口から洩れる。銀眼銀髪の偉丈夫は鷹揚に頷き、肯定した。
「確かに。俺こそがこの国の王。テオドール・ヴィーランドである」
厳かに放たれた言葉が室内に消えていく。誰も目の前の男に何も言えないでいた。すると、国王が再び口を開いた。
「話の続きだが……少年。其方はあのゲオルギウスと剣を交えた冒険者……で相違無いか」
「は、はい、そうです。王様」
「固くなるな。楽にしたまえ」
唇を緩めて僕に笑いかけるが、楽になんかできるか! と心の中で叫ぶ。
すると、遅れて入ってきた白銀の全身鎧を着こんだ兵士たちが壁際に並ぶ。スリット越しに見える視線は鋭く、不敬を働いた時点で首と胴体がお別れしてしまう。
硬直していたリフャルトさんが我に返ったように立ち上がると、自分が座っていた席を王に譲る。席に座りながら王が礼を言うと、老人は今にも倒れてしまいそうなほど緊張した面持ちでいた。
僕の正面に座る王。五十を超えているだろう壮年の男性は、しかし、活力に満ちた眼を僕に向ける。
「ギルドからの報告は読んだが……やはり、一度当事者から話を聞きたいと思っていた。時間があるならゲオルギウスとの戦がどのような物だったか教えてくれまいか」
ソファに浅くかけ、前のめりになる王の姿はまるで英雄譚を聞きたがる子供のような印象を受けた。そんな姿を見て、緊張していた僕の体が少しだけ弛緩する。すると、気持ちが楽になったのか言葉がすらすらと出るようになった。
王の希望通り、ネーデの街を襲撃したゲオルギウス。怪物じみた魔人とそれに勇敢にも挑んだ三人の冒険者の戦いを語った。
意外な事にと言うと不敬かもしれないが、王は実に上手な聞き手だった。僕の拙い話にちゃんと反応を示し、興味を持った点をとことんまで質問したり、かといって話の流れを止めない様に相槌を打ったりした。
「成程。三つの心臓に両肩の口。手にした黒槍に金の瞳。間違いなく伝説の通りだったか」
ゲオルギウスが夜空へと消えていく下りを話し終えると、満足そうな表情を浮かべる。まるで、会いそびれた恋人を思う様な表情を浮かべている。
「それでだ、少年。其方はこの瓶……つまり魔人の血を売るつもりなのか」
王の視線は机に置きなおされた小瓶へと向かった。僕は戸惑いながら頷いた。
「ふむ。……ヤルマル。オークションのルールやこれの相場については説明したか」
「いえ、まだですが」
隣に座るヤルマルさんは勢い良く首を横に振る。それから押し黙った王の横顔に視線を注ぐ。しばらくしてからオークションについて説明を、と王は言った。
「畏まりました。それでは、レイ君。オークションは精霊祭三日目から始まります。種類や系統、出品物の希少価値などからオークションに掛けられる日が決まります。……これほどの魔人の血なら最終日、それも最後の方に回されます」
「それまでの間。出品物は僕が保管することになりますか?」
「いえ、それは違います。こちらで責任を持ってお預かりいたします」
王に席を譲ったリフャルトが横から口を挟む。王は、今度はそっちに向かって口を開いた。
「魔人の血。それも考えうる中でも最上級品。どれほどの値が着くと思う」
問われたリフャルトは脇に抱えていた紙の束を捲る。素早く文字を目で追いかけてから自分の予想を告げる。
「恐らくですが……談合や競合が無ければ大よそ五百万ガルスは超えるでしょう」
「ご、五百万!!」
王の前だと言う事も忘れて素っ頓狂な声を出してしまう。だが、王は気にした様子も無く妥当な数字だ、と言った。ヤルマルさんも同意するように頷く。
「だが、全額が其方の手に渡るわけでは無い。オークションの手数料として七歩掛。つまり七パーセントほどギルドに収める事になる」
それでも四百七十万ガルスほどが手元に残る。僕としてはそれで十分だった。
「そこで一つ相談があるのだが……これを俺に売る気は無いか?」
「王様に……ですか?」
浅くかけたソファから身を乗り出しかねない程前へと体を傾けた王はそう切り出した。その提案にジェロニモさんを始めとした他の人たちも驚く。
「ああ。五百万に五十万ほど上乗せする。さすがに一括で払うのは難しいから分割か、手形を切ろう」
「手形?」
予想していない単語が出てきた為聞き返してしまう。隣に座るジェロニモさんが補足する様に囁く。
「手形はギルドが発行する紙自体が金の保証をしてくれるものです。国王の名で切られたものなら世界中どこのギルドでも使えるでしょう」
ジェロニモさんの説明を聞きながら頭の中でメリットとデメリットを計算する。
(メリットは言うまでも無く売値の増額と保証。いくらオークションの運営側が過去の例から値段を弾きだしたとしても、それは予測にしか過ぎない。それに最終日に回されると言う事はそれまで現金は手に入らない事になる。それにここで王の要望に素直に応じれば、この国に滞在する間は何かしらの便宜を図ってもらえるかもしれない)
一見するとメリットだらけのように思えるが、一度思考をデメリットの方へと切り替える。
(デメリットは、まず、今提示されている五百五十万ガルス以上の値がオークションでつく可能性。それと……ギルドとの関係が悪くなるかもしれない点か)
ちらりとヤルマルさんの様子を伺う。好々爺と言った老人の顔に若干の不満の色が差す。オークションの目玉と言える物を横から奪われる形になるのだ。面白くは無いだろう。
とは言えだ。僕としては王に売るのが一番だ。だけど、少しだけ気になる点もある。王が座る際に抜いた日本刀に目を向けた。
しばらく考え込んでから躊躇いがちに言葉を発した。
「……申し訳ありませんが、お断りいたします」
「「ええ!?」」
僕の放った一言に一番驚いているのはジェロニモさんとリフャルトさんだ。ヤルマルさんも驚いてはいるが声に出さない。気になったのは王の機嫌だ。注意深く目の前の男を観察する。
銀色の瞳に揺らぎは無く、感情が容易に読めない。王はソファに深く座り直すと頬杖をつく。
「……額に不満なら追加する事もできるが?」
「いえ、そうではありません。……偉そうな物言いになり恐縮ですが、民の血税をこのような事に使われるのは如何な物かと存じます。それに先に商品を持ち込んだのはオークションの方にです。そちらに何の断りも無く王の申し出を受ける事は出来ません」
言うと、王は目を丸くする。激怒するかと思ったが一拍の後大きな声を出して笑う。室内に王の笑い声だけが響く。
「ハッハッハッハッ!」
一しきり笑い終えた王はすまない、と目元に浮かんだ涙を拭った。
「確かに其方の言うとおりだ。ヤルマル。突然の横やり、すまないな」
「……とんでもありません、王よ。まだ正式にオークションにかける手続きは終わっていません。ですからレイ君。私たちの方は気にしなくてよろしいのですよ」
先程まで薄らと浮かんでいた不満げな色合いを消して、好々爺の仮面を被りなおしたヤルマルさん。ギルド長としての面目は立ち、僕もオークション側に気を使う必要は無くなった。
「それとだ。勘違いさせてしまったが、これでも俺は王である前に鍛冶師。国の金に手を着けずにそれを買い取る程度は自分の腕で稼いでいる」
鍛え抜かれた腕を叩いて王は言う。なるほど鍛冶王の名は伊達では無いと納得した。だとすると、あの日本刀も王の手製なのかもしれない。僕は再び日本刀へと視線を向ける。
すると、僕の視線に気づいた王は日本刀を一振り掴む。
「これに興味があるのか。良い目をしてるな。これも俺が打った物だ。……これが何か分かるか?」
一瞬、日本刀と答えるべきかどうか迷う。今まで見てきた冒険者たちの武器に日本刀は無かった。王が自分で打ったとも言った。つまり、日本刀は一般では流通しない珍しい品だと思われる。
それの名称を知っていると言う事が周りからどうみられるのか、そのリスクを頭の中に思い浮かべる。一方で王が日本刀を作ったのならその作り方を日本人から教わった可能性が高いとも思えた。もしかすると、自分で考えて編み出したのかもしれないが。
散々迷った挙句、口を開いた。
「……刀ですか?」
日本、とは頭につけなかった。
王は再び眼を丸くした。予想していない単語が出たことに驚いている様子だった。少し間を開けてから、彼は唇を緩めて笑みを作る。
「正解だ。……驚いたな。其方も冒険王の研究者なのか」
「冒険王の研究者……ですか」
隣のジェロニモさんが首を傾げながら呟く。銀色の視線は僕から離れて隣へと移った。心の中でジェロニモさんに礼を言う。
「うむ。この武器、実は製法は俺のオリジナルと言うわけでは無い。冒険王が残したレシピに載っていてな。見たことも無い文字、いやあれは暗号だな。暗号は解読できなかったが付随した絵から想像して製法を見出したのだ」
一拍の後、王は言葉を継ぐ。
「冒険王が残した自伝に武器の名称が書かれている。これは『刀』と呼ばれる武器だと。……興味があるなら抜いてみるか?」
「いいんですか……その王の御前で武器を抜くなんて」
「構わん、許す」
王は気前よく刀を僕に渡してくれる。バスタードソードと遜色のない重さだ。柄に手をかけて抜こうとすると壁際に控えて居る兵士たちが微妙に殺気立つ。当然だろう。王が許可を出したとは言え王の面前で武器を抜こうとするのだから。
僕が躊躇っていると、王が壁に控えている兵士たちを一瞥した。それだけで彼らが放っていた殺気が霧散し、僕へと掛かっていた圧力が消えていく。
意を決して僕は刀を抜いた。
「―――うわぁ」
思わず感嘆の声を発する。かちゃり、と音を立てて鞘から刀身を少しだけ覗かせた刀は思った通り、日本刀だ。波のような刃紋に片刃。少なくとも見た限りでは日本刀だと言える。
だけど驚いたのは日本刀だからでは無い。その剣が発する美しさに思わず声が出たのだ。決して華美では無い。そこにあったのは斬る事に特化した、いわば機能美の極地があった。刀身に一点の曇りも無く、刃こぼれも無い刀は間違いなく使われた事のある実用品だ、
モンスターを切ったのか、人を切ったのか定かではないが決して観賞用では持ちえない圧力を内包する。
ただ、圧倒されていた。
「素晴らしい―――本当に素晴らしい物を見せて頂きました」
少しだけ抜いていた日本刀を鞘に仕舞う。恭しく礼を言いながら王へと返却した。
「いや、あれほど熱心に見つめられたのだ。作り手冥利に尽きる」
受け取った日本刀を立て掛けると、王の視線は再び小瓶へと向かった。
「それでだ、少年。話は戻るがこの瓶だが……望むなら金額を上げてもいいぞ」
僕は少しだけ考えてから首を横に振る。
「金額は先程の額で構いません。手形でお願いします。……その代り差し出がましいのですが王にお願いがあります」
「ふむ。……申してみよ」
「ありがとうございます。私に刀を打つところを見学させてほしいのです。……その際、出来れば冒険王のレシピなる物も見てみたいのです」
僕の申し出に一同は驚く。特に隣にいるジェロニモさんが一番驚いていた。
「レイさん!! 王の解き明かした特殊な製法を見てみたいなど、言語道断です!! 王に謝罪しなさい!!」
旅の間、常に温厚だったジェロニモさんが此処まで声を荒げたのは初めてだった。だけど、僕としては引き下がるわけにはいかない。うろ覚えの知識だが日本刀の作り方はある程度知っている。もし、やり方が同じ、あるいは似通っていれば冒険王は日本人となる。
それに冒険王のレシピ。そこに書かれている文字に興味があった。もし、日本語なら、そこに元の世界に帰るヒントが書かれているかもしれない
激昂するジェロニモさんを押しとどめたのは王だった。片手を上げてジェロニモさんを制する。
「静まりたまえ……俺の言いたいことを先に言うな」
困ったように王はジェロニモさんに笑いかける。激昂していた彼はようやく王の前で声を荒げた事に気づいた。
「これは……申し訳ありません、王よ。お耳を汚してしまいました」
「良い。貴殿の言葉は実に正しい。だが問題は無いのだ」
僕とジェロニモさんが首を傾げると補足する様にヤルマルさんが口を開く。
「王は開明的な方でいらっしゃいます。特に鍛冶の分野では門戸を広く開け、どなたでも王の工房を見学することが可能です。ただ……冒険王のレシピだけは……」
言葉尻を濁したヤルマルさんの反応に心の中で落胆する。やはり、機密文書的な扱いがなされている様だ。だけど、工房を見学できるのならそれに越したことはない。
見学だけでもさせてください。そう言おうとする前に王が動いた。
「いや、俺は構わんぞ」
「王? ……よろしいのですか」
「この特級品が手に入るのだ。冒険王のレシピを寄越せと言われたわけでは無い、それに……」
王は僕の顔をまじまじと見つめた。何かを探るような視線だった。
「気になる事もある」
呟くと、王は懐から紙の束を取り出した。その行動から王のしようとすることを察したヤルマルさんは羽ペンとインクを用意する。
王は羽ペンを受け取ると横長の紙の束に何かを記入し、再び懐から物を取り出す。小さな長方形のケースを開けると、中からハンコが取り出された。ヤルマルさんが用意した朱肉を着けて、ハンコを紙に押し付ける。
「これで出来たぞ……少年。名前は?」
「あ……レイと言います」
「ではレイ。額面五百五十万ガルスの手形だ。これを使えばどこのギルドでも金に換える事ができ、大店との取引にも使えよう」
瓶の隣に手形が置かれた。
「そしてだ……精霊祭が始まると工房も休みを取る。見学をするなら明日などはどうだ。無論、冒険王のレシピも見せよう。……これで其方の条件はすべて満たしたと思うが」
「……そうですね。有りがたく頂戴します」
僕は机に置かれた手形を取る。王は代わりに魔人の血が詰まった小瓶を掴んだ。
「交渉成立だな」
小瓶を懐に仕舞おとした王を遮るかのように扉がノックされた。一同の視線は扉へと向けられた。
「入りたまえ」
ヤルマルさんが言うと、扉があいた。ここまで案内してくれた職員が扉を開けた。室内にいる王の姿に驚いていたが直ぐに平静を取り戻すとジェロニモさんに向かって口を開いた。
「ジェロニモ殿。商会よりお荷物が届いております」
「―――ああ、それではこちらに運んでいただけますか」
言われてから思い出したが、そういえばジェロニモさんの出品物の鑑定がまだだった。職員が横に退くと、リザと複数の冒険者が慎重に木箱を持ち上げて室内に入る。後からレティも部屋に入った。
彼らは空いている机に鎖で封印された木箱を下ろした。僕らの視線が木箱へと集まる。
「これは……随分とまた珍しい物だな。……もしや魔法工学の兵器の類か」
「さすがです、王。お目が高い。……おそらくですが発見した物の話では『アイン』の作と思われるかと」
木箱を熱心に見ていた王が正体を言い当てるとジェロニモさんが褒めた。その間にリフャルトさんが技能を使い箱の正体を見破ろうとしている。
ここから先はジェロニモさんの商談だ。用が済んだ僕はお暇するべきだろう。
僕は荷物を持って立ち上がる。部屋に残っている人の視線が僕へと集まる中、口を開く。
「僕の用件は終わりましたのでこれで。ヤルマルさん、リフャルトさん。せっかくおいで下さったのにオークションに出品せずになり、申し訳ありません」
「いえいえ。レイ君。これも巡り合わせと言うものです。気にしないでください」
ヤルマルさんとリフャルトさんは優しく笑ってくれた。今度は王を見据える。
「それでは王様。良き取引に感謝を。それと明日の何時ごろにどちらに伺えばよろしいでしょうか?」
「明日のそうだな……二時ごろなら時間が取れる。すまんが王宮まで来てもらえんか。兵には伝えておこう」
言いながら王も立ち上がり、手袋を脱いでがっしりとした手を指し出す。僕は戸惑いながら自分の手を伸ばすと、掴まれた。力強く、何よりも熱い手だった。まるで鉄を溶かす炉を埋め込んだように熱い。
「こちらこそ、良き取引をさせて貰った上、六将軍との戦いの話も聞けた。実に有意義な出会いだった。火の神プロメテウスに感謝を」
王にお辞儀をして、それからヤルマルさんとリフャルトさんにもお辞儀をする。僕はリザとレティに目配せをした。二人は何がなんだかさっぱりわからないような顔をしていたが、目配せを受けて一堂にお辞儀をすると部屋を出る。
僕も彼女らに続こうとしたが、ジェロニモさんに呼び止められた。
「レイさん。申し訳ありませんがこちらが終わるまでギルドのホールにて待っていてください。依頼の報酬と、例の件についてお話があります」
「―――分かりました。それではホールで待っています。それでは皆様失礼します」
部屋を出る時にもう一度頭を下げてから、廊下に出た。
扉がちゃんと閉まったのを確認したら、廊下に倒れこみそうになる。壁に手を着いて倒れるのだけは堪えた。時間にしても三十分程度しか経っていなのに、とてつもなく疲れた。王から放たれるプレッシャーに当てられたようだ。
「ご主人様! 大丈夫ですか」
駆け寄ったリザに支えられてどうにか立ち上がる事が出来た。彼女につかまりながら廊下を進む。
「ねえねえ、ご主人さま。あの銀髪のオジサンってもしかして」
レティが引き攣った笑みを浮かべて僕に問いかける。確かに彼女から見てもオジサンとは言えるが……。
「レティ。一国の王をオジサン呼ばわりは駄目だよ」
「やっぱりそうなの! それじゃあ、今の人が」
「―――あの方が鍛冶王なのですか」
階段を降りる寸前、二人は先程まで居た室内の方を見た。特にリザは食い入るように見ている。
「あのさ……鍛冶王ってもしかして……物凄く強いの?」
リザの反応と、僕が相対した時の感覚を合わせてたどり着いた疑念を告げた。すると、姉妹は揃って僕を見つめる。無言の視線は僕を責めてさえいるようだ。
「……その……ご存じないでしょうか? ……鍛冶王はその功績から『人間種最強』と呼ばれていることを」
躊躇いながらリザはとんでもない事を口走る。『人間種最強』とはまたとんでもない呼び名だと呆れつつ、しかし、納得もできる。それほどまでにあの王は強い。何もしていなくても、同じ空間にいる事があんなにつらいなんて初めてだった。よくジェロニモさんたちは平気であの場に居られると恐れすら抱く。
階段を降り切り、ホールの椅子に座る。二人は興味深げな視線を向ける。室内で何があったかを知りたがっているようだ。
僕は二人が居ない間に起きたことをかいつまんで語る。
オークションの責任者と鑑定士が魔人の血を本物だと判断し騒いだこと。それを聞きつけた鍛冶王が乱入し、魔人の血を直接買い取りたいと申し出た事。僕がその申し出を条件付きで承諾した事。
二人に魔人の血の売却代金を伝えると声も出ない程驚いていた。ともかくこれで二人を買う目途がついた。
しばらくホールで待っているとジェロニモさんが階段を降りてきた。彼の顔に笑みがこぼれていた。
「いやー待たせてしまいましたね、レイさん。私の方も無事本物と認められ、オークションに出品することになりましたよ」
正面の椅子に座るジェロニモさんは懐から手形を取り出した。間に挟まれた机には羽ペンとインク、それに朱肉が置かれている。ここは商談用のスペースも兼ねている様だ。
「それではレイさん。ネーデの街を出てから十二日間。警護の仕事、ありがとうございました」
律儀にもジェロニモさんは頭を下げる。僕は慌てて手を横に振る。
「頭を上げてください。こちらこそたくさん迷惑を掛けてしまい、本当に申し訳ありません」
心からの謝罪のつもりで頭を下げた。後ろに控えていたリザとレティも頭を下げる。
「それでですね。今回の依頼は基本給として日給三千ガルス。特別手当として二度の遭遇戦がありましたので追加で二万ガルス。合計で五万六千ガルスになります。……ですが、エリザベートさんとレティシアさんの立て替え分があります。それらを差し引くと、四万ガルスとなります。よろしいですか?」
僕は黙って頷いた。リザとレティの食事代やウージアでの宿代を考えると妥当な金額を引かれたと思えた。納得した僕を見てジェロニモさんは手形に必要な事項を記入していく。
完成した手形を僕に差し出した。これで手形は二枚になる。落とさないように気をつけないと。
「それではレイさん。これを持ってネーデからアマツマラまでの警護依頼を完了とします。ありがとうございました」
「こちらこそ、色々な経験を積ませていただきました。本当にありがとうございます」
僕は礼を言いながら差し出された手を握る。
「さて、店に戻る前にレイさん。次の場所に向かいましょうか」
「次の場所ですか」
一瞬、何を指しているのか分からずにいると、ジェロニモさんは呆れたような顔をして言い放つ。
「お忘れですか。私の知人の奴隷商に行き、ちゃんとした契約を結ぶのでしょう」
「―――ああ」
指摘されるまで、すっかり忘れていた。懐に仕舞った手形に触れる。今なら二人を購入する代金も持っている。
読んで下さって、ありがとうございます。
次回の更新は八月三十一日を予定しております。




