2-8 カラバの港町
「起きろよ、レイ! もうじき、カラバに着くぞ」
ファルナの声と共に枕代わりにしていた鞄が頭から抜けた。当然、頭は支えを無くして馬車の床へと叩きつけられた。
後頭部に痛みを抱えつつ、目を擦る。最終日にして馬車酔いを克服した僕は今朝まで火の番をしていたため揺れる馬車内で眠っていた。
寝ぼけて動きの緩慢な僕にじれったいと思ったファルナが僕の手を握り、御者台へと引っ張る。
幌越しにも感じていた日差しに目が焼かれる。真っ白になった視界の代わりに濃い潮の香りが鼻孔を擽る。徐々に視界が正常に戻ると、強烈な青い輝きが飛び込む。日差しに照らされて万華鏡のようにキラキラと輝く海面に白い筋を描く様に帆船が行きかう。
陸側を半円のように抉り整備された港町は太陽に照らされ輝く白亜の建物が乱立し、伸びた埠頭に停泊する船から荷卸しをする人たちが豆粒のように見える。直接見たことは無いが、地中海の港町のようだ。
ネーデの街を出て四日が経過した。キャラバンは昼を前にしてカラバの港町を見下ろせる丘に到着した。
後はこの丘を降りればカラバの港町に着く。
ファルナが楽しそうに港町を見下ろす隣で、坂を下るキャラバンの先頭に視線を向けた。
先頭を走る馬車の中をここから見る事は出来ない。だけど、そこに居るはずのエリザベートの姿を幌越しに想像する。
あの夜。
火の番をしていた夜に僕に話しかけたエリザベートから突き付けられた言葉。
「解放を望まない者も居るのです、レイ様」
あれ以来。僕はエリザベートとの間に溝を感じていた。朝起きて食事をとっても、昼に休憩がてらに森に入っても、夜に宴会の輪に入っても、そっと距離を取られてしまう。代わりにと言うわけでは無いがレティとはある程度距離が縮まった……かもしれない。
天真爛漫を絵に掻いたような少女は寡黙な姉とは違いキャラバンのメンバーからアイドルのように可愛がられた。また、幼い見た目に反して、といっても今の僕と三つしか違わないが、意外と芸達者な少女でもある。炊事洗濯から始まり、動物への罠の作り方や馬車の操縦、さらには森で積んだ薬草からポーションの作り方や、逆に毒草を煎じて生み出した毒薬まで披露した。恐ろしく苦くて三つ同時に飲み込むと人を死に至らしめる丸薬は危ないので責任を持って処分した。
どうやらレティに気に入られた僕は出会ってからの二日間、彼女の世話係兼技術の生徒役をこなしていた。
一方でエリザベートはその美貌からフェスティオ商会の男性陣や『紅蓮の旅団』の男性陣から熱烈、とはいかないまでもある程度のアプローチを掛けられるのを何度か見た。
しかし、悉くを打ち払う騎士が彼女の傍に張り付いていた。その騎士の守りを越えても感情をあまり表に出さない剣士の前に男どもは撃沈していったが。
その騎士は誰であろう、ファルナだった。
彼女は太陽が昇り、沈むまで暇を見つけてはエリザベートの傍に行き、ガールズトークに花を咲かせていた。驚いたことに遠くから見ていると、能面のように無表情を貫いていたエリザベートが良く笑っていた。
出発の為に別れて馬車に戻ったファルナに何を話していたかと聞くと、顔を輝かせて、彼女は興奮したように語る。
「それが聞いてくれよ、レイ! リザの奴な西の方に伝わる剣術の使い手で、親の教育で幼いころから剣を握って修行していたんだ。奴隷になってからも山賊や、モンスターの巣に単身挑んでは勝ってきたんだって、それにな―――」
延々とまくし立てるファルナを止めようとしたが、よほど楽しかったのか彼女は次に馬車が止まるまで解放してくれなかった。聞かされたガールズトークの内容はどれも血腥い物。逃げ場のない馬車の中で耳を塞げずに聞いていたオイジンがこっそり教えてくれたが、ファルナは強い人から話を聞くのがライフワークだそうだ。
夕食の支度に駆り出された僕の横にゲッソリとした表情を見せるレティが居た。艶のあるエメラルドグリーンの瞳はくすんだ輝きを放つ。もしかすると僕も同じような表情を浮かべているかもしていない。
「お姉ちゃんも同じだよ」
馬車でのファルナの興奮状態をレティに話すと、幼い少女も心労を重ねたような表情で語る。
「うちのお姉ちゃんは強くなることに貪欲だから、ファルナお姉さんが旅で見てきた色々な戦士の話を聞いてご満悦な表情であたしに話すんだよ。もーちかれた」
近隣の農村から購入した野菜を切る手を止めてぐったりと寝ころぶ。そんな少女の姿を視界に収めていると、端で噂の二人が並んで歩いているのを捉えた。近くの森から焚火に使える枝を抱えて楽しそうに話している。
エリザベートはいつも見せている能面のような無表情では無く、花が綻ぶような笑みを浮かべていた。もし、あの場に僕が近づけばたちまち枯れた様に無表情へと戻るだろう。
エリザベートとファルナが仲良くなり、レティと僕がこうして行動を共にするようになると、時折四人で行動する時がある。そうすると、エリザベートは妹やファルナの前で見せるような表情を僕には見せずに気まずい雰囲気が流れてしまう。
前にこんなことがあった。旅に出て四日目の事だ。
キャラバンがゴブリンの群れに襲われた。
昼食を取り終えて出発してから二時間ほど経ったころ、僕らは森の中を突き進む。
森を貫く街道の周りは馬車の往来を想定して道幅を広くとり、伐採を定期的に行い、視界を確保してはいたがそれでもゴブリンの奇襲を受けてしまった。
当然、荷物を守る為に『紅蓮の旅団』の冒険者たちは打って出る。僕もエリザベートも戦闘に参加した。ゴブリン自体はたいした事は無く、瞬く間に制圧できた。
二十分もかからずに森にモンスターの屍が積み上がっていた。
戦闘が終わり、気が緩んでいた僕は不用意にエリザベートに声をかけてしまった。彼女との距離を縮めようとした。だけど、警戒を隠さずに僕に接する彼女を前に言葉を上手く紡げずにいた。
そんな時だった。
彼女の背後を仲間の死体に隠れていたゴブリンが襲い掛かった。僕は咄嗟にゴブリンとエリザベートの間に入り込んでしまった。
僕の体を前後から放たれた斬撃が襲った。
遅れて反応したエリザベートはほとんど反射的に背後の殺気に武器を振りぬいていた。彼女が間に立った僕の存在に気づいたのは振り切った後だった。
取り乱しながら回復魔法を求める彼女の声を遠くに聞きながら僕は死んでしまう。
無論、今こうして馬車からカラバの港町を見下ろしている以上《トライ&エラー》が発動したわけだ。
懸念していた二人の魂が巻き込まれる可能性は杞憂に終わった。四日目の朝に戻った僕はエリザベートとレティの様子を観察していたが彼女たちがゴブリンの奇襲を事前に警戒していた様子は無かった。
いつもと変わりなくやり直しができた僕はこうして旅を続けている。
(とは言え、やっぱり不安定な力ではあるよな)
未だに《トライ&エラー》には不明な点がある。時を戻る際に味わう魂に響くイタミ。回数制限の有無。自殺を選んだ場合のペナルティからの回復条件。そもそも、なぜこんな特殊技能が僕に与えられたのか。
やはり、早く『聖域』を見つけて神に問いかけねばと旅の目的を再認する。
そうしているうちに馬車は坂道を下り終えてカラバの港町に辿りついていた。
このあたりには迷宮やモンスターの巣のような物は無いため街を囲う様な高い城壁は存在せず、山賊や盗賊を取り締まるために領主の兵団が街の守護を務めている。
揃いの全身鎧を着こんだ兵士が街に入ろうとする馬車を止めて一台一台中を覗いている。そのため街に入ろうとする馬車の列で行列が出来ていた。
「こりゃ街に入れるのは昼を過ぎてからだな」
「やっぱり、それぐらいかかるかな」
遅々として進まない行列を見てファルナがため息まじりに愚痴る。僕も行列を見て同じ感想を抱いた。
すると、先頭の馬車に速度を合わせていたロータスさんが馬を駆けて戻って来た。
「どうかしたの、ロータス姐?」
ファルナが呼びかけると、ロータスさんは僕らの馬車に横付けすると、僕に向かって口を開いた。
「レイさん。ジェロニモさんがお呼びです。申し訳ありませんが先頭の馬車に来てください。自分の鞄を忘れずに持ってきてください」
言うと、彼女は手綱を引いて馬を回すと先頭に戻っていった。
僕は疑問を抱きつつ、言われた通りに鞄を持って馬車を降りる。牛の歩みよりも遅い馬車の列に沿って前へと走った。
キャラバンの先頭ではジェロニモさんが馬車から下りてオルドと話していた。
「それでは検閲が終わり次第、埠頭に停泊してある商会の帆船に荷揚げをお願いします。それまでの代理は内のカリストロが取ります」
「了解だ、ジェロニモ」
「ジェロニモさん。どうかしましたか?」
僕が背後から声をかけると、彼は振り返り、来ましたか、と言った。
そして、馬車に乗せていた木箱を掴むと、僕に押し付けた。慌てて木箱を抱えるが見た目の割に軽かった。これが何かと聞こうと口を開きかけたが、馬車から下りてきた人を見て口を閉じた。
エリザベートとレティが降りてきたのだ。レティは僕を見るなり小さく手を振ったが、エリザベートは視線が合うとついと背けてくる。そんな反応を前にして表情に出さないように堪えたが心の中で盛大な溜息をつく。
「それでは三人とも。私たちは先に街へと入りましょう」
言うなりジェロニモさんは足早に街の入口へと歩いていく。エリザベートとレティも彼の後を追う。僕も遅れて、三人の後を追った。
入り口を固める兵士たちは何も言わずに僕らの進入を認めた。すでにこの木箱の中身は見られたのかもしれない。
カラバの港町は入り口から伸びる大通りに沿って海に関係する商店が軒を争う。目の前の海で採れたと思しき魚や貝、塩や海苔を売る店が至る所にある。それだけで無い。シュウ王国から輸入した鉱石を売る店も少なからず存在していた。
通りを歩く人の姿がネーデの街と少しばかり違う。
冒険者や旅人、商人と言ったネーデの街でも見かけた人たちもいるが、目につくのは海と共に暮らしている人たちの姿だ。大人や子供は日に焼けた浅黒い肌を晒すように最初から上を脱いだり、着ていてもタンクトップのような袖の無い物を着込む。下は殆どお揃いと言っていい。七分だけの足首を出すズボンを紐で縛りサンダルを履いている。ある程度の年齢より上の女性たちはサマードレスのような薄い布で全身を覆う涼しげな装いだ。人との差をつけるのは生地の柄や身に着けている装飾品だけだ。
僕がキョロキョロと辺りを見回している間にもジェロニモさんはまっすぐと迷いなく進む。その迷いのない足取りから目的地へと一直線に進んでいるのが分かる。
「ああ、ここです。着きましたよ」
しばらく歩いた後、ジェロニモさんはある白亜の建物の前で止まった。僕はその建物を見上げて驚いた。
円形の塔を中心に四角い建物が三辺にくっついている大きな建物だ。入り口の看板にGIRUDOと書かれていた。
「もしかして……この街のギルドですか」
「ええ、そうです。入りましょう」
ジェロニモさんは慣れた風にギルドへと入っていく。エリザベートとレティも続くので僕も入った。
円形の塔の中は吹き抜けとなっており、塔の先端から取り込んだ風が館内を涼しくしている。円形の床の中央でギルドの制服を着込んだ女性がジェロニモさんを見つけて歩み寄った。
「これはフェスティオ商会のジェロニモ様。本日は当ギルドにどのようなご用件でしょうか」
完璧な営業スマイルを張り付けた職員が深々とお辞儀した。ジェロニモさんはその女性に向かって口を開いた。
「公正証書の作成をお願いします。誰か手すきの審判官はいらっしゃいますか?」
「畏まりました。今担当の者に伺ってきます」
体を起こすなり、職員さんは三つある窓口の内の一つへと走っていった。僕はそんな彼女の背中から視線を話すと、建物をぐるりと見渡していた。
(随分とまあ、大きな建物だ。それに働いている人の数が多いな)
ネーデの街と比べると建物の大きさも、職員の数も、そして訪れる人の数や種類は圧倒的にこちらの方が多い。そんな風に思っていると、横からジェロニモさんが声をかけてきた。
「驚いたかい、レイ君」
視線を彼に合わせると僕の圧倒されている姿を興味深そうに見ているのに気付いた。なんだか楽しそうである。
「そもそもギルドには三つの部門があってね。ネーデにもあった冒険者部門。それ以外の商人部門と職人部門。この三つを合わせてギルドと言うのさ」
「それじゃあ審判官ってのは何なんですか? ネーデの街でも会いましたけど」
教師のように指を立てて解説するジェロニモさん。どうやらこの人は教えたがりの人なのかもしれない。自分の知識を誰かに見せびらかしたい人。だから何も知らないような人を見ると楽しくなる。
そうと分かれば躊躇う事も無く疑問をぶつけた。僕の読み通り教えたがりのジェロニモさんは意気揚々と口を開いた。
「審判官はギルド設立の頃から存在する、ある特殊技能を持った一族の事を指すのさ。その力は人の嘘を見抜くのさ」
「……嘘を見抜く」
まさかと思う一方で確かにと納得できる点もある。ネーデの街で見たアメジストの瞳に刻まれた血のように赤い魔方陣。あれに見つめられると、魂をつぶさに観察されたような思いを味わった。なにより特殊技能の出鱈目さは自分が一番知っている。
「元々辺境の地に暮らす部族だったけど、彼らの力が他の人々に知られると恐怖から弾圧する人々や悪用する人々に追われるようになる。そんな彼らを救い守った冒険王に感謝し、ギルドに忠誠を誓う事で自分たちの身を守ってきた」
一拍の後、ジェロニモさんは言葉を続ける。
「彼らの瞳の前に嘘は吐けない。翻って彼らが真実と認めたことはどこに行っても真実と認められる。だから私たちが闇ギルドの奴隷商、クロト氏を殺して彼女たちの主人になったと言うわけじゃないことを書類として明記してもらう必要があるんだ」
「なるほど。それでここに来たんですか。……そうするとこれは何ですか?」
ああ、それは、と続けようとしたところでジェロニモさんは言葉を区切った。職員が戻ってきて準備ができたと告げたのだ。
僕らは彼女に導かれて四角い建物へと歩いていき、ある部屋の前にたどり着いた。職員が扉にノックをすると、男性の声で返事がした。
「失礼します。審判官、フェスティオ商会のジェロニモ様と一行の方々です」
「よろしくお願いします。審判官」
ジェロニモさんが頭を下げたのを見て僕も頭を下げた。質素な部屋には審判官の使う机と椅子が置かれ、正対する様に空の椅子がぽつんと置かれていた。
ネーデの街の審判官と同じように目隠しをした審判官は椅子を手で示すと口を開いた。
「お座りください。ジェロニモ殿」
相変わらず、目隠しをしていても見えるのかどうか気になるのをぐっと我慢して、ジェロニモさんが座るのを待った。後ろでは職員が音も無く部屋を退出した。
ジェロニモさんが席に着くのと同時に机から羊皮紙を取り出し、羽ペンにインクを浸すと審判官は目を封印する様に着けていた目隠しを解いた。
はらり、と布は落ち瞼が開くと三角を二つ重ねた魔方陣が僕らを捉えた。ぞくり、と魂を覗かれるような感覚に陥る。横目で二人を見ると彼女らも同じように感じている様だ。
「それではジェロニモ殿。本日はどのようなご用件でしょうか?」
問われたジェロニモさんは旅の三日目に遭遇した騒動を説明する。二つの森に挟まれた平原で主に見捨てられた戦奴隷を僕が助けに入った事。見捨てた主がモンスターに殺された事。そして、契約に則り死に瀕した彼女らと仮契約を結んでしまったことをつぶさに話した。
審判官は話を聞くたびに後ろに控えている僕たち一人一人に同じ質問をぶつける。僕らの回答をアメジストの瞳でじっくりと観察しては納得したことを羊皮紙に書き込む。これを何度繰り返しただろうか。
ようやく、クロトの正体が闇ギルドの奴隷商人と言うくだりまで話した時、ジェロニモさんが僕に木箱を机の上に置く様に指示した。
僕は言われた通り木箱を机に乗せ、蓋を開けるように言われたから蓋を開けた。
見た目の割に軽い木箱の大半は藁だった。その藁の山に身を預ける様に幾つもの宝石が輝きを発していた。僕はそれに見覚えがあった。
壊れた馬車に散らばっていた宝石や装飾品だ。それが何故、ここにあるのだろうかと疑問を抱いていると、ジェロニモさんが答えてくれた。
「これらは盗品だと思われます」
「……ほう?」
興味深そうに審判官は身を乗り出して宝石を覗きこむ。僕も元の位置に戻る前に木箱に入っている宝石を一瞥した。
「実はこれらの内の幾つかは懇意にしていた貴族や商家の所で見かけた物です。後日に話を伺うと、時期はバラバラでしたが皆様、口をそろえて盗まれたと言っておりました」
そう、ジェロニモさんは言うと、懐から折りたたんだ羊皮紙を取り出すと審判官に差し出した。受け取った彼は紙を広げて目線を落とした。
「盗難にあわれた方たちのリストです。私たちはこれからシュウ王国に向かいますので、この盗品を商人ギルドの方で持ち主にお返しして頂きたいのです」
「……なるほど。分かりました。事実確認をしたのち、適切な持ち主に返却します。……ちなみに適切な持ち主が見つからなかった場合は貴方が買い取りますか?」
「いえ、それには及びません。権利を放棄します」
分かりました、と頷くと審判官は書き上げた羊皮紙に自らのサインと捺印を施すと綺麗に折りたたむ。そして、引き出しから取り出した封筒に仕舞うと、手元に置いてあった蝋燭を垂らす。封筒の留め口に蝋が溜まるとすぐさま指にはめていた指輪を押し付けた。
「ではジェロニモ殿。これで以上です。どうぞ、この書類をお持ちください。宝石はこちらで責任を持って元の持ち主にお返しします」
封筒を受けとったジェロニモさんは頭を下げる。僕らもそれに習って頭を下げて部屋を退室した。
僕らはそろってギルドを出た。熱い太陽の日差しが僕らを焼く。
「さて、それでは一度埠頭の方に向かいますか。オルドさんたちがまだ着いていなかったら、申し訳ありませんが待ってもらいますよ」
ジェロニモさんが言うと、僕らは頷いた。そして、彼を先頭に人ごみを掻き分けて埠頭へ向かった。
埠頭はギルドからさほど遠くない場所に設置されていた。幾つもの帆船が停泊しており、僕らはその内の一つの前に立つ。
埠頭に止まっていた帆船の中でも他と比べても大きな帆船だった。全身を木で作られた帆船の甲板から天を突く様に伸びるマストに帆が畳まれてる。側面から銃口を覗かせる大砲がずらりと並ぶ。おぼろげな記憶ではキャラック船と呼ばれる種類のはずだ。
「縦に90メーチル、横幅は15メーチル。三本のマスト。一番高いメインマストは水面から40メーチル。これがフェスティオ商会の所有する帆船、『シードラゴン』さ」
自慢げにスペックを語るジェロニモさんの声は僕の耳を通り過ぎる。ドラゴンと呼ぶにふさわしい船嘴を有する帆船を見上げていた。
「若旦那! お待ちしておりました」
水夫に交じりながら出発の準備を行っていた船長らしき人が甲板からジェロニモさんに手を振る。豊かな髭に恰幅の良い体系の小男は忙しなさそうに船と埠頭に掛けられた足場を渡る。
「やあ、船長。船の状態は万全かな?」
「へい。魔水晶の指示通り向うの港までの水と食料は手配済みです。それに二番艦が明後日の朝方には着くそうです」
「ありがとう、船長。詳しい話は船でしよう。レイ君!」
僕を呼びかける声で我に返った。
「すまないがオルドさんたちの馬車がここに来るまで待機していてくれないか? 彼らが着次第積み込み作業を始めて、それから食事にしよう」
「わかりました。ここで待っています」
そう返事をすると、ジェロニモさんは船長を伴い船に乗り込んだ。残された僕らは間にレティを挟んで並んで海を眺めていた。
(―――異世界でも、海は青いんだな)
初めて青い月を見た時の衝撃が未だに忘れられない。あれを見たことで自分が遠い場所に来たんだと自覚した。ちらりと横を盗み見すると、レティは埠頭をうろつく子猫と戯れていた。口に魚を咥えた猫は少女の熟練された手さばきに屈して腹を見せていた。腹を見せるのは犬では無かったか?
その向こうで潮風に煽られて腰まで伸びた金髪がシルクの布のように広がる。晴れた青空を思わせる青の瞳が水面が反射させる太陽の輝きを眩しそうに見つめる。
僕は意を決して口を開いた。
「二人に話したいことがあるんだ。少し、聞いてくれないか」
真剣な声色で語り掛けたからか、少女たちは不審そうに僕を見つめる。僕はここ数日考えていたことを口にした。
「君たちの今後の身の振り方についてだ」
「―――その話ならすでにお伝えしたはずです」
途端に、不機嫌そうな表情を隠そうともせずにエリザベートが言葉を遮る。見えない溝が僕らの間に広がっていく。
僕はその溝を飛び越える覚悟で言葉を継ぐ。
「―――君たちを買いたい」
レイが二人に話を切り出していたのと時を同じくして。
彼らの目の前に広がる海を越えた先。
東方大陸南東部のメスケネスト火山の地下に広がる迷宮。
その最深部にて異常が静かに蠢く。
深層部13階。ボスの間。
壁の向こうを流れるマグマによって人が生きるのは難しいほど熱せられた空間に一人の男が存在した。赤龍との戦いで兜を失った男は足元まで伸びた黒髪を前髪ごとかき上げて後ろで縛る。オールバックにしたことで露わになる男の素顔には縁の無いメガネが掛かっていた。
男は人の『手』を使い作られた杖を握り、空いた手で魔方陣をボスの間に描いていく。体を揺らしながら描くたびに後ろで縛った黒髪が振り子のように揺れる。床だけでなく、壁や天井にも赤黒い複雑な図形を描いていく。
広大なボスの間の隅から隅へと描く以上、塗料が切れるのは当然だった。男は筆代わりに使っていた腕を放り投げると床に放り棄ててある死体へと近づいた。
その死体は広大なボスの間に相応しい巨体を有している。生きていたころはおそらく10メートルはあったであろう体躯は、しかし、いまは歪な姿をさらす。無造作に男が右足を引きちぎる。一つ目の巨人は抵抗も出来ずにいた。
キュクロプス。
それが死体の名前だった。両手に握りしめた自らが作り上げし武器を使う強大なボスに対してギルドが打ち出した討伐可能レベルは150オーバーの冒険者を有した10人前後のパーティー。
そんな相手を黒髪の男は単独で打ち倒した。
これを異常と言わず何というのだろうか?
男は金色の瞳で自らが描いた魔方陣を丹念に見直す。その出来栄えに頷くと、ボスの間の中央に立つ。
不気味な杖を両手で握りしめると、祈るように目を瞑った。
そして『宣誓』を口にした。
「《弾けろ、我が蔵》」
この場に精神力の流れを感じる存在が居たら、卒倒したことだろう。莫大としか言えない精神力が魔人の体内から溢れる。それはいわば精神力の台風と言えた。魔人を中心に漏れ出た無色の精神力がボスの間を駆け巡る。キュクロプスの死体がまるで見えない巨人の手に吹き飛ばされていく。
魔人の青白い肌を汗が伝う。そして、まばゆい光が杖の先端から放たれると、床と、四方の壁、そして天井の中央に描かれた魔方陣へと突き刺さった。
十秒にも満たない時間が過ぎたのち、魔人から漏れた精神力は収まり、静寂がボスの間を包んでいた。
代わりにボスの間に描かれた血の魔方陣が音も無く脈動する。魔人はその変化に満足そうに頷くと誰に聞かせるまでも無く呟いた。
「これで、この迷宮は私の支配下だ」
魔人が何もない空間に文字を描くと、途端にボスの間の扉が開く。いや、それだけでは無い。迷宮自体が音を立てて自らの構造を作り替えているのだ。
全てのボスの間の扉が開き、全ての広間が一列に並べられ、全ての階段が階層の端と端に置かれる。これでは迷宮とは言えない。ただの直線の通路となった。
そして、再び魔人は空中に文字を描くと、応える様に迷宮が振動する。音を立ててモンスターが産み出される。床から、壁から、天井から、無秩序に産み落とされる。
彼らは迷宮内で互いに縄張り争いはしない。迷宮と言う母の胎内にいる間は人間以外を敵と認識しない。しかし、ある一定を超えると、彼らは本能的にある行動を選択する。
後から生まれてくる弟妹達の場所を譲る為に地上を目指す。
読んで下さって、ありがとうございます。




