2-23 宴の席
「それでは若者三人の前途を祝って、乾杯!」
「「「乾杯!!」」」
ジェロニモさんの音頭に続いて、高く掲げられコップがぶつかり合う。今宵ぐらいは目出度いからと、自分のコップにもエールが注がれた。琥珀色のなめらかな水面に自分の顔が歪んで映る。
ここは昼の決闘から道なりに進んで半日。街道に沿って幾つも点在する村の外れだ。ここまでくるともう首都は北上すれば目と鼻の先。明日の昼前には着くと御者も言っていた。
バルボア山脈からの雪解け水が溜まり作り上げた大きな湖を迂回し一度南進した為、今の僕らは首都から見ると南の地点に居る。
村の外れを借りて野営することになったキャラバンは奴隷姉妹の身請け先が決まった事をダシにいつもの飲み会へと突入する。いつもと違う点は複数のキャラバンが席を共にしている点だ。そのため焚火を囲った輪がいくつも平地に生まれている。
「……随分とキャラバンが集まって、大所帯になったね。村の人の迷惑にならないといいけど」
「大丈夫だろ。一つの村に一つのキャラバンしか止めちゃいけない、って決まりも無いしね」
隣に座り、慣れた様にエールを流し込むファルナが宴会に参加する集団を眺める。焚火を囲い、故郷の歌を奏で、酒を飲む。なんとも牧歌的な光景だった。
「それに、メリットもありますしね」
「メリット?」
反対側に座り、妹の面倒を見ていたリザが口を挟む。決闘の後レティに、
「ご主人様になったのにエリザベートと呼ぶのは固いよ!」
と、言われて、僕もファルナ同様リザと呼ぶことにした。
そうだ。僕はこの姉妹の主になった。
とは言え、まだ仮契約のままだし、ステータス画面の仲間の項目は使用不可のままだが。
「はい。一番の理由は大所帯であればあるほど、モンスターや野盗の類が手出ししにくくなります。それにこういった大人数が村に落とす金銭は村人にとっても重要な蓄えになります」
手元のエールや、並べられた魚や果物に目を落とす。これらの食品は全て村が僕らに売りつけたものだ。この人数を相手に商売するとなると、確かにそれなりの稼ぎになる。
「それにね、こうやって村と冒険者が良好な関係を結んで、村に定期的に冒険者たちが訪れるようになる。それだけで村が襲われる可能性も減るんだよ」
串に刺した焼き魚を咀嚼しながらレティが喋る。姉は眦を吊り上げて行儀が悪いと小言を落とす。レティは茶目っ気に舌を出して謝った。
「そういえばさ。この旅の間は全く盗賊とか山賊を見なかったけど、こういうもんなの、普通?」
野盗と言う単語から思い出すのはネーデの街近辺での一幕。正規軍と思われる集団が山賊を相手に戦っているシーンだ。元々、護衛の仕事はモンスターだけでなくそう言った人間も相手にするとばかり思っていただけに少し肩透かしをくらった気分だ。
「んー。やっぱり精霊祭のせいだろうね」
バナナのような黄色い果実の皮を剥いたファルナが言う。
「精霊祭目当ての冒険者や商人、旅人や貴族、平民。いろんな人種や身分の奴らが往来を通る。当然、どの人たちも護衛を雇って旅をするから山賊たちも手を出しにくい。その上、シュウ王国は開催国のメンツがある。下手に身分の高い人たちが国内で死んだら厄介なことになるから、少なくとも国内の山賊の類は潰して回ってるんじゃないかな」
「じゃあ、精霊祭が開かれる前後はむしろ山賊側にはデメリットの方が高いのか」
「まあ、そういうことになるね。それでも出る時は出るから用心するに越したことはないよ」
山賊とて、メリットとデメリットを天秤にかけて行動を決める。行き当たりばったりではすぐに死んでしまうのだろう。むしろ、正規軍や冒険者だけでなくモンスターとも敵対しながら山賊行為をする方がこの世界では難しいのではないだろうか。思わず山賊たちに同情してしまう。
「むしろ、開催国の近隣諸国。この場合は大陸の東の方ですかね。そちらの方が警備が手薄な分、山賊の活動は活発だと聞きます」
リザが耳にかかった金髪をかき上げる。その仕草に不覚にもどきりとしてしまう。
(イカン、イカン。僕は二十歳、僕は二十歳、僕は二十歳! 向うは十五才、十五才、十五才。手を出したら犯罪犯罪犯罪)
念仏の様に繰り返す。例え肉体の年齢が十五才でも、心は二十才。現代日本で言う所の中学三年生に手を出しては不味い。何よりこれから旅をする仲間にそういう劣情を抱くのは間違っているように思う。
そう固く心に誓う僕を不思議そうに青の瞳たちが覗きこむ。ファルナとリザは僕を挟んで首を傾げる。近づいた二人の美少女から逃げる様に少しだけ体を後ろへとずらす。
どうも、決闘を終えてからのこの二人との距離感が掴みにくい。
ファルナは分かりやすく不機嫌になったと思ったら、急に距離を詰めたりし、それを指摘すると理不尽に怒鳴る。
一方でリザも人形めいた表情は変わらないのだが、僕にずっと視線を向けている様だ。殺気とも敵意とも思えない、何とも言えないくすぐったい視線を感じるたびに振り返ると、リザが顔を背けている。
決闘の後から同じ馬車に乗るようになったレティにそれとなく聞いてみると、
「女心を知った方が良いよ、ご主人さま」
と、心底残念そうなものを見る目を寄越された。とても十二才の少女が見せる目では無い。
(……女心って言われてもなー。向うでも特にそう言った事も無い灰色どころか真っ黒の青春時代を過ごした僕には理解できないよ)
口から吐き出しそうになるため息を押し返すようにエールを流し込んだ。琥珀色の液体は喉に引っかかるも、胃へと落ちていく。それだけで、体温がわずかに上昇し、肌に汗が浮く。
日本でも酒には強い方ではなかった。果たしてエルドラドでの体も同じようだ。この一杯で止めようと決めた。
「お注ぎしますね、ご主人様」
しかし、空になったコップにリザがエールを注ぐではないか。止める間もなくコップに並々と注がれた琥珀色の水面を凝視する。
顔に視線が突き刺さる。ちらりと横目で見ると晴れた青空を思わせる瞳が上目づかいでこちらを不安そうに見る。その視線に後押しされるように僕は杯を傾ける。
再び、胃にアルコールが流し込まれる。胃壁が侵入を果たした酒を吸収するのを感じる。
「お、良い飲みっぷりだね。ほれ、もう一杯」
無情にも、空になったコップは再び琥珀色の水面を作る。慣れた様に酌をしたファルナを反射的に見る。氷を思わせる青い瞳は無邪気にこちらを見ている。決して悪意があっての行為ではないと訴えかける視線の前に抗議の言葉が出ない。覚悟を決めた。三度、僕の口内をアルコールで洗い流す。
「さすがです、ご主人様。こちらもお試ししますか?」
「へー、やるじゃん。次はこいつでどうだい」
その後は脇を固める二人の美少女が手当たり次第に注ぐ酒を水飲み鳥のように口へと運ぶだけの存在とかした。
何度繰り返したか分から無いほどアルコールを流し込み、
「ちょっ! ご主人さま!!」
レティの叫び声を遠くに聞きながら意識が黒く塗りつぶされていった。
意識が途切れる寸前、
(急性アルコール中毒で死んだ場合は他殺なのか自殺なのか。果たしてどちらなんだろう)
と、頭の隅で考えていた。
「まったく。二人とも何を張り合ってるの!! こんなんでご主人さまが死んだら馬鹿馬鹿しすぎるよ!!」
愛用の杖を取り出して地面に寝込むレイに回復魔法を放つレティ。彼女の面前で正座をして肩を落とす二人の美少女は青い瞳を曇らす。
「……悪いねレティ」
「ごめんなさい……レティ」
「謝る相手が違うんじゃないの?」
冷たく言い放つ年下の少女に、二人は言葉も無く小さくなる。回復魔法をかけ終えたレティはレイの脈や心拍、呼吸を確かめてから問題は無いと判断する。
「……それで? 少し目を離した隙に何で張り合う様に飲ませの?」
「えっと……それは」
「……なんでだっけ?」
二人の美少女は揃って首を傾げる。その姿にレティはため息を吐くしかなかった。自分たちの行動がどういった感情から来ているのかを掴めて居ない様に見えた。年上の少女たちに年の割に早熟したレティシアは少しだけ強引な手に出る事にした。
「剣術馬鹿のお姉ちゃんはともかく」
「待ってレティ。その評価は聞き逃せない」
「ちょっと黙っててお姉ちゃん。……ファルナ様はご主人さまの事をどう思っているの? もしかして好きなの」
「……アタシがレイの事を?」
問われたファルナは眉を潜め考え込むそぶりを見せる。問うたレティシアはともかく剣術馬鹿と言われたエリザベートも興味深そうに友人を見る。
「好き……とかじゃないんだよな」
躊躇いがちに、だけどきっぱりと言い切った。
「うん。こいつってさ、なんだか同い年に見えないぐらい年上の様に振る舞ったりするだろ」
エリザベートは思う所があるのか、同意するように頷く。
「かと思えば年の割に行動が無鉄砲な所もある。なんつーか目が離せないんだよ」
褐色の肌が火に当てられて陰影を作る。言葉を紡ぐ少女の横顔はとても大人びて見えた。
「だからかな。明日には首都に着いて旅も終わって、精霊祭も終わればレイとも離れるって思ったらつい羽目を外しちまったよ」
照れくさそうに頭をかくファルナにレティシアは心の中で盛大な溜息を吐く。
(それって、つまり少しはご主人さまに惹かれているってことだよね……本人は気づいてないけど。これは男所帯で過ごした弊害かな)
ふと、姉の方に視線を向けて彼女は少しだけ驚いた。周りの人間には分からない程度だが少しだけど、嫉妬している。
妹である自分を守る事を最上の目標として生き、その他を全て切り捨て来た姉が人間めいた感情を見せたかことがレティシアにとって何よりも嬉しい事だった。妹にとっての幸せは姉が幸福になる事だ。
(だとすると、お姉ちゃんの変化はいい傾向かもしれないね)
地面で臥せているレイへとエメラルドグリーンの瞳を向ける。彼なら姉の持つ傷を癒してくれると信じている。
すると、レティシアが目線を外している隙にエリザベートが勢いよく杯を傾けるではないか。まるで自分の胸の内に溜まった理解できない感情を洗い流すような勢いだった。妹が気づいた時には遅かった。
雪のように白い肌が瞬く間に真っ赤に染まると彼女もまた、草原へと倒れこんだ。
「ちょ! リザ!!」
「あーあ」
慌てるファルナとは対照的にレティシアは慣れた様に落ちた杯を拾い上げる。倒れた姉には見向きもしない。
「……おい、レティ。リザはもしかして」
「うん。凄くお酒に弱いの」
穏やかな寝息を立てる友人の姿に心底安堵したようなため息を吐いた。思わず脱力したファルナの前に空の杯が差し出された。持ち主はレティシアだ。
「……いや、さすがにお前の年齢は不味くないか?」
「舐める程度良いじゃない。お願い、ファルナ様」
拝まれたファルナは仕方ないと思いつつ、杯の半ばまで酒を注いだ。だが、彼女の予想に反して、レティシアは杯を一気に傾けた。
褐色の少女が唖然とする中、一番幼い少女はお代わりを所望した。
「……頭が痛い……昨日の記憶が無い」
水を飲みながらこめかみを揉む。頭蓋の中で響く痛みの合唱から少しでも気がそれる事を期待する。だけど、動く馬車の中ではさして効果は無い。振動で揺れるたびに合わせるように痛みが波打つ。
同じように二日酔いに耐えているファルナとリザも馬車の振動に合わせてうめき声を発する。
馬車の中にオイジンの姿は無い。彼はリザとレティの代わりに先頭の馬車へと移った。この中で最年少のレティは朝から元気一杯の姿を披露している。そんな彼女を得体のしれない怪物の様に凝視するファルナが印象的だった。
「わー!! 見て見て、皆!!」
御者の方を眺めていたレティが大声を出す。二日酔い三人衆はその大声に耳を塞ぐ。
「お願い……レティ……大きな声を出さないでちょうだい」
「はいはい。分かったから。ほら、ご主人さま、あれを見て!」
姉の抗議を生返事で返すとレティは僕の手をとり、前へと引っ張る。抗う体力のない僕は少女に引きずられるように前へと連れてかれる。
幌に遮られた太陽の熱が肌を焼く。
御者越しに広がる光景を見て―――思わず息を呑んだ。
「―――あれがもしかして」
「そう! シュウ王国の首都、アマツマラだよ」
バルボア山脈の麓。後方を雄大な山を背負い、前方に堅固に築かれた城壁を有す扇型の街並みが広がる。一番最奥、扇で言う所の要の部分に一際高い城が街並みを見下ろす。
遠くに見える正門に同じような馬車の群れが集まっていくのが此処からでもわかる。
左手には迂回した湖が太陽の光を反射し万華鏡の様に輝く。
圧倒的に雄大な光景を前にして、僕は旅の終わりを感じていた。
時を同じくして。メスケネスト平野も雄大な光景と言えなくもない姿を現す。
荒れ果て、隆起する荒野の至る所に鮮血とモンスターの屍が埋め尽くす。東方大陸の南で昨夜まで降り注いだ雨がそれらを洗い流そうとしたが、逆に大地に深い染みを作るだけだった。
屍の上をオークが鈍重な足取りで進む。踏みつぶされた屍は複数のウルフが競い合うように食い散らかし、蔓を足代わりに移動する人食い植物が血を啜る。時折、屍が空から落ちてくるのはハーピーの食い残しだ。
一見すると無秩序な集団のように見えるが、良く目を凝らすと違う点も見えてくる。
ゴブリンやインプなどの小型で道具を使いこなせる種族は屍から道具を奪う。壊れた剣などは地面に伏したファイヤーサラマンダーの炎を借りて打ち直し、修復した武器や防具をアイアンゴリラに装備させていく。
万を優に超えるモンスターの集団は着々と軍のような体を為していく。
その間にもメスケネスト火山の麓。迷宮から地上へと侵攻するモンスターの群れは止まらない。
人が見れば地獄としか表現できない光景を手元に開いた『窓』から覗いていた魔人は大きく背を伸ばす。凭れかかった岩肌と鎧がすれる。
「まったく。この辺りを制圧するのに三日もかかるなんて……少し時間がかかりすぎたかな」
魔人以外誰も居ない火口でぼやく様に独り言を呟いた。だが、魔人の背後からくぐもった声が響く。
彼は背もたれにしていた巨大な存在に振り返る。
「君はどう思うかな赤龍?」
岩の様に動くことも出来ない龍はせめてもの抵抗のつもりで鼻先にいる魔人を睨みつける。四肢も翼も尾も魔人が産み出した巨大な杭に貫かれて動けずにいた龍の体は焼けた様な傷を幾つも抱えている。その傷跡が彼に何があったかを物語る。
それだけでは無い。少なくともかつての彼には存在しない物が増えていた。
赤龍の頭頂部に巨体に見合った大きさの一本角が生えている。いや、生えているのとは違う。角の根元、龍の皮膚に無数のミミズが交差するような跡が残っている。まるで角を癒着させた跡だった。
「ふふふ。流石は古代種。ここまで体を傷つけてもなお、屈しないとは……正直驚いていますよ」
口元を杭で貫かれた赤龍に言葉を継ぐ魔人は手にした杖を振るう。すると、彼の体は龍から離れて中空へと浮かび上がる。
彼が再び杖を振るうと、途端、角から発生した電流が赤龍の全身を走る。杭で塞がれた口からくぐもった叫びが響き、火口に龍が焼ける匂いが充満する。
プスプスと焼け焦げた煙が赤龍から立ち上る。
「殺しはしませんよ。貴方にはあの迷宮から生まれたモンスターたちを率いてもらいます。……あと数日以内には迷宮に流した私の精神力も尽きます。その時までに貴方を屈服させてあげますよ」
言うなり、魔人は愉悦を湛えたまま、杖を振るう。再び赤龍の全身を電流が流れる。
魔人が開いたままの『窓』の向こうでは着々とモンスターの軍隊が生まれつつある。
精霊祭まであと二日。
誰にも知られることなく、異変は進行していく。
読んで下さって、ありがとうございます。




