7-12 国家背任
その日は、夏期の南方大陸といえど、一際暑い日だったとジャマルは振り返る。まるで、この後に起きる事を予感させるほどの異常な気温だった。
議事の間に入ると喉に張り付くような暑さを感じ、配られた水差しから水を一口流し込んだ。外気が夏の熱気らしく時間と共に上がっているのは仕方ないにしても、室内の暑さはそれとは別の事が原因だろう。
議事の間は王族のみが座る事の出来る円卓を、十四氏族の族長たちやその関係者が囲っている。そんな部屋の片隅で綿密に打ち合わせてしている一団を冷めた瞳で見つめた。額に深い皺を作り、顔を突き合わせて、流れる汗すら気にしない集団はファラハ・オードヴァーンとその取り巻き達である。
ファラハ・オードヴァーンを一言で表すなら、武骨さの極地とでもいうのだろうか。節くれだった指に、王族としては不必要なほどに鍛えられた体。他者を威圧する眼光。全てが武に傾倒した男の姿だった。必然的に、重用する家臣もその系統に沿った者となり、彼らが密集して顔を突き合わせているだけで室内の温度は外を超えてしまいそうだ。
しかしそれも無理はない。何しろ、今回の議題。話の方向次第では彼らの勢力に不利な結果となりかねないのだ。
今回の議題はファラハの息子、ダリーシャス・オードヴァーン、並びにアフサル・オードヴァーン。両王子の王子としての称号のはく奪という、事実上の追放である。その内容にジャマルといえど耳を疑った。王族としての権利、立場、称号の一切をはく奪という、国法にもない、前例のない内容だけに国内に居る全王族、並びに十四氏族の族長たちが集まるという前代未聞の事態となった。
時折、赤ん坊の泣く声と、あやす声が響くのは最年少の従兄、ナジム・オードヴァーンだ。話の展開次第で神前投票が行われるかもしれないといえど、まだ赤ん坊にこの熱気は酷であろうとジャマルは思う。
議事の間はそれほど異様な熱気に包まれていた。しかし、まだ話し合いが始まっていないのは、人数が足りていないからだ。よりにもよって、この場に全員を呼んだ男が姿を見せていないのだ。
「まったく。人を呼びつけて置いて、遅刻するとは。兄上らしいといえば、兄上らしいふざけた話だ」
でっぷりとした腹の上に手を置いた、ジャマルの父、カービード・グセイノフの言葉が合図だったように、衛兵が叫ぶ。
「ワシャフ・プラティス様の、ご入室です!」
議事の間に集まった幾つもの視線が、重たい扉の隙間から姿を現した一行の先頭へと集まる。前を歩くのは、痩身の、狐のようにほっそりとした顔立ちの男だ。かけた眼鏡の位置を手で直すと、部下たちを引きつれ、足早に着席した。
「いや、これは済まない。どうやら、私が最後のようで。……やあ、カービード。相変わらずの健啖家ぶりのようで。一際、丸くなったのではないか」
カービードは無言を貫いたまま、掛けられた声を無視した。
ワシャフ・プラティスはこの場において、嫌われ者に近かった。いや、近かったというよりも、はっきりと嫌われていた。
現王の長兄として、古くから策略を巡らせ、他の王族を出し抜こうとすること数えきれず。十四氏族の娘たちを力づくで手籠めにした事もあり、生まれた男子は王子として、いずれ来る神前投票の駒として育て、女子なら見向きもせず、母娘共々一族の元へ戻すという冷淡さ。
そのくせ、王族としての手腕は確かで、国民人気もそれなりにあるという厄介な存在だ。現に、嫌われているのだが、彼に味方せざるを得ない十四氏族もおり、なにより、ワシャフとファラハの間で票を迷う勢力が居るという事が、ワシャフの力の一端を示している。
今回の議題も、その力によって開かせたのだろう。主役の登場によって、ようやく幕が開いた。
「えー。全員そろったようなので、本日の議題を進行させてもらいます」
王族、十四氏族とも無関係の進行役が、議事の間に流れるプレッシャーに圧倒されつつも口を開ける。
「ほ、本日の議題は。ファラハ・オードヴァーン王子がご子息、アフサル王子、ダリーシャス王子。二名の、王族としての称号はく奪について……です。意義ある者は」
手を上げて述べよという前に、議事の間に手が上がる。まるで一本の柱のように起立するその手の持ち主は、ファラハだ。進行役はファラハの名を呼んで、発言を許可した。
立ち上がるファラハは居並ぶ者達を橙色の瞳で撫でた。いや、撫でるなんて生易しい表現ではなく、威圧したというのが正確か。下手な横入りをすれば、それこそ野太い腕を振るうぞと言わんばかりの態度だ。
その視線が最後にワシャフの所で停止した。思わず、ジャマルは呻いた。横から眺めているだけでも、ファラハの視線の圧力は手に取るようにわかる。視線で人を殺すとしたら、間違いなくあれ程の圧力をかけるのだろうと見当違いな感想を抱いた。
しかし、当てられたワシャフは気にした様子も見せず、涼しげな表情で頬杖をついていた。
「……異議あり、だ。アフサル、及びダリーシャス。両王子の称号はく奪に私は異議を唱える」
外見とは裏腹の理知的な声色が議事の間に響くと、進行役がちらりとワシャフの方を窺った。進行役の目的は、あくまで議論の速やかな進行であって、意見を述べる事ではない。ファラハの暴力的な視線に動じない男が手を上げた。
「異議あり。アフサル、及びダリーシャスの帰還が遅くなればなるほど、神前投票の開始が遅れてしまう。それ即ち、王による政が遅延することに他ならない。それは国を乱す原因となりうると私は危ぶんでいる」
ワシャフの朗々とした声が白々しく議事の間に流れた。確かに、ワシャフの言にも一理ある。神前投票が行われなければ、どんな些細な政も王族と十四氏族が一堂に会し、合議制で行われなければならない。それでは緊急性の高い案件に対して、対応が遅れるという事になってしまう。
だからといって、王族の称号はく奪は前例に無い事だ。そして、一度それを許せば、前例があるという理由で、国を離れた王族の称号が簡単に剥奪されてしまう。
未来に禍根の種を撒くことになるかもしれないと十四氏族の族長たちは警戒する。それに後押しされるかのように、ファラハが口を開く。
「両王子は共に、国の為にそれぞれの任務を全うしている最中だ。それを無視し、一方的に称号はく奪をするのは、王家に禍根を残しかねないぞ」
「国政を滞らせるよりかはずっとマシといえるでしょう。それに、アフサル王子はともかくとしても、ダリーシャス王子。かの者の遅参はいささか度が過ぎているように思うが」
痛い所を突かれたとばかりにファラハが押し黙る。
王族たちの認識ではダリーシャス・オードヴァーンは現在、生死不明に近い扱いを受けている。現王が倒れた事を知らせ、帰国の命令を出して以降、向うから連絡を絶っていた。
「生死不明……となれば、やはりここはダリーシャス・オードヴァーンの称号を一時的に剥奪し、アフサル王子が帰国次第、すぐに神前投票を行うというのが筋かと思われるが。如何かな、ファラハよ」
この場において、ジャマルは外野である。どちらの陣営にも肩入れしていない、第三者としての立ち位置から、この議題がどのような形で決着されるのか楽しもうと決めた。
よくも抜け抜けと、とファラハは歯噛みした。幾つかの密偵からの情報で、ワシャフがヌギド族と呼ばれる暗殺者を雇い、東方大陸方面から帰国するはずのダリーシャスに向けて放ったのは、ファラハ陣営が知る所の話だ。
ダリーシャスの傍には優秀な従者としてナリンザをつけている。そんな彼女が、こうも長期間連絡を取らないでいるのは、身を隠す必要があるとの判断だろうと彼らは推測していた。おそらく、ワシャフの暗殺者を警戒しての事だ。
つまり、ダリーシャスと連絡が取れなくなった原因は、目の前でニヤニヤと笑みを浮かべる男だ。その吊り上がった頬肉に拳を叩き込めたらとファラハは思う。
「……そのような扱いは不要だ。我が子、ダリーシャスはまだ生きている。こちらはそのはっきりとした証拠を手にしている」
嘘だ。
苦し紛れのはったりだ。
しかし、ここでワシャフの意見に黙っていれば、そのままダリーシャスの称号はく奪という流れになりかねない。そうなれば、票差は縮まり、いまだにどちらにつくか迷う勢力の取り込み合戦が過熱してしまう。
内臓が冷汗を掻くのを、おくびにも出さずにファラハは平静を装う。
それでも狡猾な長兄を相手に、自分の演技がどれだけ通じているのか不明だった。濁った暗褐色の瞳がじっと自分の中まで見通すかのような視線に居心地が悪くなる。
ところが。
「……そうですか。それならば、結構」
と。
ワシャフが矛を収めたのだ。これにはファラハのみならず、カービードやジャマル、そして十四氏族の族長全てが驚きのあまり声を失った。それこそ、驚いていないのはワシャフ当人とその配下たちぐらいか。
驚きで議事堂が震えた様にファラハは思う。なぜなら、余りにも不可解な行動なのだ。今回の招集はワシャフ・プラティスによるもの。王族を呼び寄せ、十四氏族の族長たちにも出席を促したのだ。ある程度の形で話をつけないと、誰も納得しない。それこそ、ファラハですら納得できない結果だ。
それなのに、ワシャフは進行役に議題の取り下げを申請し、それが受理されてしまう。少なくとも、同じ議題内容の提出は同一人物にはできない。これで、ワシャフは合法的に王子たちの称号はく奪は出来なくなった。
ぞわり、と。
ファラハは臓の腑を冷たい手で撫でられたかのような悪寒を感じる。いつの間にか、不快に感じていた熱気とは裏腹に汗が伝い始めた。
これは良くないと、勘が囁き始めた。何か、よくない事が、自分の足元を流れ始めている。
それを裏付けるように、進行役が己の職務を全うする。
「では次の議題へと移りたいと存じます」
「……待て。次の議題だと? そんなの、私は聞いていないぞ」
ファラハが後ろを振り返るも、ナキ家当主を始めとした部下たちも同様に首を横に振った。更には、居並ぶ一同へと視線を送るも、それは同様だった。誰もが、次の議題に首を傾げていた。
そんな中、酷薄な笑みを浮かべていたワシャフと視線が合い、ファラハは己の手落ちに気が付いた。
―――こちらが本命だったか!
王子の称号はく奪という重要案件を餌に、王族と十四氏族の族長たちを一堂に呼び寄せるという状況を作るのが、ワシャフの狙いだと気が付く。そうなると、先程の態度も理解できた。王族の称号はく奪に固執していなかったのは、最初から成功するとは思っていなかったのだ。だから、簡単に議題の取り下げができたのだ。
(となれば、次に出てくるのが本命か)
と、身構えるファラハの頭を砕くような一撃が放たれた。
「……次の議題は……デゼルト国の王族が一人。ファラハ・オードヴァーン様への国家背任の嫌疑についてです」
「……な、なんだとぉぉぉ!!」
肺から酸素を全て吐き出すような叫びが議事の間に広がる。遅れて、言葉の意味を理解したファラハの配下たちから怒号が嵐となって飛び出した。それに負けないほどのざわめきが外野から放たれ、議事の間は騒然となる。
射殺さんとばかりの視線を浴びた進行役が悲鳴を上げ、身を縮ませる。
「貴様、この私を愚弄する気か!!」
「滅相も、滅相も、滅相もございません! 私はただ、ワシャフ様からの告発状を元にした動議を、ひぃ!」
振り上げた拳が机を揺らし、短い悲鳴が鐘のように響く。見るのも哀れなほどに表情を引きつらせた進行役から、全員の視線がゆっくりとワシャフの方へと集まった。
狐のような細い顔がゆっくりと動き、怒りに震えるファラハを正面から見つめた。
「兄上。……いくら神前投票で争う敵とはいえ、私に国家背任の嫌疑をかけるとは。正気とは思えませんな」
デゼルト国の国法によれば、国家背任の嫌疑をかけられ、それが事実として認められた者は国外追放、もしくは死刑となる。もし、この嫌疑が冤罪となれば、告発者が国外追放、もしくは死刑となる。それは王族といえど変わらず、むしろ王族だからこそ執拗に、念入りに、徹底的に調べられる。
「私は私の無実を知っている。……いくらでも、調べたまえ。それに全面的な協力を約束しよう。しかし! その前に、証明してもらうぞ。私を国家背任と告発するに足る証拠を!」
堂々とした要求に、聴衆たちは頷いた。いくら国王の長男といえど、一方的な告発は認められない。それこそ、確固たる証拠が必要となる。
すると、ワシャフが懐から数枚の羊皮紙を取り出し、一同の前で高々と掲げる。
「これは、私が個人的な伝手で入手した、私信である。あて先は、オードヴァーン家。そして送り主は……見たまえ。そして、読み上げたまえ」
半ば気絶していた進行役を叩き起こして、ワシャフは羊皮紙の中身を読ませた。
「……ゴルディアス・スプランディッド! て、帝国皇帝の親書ではありませんか!」
途端、ざわめきは最高潮を迎える。そんな中、進行役は震える手を律しながら、内容を読み上げた。
親書の中身は国の割譲案についての了承だった。曰く、帝国は長年の夢だった他大陸への侵攻に踏み切る。その際に、橋頭保としてデゼルト国北部の港とその周辺を軍用地として割譲すること。そして侵攻軍と共に沓を並べて戦う事を求めていた。その代価として、侵攻作戦において手に入った領土の分配を約束する旨だった。
顔を赤らめたファラハが進行役の手から羊皮紙をもぎ取る中、朗々とした声は、油を差しているかのようにするすると回った。
「如何かな、御一同。この羊皮紙たちは、ファラハ・オードヴァーンが、王でもないというのに、勝手に母なる国土の一部を割譲。更には帝国の侵攻作戦における先兵となり下がる事で、領地の獲得を約束する旨が記載されています。これを国家背任と言わず、何というのか!!」
「黙れ! これは、こんなの、身に覚えがない!! 私は潔白だ!!」
「恍けるな! この親書には、帝国皇帝の花押。そして何より、貴様の家紋が記されているではないか。これが偽書と宣うならば、証拠を提出しなさい! 己が潔白の証を立てるのです!」
エルドラドとは別の世界に、『悪魔の証明』という言葉がある。平たく言えば、それは全くない事を証明することは不可能に近いという考えだ。ファラハが、自らが潔白であるという証明をするには、帝国皇帝と私信を交わしたことがないという証明をしなくてはいけないのだ。
無いという事の証明をするのは、在るという事を証明をするよりもよっぽど難しい。何しろ、在るという事を証明するには、その実物を持ってくればいいのだ。
ワシャフは国家背任の証拠として、親書を出してきた。それを翻す証拠は並大抵のものではない。
「……いまは無い。だが、いくらでも捜査してもらえば、この一件に関与していないという証が―――」
「―――それでは遅いのですよ! アフサル・オードヴァーンがすでに帝国入りしている。おそらく、父親の命で、皇帝と謁見しているのでしょう」
誰かが息を呑む音がする。状況が加速度的にファラハへの疑心へと流れて行く。確たる証拠も、論理もない、全てが状況証拠からの推論でしかない。しかし、ファラハが潔白だと信じられるものは、彼の身内を除いて誰も居なかった。
何より、帝国が他大陸への野心があるというのは、世界的にも共通認識なのだ。十五年前には東方大陸への侵攻を企てようとしてシュウ王国との縁戚関係を結んでいる。そして、数年前に起きた内乱によって、国内の反抗勢力を一掃した帝国は、他大陸へ乗り出すのに何の憂いもない。それゆえ、帝国皇帝の私信の内容は信じがたい内容であっても、不思議な内容では無かった。来るべき時が来たと、誰もが心の底では認めていた。
だから、ワシャフの糾弾を止める者は居なかった。
「このまま手をこまねいていれば、次の新月を迎える頃には、わが国に帝国の大艦隊が押し寄せるやもしれません! そこで、私は、断固たる決意で声高に叫びましょう」
「……どういう意味だ、兄上」
無造作に距離を詰める兄に対して、ファラハは身構えることはなかった。だけど、それが命取りになった。いち早く、不穏な予感にかられたナキ家当主が叫ぶが、全ては遅かった。
白刃が煌めき、ファラハ・オードヴァーンの喉を横に裂いた。一瞬遅れて、血が噴き出し、男の体が崩れる。議事の間に居た者達があっけにとられる中、ワシャフは舞台上の主役の如く立ち振る舞いで宣言した。
「私は、逆賊ファラハ・オードヴァーンとその一党を討ち、挙国一致となって帝国に対抗する事をここに宣言する!」
勝手な言い分に非難と怒号の嵐が吹き荒れる中、議事の間の扉が荒々しく開かれ、完全装備した兵士たちが流れ込んできた。倒れたファラハを引きずるナキ家当主に槍が向けられ、その穂先は他の王族や十四氏族にも及んだ。
「お静かに願います。事は一刻を争う事態。これより、首都はこのワシャフ・プラティスが管理いたします。また、他の王族、並びに十四氏族の方々も拘束させてもらいましょう」
何故だと吹きあがる疑問の声に、ワシャフは冷徹なまでに返す。
「此度の一件。根は深いものと推測されます。もしかすると、オードヴァーン以外の王族、並びに十四氏族も関与している疑いがあります。よって、全ての嫌疑が片付くまで、不自由でしょうが、私の指示には従ってもらいます」
誰もが遅まきながら気が付いた。これはワシャフ・プラティスによるクーデターだという事に。そして、それが半ばまで達成されてしまった事に。弟の血で濡れた顔を手で拭ったワシャフは勝ち誇った顔を浮かべていた。
「逆らうものは容赦なく、処断するので。どうか、そのつもりで」
読んで下さって、ありがとうございます。




