2-13 戦士の切り札
「起床。早く」
短い浮遊感の後に背中から落ちた。意識が覚醒するまでの刹那の間に全身の打撲跡が歌う様に痛みを発する。
「―――ぐぅぉ」
苦悶の声を出すこと自体が傷だらけの体に響く。
同室のオイジンに段ベッドから引きずり出されてシードラゴンでの二日目は幕を開ける。
「飯の時間。先に行く」
オイジンは床で苦痛から微動だにしない僕を見捨てて食堂へ向かった。動けばどこかしらの傷に響く。どこかが痛めば、合唱団となって全身が痛む。
昨夜の師匠との特訓は苛烈を極めた。
あの大男は恐ろしい事に闇に溶ける様に姿を隠し、気配を消し、殺気すら殺して僕を襲いにかかる。
四方を濃い闇で見えない甲板の上で音も無く忍び寄る襲撃者に備えるのはとてつもない疲労を生む。そもそも気配を読む特訓なのに、気配自体をあそこまで鮮やかに消されれば読めるもクソも無い。
結局、僕の意識が続く限り、四方から襲いくる斬撃を浴び続けるだけに終わった。死ななかったのが奇跡だ。
とは言え、無駄な特訓として終わった訳では無い。
目を瞑りステータス画面を開いた。慣れた作業で能力値の項目を開く。
実はオークのボスを倒したことでネーデの街を出た時より一つレベルが上がっている。全体的に能力値も上がっている。
だが、成長はそれだけじゃ無い。
昨夜の特訓……と言う名のサンドバックの苦行のお蔭かENDとSENの値が10も上昇している。これはやはり師匠の言った理論が正しかった証明だろう。
もう一つ意外なのはHPも同程度上昇しているのだ。てっきりHPやMPはレベルアップ時のみにしか上がらない物だと思っていたが、実はそうでは無かったことが証明された。
もっとも、次の決闘で耐久とHPが上がるメリットは一つも無いのだが。一撃を先に与えた方の勝ちなのだ。
ともかく、修行による能力値の上昇は可能と言う事が分かったのは収穫だ。僕は手に入れた情報を頭に刻みながら画面を最初に戻した。
そして、意識をその下に新しく浮かんでいる項目へと移した。
今までステータス画面を呼び出すと能力値と技能の二つしかなかった。
だがここに来て三番目の項目が出現していた。仲間と書かれている。
僕は意識を三番目の項目に集中する。今度こそ、開けると信じながら。
しかし、結果は僕を裏切る。切り替わった画面には大きく、
『使用不可』
と、大きく書かれている。
「やっぱりだめか―」
ため息を吐きながらステータス画面から意識を離れて目を開けた。視界に飛び込んだ天井から吊るされた電球は船の揺れに合わせて揺れる。
エリザベートとレティを仲間にしたと言う通知が出た日の夜から、仲間の項目は突然現れた。てっきり二人のステータスが分かるのかと思い開こうとするが、『使用不可』としか出ない。おそらく、僕と二人の関係が正式の物ではないのが原因なのだろう。
この項目の事は次の決闘が終わるまでは放置しよう。どうせシュウ王国首都、アマツマラに居る奴隷商人の所に行かないと仮契約に手出しできないから。
すると、僕の腹が空腹に耐えかねて抗議をする。飯をよこせと騒ぐ。だが、残念な事に今の僕は体内で起きた音にすら反応して痛みが走る。
「―――ぐおお」
僕が朝食を取りに行けるのは三十分後だった。
調理班での当番は昼と夜の為、朝は作らなくて済む。もっとも朝は朝で昨夜の苦行の残響に悩むことになったが。
食堂に向かうと、交代で食事をとる水夫たちが列を作っていた。僕も彼らと同じように盆を持って列に加わった。数分もしないうちに列は進み、昨夜とは逆に食堂から厨房を見る形になった。
「はい、次の方ー。って、お兄さんじゃん。おはよう!」
「おはよう、レティ。朝からご苦労様だね」
「んー? これぐらい慣れてるからへっちゃらだよ」
昨夜と同じく寸動から料理を掬ってはボウルに入れ、それを水夫たちに配っているレティが居た。
彼女はファルナやエリザベート、それにロータスさんたちと同じ女性用の船室にて寝泊りしている。
ここで仕事をしていると言う事は朝早くから起きて料理を仕込んでいるはずだが、目の前の輝く笑顔を振りまく少女からは疲れの色は微塵も感じさせない。
一方でどうやら僕は恐ろしく疲れた顔をしているらしい。寸動から掬ったオートミールをボウルに注いでいるレティが心配そうに声をかける。
「おにーさんの方は……すっごい疲れているね。はい、これを食べて元気になってね」
「ハハハ……ありがとう」
レティに励まされながら進んだ列を追いかける。今日の朝食は麦を牛乳で煮込んだオートミールにビスケットが四枚にトマトが二個と大分質素な食事だ。
食堂の一角を確保して、周りを見回す。水夫たちは慣れた様にオートミールを口に流し込み、人によってはビスケットをここでは食べないで懐に仕舞う。おやつにでもとっておくのだろうか?
僕はスプーンを持って、オートミールを口に運んだ。粥のような触感が喉を通り、牛乳の甘さが胃に染みわたる。傷ついた体を労わる様な感覚を味わう。
時折箸休めの代わりにビスケットを齧り、口直しにトマトを食べる。残念な事にビスケットは日本で食べるようなサクッとした軽い触感は無く、固い感触が歯を押しかえす。岩を噛むような気分を味わう。
トマトの酸味が救いのように口を洗い流してくれなければビスケットは食べきれなかったかもしれない。
ちなみにビスケットはそのまま食べる以外にも砕いてオートミールに沈めると言うやり方があるのを知るのはもう少し後の話だ。
全体的に質素な食事を黙々と食べていると、背後から僕を呼ぶ声がした。
振り返るといつの間にか食堂にロータスさんが姿を現した。彼女は僕の前にある空席に腰かけた。
「おはようございます、レイさん。昨夜はその……お疲れ様でした。ちゃんと寝れましたか?」
美麗な顔に曖昧な笑みが浮かぶ。言葉を選びながら彼女は僕に声をかけた。
僕は食事をする手を止めると、頬を掻いてしまう。その態度で全てを察したかのように彼女は苦笑いを浮かべた。
「大変でしたね……うちの団長はあまりにも飛びぬけて強いから、自分の尺度で何でも考えてしまいがちで……ハァ」
品の良い小ぶりな唇から大きいため息が吐き出された。僕は彼女が何の用でここに来たのか分からずにいた。
黙ってロータスさんの様子をそれとなく伺う。こうやって見ると彼女はやはり美人だ。周りの水夫たちも視線を向けている。体のラインを隠さないアオザイのような服を着て、腰元まで流れる金髪から飛び出たエルフの証たる長耳はぴくぴくと動く。気だるげな雰囲気を醸し出しつつ疲れた様に目頭を揉む姿でも、周りの男を引き付ける魅力が出ている。
そんな風に観察していると、彼女は思い出したように僕を見据えた。レティとは違う、黄色が混じった緑色の瞳が僕をまっすぐに貫く。
「団長から伝言です。朝食を済ませたら甲板にて昨夜の続きをする、との事です。武器と防具は要りません。……生きて帰ってきてくださいね。レイさん」
不吉な予感を漂わせながら彼女は立ち上がり、颯爽と食堂を後にした。
僕は無心で朝食を流し込む。
朝食を終えて甲板に上がる。何処までも澄み切った青空、というには少々相応しくない程度に雲が空を泳いでいる。
それでも春の日差しは甲板を温める。
ネーデの街のギルドにあった本から知ったがエルドラドは日本と同じで二十四時間で一日とし、それが三十日集まると一月とする。
それを十二ヶ月集めて一年とする。日本との違いは月の呼び方だ。ここでは十二ヶ月を季節の四季で割る。日本で言う所の三月、四月、五月が春に。六月、七月、八月が夏に。九月、十月、十一月が秋に。残りの十二月、一月、二月が冬にあたる。
そして、エルドラドでは三月を春の上月と呼ぶ。四月なら春の中月。五月なら春の下月と言う。他の季節も同様になる。
とは言え、ハッキリとした季節の変わり目が存在する中央大陸で暦が誕生したため、他の大陸では春なのに夏のように暑い事もあるそうだ。
ちなみに今は春の上月に当たる。
そんな暖かな日差しを浴びながら船尾の所で師匠は不思議な行動をしている。後方へと通り過ぎていく大海原を見つめつつ、足元に置いたバケツに突っ込まれてる柄杓を掴んだ。その柄杓をぶん、と振り回すと宙に黒っぽい粒のような物をまき散らす。
船縁には大きな釣竿が日差しを浴びて輝いている。
「……来たか、レイ」
「おはようございます、師匠。……今度は釣りでもするんですか?」
警戒しながら船尾にて後方を睨む師匠の隣に立つ。足元に置かれたバケツの中は黒っぽい海藻だった。ぬめりを帯びた海藻がバケツ一杯に入っている。おそらく撒き餌だろう。
立てかけた釣竿と併せて考えると釣りと思うのは当然だった。
しかし、師匠は僕の質問には答えず、別の事を語り始めた。
「モンスターにもランクがあるのは知っているか?」
「……初級、低級、中級の事ですか」
僕が言うと師匠はそうだ、と頷いた。
モンスターのランクとは冒険の書にも記されている基本的な事だ。
曰く、ギルドが決めた階級。モンスターを五つの階級に分け判断基準は、初級はレベル1~20まで。低級はレベル21~50まで。中級はレベル50~80まで。上級はレベル80~100まで。超級はレベル100以上の冒険者がソロで戦う事が可能と定めたものだ。
「たとえばオメェとファルナが出くわしたバジリスクの亜種。そいつは幼生体だったから低級寄りの中級だな。もし成体だったら文句なしに上級だったろう」
脳裏に迷宮のボスの間で猛威を振るっていた怪物が蘇る。あれでも中級なのかと戦慄する。上にまだ二階級も残っているのか。
「それじゃ……ゲオルギウスはどこに入りますか? あいつは一応人間ですけど」
「あ? あいつは迷うことなく超級だよ」
断言する様に言われた。もっとも予想できていた事だ。驚くことでは無い。
すると、師匠は柄杓をバケツに戻すと、釣竿の糸を僕に向けた。戸惑う僕に動くなと言うと、胴体に糸を巻き付け、結び目を固く結ぶ。
「あの……師匠? ……アンタ、まさか」
恐ろしい想像が脳裏をよぎる。今の僕はまるで疑似餌の様ではないか。嫌な予感に言葉が上手く継げない。
一方で師匠は自分の行動を満足そうに見下ろす。その満面の笑みが余計に不安を掻きたてる。そして、動けない僕をひょいと持ち上げた。
「今日の修業に入る前に戦士の切り札をお前に見せてやろうと思ったんだが……あいにくモンスターが寄り付かない」
師匠は喋りながら僕の首根っこを掴んだまま腕を横にずらした。当然のように僕の足元は甲板では無く大海原に切り替わる。見下ろせば船の軌跡に合わせて白い波が折り重なる。まるで海に描かれた白線のようだ。
「しょうがないからレイ。お前、ちょっとモンスターを連れてこい」
「なに当たり前のように無茶苦茶言ってんのアンタ! 船を危険に巻き込んでいいのかよ」
「船長とジェロニモの許可は取った。それに航路の安全を守る為にワザとモンスターを呼ぶのはある意味重要な仕事だぞ」
真顔で師匠は言う。彼の後方を見ると、苦笑いで僕らを見つめる船長とジェロニモさんが居た。複雑そうな視線を僕らに向けるも止める気配が無いのは本当に許可を出したからだろう。
「ついでに体力作りも兼ねて、泳いでろ。いまのまんまだと修行だけで死んじまうぞ」
「それはアンタのやり方が無茶すぎ―――」
抗議を最後まで口にする事は出来ずに僕は春の海へと落ちていった。
着水の衝撃が全身を打つ。昨夜の苦行の傷に文字通り染みる様に痛い。だけど痛みでもがく暇は無い。今はともかく水面へと上がらないと。
と、思っていたら胴体に括られた糸が強い力で持ち上がる。そのまま水面上へと吊り上げられた。
「ぷはああ、はぁはぁはぁ。呼吸ができる!」
口にしてから何とも悲しい気分を味わう。だけど悠長に構えている暇は無い。船に乗っている師匠はこれ以上糸を引っ張る気はないようだし、船自体も止まる気配は無い。
このまま引っ張られて海を漂うのも悪くは無いが、一応修行のつもりで泳いでみようと決める。何しろ船が海面を掻き分ける様に進めば後方では波が発生する。漂うだけでも溺れてしまいそうだ。
むしろ海中の方が波を感じずに済むぶん楽かもしれない。そう思って潜りながら泳ぐ。透明な世界の向こうでシードラゴンの船艇が見える。光の届かない深い海底は見えないが命綱をつけた海中遊覧と思えば、そう悪くないと思えた。
―――最初は。
一時間後。後悔と師匠への罵声が胸中で渦巻いている。しかし、口に出して吐き出す体力は当に尽きた。
春の海とは言え一時間も浸かれば体は芯まで冷える。そのくせ筋肉は乳酸が溜まり、奇妙な熱を持つ。ときおり、意識が遠のき、気が付くと、くの字になって引っ張られる。
よくぞ溺れずに済んでいると奇妙な関心を自分に抱く。
それでも酸素を取り入れないと死んでしまう。今も水面へと必死になって海をかく。
その時だった。
ばたつく足にひんやりと、流れの違う水流を感じたのは。まるで冷たい蛇の胴体に足の先が触れたようだ。
驚いて海中を睨む。海面と違い、光の届かない漆黒の世界に何か大きいのが居る。僕はすぐさま水面へと浮上を試みる。こいつの存在を知らせないと不味い。はっきりとは分からなかったがあれはシードラゴンと同程度の大きさをほこる。
最後の力を振り絞り水面へと浮上したのと、そいつが僕の後方に飛ぶように浮上したのは同時だった。
振り返ると、シードラゴンと同じぐらいの大きさのクジラが水面から飛び出ている。その鼻先にこれまた大きい一本角を有したクジラだ。
クジラが海面に着水すると、そこを中心に高波が起きた。当然のように僕へと押し寄せる。このままここに居ればシードラゴンの船体に叩きつけられてしまう。
衝撃に身構えようとしたが、救いの手が僕に差し出された。釣竿から伸びて僕に括りつけられた糸が一気に引っ張られる。地獄にもたらされた救いの糸により僕は海面から脱出できた。
甲板に着地するのと、高波が船体を揺らすのは同時だった。後方で起きた揺れに船体が前後に揺れた。
「やるじゃねぇか、レイ。ありゃ上級モンスター、ホーンホエール。このあたりの海でも一番の大物だ」
愛用の斧を握りしめて後方で旋回するモンスターを睨む師匠。冷静な彼とは反対に甲板では水夫や冒険者たちが大慌てで迎撃の準備を進める。誰もが口々に師匠を非難していた。
「団長! いくら修行の為だからってあのクラスのモンスターを呼び寄せるとは私は聞いてませんよ!!」
一番激怒しているのはロータスさんだ。手にした弓で師匠の背中を狙いかねない勢いだ。ちなみに彼女が手にしている弓は双頭のバジリスクを倒した時に手に入れた弓だ。ファルナが壊れた弓の代わりにあげたと話していた。
そんな副団長に軽い調子ですまん、すまん、と謝る師匠。彼は微塵も恐怖を感じていないようだ。
「さて、弟子よ。しかと括目しろよ。今から見せるのは戦士が修練の果てにたどり着く極地の一つ。己の肉体で行う神秘。絶対の切り札だ!!」
手にした斧を肩に担ぐと師匠は船縁を踏み台に高く跳躍した。後方から距離を詰めつつあるホーンホエールに向かい飛びかかる。
「《毀棄爆裂》!!」
師匠が声高に詠唱をすると、斧に不可視の力が流れこむ。そしてホークホエールの額に向けて振りかぶった。
勝負は一瞬でついた。
轟音と共にホーンホエールの上半分が文字通り粉砕した。僕の見ている前でこのシードラゴンと同じ程度のサイズのモンスターがその巨体の半分を吹き飛ばされた。
ポカンと口が半開きになってしまう。なんという理不尽な結果だ。異世界だからと言って無茶が過ぎるぞ。
船縁から上半分を無くしたホーンホエールを見下ろすと、全身を返り血に染めた師匠が自慢げに斧を振り回していた。彼が持つにふさわしい巨大な斧には刃こぼれ一つない。
いつの間にか船縁には水夫や冒険者たちが集まり呆れた様に師匠を見下ろしている。これがエルドラドのスタンダートと言わんばかりの対応を取られずに済んでホッとした。やはり、師匠が飛びぬけていると実感する。
ふと気づくと、シードラゴンは動きを止めていた。三本のマストに張られていた帆は畳まれ、風を受けていない。水夫たちが慌ただしく小舟を下ろしていく。
「ありゃ、ホーンホエールの死体を回収するんだよ。肉は食えるし、皮も使える。なにより、脂肪からは油がとれる。あれだけでの量でもそこそこの金になるぞ」
いつの間にか甲板に戻ってきた師匠が僕に解説する。クジラの油と言えば鯨油か。しかし、魔石がエネルギーとして使われている世界で油にどれだけの価値があるかは不明だ。
「それで……さっきのが戦士の持つ切り札ですか?」
僕が尋ねると師匠は口の端を持ち上げて笑うと、言った。
「ああそうだ。魔法使いにとって切り札が旧式魔法だとすると、いまのは戦士にとっての切り札……『戦技』だ」
読んで下さって、ありがとうございます。




